ポケモンGO

2026年09月29日 05:22

f1私の住む日本という国には、いつの時代も得意とする分野があり、それを輸出することで、小さな国ながらに存在感を維持し続けてきました。

陶器、カトラリー、繊維、玩具・・・、資源の乏しい日本は、常に「海外に売れる物はないか」と探し、それを作り、改良し、世界へ売ってきた「モノづくりの国」だったと思います。

戦後になると、それが鉄鋼、造船、自動車、オートバイ、家電、カメラ、時計、半導体などへと変わっていきました。国も旧通産省が中心となり、日本製品の海外進出を積極的に推し進めました。

日本企業による海外生産が本格化した背景の一つには、外国からの圧力もありました。あまりにも日本車が売れすぎて、アメリカとの貿易摩擦が激しくなり、日本の自動車メーカーはアメリカでの現地生産に踏み切っていきました。

ところが、いつしかグローバル=全世界思考が当たり前になり、日本企業は次々と安く作れる海外拠点を探すようになり、実際に積極的に生産拠点の海外移転を進めるようになると、気が付けば日本国内は「モノづくりの国」とは言い切れない状況になっていました。

もちろん海外生産そのものが悪いわけではありません。市場の近くで作ることには大きなメリットがありますし、日本企業が世界企業へ成長する過程では当然の選択でもあります。問題は、海外へ出ていった産業に代わる「次の産業」を、日本国内で次々と生み出すことができなかったことではないでしょうか。

アニメ、キティちゃん、任天堂、マリオ、パフィ、プレステ、ポケモン、たまごっち、ピコ太郎・・・常に日本にはキラキラ輝くものがありました。世界はそれらを喜んで受け入れ、それを日本の成長に変えるチャンスは常にありました。

にもかかわらず、それらの進化を海外の手に委ね、収益の一部しか日本に残らないということを、手離れが良くて儲かると言って喜ぶ風潮すらあるように感じます。いまだに中高年層まで楽しまれているポケモンGOなどは、その代表例かもしれません。

タイトルにも書きましたが、私のスマホはGalaxyとiPhone。タブレットはXiaomi。何十年間も徹底して国産や日本メーカーにこだわってきましたが、気が付けば国内メーカーは相次いで撤退し、日本ブランド自体も非常に少なくなりました。

「まだ日本メーカーもあるじゃないか」と言う声があるのも分かります。でも圧倒的なクオリティの差が、それを許さないというのも事実です。AndroidのGalaxyとiOSのiPhoneはスマホ界の両巨頭ですし、低価格帯ではXiaomiのタブレットなど、海外メーカーの製品力には驚かされます。

今年、巨額赤字となったホンダを応援する意味もあって購入したのがDio110。この生産国はベトナムです。日常的に乗っているスーパーカブC125はタイ。熊本で生産されるCBR250RRにしても、部品まで含めればグローバルなサプライチェーンの中で作られています。

ホンダの稼ぎ頭の一つは二輪事業なのですが、日本唯一の二輪完成車生産拠点である熊本製作所の年間生産能力が32万台なのに対し、100万台以上の生産能力を持つ国だけでも以下のとおり。衝撃の数字です。

・インド    625万台
・インドネシア 587万台
・ベトナム   275万台
・中国     204.5万台
・タイ     167万台
・パキスタン  154万台
・ブラジル   140万台

日本企業であるホンダが世界で二輪車を売り続けるためには、当然の姿なのだと思います。インドで売るものはインドで作り、インドネシアで売るものはインドネシアで作る。そして、それぞれの国の所得や道路事情、生活習慣、嗜好に合わせた商品を開発する。

もはや「日本で考え、日本で作り、海外へ輸出する」だけがグローバル企業ではありません。世界の市場を見て、世界の人が何を求めているのかを考え、世界のどこで作り、どこで売り、どこで利益を生み出すのかを考える。それが今のグローバル企業なのでしょう。

