アルト
2026年08月26日 01:34
スズキの行動理念にある「小・少・軽・短・美」をご存じでしょうか。「小さく、少なく、軽く、短く、美しく」という、スズキが長年大切にしてきたモノづくりの考え方です。その「小・少・軽・短・美」を具現化した電気自動車(以下EV)「e SKY(イースカイ)」が、この秋デビューすると発表されました。昨年のジャパンモビリティショーに展示されていた「Vision e-Sky」を、そのまま市販車へ仕上げたといった形の車両です。
スズキは、2023年のジャパンモビリティショーにも軽ワゴンEVのコンセプトモデル「eWX」を展示していましたので、何年もかけて「スズキらしい軽EVとは何なのか」を研究してきたのでしょう。
このe SKYですが、すでにメディア向け試乗会も行われています。量産試作車を出す段階にまで至っているということでしょう。
私はこのクルマ、結構売れるのではないかと思っています。なぜならスズキという会社は昔から、「みんなが欲しがっているクルマを作る」というより、「世の中に必要なのに、まだ手頃な商品が存在していない市場」を見つけるのが非常に上手な会社だからです。
例えばアルト。日本にモータリゼーションが到来し、高度経済成長の中で生活が豊かになるにつれ、消費者はより大きく、より高級なクルマを求めるようになりました。その結果、1970年代半ばには軽自動車市場が急速に縮小し、存在感を失いつつありました。
そんな1979年にスズキが発売したのが初代アルトです。その価格はなんと47万円。しかも全国統一価格となっていました。
徹底した工程の合理化、部品点数の削減、ワングレード化などによってコストを削り、「豪華なクルマ」ではなく「安くて日常の足として使えるクルマ」という価値を真正面から打ち出したところ、大ヒットを収め、低迷していた軽自動車市場が息を吹き返したのです。
また1993年には、「単に安いだけではなく、家族で使えて、もっと広く快適なクルマが欲しい」というニーズに対して、天井を大幅に高くした軽自動車ワゴンRを登場させ、こちらも大ヒット。「軽トールワゴン」という巨大な市場を生み出しました。
今、世界の自動車メーカーはEVへ向かっています。しかし日本では、なかなかEVが普及しません。その最大の理由の一つが価格でしょう。補助金を使えば安くなると言われても、一般の人からすれば「軽自動車にそこまで払うの?」という感覚があるのも当然だと思います。
今回のe SKYを見ていると、スズキらしい「小・少・軽・短・美」を、EVでも表現しようとしていることが感じられます。クルマを小さく、使う部品や資源を少なく、車体を軽く、製造工程や移動距離を短く、そしてシンプルで美しく仕上げる。実はEVほど、この考え方と相性の良いクルマはないのかもしれません。
私はe SKY、200万円を大きく切る価格で出てくるのではないかと思っています。もし150万円台から購入できる価格設定になれば、状況はかなり変わります。国や自治体の購入支援を組み合わせれば、地域によっては実質負担が100万円前後まで下がる可能性もあるでしょう。
その時に一気に飛びつくのは、一般家庭だけではないでしょう。自治体や大企業です。今や自治体も大企業もカーボンニュートラルへの対応を求められています。当然、公用車や営業車もEVへ切り替えていきたい。
ところが、何十台、何百台と保有している車両を高価なEVへ一気に入れ替えるとなれば、莫大な予算が必要になります。しかし、200万円を大きく下回る軽EVなら話が変わります。
市役所や区役所の公用車、企業の営業車、工場内の連絡車、介護事業者の訪問車、電力会社やガス会社などの巡回車。こういうクルマは、一日に何百kmも走るわけではありません。朝に事業所を出て近距離を走り、夕方になれば同じ駐車場へ戻ってくる。だったら夜間に充電すればいいわけです。
1979年のアルトが「47万円」という価格で、それまでクルマを所有することが難しかった人たちに新しい選択肢を提供したように、e SKYは「高くてEVを導入できなかった事業者」に新しい選択肢を提供するクルマになるかもしれません。いわば「令和の47万円アルト」です。
そして、私がもう一つ期待しているのが地方での普及です。現在、地方ではガソリンスタンドの廃業が相次いでいます。人口減少によってガソリン販売量が減る一方、地下タンクをはじめとする設備更新には大きなお金がかかります。さらに経営者の高齢化や後継者不足もあります。
それがEVになれば、自宅で充電できるわけで、日常的にガソリンスタンドへ行く必要がなくなります。家へ帰ったらコンセントにつなぎ、寝ている間に充電する。翌朝になれば、また走れる。一日に数十km程度しか走らないのであれば、それで十分です。
これまでEVについては、「地方は充電設備が少ないから普及しない」と言われてきました。しかし私は、これから逆転する地域が出てくると思っています。「充電スタンドがないからEVに乗れない」のではなく、「ガソリンスタンドがないからEVに乗る」。そんな時代が来るかもしれません。
そして今回のe SKYを見て、私自身、EVに対して少し間違った見方をしていたことにも気づきました。
EVは充電時間が長い。長距離移動には向いていない。価格が高い。だから満充電で何km走れるのか、充電にどれくらい時間がかかるのか、ガソリン車と比べて本当に得なのか。これまで私は、そんな尺度でEVを見ていました。
でも、e SKYの考え方は少し違います。そもそも日常のクルマ移動の多くは、何時間も走り続けるものではありません。買い物、送迎、通勤、通院など、1時間以内の短時間移動を何度も繰り返している人が圧倒的に多い。だったら、そこに焦点を合わせたEVを作ればいい。
一日に数十kmの日常移動を十分こなせて、夜になれば自宅で充電できる。豪華な装備も、EVらしさを強調する演出も必要ない。ガソリン車から乗り換えても、これまでと同じ感覚で普通に使える。
実際、スズキもe SKYの開発コンセプトを「Easy to Switch」として、ガソリン車から違和感なくEVへ乗り換えられることを目指しています。通勤、通学、買い物、送迎といった日常使いに「ちょうどよい」EVという考え方です。
スズキからすれば、「EVが環境負荷を減らすためのクルマなら、必要以上に豪華な装備を付けて重く、高くしてしまうのは少し違うでしょう。シンプルで十分なのではないですか?」という発想なのかもしれません。
必要なものはちゃんとある。しかし、必要以上のものは付けない。無印良品的な視点でEVを作ったら、こういうクルマになりました、という感じがします。
先進性を必要以上に主張するのではなく、日常の生活道具として普通に使える。そして、ガソリン車から乗り換えても大きな違和感がない。だからこそ、EVであることを意識せずにEVを使える。私は、そこがe SKYの一番面白いところなのではないかと思います。
スズキが変える国産EVの世界。
スズキが昔から得意としてきたのは、豪華さや高性能を競うことではなく、「多くの人が日常で使える生活の足とはどうあるべきか」という視点から、新しい市場を創り出すことでした。
47万円のアルトで軽自動車を蘇らせ、ワゴンRで新しい軽自動車市場を切り開いたスズキが、今度は「小・少・軽・短・美」を武器に、EVの常識を変える。そんなスズキの真骨頂が、今回のe SKYでも見られるのではないかと思っている私です。









