阪神大震災
2026年08月05日 06:21
災害時に多くの命を奪い続ける「正常性バイアス」というものがあります。しかし、その重要性に警鐘を鳴らしているメディアは、決して多くないように感じます。これは、危険な状況下でも事態を過小評価してしまう心理的メカニズムです。恐怖や不安から心を守るための働きでもあり、これがあるからこそ、自動車が走る道路の近くを平然と歩けたり、安全確認や一時停止を十分にせず自転車で交差点へ進入してしまったり、旅客機にも平常心で乗ることができるとも言えます。
しかし、この心理は災害時には多くの命を奪ってきました。例えば台風の際、「まだ避難しなくても大丈夫」と自宅にとどまり命を落とした方は少なくありません。韓国・テグ地下鉄放火事件でも、運行側と乗客の双方に正常性バイアスが働いた結果、多くの方が避難の機会を失いました。
自動車免許を取得した方なら、教習所や免許更新時に「大地震が発生したら車を道路脇に寄せ、キーを付けたまま避難する」「むやみに車で移動しない」と教わったはずです。しかし東日本大震災では、比較的被害の少なかった東京でも大量の車が道路へあふれ、大渋滞が発生し、緊急車両の通行にも大きな支障が出ました。
「電車が止まったから迎えに来てもらおう」「15分くらいだから車で迎えに行こう」。一人ひとりに悪気はなくても、その積み重ねが都市全体の交通を麻痺させます。これも正常性バイアスの典型例と言えるでしょう。
私は阪神・淡路大震災発生時、神戸・六甲アイランドで被災しました。地震発生から約15分後、奇跡的につながった携帯電話で会社の上司から指示を受け、車で神戸国際会館(旧会館)と三宮ターミナルホテルへ向かいました。
その理由は、震災当日から3日間にわたり坂本冬美さんの招待公演が予定されていたためです。会場は旧神戸国際会館、スタッフの宿泊先が三宮ターミナルホテルでした。
旧神戸国際会館は完全に崩壊し、公演どころではない状態でした。一方、三宮ターミナルホテルではスタッフ全員の無事を確認できました。(坂本冬美さんは大阪マルビル宿泊だったため無事でした。)
その後、「新神戸オリエンタルホテルも見てきてほしい」と再び指示を受け、私は車を走らせました。数日後に倒壊した柏井ビルの前も通過しています。
道中で目にしたのは、倒壊した建物、高架道路、そして各地から立ち上る炎でした。水道筋商店街やJR六甲道駅南側では、火災の熱で車の窓ラバーが変形するほどでした。
今振り返ると、私にも上司にも正常性バイアスが働いていたのだと思います。本来なら「まず避難しよう」と判断すべき状況でした。しかし私は会社の指示どおりに行動し、その結果、救助活動をすることもなく終わってしまいました。
今回のイオンモール熊本でも、同じような心理が働いた可能性はあるのではないでしょうか。
商業施設で働いている立場で、「建物の安全確認が終わるまで絶対に中へ入らない」と、とっさに判断することは簡単ではありません。もし「バックヤードに私物や売上金が残っている」と伝えられれば、「入れるなら気を付けて対応して良い」と考えてしまう人がいても不思議ではありません。
だからこそ、災害時には「会社に言われたから」「頼まれたから」ではなく、まず自分の命を守ることを最優先に考えてください。命があれば、仕事は後からでもできます。しかし、一度失った命だけは、二度と取り戻すことはできません。
そして重要なのは、「災害発生」の連絡を受けた人は、それが家族・上司・部下・友人・知人に関係なく、「身の安全を確保して車は使わず避難しなさい」と伝えることでしょう。
私自身の震災体験をお伝えしているのは、過去を振り返るためではなく、これから起こるかもしれない災害で、一人でも多くの命が救われてほしいという願いからです。
このたびの地震でお亡くなりになられた皆様に、心よりお悔やみ申し上げますとともに、ご遺族の皆様に深くお見舞い申し上げます。
また、現在も行方が分からない方々が一日も早く発見され、ご家族のもとへ戻られることを心からお祈り申し上げます。