そう考えると、私は日本という国そのものが、これからどこへ向かうのかが気になります。

もちろん、今もニトリ、ユニクロ、楽天、ソフトバンクといった新しい企業が新しい市場を切り開いています。ゲームやアニメ、漫画、コンテンツ、観光、食、ロボット、素材、医療、宇宙など、日本が世界で勝負できる可能性を持つ分野も、まだまだたくさんあると思います。

では、日本をどんな国にするのかを決めるのは誰なのでしょう。企業だけではありません。政治だけでもありません。結局は、そこで働き、消費し、次の時代をつくっていく私たち一人ひとりなのだと思います。

だからこそ、最近の若い人たちの就職先に対する考え方を聞いていると、少し残念に思うことがあります。

海外へ出たい、世界を相手に仕事をしたい、外国語を身につけたい、世界中の人と競争してみたいという話よりも、転勤がない、地元から離れなくていい、海外赴任がない、安定している、といった条件が優先されることが多くなったように感じるからです。

もちろん、どんな人生を選ぶかは本人の自由ですし、仕事のために生活を犠牲にする必要もありません。昔のような猛烈な働き方を若い世代に押し付けたいとも思いません。

ただ、資源の乏しい日本は、国内だけで完結して豊かさを維持できる国ではありません。エネルギーも、食料も、原材料も海外から大量に買っています。

それを可能にするためには、世界の人たちが欲しがる商品やサービス、技術やコンテンツを生み出し、海外からお金を稼ぎ続けなければなりません。つまり日本ほど、本来は「世界を見ること」が必要な国はないはずなのです。

企業はとっくに世界を見ています。ホンダの二輪生産能力を見れば、それは一目瞭然です。

それなのに、そこで働く人たちの意識がどんどんドメスティックになり、国の政治を見ても、「10年後、20年後、日本はこれで世界から稼いでいく」という明確な国家像が、私にはなかなか見えてきません。

かつての日本には、「造船で世界一になる」「自動車を輸出する」「半導体で世界を取る」といった、良くも悪くも分かりやすい目標がありました。

2009年、民主党政権下で行われた事業仕分けでは、次世代スーパーコンピューターの研究開発が対象となり、文科省や理化学研究所側が世界一を目指す意義を説明する中で、仕分け人だった蓮舫参議院議員から「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」という質問が出ました。

もちろん、この発言は「世界一を目指すな」という意味ではなく、巨額の国費を投入して世界一を目指す必要性を問いただす文脈で出たものです。それでも私は、あの言葉に象徴される空気に強い違和感を覚えました。

世界一になれる可能性がある技術に対して、「なぜ世界一でなければならないのか」と問うこと自体は必要です。しかし、その一方で「どうすれば世界一になれるのか」「世界一になった技術をどう産業につなげるのか」という議論も、同じくらい必要だったのではないでしょうか。

今、日本は何で世界と戦うのでしょう。

AIなのか、半導体なのか、ロボットなのか、コンテンツなのか、観光なのか、環境技術なのか。それとも、それらを組み合わせた全く新しい産業なのか。答えは一つである必要はありません。

ただ、「日本はこれから何で食べていくのか」という問いだけは、政治も企業も、そして私たち自身も避けて通ることはできないと思います。

人口が減っていくからこそ、国内だけを見ていてはいけない。
資源がないからこそ、世界を見なければならない。
小さな国だからこそ、世界中の市場を自分たちの市場として考えなければならない。

それは、陶器や繊維を海外へ売っていた時代から、実は何も変わっていないのではないでしょうか。

日本がもう一度元気になるために必要なのは、昔の日本に戻ることではありません。
もう一度世界を見て、「世界一になれる何かはないか」「世界の人たちが欲しがるものは何か」をガムシャラに探し、それを仕事にしていく国になること。

私は、そこに日本がこれからも豊かであり続けるためのヒントがあるように思っています。

早朝からヒマな老人の戯言にお付き合いいただきありがとうございました。頑張って、朝から交通安全運動の旗振りボランティアを頑張りたいと思います。

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