2026年07月19日 07:20

飲食店の価格が激安になっていることについて

insyoku私が働き始めた18歳(1986年)の頃、外食は今よりずっと圧倒的に贅沢な物でした。

例えばしゃぶしゃぶ。40年前は確実に1万円覚悟でした。お寿司も同様です。今のように回転寿司がどこにでもある時代ではなく、安く食べるには小僧寿しチェーンの持ち帰りが定番。お寿司屋さんで夜におまかせを頼んだら1万円以上というのも普通にありました。

鰻が牛丼チェーン店で気軽に食べられるなんて夢のようですよ。昔はちゃんとした鰻屋さんへ行くしかなく、松・竹・梅というランク分けされたメニューから「最低ランクの梅は恥ずかしいから竹にしよう」なんて選択をして、それでも3,500円ほどのうな重を食べたものです。

もちろん駅の立ち食いそばなら200円程度で食べられました。当時は、餃子の王将の餃子が140円、マクドナルドのハンバーガーは210円、吉野家の牛丼は400円。それらを食べに行くのがせいぜいで、ロイヤルホストやデニーズといったファミリーレストランで食事をすると1,000円を超えるため、なかなか行くことはできませんでした。

この40年間で最低賃金は大きく上昇し、社会保険料も増え、電気・ガス・水道代も上がりました。店舗家賃も高騰した地域がありますし、食材価格も何度も値上がりしています。それにもかかわらず、飲食店の価格は長年にわたり激しい価格競争にさらされてきました。

マクドナルドのハンバーガーは当時と同じくらいの200円(五反田店)。つい数年前までは100円マックでした。吉野家の牛丼も値下げと値上げを繰り返しながら現在は500円程度。王将の餃子は363円(関東)。40年という歳月を考えると、今も価格が当時と大きく変わらないことに驚いてしまいます。

しゃぶしゃぶは5,000円前後で食べ放題のチェーン店が無数にあります。寿司も回転寿司チェーンが全国に広がりました。鰻も牛丼チェーン店で1,000円前後で気軽に食べられます。40年前では考えられない世界です。

日本の外食産業は、何十年間も激しい価格競争を続けてきました。私たちが40年前とあまり変わらない金額、あるいはそれより安い価格で食事ができる一方で、お店側(そしてそこで働く従業員)は何十年も利益を削り続けてきたということです。

日本では長い間、「値上げは悪」という空気がありました。安くて当たり前。量も減らすな。品質も落とすな。そんな厳しい要求に応えるため、多くの飲食店は企業努力を続けてきました。しかし、その努力にも限界があります。

表立って値上げをすると客離れにつながるため、多くのお店はステルス値上げを導入しました。少しずつ量が減り、器も小さくなり、「なんだか昔ほど満腹にならない」と感じることが増えました。スーパーやコンビニのお弁当でも、内容量を抑えながら価格を維持する工夫が当たり前になっています。

最近になって「ラーメン1杯1,000円超は高い」という声を耳にすることがあります。でも、私は逆に「今までが安すぎた」と感じています。

美容院なら30分〜1時間で4,000〜6,000円。材料費の割合は比較的低く、技術料が中心です。一方、ラーメン店は何時間もかけてスープを仕込み、お客様は20〜30分席を利用します。さらに原材料費も30〜45%程度かかると言われています。それでも価格は1,000円前後なのです。

現在、多くの飲食店は人手不足にも苦しんでいます。「給料を上げろ」と言われても、価格を上げられなければ原資は生まれません。価格を据え置けば、従業員の賃金も上げられず、人も集まりません。

飲食店の値上げは、お店が儲けるためだけではありません。働く人の給料を守り、お客様へ品質を維持し、これからも店を続けていくために必要なことなのではないでしょうか。

私たちは長年、「世界でも珍しいほど安く外食できる国」に暮らしてきました。しかし、その安さは、多くの飲食店と、そこで働く人たちの我慢や努力によって支えられてきた価格でもあります。

もちろん、値上げは誰にとっても嬉しいものではありません。しかし、適正な価格でなければ、お店は続きません。店が続かなければ、働く人の給料も上がらず、お客様が好きだった味も、街から消えてしまいます。

これからは「安い店が良い店」という時代ではなく、「適正な価格で、長く続いてほしい店を応援する」という考え方が、少しずつ広がっていけばいいなと思います。

40年前には「ちょっとした贅沢」だった外食が、今では当たり前のように楽しめるようになりました。その豊かさをこれから先も守っていくためには、「安さ」だけではなく、その価格の裏側にある努力や価値にも目を向ける時代になればいいなと思っている私です。

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