新神戸大プール
2026年08月11日 05:55
数年前、私が通っていた兵庫県立東灘高等学校が創立50周年を迎えたということで、同窓会へささやかな寄付をさせていただきました。すると今年は、同窓会結成50周年を記念してホテルで総会&パーティーを開催するとの案内が届きました。
「そんな機会でもなければ神戸へ行くこともないだろう」と思い、久しぶりに足を運ぶことにしました。
正直なところ、「お盆の真っ只中にこんなイベントを開催しなくても・・・」と思ったのですが、スタッフから「お盆だからこそ帰省する卒業生が多いんじゃないですか」と言われ、「なるほど」と納得。とはいえ、新幹線はかなり混雑していたので、今回は飛行機で移動することにしました。
私が神戸で暮らしたのは、1971年から1986年までと、1994年から1995年まで。合わせても約16年間です。一方、東京での生活はすでに27年になります。
数字だけを見ると、人生の大半を東京で過ごしていることになります。しかし、人間の人格が形成される3歳から17歳までを神戸で過ごしたことを考えると、自分の根っこの部分は、やはり神戸という街が育ててくれたのだと思います。
しかも幸か不幸か、阪神・淡路大震災のわずか3か月前に六甲アイランドへ転居し、被災後も約9か月間を神戸で過ごしました。震災の経験は、その後の人生観を大きく変えましたし、今でも防災についていろいろと発信しているのは、あの時の経験が大きく影響していることは間違いありません。
六甲アイランドへ向かう神戸新交通・六甲ライナーは、震災で大きな被害を受け、全線で運転を再開したのは震災から218日後の8月23日でした。私はその約1か月後の9月末に転職して岡山へ引っ越したので、復旧した六甲ライナーを利用できた期間は、わずか1か月ほど。それまでは存分に代替バス生活を堪能させていただきました。
そんな思い出のある神戸で開催された、今回の同窓会50周年記念総会&パーティー。会場へ行って驚いたのは、なんと私と同じ10回生の参加者が、私を含めてたった2人だったこと。1回生から50回生までの中で最少人数だったようです。私たちの学年には450人近くいたはずなので、それを考えると、ちょっと寂しい同窓会ではありました。
ただ、幸いなことに後輩の中に高校時代に交際していた方が参加していて、会場に入るなり声をかけていただき感激!しかも50代後半のはずですが、今でも大変キレイなお姿でしたので、世の中でよく言う「同窓会で昔好きだった人と再会して胸がキュンキュンする」という体験を味わうことができました。あざーす!
そして翌朝。せっかく神戸まで来たのだから、もう一つやってみたかったことがありました。それは当時の通学コースを歩くこと。
朝6時半に生田川沿いの東横インを出て阪神春日野道(かすがのみち)駅へ。道すがら、前日会った胸キュン元カノが当時住んでいた神戸市営北本町住宅の横を「この建物は震災を生き延びたんだ」と思いながら歩き、駅前商店街のアーケードを見ながら、一時アルバイトしていた八作寿司(三宮駅前のお店は現存しています)跡地のマンションを見て、「ここは震災で倒壊してたな」などと思い出全開。
電車を阪神御影駅で降りて、市営バスで17歳当時住んでいた神戸市灘区六甲台という六甲山の中腹あたりまで行き、当時と同じ朝7時半にバスで阪神御影駅へ。そこから阪神電車で深江駅まで行き、高校まで歩くという、在りし日の「通学体験」をやってみました。
高校生だった当時は、カセットケースほどの大きさだったピンクのソニー・ウォークマンで、デュラン・デュランやヴァン・ヘイレンなどを聴きながら通学していました。そこで今回はApple Musicで「1984年の洋楽ヒット集」を再生。40年以上の時間を飛び越え、当時と同じように音楽を聴きながら通学路を歩いてみました。
もちろん、景色は大きく変わっています。
阪神深江駅は、昔は小さな地上駅だったのですが、現在は見事な高架駅に生まれ変わっていました。ただし、残念ながら駅周辺にあったマクドナルドや喫茶店など、当時高校生だった私たちが立ち寄っていた店の大半は見事になくなっていました。うーん、これは残念。
駅前の喫茶店に置いてあった自由帳に、「大野君は二股かけてる」とか書かれて、学校で総スカンを食らった青春時代を振り返りたかったなー。そんな黒歴史まで含めて、私にとっては懐かしい神戸なのであります。
そして深江駅から母校へ歩き始めて、改めて驚いたことが一つ。遠い!
