熊本地震
2026年08月04日 05:56
大震災が発生すると、被災地には全国から大量の救援物資が届きます。ところが、まことに残念なことですが、その多くは「プッシュ型支援」です。つまり、被災地のニーズを確認してから送るのではなく、「今必要だろう」という判断で全国から一斉に送られてくるため、どこに何が届くのか分からないのが現実です。
1995年の阪神・淡路大震災では、「神戸に届けてくれ」とだけ言われたトラックドライバーが数多くいました。東側から神戸を目指したドライバーの多くは、神戸市に入って最初に目に入る自治体庁舎である東灘区役所へ向かいます。
激しい火災が何日も続く中、阪神高速道路は倒壊によって通行止めとなり、大型トラックは一般道へ降ろされました。そして区役所前で荷下ろしをしようとします。しかし、10トントラック1台分の荷物は膨大な量です。積み込む時はフォークリフトで載せられた荷物を、被災者であふれ返る区役所で人力だけで降ろすのは、現実的ではありませんでした。
ドライバーさんも関東や中部地方から何十時間もかけて神戸まで来ています。燃料にも限りがあり、一刻も早く荷物を降ろして帰路につきたい。一方、受け入れ側には人手も保管場所も足りない。現場では押し問答が続いていました。
その結果、東灘区役所には物資が山積みになっているのに、隣の灘区や中央区では必要な物資が不足するという偏りが発生しました。さらに旧神戸市役所庁舎では水道局部分が倒壊し、水道復旧にも大きな支障が出るなど、物流だけでなくライフライン全体が混乱していました。
2016年の熊本地震でも同じような光景を目にしました。熊本城近くの熊本県庁前には10トントラックが何十台も並び、県庁職員が懸命に荷下ろしをしていました。しかし、その作業速度では到底追いつきません。「この荷物、本当に全部降ろしきれるのだろうか」と感じたほどです。
そんな中で素晴らしい判断をされたのが、当時の熊本市長・大西一史市長でした。当時はまだ活用する方が少数だったツイッター(現エックス)を使って以下の発信をしたのです。
「物資は総合運動公園へ運んでください」
「手の空いている方は総合運動公園のボランティアに来てください」
これが見事に機能しまして、大型トラックが目的地を総合運動公園へと変更することで、駅前や県庁周辺のトラック住宅は一気に解消。熊本にある陸上自衛隊・西部方面総監部の部隊が荷下ろしと仕分けを指揮しつつ、駆け付けた多くの中高生ボランティアがジャンジャン運ぶという体制が、一瞬で整備されました。
そして、この一連の経験から私が皆さんにぜひ知っていただきたいことがあります。それは「救援物資は座って待っていても届くとは限らない」ということ。
「避難所にいれば誰かが持って来てくれる」「行政が各家庭へ配ってくれる」と考えてしまいがちですが、現実にはそこまで人手はありません。道路事情も悪く、職員も被災者です。物流網が正常に機能するまでには時間がかかります。
実際には、「○○小学校に水が届いた」「△△公民館で紙おむつを配布している」「□□体育館には毛布がある」といった情報を自分で集め、受け取りに行く人ほど早く必要な物資を手にできるのです。
もちろん、高齢者や障害のある方など、自力で取りに行けない方への支援は必要です。しかし、体が動く方まで全員が「誰かが持って来てくれる」と待ち続けてしまうと、限られた人手が配達に追われ、本当に支援が必要な方への対応が遅れてしまいます。
災害時の救援物資は「公平に家まで届けられるもの」ではありません。どこかに集中的に届き、そこから人が取りに行く形になることがほとんどです。そのため、平時から地域の情報網を知り、町会や自治会、SNS、防災無線などを活用して「今、何がどこにあるのか」という情報を得ることが、とても重要になります。
大震災では「物がない」のではなく、「必要な場所へ届いていない」ことが少なくありません。だからこそ、救援物資は待つものではなく、情報を集めて取りに行くもの。この現実を知っておくだけでも、被災直後の行動は大きく変わるはずだと思っている私です。
2026年07月30日 07:35
