先輩
2026年09月04日 08:18
私が23歳から27歳まで勤務した協愛株式会社でお世話になった、渡辺先輩の訃報が入りました。実際に訃報が入ったのは数日前ですが、さすがに自分自身が落ち着くまで、ブログには書けませんでした。私は31年前に、この協愛というイベント会社を退職したのですが、営業成績が悪かったわけでも、会社の対応に不満があったわけでもありませんでした。逆の書き方をすれば、退職した1995年9月30日まで会社は大繁盛で、死ぬほど忙しいままの転職でした。
私は今もイベント業務を生業の一つにしていますが、基本的に私共だけで完結させることはしていません。必ず、お世話になった協愛に何らかの作業をお願いしています。
そして、私は営業マンでしたので、私から仕事をお願いすることがあっても、協愛からお仕事をいただくことはしていません。そんなわけで、退職して31年になりますが、一度も関係性が悪くなったことはありません。
世の中の方々は、イベント会社というと、コンサートやフードイベントをイメージするかもしれませんが、私のメイン業務は、大手不動産デベロッパーが仕入れた土地の現地調査をし、その場所を宅地にするかマンションにするかを検討し、実際に完売するまでを企画する仕事でした。
もちろん社内には、コンサート系をやる人々も多く、他にも企業の営業セールスマン表彰式や工場まつり、企業運動会、周年行事といった企業イベントを企画&運営する方も多くいました。渡辺先輩は、そういったメインストリームの仕事をされていました。
私は渡辺先輩と同じ部署になったことも、業務で深く関わったこともありませんでした。ただ、大阪・北新地で飲んでいる時にすれ違う回数が一番多い先輩でした。
お互い営業マンでしたので、会社で顔を合わせる機会はほぼ無かったのですが、年に1度の社員旅行や新年会では、いつも「大野はホンマに飲み歩いてんなー」とのお言葉をいただいていましたし、必ず二次会以降はガッチリ抱きかかえられて連れ歩いていただいていました。
3年前、コロナ明け早々に大阪万博の会議があった時、協愛へも挨拶に行ったのですが、偶然にも渡辺先輩がおられて、「大野やん! お前は時空を超えたみたいに見た目が変わってへんなあ」とのお言葉をいただきました。
渡辺先輩の体調が悪いとの話を耳にしたのは3か月前。ラリージャパンの設営時でした。向井先輩という方にパーティー時のディレクターをお願いしていたのですが、その際に「みなさんお変わりありませんか?」と尋ねたところ、「渡辺さんがガンで入退院を繰り返しているねん」と言われたのです。
それから大阪へ行く機会のないまま、訃報を聞くことになりました。
私は阪神・淡路大震災時に六甲アイランドのマンションで被災したのですが、その頃、渡辺先輩は宝塚の中古マンションを購入されたばかりで、そのマンションで被災されました。
震災翌々日に会社へ行って、翌週末の北九州厚生年金会館で始まるSMAPローソン招待コンサートの移動方法の検討やチケット発送手順の確認をしていたのですが、その際には「大野やん! お前、大丈夫やったんか?」と優しい言葉をかけてくださいました。
私はうかつにも、天井や壁がバラバラになったことや、ユニットバスが割れ、しかもガス貯蔵施設のガス漏れで避難所生活をしているという実情を話したのですが、渡辺先輩は「うちはマンションの外廊下が崩れただけで、生活スペースは大丈夫やったわ」と教えてくれました。
じつは、そのコンサートツアー最終日のあとで、渡辺先輩のマンションを見に行く機会があったのですが、マンションの外廊下が崩れるということは、玄関から出ることも入ることもできないということだと、その時初めて認識しました。
つまり、とても「大丈夫」と言えるような状態ではなかったのに、避難所から毎日出退社されていたわけです。
身長は180センチ以上もあり、スラッとした体形で、バブル期に大人気だったBMW3シリーズのクーペに乗っていて、「スピカ号」というヨットでノエビアの大倉Jr.と一緒に、ケンウッドカップというハワイ沖で争われるヨットレースに出たりもしていました。
