テレホンカード

2026年09月13日 05:17

denwa今では営業マンが会社を出ても、スマートフォンがあれば電話もメールもLINEもできます。資料も地図もスケジュールも全部スマートフォンの中です。しかし、私が営業マンになった頃には、携帯電話なんてありませんでした。

当時の営業マンにとって、会社を出るということは、本当に会社との連絡手段がなくなるということでした。だから営業に出かけると、2時間に1回くらいは会社へ電話を入れるのが当たり前でした。

「大野です。何か入っていますか?」

会社へ電話をすると、事務所にいる人から「○○会社の△△さんから電話ください」「□□さんから、今日の件で確認したいとのこと」といった伝言を読み上げてもらい、その電話を切ったら、今度は伝言のあった相手へ電話をかける。そんな感じでした。

使うのは公衆電話です。駅や街角には今とは比較にならないほどたくさんの公衆電話があり、営業マンにとっては重要な仕事道具でした。

1980年代後半になると、テレホンカードが使える公衆電話がかなり普及してきました。それまでのように大量の10円玉を用意する必要はなくなりましたが、それでも小銭は必要でした。

当時は喫茶店や飲食店などに、いわゆる「ピンク電話」が置かれていることが珍しくありませんでした。こちらは硬貨を入れて使いますから、営業マンが電話用の小銭を持ち歩くのは当たり前でした。

そして会社に戻ると、自分のデスクの電話機には、いろいろな伝言メモが貼り付けられていました。まだポストイットも一般的ではなかった時代です。

コピー用紙のミスプリントを小さく切ってメモ用紙にして、「○○様よりTELあり。お電話ください」などと書き、それをセロテープで電話機や机に貼り付けるのが当たり前でした。1日外回りをして会社へ戻ると、電話機の周りが伝言メモだらけ、なんてことも珍しくありませんでした。

そして、営業マンが持ち歩かなければならなかったのは、電話用の小銭やテレホンカードだけではありません。鉄道路線図や地図を持ち歩くのも当たり前でした。

今ならスマートフォンに住所を入れれば、電車の乗り換えから最寄り駅、駅を降りてから目的地までの道順まで全部案内してくれます。しかし、当時そんなものはありません。

電車で営業先へ向かうなら路線図を見て乗り換えを考える。初めて行く会社なら、事前に地図で場所を調べる。そして現地では紙の地図を見ながら歩く。それでも分からなければ、人に聞くのです。「すみません、○○ビルはどちらでしょうか?」そんなことも日常でした。

営業マンの鞄には、仕事の資料と一緒に路線図や地図、手帳、テレホンカード、そして電話用の小銭が入っていました。

そんな状況を大きく変えたのが、1990年代に入って普及した「ポケットベル」、通称ポケベルでした。ポケベルが「ピーピー」と鳴れば、「あ、会社から呼ばれている」と分かります。

もちろん、ポケベルで会話ができるわけではありません。鳴ったら近くの公衆電話を探して会社へ電話するのですが、それでも「会社側から外にいる営業マンを呼び出せる」というだけで画期的でした。

その後、ポケベルは仕事の道具だけではなく、若者を中心としたコミュニケーションツールへと発展していきます。1993年には国武万里さんの「ポケベルが鳴らなくて」という曲まで大ヒットしました。

「ポケベルが鳴らない」ということが、そのまま男女のすれ違いを表す言葉として成立していたわけです。今なら「LINEが来ない」とか「既読にならない」といった感覚に近いのかもしれません。

そして、その後にやって来たのが携帯電話です。

最初の頃の携帯電話は、今のスマートフォンとはまったく違うものでした。基本的には電話ができるだけ。着信しても相手の電話番号すら表示されない。電話帳に登録できる件数も100件程度。当然、カメラなんて付いていません。

それでも、公衆電話を探さなくても、その場で電話ができる。営業マンにとっては、それだけでも革命的でした。

一方で、携帯電話を持ったことで、それまでとは決定的に違うことも起こりました。どこにいても会社から捕まるようになったのです。「今どこ?」「さっきの件どうなった?」「ちょっと確認してくれる?」便利になったのは間違いありませんが、会社を一歩出れば、次にこちらから電話するまで誰からも連絡が来なかった時代は終わりました。

その後、携帯電話には着信番号表示、メール、インターネット、カメラなど次々と機能が追加され、やがてスマートフォンへと進化していきました。

振り返ってみれば、ほんの数十年の間に、営業マンの仕事の仕方は劇的に変わりました。昔は、人と紙と公衆電話でつないでいた仕事が、今ではスマートフォン1台でほとんど完結してしまいます。

もちろん、今の方が圧倒的に便利です。でも会社を一歩出れば、次にこちらから電話するまで誰からも連絡が来なかった時代。あれはあれで、今では考えられないほど自由な時間だったような気もします。

そして今、AIが世界中を席巻しています。

私が経験してきた、公衆電話からポケベル、携帯電話、そしてスマートフォンへという変化には数十年という時間がかかりました。

ところがAIによる変化は、それとは比較にならないほど速い。昨日まで人間が何時間もかけてやっていた仕事を、今日はAIが数分でやってしまう。さらに数か月後には、今はできないことまで普通にできるようになっているかもしれません。

公衆電話からスマートフォンまで数十年かけて起きたような大きな変化が、今度は数年、あるいはもっと短い時間で一気にやって来ているように感じます。

携帯電話がなかった時代に、「将来は電話も地図もカメラも新聞もテレビも財布も、全部ひとつの小さな端末に入ります」と言われても、おそらく私は信じなかったでしょう。

だからこそ、今のAIについても、「そんなことまでできるようになるわけがない」と簡単には言えないと思っています。

公衆電話を探して10円玉を握っていた営業マンだった私が、今ではスマートフォンを持ち歩き、AIを使って仕事をしている。そう考えると、この先10年で仕事のやり方がどう変わっているのか。もはや私には、まったく想像がつきません。

