豪雨
2026年08月19日 04:57
何度もこの話を書いていますが、大雨による浸水被害を考える上で、避けては通れないと思っている話題について書かせていただきます。最近、大雨が降るたびに道路が冠水し、低い土地やアンダーパスなどに大量の水が流れ込む映像を目にするようになりました。
もちろん、近年の豪雨が激しくなっていることも大きな原因でしょう。しかし私は、道路が冠水している映像を見るたびに、「側溝に蓋をしてしまえば、排水しきれなかった水が道路を伝って低い場所へ一気に流れ込むのは当然でしょ」と思っています。
私が子どもの頃、道路の脇には普通に「どぶ」がありました。今では側溝と呼ぶ方が適切なのでしょうが、道路の両側にコンクリート製の溝があり、蓋がされていない場所も珍しくありませんでした。
雨が降れば、道路に落ちた雨水は道路の勾配に沿って左右へ流れ、そのまま側溝へ落ちていきます。つまり、極端に言えば側溝のほぼ全長が「雨水の入口」だったわけです。
ところが、都市化が進み、歩行者の安全や道路空間の有効利用、バリアフリーなどの理由から、こうした側溝の多くには蓋がされるようになりました。
もちろん、蓋をしたからといって側溝そのものがなくなったわけではありません。道路の下には今でも排水施設があります。問題は、そこへ雨水をどうやって入れるかです。
蓋をしてしまえば、道路上の雨水はどこからでも側溝へ落ちるわけではありません。そこで一定間隔にグレーチングや集水桝などを設置して、そこから雨水を地下へ流し込みます。平常時の雨なら、これで十分なのでしょう。
しかし、短時間に猛烈な雨が降ったらどうなるでしょうか。道路全面に降った大量の雨水が、限られた数の排水口へ一気に集中します。しかも大雨ですから、普段道路の端にたまっている落ち葉やゴミ、土砂まで雨水によって流されます。そして、それらがグレーチングに集まり、排水口を塞いでしまうのです。
こうなると、地下にある側溝や下水管にまだ水を流す能力が残っていたとしても、十分にその能力を発揮できません。肝心の雨水が「入口」から入れないからです。
すると水は道路を流れます。道路には当然、高低差がありますから、水は高いところから低いところへ向かいます。
本来なら、その途中途中で側溝へ落ちていたはずの雨水が排水されないまま道路上を流れ続け、最終的には交差点や窪地、アンダーパス、低地などへ集中します。言ってみれば、道路そのものが巨大な「水路」になってしまうわけです。
さらに昔は土だった細い路地まで、今ではほとんどがアスファルトやコンクリートで覆われています。土なら地面に浸透していた雨水も、舗装された路面ではほとんど浸透せず、そのまま低い方へ流れて大きな道路へと集まってきます。
屋根に降った雨も雨樋から道路や下水へ流れます。庭だった場所に住宅や駐車場が造られ、土だった場所がコンクリートで覆われれば、それまで地面に染み込んでいた水まで短時間のうちに排水施設へ集中することになります。
そう考えると、豪雨による浸水被害のすべてが自然災害とは言い切れず、一部には都市の造り方によって被害を大きくしている「人災的な側面」もあるように思うのです。
もちろん、「昔のように全部どぶに戻せ」と言いたいわけではありません。開放された側溝には転落事故の危険がありますし、歩行スペースとして利用できない、車椅子やベビーカーが通りにくいなど、様々な欠点があります。
ただ、そこに蓋をした代償として「雨水を道路から排水施設へ取り込む能力」が弱くなっていないかは、改めて検証する必要があると思います。
大切なのは、地下にどれだけ太い下水管を造ったかだけではありません。そこへ雨水を入れる入口が十分にあるのか。グレーチングの数や大きさ、形状は適正なのか。落ち葉やゴミが集まっても排水能力を維持できるのか。
ピンヒールですら刺さらないほど目の細かいグレーチングが安全面では優れていても、水を取り込むという本来の役割との両立を考えなければならないのは、誰にでも分かることでしょう。
私の世代なら、「自転車でどぶに落ちた」なんて経験をした方も多いと思います。だからこそ側溝には蓋がされ、道路は安全で歩きやすくなってきたのでしょう。
その昔は、雨の日とその翌日になると、ミミズやカタツムリが地面にいるのをよく見かけました。それも土の路地がなくなり、側溝に蓋がされ、いつの間にかほとんど見かけなくなりました。
街はきれいになりました。道路は歩きやすくなりました。どぶに落ちる子どももいなくなりました。それ自体は間違いなく良いことなのでしょう。ただ、水は人間の都合に合わせて流れてくれるわけではありません。
土を舗装すれば、そこに染み込んでいた水はどこかへ流れます。側溝に蓋をして雨水の入口を限定すれば、そこから入れなかった水は道路を流れます。そして、その水は最後には必ず低い場所へ集まります。
