震災
2026年01月17日
阪神淡路大震災から31年
私自身は神戸で生まれ育ったと言っても3歳から17歳までいただけで、その前後も神戸どころか東京や岡山やカナダに住んでいたので、これといって思い出はありません。小・中・高と神戸の公立学校へ通いましたが子供でしたので行動半径も小さく、自宅が六甲山だったので出かけるには山を下りて阪急電車六甲駅から電車かバスに乗る必要があり、高校に入ってから三宮に行く程度でした。
ただ、両親が六甲アイランドにマンションを購入し、そこに住んでいたのですが転勤となり、猫を数匹飼っていたので当時兵庫県尼崎市の賃貸マンションに住んでいた私が、そのマンションに家賃を払って住むことになったのです。
この話しが出たのが1994年10月で12月から住み始め翌1995年1月17日に震災に遭ったという感じでした。
正直、右も左も分からない場所で震災に遭遇し、もちろん電気・ガス・水道はストップ。14階建てマンションの10階だったので、毎日水を運ぶのは無理だったのとコンビナートのガス漏れが発生して避難所生活も経験しました。
当時私はイベント会社に勤務しており、私の現場は千里阪急ホテルでのナショナル住宅産業(現パナホーム)の新春ふれ愛会という賀詞交歓会。自家用車で現場へ向かったのですが地割れに何度も落ちては大型車に引き上げてもらい阪神高速までたどりついたら倒壊していました。
奇跡的に関西デジタルホンのPRイベントをやっていたのでデジタル携帯電話が数台あり、アナログ全盛期なのでデジタル携帯だけはつながったので上司に連絡すると「こっちの現場は中止なんで神戸国際会館を見てきてくれ」と言われ方向転換。
本来はこの震災当日から神戸国際会館で坂本冬美ショーが3日間ある予定でしたが、建物が完全に倒壊しており中止決定。スタッフの皆さんは三ノ宮ターミナルホテルに宿泊されていて無事が確認でき、冬美さん本人は大阪マルビル泊だったので問題ナシということで、その日は自宅へと戻りました。
大量にお亡くなりになられている方もおられましたし、倒壊した高架道路の下敷きになったり落下したと思われる車両も見ましたし、大きな声で助けを求めている方々にも遭遇しましたが、当時の私は誰も助けませんでした。本当に心に余裕の無い27歳だったと思います。
それ以降、大きな震災があるたびにボランティアに寄せていただいてます。みなさんも明日は我が身だと思って震災への備えをよろしくお願いいたします。
毎日放送から販売されていたVHSテープがあったのでデジタル化してYouTubeにアップしました。著作権の問題があるのですが、30年以上経過しましたので、震災への啓発として共有させていただきます。
・ビデオ阪神大震災
gq1023 at 08:07|Permalink









