光GENJI
2026年08月03日 07:01
その昔、近鉄奈良線の菖蒲池駅前に「近鉄あやめ池遊園地」という遊園地がありました。今日はその思い出話を書きたいと思います。私はこの遊園地の存在を、1991年に23歳になるまで全く知りませんでした。ただ、この場所で毎年開催されていた朝日放送ラジオの公開録音イベントに、ジャニーズの人気グループが出演していたことから、この遊園地と関わることになります。
1990年は大阪で「国際花と緑の博覧会(花の万博)」が開催され、バブル景気の真っただ中ということもあって、関西各地でさまざまなイベントが開催されていました。
その前年には、それまで日本の歌謡シーンを彩ってきたTBS「ザ・ベストテン」が放送終了。ジャニーズ事務所は、光GENJIという絶対的な人気グループを抱えながらも、テレビ中心だった戦略が大きく揺らぎ始めていました。そんな中で新たな活路として力を入れ始めたのが、全国各地のイベント出演やバラエティ番組への進出でした。
当時のジャニーズ事務所には光GENJIと忍者というグループがおり、歌番組全盛期にデビューした彼らは、売れていることが当たり前という雰囲気でした。周囲にも「俺たちをチヤホヤしろ」と言わんばかりのオーラを放っていましたが、一方で人気は確実にピークを過ぎ始めていました。
そんな状況の中で、ジャニーさんは新たな展開を模索し続け、1991年9月、SMAPが誕生します。
ところがデビュー当初はテレビでのプロモーションはほとんどなく、西武園ゆうえんちで開催されたデビューイベントは、台風接近による土砂降り。ファンも芸能記者も全身ずぶ濡れになりながら見守るという、まさに伝説のようなスタートでした。
当然ながらメディア露出も少なく、世の中に「SMAPがデビューした」という事実すら十分に伝わらない状況でした。その一方で、事務所には光GENJIや忍者という既存グループをどう次の時代へつないでいくかという課題もありました。
そんな事情もあって、当時は日本最大のスーパーマーケットチェーンだったダイエー各店で光GENJIメンバーによる握手会が開催されたり、ダイエーのレシート応募形式による忍者のコンサートが全国各地で実施されたりと、テレビ以外の場所でファンとの接点を増やす取り組みが積極的に行われていました。
その流れの中で朝日放送ラジオが企画したのが、近鉄あやめ池遊園地の野外ステージで行われた公開録音ライブでした。スタンド席に入場できるのは、ラジオ番組へ応募して抽選に当選したリスナーだけ。今では考えられないほど贅沢なイベントだったと思います。
私が最初に関わった1991年は光GENJI、1992年は忍者、そして1993年はSMAPだったと記憶しています。しかし、現在インターネットで検索しても当時の記録はほとんど見つかりません。
今となっては、まだデビュー間もないSMAPをあの距離で見られたイベントは、本当に貴重な機会だったのだと思います。
一方、この遊園地にはもう一つ、大きな歴史がありました。
NHK連続テレビ小説「ブギウギ」に登場した「梅丸少女歌劇団(USK)」は、「OSK日本歌劇団」をモデルにした作品ですが、そのOSK日本歌劇団が長年活動の拠点としていたのが、この近鉄あやめ池遊園地だったのです。
23歳になるまで遊園地の存在すら知らなかった私ですから、当然ながらOSK日本歌劇団の存在も知りませんでした。阪急電鉄グループの宝塚歌劇団と並ぶ歴史ある歌劇団が、近畿日本鉄道グループにも存在していたことを、この時初めて知りました。
園内には「あやめ池円型大劇場」という専用劇場があり、劇団員を育成する「日本歌劇学校」も併設されていました。イベントの仕事で現地へ通うようになって初めて、この遊園地が単なる遊園地ではなく、長い歴史を持つ文化施設でもあったことを知ったのです。
しかし、その歴史にも終わりが訪れます。
決定打となったのは2001年のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の開業でした。宝塚歌劇団の本拠地・宝塚大劇場の隣にあった宝塚ファミリーランドも、USJ開業後の2003年に閉園。そして、その翌年の2004年には近鉄あやめ池遊園地も閉園となります。
それに先立つ2002年には近鉄グループがOSK日本歌劇団への支援打ち切りを通告し、2003年には劇団が一旦解散。幸い2004年に復活を果たしたものの、当時の近鉄グループがいかに厳しい経営状況に置かれていたかを物語っています。
2004年には近鉄バファローズも球団の歴史に幕を下ろしました。鉄道会社が遊園地や球団、文化事業まで幅広く支えていた時代が終わりを迎え、大きな時代の転換点だったのだと思います。
閉園から20年以上が経過した現在、その跡地には「近鉄あやめ池住宅地」が広がっています。今、この場所に遊園地があったことを知る人は、年々少なくなっていることでしょう。
閉園した遊園地は全国各地にありますが、私にとって近鉄あやめ池遊園地は、単なる遊園地ではありません。イベント制作の仕事を始めたばかりの頃、多くのことを学び、多くの出会いがあり、数え切れない思い出を残してくれた場所です。
そして振り返ってみると、あの場所には様々なエンタテイメントの歴史がありました。あの時代に同じ現場へ立ち会えたことは、本当に幸運だったと感じます。
遊園地は姿を消しても、そこで過ごした時間や思い出まで消えることはありません。私にとって近鉄あやめ池遊園地は、1990年代という時代の空気と、イベント業界で夢中になって走り回っていた若き日の自分を思い出させてくれる、大切な場所となっています。
何かの機会があれば、またあの場所へ行ってみたいと思っている私です。
PS) じつはこのジャニーズイベントは、毎度帰京時にトラブルが発生しておりまして、新大阪駅でファンにモミクチャにされたジャニーさんだけが新幹線に乗り遅れたり、伊丹空港のセキュリティチェック列の鉄柵を集まったファンの重みで倒れたりと、いろいろなことがあったのですが、それらはまた思い出した時に書きたいと思います。









