2026年08月
2026年08月10日 06:51
昨年11月にステップワゴンを売却した際、「驚くような価格で売れた」というブログ記事を書いたと思います。今日は、なぜそんなことが起きたのか、その理由について改めて書いてみたいと思います。ステップワゴンを購入する際、私は最初からハイブリッド車を選択肢から外していました。理由は海外市場です。
日本国内では燃費性能に優れたハイブリッド車が人気ですが、海外まで視野を広げると事情が少し変わります。国や地域によっては、故障した際の修理や部品調達が容易なガソリン車の方が好まれ、中古車価格も安定しやすい傾向があります。
さらに重視したのが、同じ右ハンドル国であるマレーシアの中古車輸入規制でした。マレーシアでは輸入できる中古車の車齢に制限があります。そのため、「程度の良い高年式ガソリン車を購入して、1回目の車検を迎える3年以内に売却する」という前提で車選びを進めました。
知り合いのホンダディーラーが見つけてくれたのは、登録からわずか4か月しか経っていないディーラー試乗車でした。純正ナビ付きで諸費用込み365万円。しかも、この5年間で3台目の購入だったこともあり、さらに5万円値引きしていただきました。ほとんど新車に近い状態のステップワゴンを、かなり良い条件で購入できたわけです。
購入したのは2023年5月。翌月には40系アルファード/ヴェルファイアが発売されるというタイミングでした。
一方、世界に目を向けると、ロシアによるウクライナ侵攻から約1年が経過し、西側の自動車メーカーがロシア市場から相次いで撤退していました。その結果、ロシア国内では新車不足が深刻化し、日本から高年式中古車が大量に輸出される状況になっていました。
そんな中、私がステップワゴンを購入してからわずか3か月後の2023年8月、日本政府がロシア向け自動車輸出規制を強化します。規制対象が拡大され、排気量1,900ccを超えるガソリン車やディーゼル車、ハイブリッド車などが輸出禁止の対象になりました。
これによって、ロシアで人気の高かったアルファード/ヴェルファイアなどの大型ミニバンの多くが、日本から輸出できなくなります。
ステップワゴンもで言えばハイブリッドのe:HEVは2,000ccエンジンなので規制対象。ところがガソリンモデルは1,500ccターボです。こちらは輸出可能でした。
つまり、「日本製の程度の良いミニバンが欲しい」というロシア側の需要に対して、ステップワゴンの1,500ccガソリンモデルが非常に都合の良い存在になったわけです。
そこへ、さらに追い風となったのがロシア側の「リサイクル税」です。ロシアでは輸入車に対してリサイクル税が課せられており、その負担額は中古車価格にも大きく影響します。そして制度変更によって、エンジン出力も重要な基準となりました。
ここでもステップワゴンのガソリンモデルは絶妙でした。というのも、最高出力150PSでロシア側の高出力規制にも引っかからなかったのです。まるで最初からロシアへの中古車輸出を想定して設計したのではないかと思ってしまうほど、条件にピタリとはまってしまったのです。
こうした複数の要因が重なったことで、ステップワゴンのガソリンモデルに海外からの需要が集中し、中古車相場が上昇していきました。
もちろん、こんなことは購入した時には全く予想していません。私が考えていたのは、せいぜい「海外需要を考えるならガソリン車」「マレーシアなどへの輸出を考えるなら高年式のうちに売却した方がいい」という程度でした。
その後に起きる日本政府による対ロシア輸出規制や、ロシア国内の制度変更まで予測できるはずもありません。そこは完全に偶然でした。
そして2025年11月。1回目の車検を迎える直前、当初の予定通りステップワゴンを売却することにしました。2023年5月に購入していますから、所有期間は2年6か月です。2年半も乗った中古車ですから、普通に考えれば購入した時より安くなって当然です。
ところが、実際に査定に出してみると、想像を超える金額が提示されました。なんと、購入した金額を15万円以上も上回る価格で売却できたのです。2年半クルマを使って、それでも購入した時より高く売れた。普通の商品なら、なかなか考えにくい話です。
