1大阪府茨木市にあった松下電器の巨大工場は、テレビ事業部の本部もあるテレビの不夜城でした。来る日も来る日もテレビをナショナルカラーテレビを作り続け、会社の一大産業にまで成長しました。

大失敗はプラズマディスプレイ(以下PDP)への集中投資。シャープが液晶テレビに集中投資したように、松下電器改めパナソニックはPDPへ傾注し、茨木工場の敷地だけでは不足する事態となり、尼崎に次々とPDP工場を建設しました。

これが世紀の大失敗となるのですが、昨日の記者会見では「パナソニック株式会社を発展的に解消し傘下の分社を事業会社化する」と発表されました。これまで次々と傘下の会社を一つにまとめてきたのを改めるようです。

門真市駅前にあったオーディオ工場やテレビ部門があった場所は三井不動産に売却され、巨大な商業施設となっているのですが、あそこが売却されるなんて夢にも思いませんでしたし、いろいろな物が変わってきた35年間を振り返ってしまいます。

白物家電というかエアコンや冷蔵庫をやっていた松下冷機はとんでもない規模のリコールを発生させて本体が吸収する形となり、グループの創業会社である松下電工も今はパナソニックに吸収。ナショナル住宅産業もパナソニックホームズと名称変更されてます。松下LECや松下自転車もパナソニック的なネーミングに変わっていて、結構なさみしさを感じていました。

各社には各社の歴史があり、これらがあって松下グループを形成していました。松下電器社内も事業ごとに全く別の会社のように活動する事業部制という仕組みでしたし、前述の会社群も全く別々の企業文化を持っていました。

そんなわけで「合体させないほうがいいんじゃないか」とも感じていたのですが、社内の経営陣にも同じ考えの方々がいたようです。

松下電工といえば初荷儀式ですよ。法被を着た社員が工務店や建設会社にやってきて三三七拍子と万歳三唱をするのですが、これが「パナソニック名物・・・」だとイマイチなんですよねー。やっぱ「電工名物 三・三・七拍子!まずは鯉の滝登りからー!」じゃないとですよ。

パナホームだって長年使ってきた「ふれ愛」ってワードを核に置いてパナソニックホームズじゃなくてパナホームのほうがいいと思うんですよねー。私には「ナショ住」ってワードのほうが親しみがあったりします。

阪神淡路大震災の当日はナショナル住宅産業の新年行事である「新春ふれ愛会」が千里阪急ホテルで開催予定でした。辻社長の時代。同じ日に松下電工彦根工場では牧信二ショーが開催されました。ナショナル住宅の湖東工場見学会も何度もご依頼いただきました。思い出すなー。

大阪門真や東京芝公園の松下電器宣伝部で皆さんと切磋琢磨したのも懐かしいし、横浜ランドマークタワーが出来た時は松下自転車が発表会を開催していただき、そのおかげで宿泊させていただいたのもいい思い出です。

「分社化の具体的な検討は今から」だそうですが、昔は松下電器と松下電工で競合商品を作ったりもしていました。それがあっていいとも思うんですよ。今後の動向に注目したいと思ってます。