学校は埋立地の一番突端にあるのですが、実際に歩いてみると、最寄り駅から徒歩25分ほどかかりました。しかも一切日陰ナシ!
それでも、一時アルバイトしていた神戸市中央卸売市場東部市場が昔の姿のまま残っていたり、各所に懐かしい姿が残されていたので、すっかり脳のどこかにしまい込んで忘れていた記憶の引き出しが次々と開いて、素晴らしい時間になりました。
8月の強烈な日差しを浴びながらの往復は過酷で、「こんなところを毎日3年間歩いていたのか・・・」と、我ながら感心してしまいました。ある意味、この高校に3年間通った卒業生たちが逞しく育つ理由が分かったような気がします。
私が高校生の頃には、学校のすぐ横に「新神戸大プール」という巨大なレジャー施設がありました。ウォータースライダー、流れるプール、波のプールなどがあり、夏になると大勢の人が訪れていた記憶があります。ところが阪神・淡路大震災で被災して営業を休止し、その後撤去されたとのこと。
現在、その周辺にはカインズホームや餃子の王将などが立ち並び、当時とはまったく違う、なかなか便利な場所へと変貌していました。40年以上経てば、そりゃ街も変わります。
今回、同窓会を運営してくださった皆様には、本当に感謝です。素晴らしい式典でした。そして、ラグビー部の顧問だった田中先生が参加されており、久しぶりにお顔を拝見できたこともうれしかったです。今の時代だったら体罰で即追放されそうな教育姿勢ではありましたが(笑)、少なくとも私は、あの頃に厳しく指導していただいたことを今でも大変感謝しております。
飛行機で神戸へ乗り込み、式典に参加して、翌朝には40年前の通学ルートをたどって母校を訪問。そのまますぐに帰京するという、なかなか慌ただしい神戸訪問ではありました。それでも、行って良かったと思います。
高校時代の友人や後輩、恩師と再会し、昔住んでいた場所へ行き、当時と同じルートで学校まで歩く。「懐かしい」という言葉だけでは片付けられない、不思議な時間でした。
一方で、今回久しぶりに神戸の各所を回ってみて、少し寂しく感じたこともありました。
高校生だった頃、多くの観光客で賑わっていた北野異人館街では、閉館した施設や空き店舗も見られ、かつて夏になると海水浴客でごった返していた須磨海岸も、私の記憶にある光景とはずいぶん違って、寂しい感じになっていました。
もちろん、40年前と現在を単純に比較することはできません。人々のレジャーの楽しみ方も変わりましたし、震災を経験し、街そのものも大きく変化しました。
それでも、神戸という街には、山があり、海があり、港があり、歴史があり、独特の文化があります。そして私にとっては、3歳から17歳という人生の基礎をつくった時期を過ごした、やはり特別な街です。
東京で暮らして27年。普段は神戸出身であることすら、ほとんど意識することはありません。
それでも40年ぶりに高校への道を歩き、1984年の洋楽を聴きながら当時のことを思い出していると、「ああ、自分はここで育ったんだな」と、改めて感じることができました。
また神戸が元気を取り戻し、全国から多くの人を引きつけるような街になってほしい。そして何年後になるか分かりませんが、今度はもう少しゆっくりと、懐かしい場所を巡ってみたいと思います。
同窓会を準備・運営してくださった皆様、本当にありがとうございました。とても良い神戸訪問になりました。お話ししてくださった皆様にも感謝しております。
ゴンチャロフの社長をやっている光葉君、映画監督をやっている平出君、漫画家をやっている森君。いつの日か10回生の同窓会でもやることがあれば、ぜひ再会してみたいと思っております。なお、2日目の昼飯は、藤田君が経営する大阪王将王子公園店で、餃子とビールを堪能してきました。
みんな、生きてる間に会いましょう。