協愛から朝日放送へ出向して、ジャニーズ事務所の忍者やSMAPの番組やイベントを担当されていた福見さんという女性と結婚されました。
福見さんは、忍者がパーソナリティだった朝日放送ラジオの「忍者なんじゃもんじゃ」の番組ディレクターで、後釜になったKinKi Kids(現DOMOTO)が初めてやった番組も手掛けられていたので、まさにKinKi Kidsの産みの親だったりもします。
私が不動産イベントを手掛けるキッカケになったのは、渡辺先輩と一緒に行った「神戸北町」という宅地の販売会でした。
当時、宅地開発は伊藤忠で、創芸という広告代理店から受託していた作業でしたが、何もない山に販売センターを建て、そこで風船を配ったり、アンパンマンショーをやったりして、華やかな街が出来ることをイメージさせて宅地を分譲する、というお仕事でした。
まず最初に頼まれたのは「仮設トイレの芳香剤を買ってこい」という仕事。渡辺先輩のBMWを運転して、ホームセンターで小林製薬のサワデーという芳香剤を10個買って来たのですが、「お前、こんなん1時間で無くなるぞ。絶対家に置きたくない丸いやつにしろ」と言われたのです。
私は「1か月は持ちますよ」と答えたのですが、渡辺先輩は「ちゃうねん。盗まれんねん」と言い、その言葉は販売センターオープンの10時を待たずして現実のものとなりました。それからは、丸いパラジクロロベンゼンのニューパラしか買わなくなったのは、言うまでもありません。
渡辺先輩のBMWのトランクには、風船用のヘリウムボンベや、抽選会用の押すと丸いガムが出てくる大吉ガムが入っていて、いろいろ勉強になったのですが、一番の感動は、販売センターを閉める際に、販売会で出たゴミ袋を車のリアシートに入れろと命令されたことです。
BMW3シリーズクーペのリアシートですよ。ゴミ袋なんて3袋も載せられないのです。しかも、ゴミの汁でも垂れたら大変なことになっちゃうじゃないですか。
1日のイベントが終わって、ゴミ袋を積み込むだけになってから、全ゴミ袋を空けて、小さく収納できるように1時間以上かけて「大野、汁はアカンで!」と言われながら、渡辺先輩と再梱包したのです。
この1時間のゴミ整理行動が、後に不動産デベロッパーや創芸・読売広告社といった不動産系広告代理店に広まり、不動産販売におけるプランナーとして今に続く不動の地位を築くことになったのです。今考えても、本当にありがたい出会いでしたし、ありがたい時間でした。
後に車を買う際にも、「タレントの送迎もあるから、車を買う時は4ドアで相手に失礼のない車種にしろ」「後ろのドアを開ける時に左ハンドルのほうがやりやすい」「トランクにゴルフバッグが3個は載せられる車がイイ」「最新モデルは反感を買うから1世代前のモデルにしろ」といったアドバイスをいただき、当時新型が出ていたBMW5シリーズセダンの新古車を手に入れたのも、今回の訃報を受けて思い出しました。
「神は細部に宿る」という言葉があります。
今になって考えると、渡辺先輩から教えていただいたことは、まさにそれだったような気がします。
仮設トイレに置く芳香剤ひとつ。イベント終了後のゴミ袋ひとつ。タレントを送迎する車の選び方ひとつ。どれもイベントの企画書には書かれていないことですし、誰かに評価されるような仕事でもありません。
でも、そういう細かな部分を一つひとつ考え、きちんと処理していくことが、最終的には仕事全体の質につながっていく。
私が不動産イベントの仕事を続け、その後独立して会社をつくり、今もイベント業務を続けている中で大切にしていることの一つは、間違いなく渡辺先輩から教えていただいたものだったのだと思います。
考えてみれば、渡辺先輩と同じ部署で仕事をしていたわけでもありませんし、一緒に仕事をした時間が特別長かったわけでもありません。
それでも31年経った今の私の仕事のやり方や考え方の中に、渡辺先輩から教えていただいたことが、いくつも残っています。今回、こうして思い出してみると、自分でも驚くほどたくさんの言葉や光景が残っていました。
とにもかくにも、本当に大変お世話になりました。
もう一度大阪でお会いして、「大野やん!」と声をかけていただきたかったです。