間違いないのは、ほんの数十年前にはスマートホンもノートパソコンも無かったということだけ。数年後には世界中の人々が「iPhoneってあったなー」なんて言ってるかもしれないと思っている私です。

2026年04月19日 06:48

tac1989年に登場したのが、モトローラの名機「マイクロタック」。それまでの“携帯電話”の常識を大きく変えたモデルでした。

それ以前に主流だったのは、いわゆるショルダーホン。お笑い芸人の平野ノラさんのネタでおなじみの、あの“肩掛け電話”です。

その流れを汲む端末として、NTTから登場したのがTZ-802。とはいえ「携帯」とは名ばかりで、ポケットに入るサイズでは到底ありません。

手提げバッグのように持ち歩く前提で、重量は約900g。改良型のTZ-803では軽量化されたものの、それでも約640g。しかも手提げスタイルが廃止されストラップ式になったため、結局は収納用のバッグが必要という、本末転倒な状態でした。

さらにバッテリー性能も厳しく、通話すればすぐに電池切れ。待ち受けも実質5時間程度しか持たないため、予備バッテリーを複数持ち歩くのが当たり前。とにかく「重くて大きくて不便」な存在でした。

そこに登場したのが、関西セルラーホン(現 KDDI)。同社が投入したのが、モトローラ製「マイクロタックHP501」です。

重量は約305g。頑張ればポケットにも入るサイズで、当時としては驚異的な小型化でした。連続待ち受けは約8時間、通話も2回程度は可能と、実用性も大きく向上。

この端末を導入するため、関西セルラーはモトローラの通信方式を採用。これが結果的に、ドコモ系とau系で異なる通信方式が並立するきっかけになったとも言われています。

この動きに対し、さすがのNTTも危機感を抱きます。電電ファミリー(NTTの旧社名が日本電信電話公社=通称電電公社だったので下請けメーカーがそう呼ばれた)等に「とにかく小型化しろ!」という号令が発せられました。

巻き込まれたのは松下通信工業、NEC、三菱電機、富士通といった面々。こうして後の「mova(ムーバ)」へとつながる、小型端末の開発競争が始まっていきます。

・・・とはいえ、この時代に爆発的に普及したのは携帯電話ではありませんでした。

主役はポケベル。
そして、いまでは考えられませんが「偽造テレホンカード(テレカ)」も出回っていました。

街では謎の外国人が、50度数(500円分)の偽造テレカを「30枚1000円」で販売。それを使って公衆電話からポケベルに連絡する、という文化が広がっていきます。

その流行は、1993年に秋元康プロデュースのドラマ「ポケベルが鳴らなくて」が放送されるほど。この頃は、まだ携帯電話の時代ではなかったのです。

転機となったのは「デジタル携帯電話」の登場でした。
それまでのアナログ方式に比べて、
・バッテリーの持ちが向上
・電波の利用効率が改善

といったメリットがあり、各社は一斉にデジタル対応の基地局整備を進めていきます。そして1995年1月、阪神・淡路大震災が発生。この出来事が大きなターニングポイントとなり、「どこでも連絡が取れる手段」として携帯電話の価値が一気に認識され、普及が加速していきました。

そこに携帯電話と並行して家庭用コードレスホンを屋外に持ち出せるようにするという考えの「PHS」という物も導入され、軽くて小さくてバッテリも長持ち(ただし電波が弱いので基地局が死ぬほど沢山必要で高速移動に弱い)のPHSの普及も始まります。NTTは携帯電話のNTTドコモに対してPHSのNTTパーソナルという会社も設立しました。

しばらくすると本体に登録できる電話帳に漢字も使えるようになり、件数は50件から100件,500件と一気に増え、着信番号が表示されるナンバーディスプレイというサービスが始まって、電話帳に登録されていると名前が表示される機能も追加されました。

そういえば、1998年長野オリンピックにNTTグループが「腕時計型PHS」というのを関係者用として大量に貸与してくれたのですが、有線ヘッドホンを腕につけた本体から繋ぐ必要があり、話すときは本体に話す必要があるチョー使いにくい物。

電話をかけるにも十字キーすらなく音声でかける必要があり、常に大きな音が鳴っている上に小声しか出せない運営スタッフは、オリンピック会場で番号1つ認識させるのすら簡単では無く、ブレスレットのように腕に着けつつ、ドコモのP205という携帯電話を持たされていました。

いま振り返ると、なんとも懐かしい時代です。

当時はメールもできず、写真も撮れない。メールサービスの開始は1999年、カメラ付き携帯の登場は2000年。ほんの少し前まで「通話しかできない機械」だったとは、今では信じられません。

ちなみに、私が初めて携帯電話を手にしたのは、日本でようやく1号機が登場したばかりの1987年。当時働いていたカナダの会社から貸与されたユニデン製の端末。当時はモトローラのDynaTACが小さく高性能と言われていましたが、それより小さく機種でした。

今考えれば、当時日本ではまだ携帯電話が一般的ではなかったわけで、とんでもない先取りをしてい
たことになりますね。

あれから約40年。肩掛けバッグのような電話機は、今や手のひらサイズのスーパーコンピューターみたいな物になりました。次の40年後、私たちの手元には一体何が残っているのでしょうね。

長い昔ばなしにおつきあいいただきありがとうございました。

記事検索
QRコード
QRコード
月別アーカイブ