もちろん、購入した車両そのものが登録4か月のディーラー試乗車で、最初から割安に購入できていたことも大きかったと思います。しかし、それだけで説明できる値段ではありません。
中古車は「買うタイミング」と「売るタイミング」、そして為替、海外需要、戦争、経済制裁、輸出規制、輸入国の税制など、世界情勢が驚くほど価格に影響する商品なのだと改めて実感しました。
ミニバンのリセールバリューについては、長年、「アルファード/ヴェルファイアなら、買った時より高く売れる」という話がまるで常識のように発信され続けてきました。ところが、実際には何でも良いわけではありません。
海外輸出を強く意識するのであれば、ボディカラーは白か黒が有利だったり、仕向け地によってはハイブリッドよりガソリン車が好まれたり、年式、グレード、排気量などによっても査定額は大きく変わります。「アルファードなら何を買っても高く売れる」というほど単純な話ではなかったわけです。
そして、もっと知られていなかったのがステップワゴンでした。ステップワゴンはアルファードほど新車販売台数が多くありません。普通に考えれば「人気がないから売れていない」と考えてしまいます。ところが中古車輸出の世界では、それが逆にメリットになる場合があります。
新車販売台数が少ないということは、数年後に中古車市場へ出てくる台数も少ないということです。そこへ海外から特定仕様の需要が集中すれば、当然ながらタマ不足になります。「欲しい人はいる。でも売り物が少ない」となれば、買取店や輸出業者は車両を確保するために仕入れ価格を上げざるを得ません。
特にステップワゴンの場合、e:HEVではなく1,500ccガソリンモデルという条件まで付けば、対象となる中古車はさらに限られます。これがステップワゴンのガソリンモデルの買取価格を押し上げた大きな要因の一つだったのだと思います。
私自身、購入する際には「海外へ売るならガソリン車」という意識はありました。しかし、新車販売台数が少ないことまでが後々こんな形でプラスに働くとは、全く考えていませんでした。
最後に、今回いくつもの中古車買取専門店を回っていて面白かった話を一つ。
担当者と「これから値落ちしにくいクルマは何ですか?」という話をすると、意外な車名が何度も出てきました。それはホンダ・ヴェゼルのガソリン車です。アルファードでもありません。
ランドクルーザーでもありません。「一番値上がりが期待できるのはヴェゼルのガソリン車」という話を複数の買取店で聞きました。理由は、やはり海外需要だそうです。
もちろん、将来の中古車価格など誰にも分かりません。私自身、その話がどこまで正しいのかを検証したわけでもありませんので、「ヴェゼルを買えば必ず儲かる」などという話ではありません。ただ、中古のヴェゼルが驚くほど高い価格で取引されているケースがあるのは確かなようです。
今回のステップワゴンもそうでしたが、中古車の価格というのは、日本国内での人気だけで決まっているわけではありません。
「海外のどの国で人気があるのか」
「その国へ輸出できる年式なのか」
「排気量やエンジン出力の規制に引っかからないか」
「ガソリン、ディーゼル、ハイブリッドのどれが好まれるのか」
「右ハンドルなのか左ハンドルなのか」
そして、「その仕様の中古車が日本国内に何台存在するのか」
こうした様々な条件が組み合わさって、時には新車価格を超えるような中古車相場が生まれます。
今回のステップワゴンは、購入時からある程度「売る時」を考えて車種を選んだとはいえ、最終的には世界情勢の変化によって想像もしなかった高値になりました。もし車を買おうと思っている方がいれば、日本車の海外売却に詳しい方へ相談することをお勧めします。
2026年08月09日 02:09
最近、体臭に関するYouTubeチャンネルを見ていて、とても興味深い話がありました。というのも、体臭は「汗をかいたから臭う」「お風呂に入っていないから臭う」といった簡単なものではないそうです。夏の時期に嫌われる汗臭については、汗自体には臭いは無く、その汗が出て来る汗腺が詰まっていたり、そこにある雑菌や出て来たタンパク質を皮膚の常在細菌が食べて臭いを発する等、様々な気づきがありました。