追伸)
阪神・淡路大震災発生時(朝6時前)、地震から10分ほどで当時電通に赴任していた父親へ電話がつながりました。しかし返ってきた言葉は、「早朝から地震ぐらいで電話してくるな!」でした。弟が電話した時も同様だったそうです。
今思えば、これも正常性バイアスだったのでしょう。岡山では大きな被害がなかったため、神戸で何が起きているのか想像できなかったのだと思います。
その後、13時過ぎに父から再び電話があり、「部下の実家があるので見に行ってくれ」と頼まれました。
当時はGoogleマップなどなく、地図帳を頼りに現地へ向かいました。しかし、その場所は木造家屋が密集する地域で、多くの住宅が倒壊し、路地も道路もがれきで埋まり、電柱も何本も倒れていました。目的の家を見つけることさえ困難で、とても足を踏み入れられるような状況ではありませんでした。
その後、そのご実家ではお母さまがお亡くなりになっていたことを知りました。
正常性バイアスは、誰にでも起こり得る心の働きです。だからこそ、「自分だけは大丈夫」「まだ大したことはない」という気持ちが湧いた時ほど、一度立ち止まって考えてください。
災害時に最優先すべきことは、仕事でも財産でもなく、自分と大切な人の命を守ることだと思ってます。
2026年01月17日 08:07
私自身は神戸で生まれ育ったと言っても3歳から17歳までいただけで、その前後も神戸どころか東京や岡山やカナダに住んでいたので、これといって思い出はありません。小・中・高と神戸の公立学校へ通いましたが子供でしたので行動半径も小さく、自宅が六甲山だったので出かけるには山を下りて阪急電車六甲駅から電車かバスに乗る必要があり、高校に入ってから三宮に行く程度でした。
ただ、両親が六甲アイランドにマンションを購入し、そこに住んでいたのですが転勤となり、猫を数匹飼っていたので当時兵庫県尼崎市の賃貸マンションに住んでいた私が、そのマンションに家賃を払って住むことになったのです。
この話しが出たのが1994年10月で12月から住み始め翌1995年1月17日に震災に遭ったという感じでした。
正直、右も左も分からない場所で震災に遭遇し、もちろん電気・ガス・水道はストップ。14階建てマンションの10階だったので、毎日水を運ぶのは無理だったのとコンビナートのガス漏れが発生して避難所生活も経験しました。
当時私はイベント会社に勤務しており、私の現場は千里阪急ホテルでのナショナル住宅産業(現パナホーム)の新春ふれ愛会という賀詞交歓会。自家用車で現場へ向かったのですが地割れに何度も落ちては大型車に引き上げてもらい阪神高速までたどりついたら倒壊していました。
奇跡的に関西デジタルホンのPRイベントをやっていたのでデジタル携帯電話が数台あり、アナログ全盛期なのでデジタル携帯だけはつながったので上司に連絡すると「こっちの現場は中止なんで神戸国際会館を見てきてくれ」と言われ方向転換。
本来はこの震災当日から神戸国際会館で坂本冬美ショーが3日間ある予定でしたが、建物が完全に倒壊しており中止決定。スタッフの皆さんは三ノ宮ターミナルホテルに宿泊されていて無事が確認でき、冬美さん本人は大阪マルビル泊だったので問題ナシということで、その日は自宅へと戻りました。
大量にお亡くなりになられている方もおられましたし、倒壊した高架道路の下敷きになったり落下したと思われる車両も見ましたし、大きな声で助けを求めている方々にも遭遇しましたが、当時の私は誰も助けませんでした。本当に心に余裕の無い27歳だったと思います。
それ以降、大きな震災があるたびにボランティアに寄せていただいてます。みなさんも明日は我が身だと思って震災への備えをよろしくお願いいたします。
毎日放送から販売されていたVHSテープがあったのでデジタル化してYouTubeにアップしました。著作権の問題があるのですが、30年以上経過しましたので、震災への啓発として共有させていただきます。
・ビデオ阪神大震災