豪雨のたびに「想定を超える雨でした」で終わらせるのではなく、地下の下水道の処理能力だけではなく、地上に降った雨をどう受け止め、どう地下へ流し、どう分散させるのかまで考える必要があるのではないでしょうか。
昔の「どぶ」が良かったとは思いません。ただ、街を安全で便利にしてきた結果、失ってしまった排水機能が本当にないのか。最近の浸水被害を見るたびに、一度きちんと検証してみる価値はあるのではないかと思っている私です。
2026年08月16日 05:08
大雨のニュースを見ると、道路が完全に水につかり、車が立ち往生している映像が繰り返し流れます。こうした映像だけを見ていると、「この地域一帯が水没しているのだろう」と思ってしまいがちですが、実際にはそうとは限りません。道路冠水というのは、意外なほど局地的に発生します。なぜなら、水は低い場所へ流れるからです。
同じ道路でも、わずかな高低差によって水が集まる場所と、ほとんど水がたまらない場所があります。そのため、冠水している場所の10m、20m手前までは普通に車が走れていて、そこだけ突然「池」のようになっていることがあります。
テレビでは、当然ながら最も冠水している場所を中心に撮影します。水につかった車、立ち往生する車、タイヤの半分以上まで水につかりながら走る車。映像としては非常に分かりやすいのですが、カメラを少し引いて「その道路の前後がどうなっているのか」まで映すことはあまりありません。
しかし、車を運転する側にとって重要なのは、むしろ映っていない前後だと思います。「ここまで普通に走って来られたのだから、この先も大丈夫だろう」これが危ないのです。
私の家の近所にある戸越銀座商店街は、もともと川が流れていた低地です。大雨が降ると周辺の高い場所から水が集まりやすく、昨年9月11日の豪雨では、側溝に流れ切らなかった雨水で、東急池上線の線路付近に水が大量に溜まったことがありました。
幸い、その時の猛烈な雨は1時間ほどで収まり、水没車は出ませんでしたが、車がバンバン走る場所だったら、何台か水没していてもまったく不思議ではない状況でした。
そして重要なのは、そこへ至るまでの道路すべてが冠水していたわけではないということです。普通に走って来たら、突然目の前に深い冠水箇所が現れる。都市部の内水氾濫では、こういうことが起こりえます。
例えば渋谷。地名の通り渋谷駅周辺は谷底に位置しています。宇田川と渋谷川が合流する場所で、川は暗渠になって見えませんが、地形は昔のままなので、大雨のたびに駅周辺やスクランブル交差点付近が冠水するのは日常茶飯事です。
また五反田駅周辺も同様です。大雨のたびに目黒川が氾濫し、大規模な浸水被害が多発したため、1991年から2002年にかけて旧荏原青果市場の跡地を活用した荏原調節池を約320億円かけて整備したことで、水害の発生は抑えられていますが、今でも豪雨になるとたびたび氾濫警戒サイレンが鳴ります。
普段は大量の車や人が行き交っている場所でも、猛烈な雨が降れば、周囲から流れ込んだ雨水によって短時間で状況が一変することがあります。
当たり前ですが、道路が冠水するほどの雨なら、冠水前からとんでもない量の雨が降っているわけで、車を運転していればワイパーを最速にしても前が見えないぐらいの状態です。つまり、普通に考えれば「この雨なら冠水している場所があってもおかしくない」と思えるはずなのです。
ところが、悲しいかなそうはなりません。「ここまで通れたから大丈夫」「前の車が走っているから大丈夫」となるのです。
しかも、冠水場所は窪んだ場所だったり、各所から水が流入してくる交点だったりするので、その前後は高い場所に位置していますから、冠水場所の手前からその先に車が走っているのを見ると、平らな道に見えるのです。
そして、「向こう側にも車がいるのだから、この程度なら通れるだろう」と考えてしまうわけです。
冠水した道路は、外から見ただけでは水深が分かりません。普段から走り慣れている道路であっても、水面が道路を覆ってしまえば、どこから急に深くなっているのかも分かりません。さらに、マンホールの蓋が外れていたり、側溝との境目が見えなくなっていたりする可能性もあります。
そして、一度冠水箇所へ入ってしまえば、途中で「やっぱり深い」と気付いても、簡単には引き返せません。エンジンが水を吸い込めば停止する可能性がありますし、水深が20cmに達すれば車体が浮き、ハンドルやブレーキが効かなくなる危険もあります。
常識を超えた大雨に遭遇したら、絶対的に安全が確認できる状況でなければ車を走らせない。
これから全国各地で突然の豪雨が増える時代、このことだけでも頭の片隅に置いておけば、冠水道路へ突っ込んでしまうリスクはかなり減らせるのではないかと思ってます。









