2026年07月05日 04:38
サッカー日本代表次期監督候補について
2002年FIFAワールドカップ日韓大会は、日本サッカー界に莫大な財産を残しました。その大会で得た利益をもとに日本サッカー協会はJFAハウスを購入し、日本代表の強化や指導者育成の拠点として活用してきました。しかし、その後はコロナ禍による代表戦収入の減少などで厳しい財政運営を余儀なくされ、JFAハウスも売却。かつてのように欧州や南米から高額な外国人監督を招聘し、通訳やスタッフをそろえ、日本で長期的に活動してもらうような体制を簡単に築ける時代ではなくなりました。
だからこそ、日本代表監督人事も大きな転換期を迎えているように感じます。森保一監督の続投か、それとも新たな日本人監督へのバトンタッチか。もし世代交代が行われるなら、有力候補として名前が挙がるのは、名波浩、大岩剛、中村俊輔といった、欧州でプレーし、海外サッカーを肌で知る日本人指導者たちではないでしょうか。
日本サッカーは、外国人指導者から多くを学ぶ時代を経て、日本人自身が世界で経験を積み、その知識や哲学を代表チームへ還元できる時代になりました。それは財政的な事情だけでなく、日本サッカーそのものが成熟した証でもあります。
1998年 岡田武史 → 退任
2002年 フィリップ・トルシエ → 退任
2006年 ジーコ → 退任
2010年 オシム(病気) → 岡田武史 → 退任
2014年 ザッケローニ → 退任
2018年 西野朗 → 退任
2022年 森保一 → 続投
2026年 森保監督続投か、新たな日本人監督かが焦点
先日、本田圭佑氏が自身のXで、「森保さんに1年契約の継続オファーをしているというニュースを見たけど、そんな次の監督候補が見当たらずの繋ぎのオファーなら、僕を1年試してみてください」と投稿してくれました。
もちろん監督経験やライセンスなど、さまざまな課題はあるでしょう。しかし、現役時代に世界のトップレベルで戦い、日本サッカーの歴史を築いてきた選手たちが、引退後も経済的な事情に左右されることなく、「日本代表を率いて、日本サッカーのために力を尽くしたい」と自ら手を挙げる時代になったこと自体が、日本サッカーの成熟を物語っているように思います。
私としては、日本サッカー界の歴史を築いてきたビッグネームが、「ギャラなんていらない。日本代表を率いさせてほしい」と名乗りを上げる日が来たら、本当に胸が熱くなります。
韓国サッカーが日本に多くの刺激を与え、日本サッカーが成長してきたように、これからは日本で育った指導者たちが新たな歴史を築いていく。外国人監督から学ぶ時代を経て、日本人が日本代表を世界の頂点へ導く時代へ。そんな新しい時代の始まりを感じさせる、今回のワールドカップだったように思います。
金銭的に厳しい時期を乗り越えながら、日本サッカー協会は再び未来への歩みを進めています。財政基盤を立て直し、日本代表や育成年代への投資を継続しながら、これからも世界に挑戦できる環境を築いていってほしいと願っています。
日本サッカーが次の時代へ向けてさらに発展し、多くの子どもたちに夢を与え続けられることを祈念し、本稿の結びとさせていただきます。
写真は2001年7月1日、札幌ドームで行われたキリンカップサッカー、日本代表対パラグアイ代表戦のワンシーンです。フリーキックを蹴っているのは、パラグアイ代表の名GK、ホセ・ルイス・チラベルト。
この日、私は現在では当たり前となった「パブリックビューイング」(当時はクローズドサーキットと呼んでいました)の実証実験を担当していました。札幌ドームからの試合映像を横浜国際競技場へ生中継し、一般開放したスタンドの皆さんと一緒に日本代表を応援する、日本初の試みとも言えるプロジェクトでした。
テレビ中継のCMに合わせて横浜会場でもキリンビールのCMを流すため、解説を務めていたセルジオ越後さんと携帯電話をつなぎ、「もうすぐCM」とタイミングを教えていただきながら進行したことを今でも鮮明に覚えています。
横浜会場の司会は鈴木ダイさん。実際の代表戦と変わらぬ選手紹介や国歌斉唱を、誰も選手がいない場所で見事に実施してくださいました。朝のサッカーイベントから試合終了までお願いしたのですが、いま思えば何人か司会者が必要でした。その節は失礼しました。
まだ1度しかFIFAワールドカップサッカーに出場したことの無い日本が、2002年に自国開催するというとんでもない挑戦を目前に控え、日本中が手探りで大会運営のノウハウを積み重ねていた時代の話しです。
当時の私は、サッカーについて「ゴールキーパーもフリーキックを蹴ることがあるんだ」と驚く程度の知識しかありませんでした。まさかチラベルトが世界を代表する攻撃的GKであることも知らなかったわけです。
それでも、スタジアムを囲んでいたアサヒスーパードライの広告を、パブリックビューイング会場ではすべてキリンカップ仕様へ差し替えるなど、一つひとつの演出に関わりながら、日本サッカー界が世界大会へ向けて歩みを進めていく姿を間近で見ていました。
あれから25年。日本サッカーは数え切れないほどの経験を積み、世界と戦える国へと成長しました。
歴史をつなげば、未来が見えてくる。
これからの日本サッカー協会、そして日本代表がさらに発展し、子どもたちに夢を与え続ける存在であり続けることを心から願い、本稿の結びとさせていただきます。









