2026年07月31日 03:11

訃報) 板東英二さん

スクリーンショット 2026-07-31 030842板東英二さんの訃報から数日が経ちました。今日は、私にとっての板東さんとの思い出を少し書いてみたいと思います。

私がイベント会社に勤務していた1991年から1995年頃、会社の事務所は大阪市北区西天満にありました。そのため、西天満周辺に事務所を構える芸能事務所の方々にお仕事をお願いする機会が数多くありました。

KAプロ、昭和プロダクション、米朝事務所、舞夢プロ、トークING、オフィスキーワード……。当時は多くの芸能事務所が集まっており、その中でも板東英二さんの大阪事務所は、私の勤務先から最も近い場所にありました。

もっとも、板東さんは東京でのお仕事が中心でしたし、確か名古屋にも事務所があったので、大阪の事務所をどの程度使われていたのかは分かりません。それでも、講演会の台本や進行資料、移動用の新幹線チケットなどを届けるため、事務所へ伺う機会は何度もありました。

私たちがお願いしていたのは企業や団体向けの講演会です。

徳島商業高校のエースとして甲子園を沸かせ、中日ドラゴンズへ入団。その後、野球選手から芸能界へ転身し、投資の話やお金との付き合い方、人生経験をユーモアたっぷりに語られる内容は、とにかく面白く、しかも学ぶことが多く、毎回大変人気の講演でした。

私はいつも「板東先生」とお呼びしていましたが、会社の先輩方は皆「バンちゃん」と呼んでいました。きっと仕事仲間というより、長年のお付き合いの中で築かれた親しい関係だったのでしょう。

特に印象に残っているのは、新幹線でご一緒した時のことです。

私は「板東先生はグリーン車ですので、私は隣の普通車におります」とお伝えすると、「差額は払うから、一緒に乗りなさい」と声を掛けてくださいました。

駅弁を用意する時も、「予算いくらなん? 足らん分は出すから、美味しいもん一緒に食べよう」と気遣ってくださる方でした。

大御所でありながら決して偉ぶることはなく、若かった私にも自然体で接してくださる。その優しさは、30年以上経った今でも鮮明に覚えています。

あらためてプロフィールを見ると、板東さんは1940年(昭和15年)生まれ。私の両親よりも年上の世代だったことに、今さらながら驚きました。

テレビで見る「豪快で面白い板東英二さん」の姿そのままに、気配りができて、人を楽しませることを忘れない方でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。


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