2016年の熊本地震が発生した当時、私は翌朝に福岡へ向かう予定でした。目的は、九州新幹線・筑後船小屋駅前の九州芸文館で開催されていた、著名なグラフィックデザイナー・田島照久氏の「田島照久の全仕事展」を訪れることでした。4月17日(日)にはトークショーも予定されており、前々日の4月15日(金)夜に福岡入りし、16日と17日に会場を訪れる計画でした。
最初の地震が発生したのは4月14日午後9時半頃。この時点では「福岡入りは難しいかもしれない」と思いましたが、翌日の福岡便は通常通り運航していたため、予定通り福岡へ向かいました。
ところが、ホテルで就寝して数時間後の4月16日午前1時25分頃、本震が発生します。
もしトークショーが16日に予定されていたなら、私は熊本方面に移動していた可能性が高く、本震に巻き込まれていたかもしれません。結果的に、17日開催という日程だったことで、奇跡的に本震直撃を免れることができました。
結局、17日に予定されていたトークショーは中止となりましたが、16日には当時福岡市南区にあった「タジマエンジニアリング」を訪問することができました。
CB系チューニングの第一人者として知られる田島歳久氏にご挨拶し、直前に譲っていただいた貴重な特殊パーツのお礼も直接お伝えすることができました。さらに、お昼までごちそうになり、本当に忘れられない一日となりました。
田島歳久氏は元ホンダ社員で、社員モータースポーツ活動の「レク担当」として九州地区を担当されていました。同じ頃、関東地区を担当していたのが、バムレーシング創業者の池澤一男氏です。お二人はHRC誕生以前のRSC時代から、日本のモータースポーツの発展に大きく貢献された方々です。
また、田島氏はヨシムラをはじめとする九州のチューニング文化を育てた立役者でもあります。そして偶然にも、グラフィックデザイナー・田島照久氏のお兄様でもありました。
兄弟それぞれが日本を代表する存在となり、そのお二人と仕事をさせていただく機会に恵まれたことは、私にとって本当に幸運な出来事でした。
田島照久氏は、コロナ禍の2022年2月3日に74歳でご逝去されました。しかし現在もタジマエンジニアリングは、その志を受け継いだ皆様によって福岡県筑後市和泉で営業を続けられています。現在使用されている新しいロゴマークも、田島照久氏がデザインされた作品です。
17日、本来トークショーが行われる予定だった日に、私は大牟田のイオンモールで必要な物資を購入し、そのまま熊本へ向かいました。
現地では、郵便局を経営される傍ら、ご自宅でネコカフェも営まれている高田ご夫妻を訪ね、猫たちへの「ちゅ〜る」をお届けしました。
郵便局も大きな被害を受けていましたが、高田さんが心配されていたのは、ご自身のことではありませんでした。
「最初の地震翌日が年金支給日だったので、郵便局が動かず、停電でATMも使えないから多くの高齢者が困っておられるのが心苦しい」そう話されていた姿が、今でも強く印象に残っています。自分の被害よりも地域の人たちを心配される姿勢に、深く感動しました。お忙しい中、お邪魔してしまい申し訳ありませんでした。
ちなみに今回は、SNSで「車とバイク以外は大丈夫です」と投稿されていました。車とバイクが被害を受けている時点で決して「大丈夫」とは言えない状況ですが、それでも気丈に生存報告を発信されていたことに、ひとまず安心しています。
熊本には、日本で唯一となるホンダの二輪車生産拠点・ホンダ熊本製作所があります。また、オンロード・オフロード両方のコースを備えたHSR熊本、名門・Honda熊本硬式野球部、レース界では「クマレー」の愛称で知られるHonda緑陽会熊本レーシング、Team高武、GOSHI Racingなどがあります。
そんなわけで、熊本には多くの知人がおりますので、数日以内には現地へ向かう予定です。現在はまだ東京におりますが、取り急ぎ現状をご報告いたします。
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。私も募金など、自分にできる形で応援を続けていきたいと思います。一日も早い復旧・復興を心よりお祈りしております。