渡辺先輩、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2026年08月31日 07:10
人は他人と出会うことで様々な局面を迎え、様々な体験をします。上司や部下、先輩や後輩、そういった人々との人間関係に悩んでいる人にもよく会います。もちろん、対外的な人間関係もいろいろあることでしょう。取引先から怒鳴られたとか、下請業者さんに仕事を断られたとかも人間関係です。ましてやボランティア活動やレース活動ともなれば、無償で手伝ってくれる方々とも出会うわけで、お金や所属の縛りがないだけに、いろいろ大変なことも多々あったりします。
以前ブログに書いたこともあるのですが、私はそんなことも含め、人間関係なんてものは、1年経ったら「思い出」、5年経ったら「昔話」、10年経ったら「武勇伝」だと思うようにしていますし、そう言っています。
60年近くも生きていると、過去にあった良くない出会いの数もハンパない量となりました。「この人とは二度と仕事をしたくない」と思った人もいますし、理不尽なことを言われたこともあります。もちろん、私自身が誰かに嫌な思いをさせたことだって、きっとたくさんあるでしょう。
ただ、人生って、結局は「人との出会い」で出来ているんじゃないかと思うのです。
仕事で大失敗したこともあります。「もう終わった」「明日会社へ行きたくない」「なんであんなことをしてしまったんだ」。本人にとっては人生最大の出来事くらいに感じます。ウソを隠そうと、ウソにウソを重ねて大騒ぎになったことも複数回あります。そのたびに、すべてを投げ出したくなるほど悩みました。
ところが、不思議なもので時間が経つと、その出来事の見え方が少しずつ変わってきます。私のせいで問題を発生させたり、問題を大きくさせたりしたのに、本気で一緒に解決方法を模索してくれる社内外の人々に出会うと、その人が神様のように見えたこともありました。
面白いのは、その時に関わった方々から教わったことや、失敗した経験が、10年、20年経って自分の役に立っていたりもすることです。その瞬間には、人との出会いが自分の人生にとってどんな意味を持つのかなんて分かりません。だから私は、人との縁というものは面白いと思っています。
人間関係に悩んでいる真っ最中の人に「そんなこと気にするな」と言っても、なかなか難しいでしょう。でも、少しだけ時間軸を長くして考えてみる。
今、自分を悩ませている上司も、部下も、先輩も、後輩も、10年後には自分の人生を語る登場人物の一人になっているかもしれません。
取引先から怒鳴られたことも、仕事を断られたことも、大失敗して頭を抱えたことも、その時には人生を左右するほど大きな出来事に感じます。でも、それが人生のすべてではありません。
間違いないのは、「あなたの人生の主役はあなた」ということ。別の書き方をすれば、「私の人生の主役は私」ってことですよ。
今、自分を悩ませている人も、助けてくれた人も、好きな人も、嫌いな人も、自分の人生という長い物語の中で出会った大切な登場人物です。でも、あくまで脇役なのです。
嫌な出会いだったとしても、その人との出会いによって考え方が変わったり、自分の欠点に気づいたり、「自分はこういう人にはならないようにしよう」と思えたりする。それも立派な出会いの意味なのだと思います。
だから、今の人間関係だけで、自分の人生すべてを悲観する必要なんて無いのではないでしょうか。
1年経ったら「思い出」。
5年経ったら「昔話」。
10年経ったら「武勇伝」。
そうやって、いろいろな人と出会い、笑ったり、怒ったり、失敗したり、助けてもらったりしながら、人は自分の人生を作っていくのでしょう。
人生は人との出会いで出来ている。でも、その人生の主役は、最後まで自分自身です。それを久々にココにメモっておこうと思った月末の月曜日です。今週も頑張りましょう!
最後になりましたが、もてぎの皆さんおつかれさまでした。今週は鈴鹿4時間耐久レースです。私は金曜日から鈴鹿入りさせていただきます。また鈴鹿でお会いしましょう。









