朝日新聞
2026年08月07日 06:20
7年前、私は「新聞の未来」についてブログを書きました。それは、近所の方から「小学生の子供が学校から古新聞を持参しろと言われたので分けて欲しい」というものでした。その方は、「お友達も困ってるから多めに欲しい」と言っていました。つまり、その方が新聞を購読していないだけでなく、同級生の各家庭も同様だったということになります。その時期から、すでに周囲から新聞購読者が劇的に減っていたのかもしれません。
広告代理店に勤務していた25年以上前の新聞メディアは超人気で、私は通販企業のお得意様を受け持つ営業として、読売新聞や朝日新聞をはじめとする各紙のテレビ面の確保に四苦八苦しておりました。それほど人気メディアだったわけです。
実際に広告が掲載されると、早朝から注文の電話が鳴り、広告効果も相当なものがありまして、たまに掲載予定日を間違えたりすると、コールセンターにいる全受注スタッフの方々から総攻撃を受けたりすることもありました。つまり広告主側の期待度も高かったわけです。
今も通販クライアント様のお手伝いをさせていただくことはありますが、現在の主戦場は完全にネットです。主要4メディアと言われたテレビ・ラジオ・新聞・雑誌は、明らかにその存在感が低下しているというのが実情です。
2025年には、朝日新聞が土日祝の夕刊を休止しました。同じ頃、産経新聞は夕刊自体を廃止しました。この年は夕刊フジの休刊もあり、地方紙も含めると、結構な数の新聞社が様々なリストラクチャリングに入って行きました。
今回、産経新聞が「2026年11月末で東北6県での紙の新聞発行を休止」すると発表しました。用紙代や輸送費の高騰などが理由とされていますが、東北の読者は今後、電子版が中心になります。取材網は維持されるとのことですが、毎朝新聞が自宅に届くという当たり前の日常は終わりを迎えます。
新聞社は、自前で取材して記事を書き、自前の印刷所で印刷し、自前のネットワークで新聞を個別家庭や企業まで送り届け、自前で集金までやるという、民間放送局とは全く異なる手法でメディアを構築していました。
新聞社同士は長年ライバルとして切磋琢磨し、朝刊のスクープを競い、それぞれが自社の新聞を自前のネットワークで送り届けることに誇りを持っていました。
ところが今は、複数の新聞を配達する販売店も少なくありません。新聞社が、会社の垣根を越えて「一緒に届けてもらう」時代になったという事実に、私は時代の流れを感じずにはいられません。
私は新聞業界の人間ではありません。それでも、広告業界で長く仕事をしてきた人間として、新聞には特別な思いがあります。新聞広告を作り、折込チラシを企画し、発行部数や到達率を真剣に考えていた時代がありました。
何十年間もの間、朝インクの匂いがする新聞を広げることが、一日の始まりでした。朝は駅の売店でスポーツ紙を買い、帰宅時は日刊ゲンダイや夕刊フジといったタブロイド紙を買うのも当たり前のことでした。
思えばいつからそんな日常が消えてしまったのでしょう。まだ紙の新聞を配達してもらっている私ですが、その紙は自宅ポストからゴミ箱へ直行しているのが実情です。なぜなら朝5時にはスマホで読める電子版ですでに読み終わっているから。6時に届く紙の新聞を開ける習慣は無くなってしまいました。
もちろん時代は変わります。電子版へ移行すること自体を否定するつもりはありません。それでも、長年親しまれてきた新聞の販売エリアが縮小され、夕刊が姿を消し、配達網までも維持できなくなっていくニュースを目にすると、どこか胸が締め付けられる思いになります。
新聞がなくなるということは、単に一つのメディアが減るという話ではありません。それは、日本の情報文化や地域社会を支えてきた仕組みが、一つずつ静かに姿を消していくということでもあるのではないでしょうか。
7年前に書いた記事では、「新聞がなくなる日が来るのだろうか」と半ば未来の話として考えていました。しかし今、その未来は確実に近づいています。便利さと引き換えに、私たちは何を失おうとしているのか。そんなことを、産経新聞東北撤退のニュースを見ながら、改めて考えさせられました。
阪神淡路大震災の当日や翌日も、電気もガスも水道も止まっていたにもかかわらず、朝刊は届けられました。エレベーターが動かないため、新聞を取りに10階から1階まで階段を往復したのですが、それも苦ではないほど、苦しい状況の中で唯一の情報源として届く新聞は、喜びであり感動でした。
テレビは停電で映らず、インターネットもスマートフォンもない時代です。被害状況や交通情報、支援の動き、行政からのお知らせまで、それらを知る手段は新聞しかありませんでした。極限状態の中で届けられた一部の新聞には、「ここまで届けてくれたのか」という感謝の気持ちしかありませんでした。
震災発生当時、神戸三宮にあった神戸新聞本社は全壊し、新聞発行の危機に直面しましたが、災害発生時の協定に基づき、京都新聞の協力を得て当日の夕刊ですら休むことなく発行を続けました。この時ほど新聞メディアの持つ底力の凄さを感じたことはありません。
だからこそ、私は新聞という存在に特別な思いがあります。
時代の流れの中で、紙から電子版へ移行することは避けられないのでしょう。それでも、何十年にもわたって日本の情報インフラを支え、災害時には命をつなぐ情報を届け続けてきた新聞という文化が、静かにその役割を終えようとしていることには、やはり寂しさを覚えます。
新聞が消えていくことは、一つの企業の問題ではありません。それは、日本人の暮らしの中にあった一つの文化が幕を閉じようとしているということなのかもしれません。
その日が来るまで、私は紙の新聞を購読し続けようと思います。