その中でも特に印象に残ったのが、「血液から体表へ出てくる臭い」という考え方でした。この代表格がアルコールとたばこ。
アルコールは、飲むとお酒の成分や代謝産物が血液を通して全身を巡り、呼気だけでなく皮膚からも排出されるそうで、本人は気付かなくても、お酒特有の体臭を周囲は感じるそうです。私はてっきり「酒くさい」と言われるのは呼気のせいだと思っていました。
さらに驚いたのが、喫煙についての説明です。たばこを吸うと煙が衣服や髪に付着するだけではありません。ニコチンやタールなどの成分は体内にも取り込まれ、代謝産物が血液を介して皮膚や呼気から排出されるため、「吸っていない時でも喫煙者特有の臭い」が生じるそうです。
しかも、長年喫煙を続けた人では、禁煙後もしばらく体臭に影響が残ることがあると説明されていました。これは、衣類や生活環境に染み付いた臭いに加え、体内の代謝や皮脂の状態、口腔環境などがすぐには元に戻らないためと考えられているとのこと
私は1997年に禁煙しました。禁煙して29年になるのですが、昔は1日に40本近く吸っていたヘビースモーカーでしたので、「禁煙すれば翌日から臭いも消える」と思っていましたが、実際にはそう単純ではなく、今も独特の臭いを発しているのかもしれません。
体臭は加齢だけで決まるものでもなく、飲酒、喫煙、食生活、睡眠不足、ストレス、肥満など、多くの要因が複雑に関係しているそうです。つまり、「年だから仕方ない」と諦めるものではなく、生活習慣を見直すことで改善できる部分も少なくないということになります。
最近は猛暑で汗をかく機会も増えています。汗をかくこと自体は体温調節に欠かせない大切な働きですが、汗を放置すると細菌が増殖して臭いの原因になります。一方で、飲酒や喫煙などによる体内由来の臭いは、汗を拭くだけでは解決できません。
体臭対策というと、デオドラント製品や香水に目が向きがちですが、本当に大切なのは、体の内側から見直すことなのかもしれません。健康のためにも、周囲への配慮という意味でも、改めて生活習慣を振り返る良いきっかけになった動画でした。
今や臭いだけでもスメルハラスメント(スメハラ)というハラスメントになるらしいので、香水やデオドラントスプレーも批判対象になるだけに、できるだけ臭いを発しないオッサンでいるように頑張りたいと思います。どなたかやさしく頑張り方を教えてくださいませ。
2026年08月08日 06:36
昨夜21時30分ごろ、ドル円相場が「ドル=158.297円から156.627円」へと一気に動きました。一瞬、「また為替介入か?」と思ったのですが、ちょうど同じタイミングでアメリカの7月雇用統計が発表されたため、その影響だと分かりました。今回は、以下の流れだったようです。
・非農業部門雇用者数(NFP)が市場予想を大きく下回った
・前月・前々月の雇用者数も大幅に下方修正された
・「米国経済が想定以上に減速している」と市場が判断した
・年内の利下げ期待が一気に高まった
・米国債が買われて長期・短期金利が急低下した
・金利低下によってドルを保有する魅力が薄れ、ドル売りが加速した
・ドルがほぼすべての主要通貨に対して下落した
・その結果、ドル円は158円台前半から156円台後半まで約1.7円急落した
私自身はFX取引はしておらず、必要な時にドルを購入する「実需」の立場です。そのため、ドル買い注文を155円台に設定していたのですが、今回はそこまで届かず約定しませんでした。しかも夜中の出来事だったので気付かないまま朝を迎え、先ほどチャートを見て「あれ?」となった次第です。
今回の値動きを見ていて、ふとこんなことも考えました。
「もし日本政府がこのタイミングで為替介入していたら、もっと大きな効果があったのではないか?」
もちろん、これは私の勝手な想像です。しかし、少し前に行われた日米協調による円買い介入について考えると、「近いうちに米国経済の減速やドル安につながる材料が出てくる可能性を見越し、市場がパニック的な動きにならないよう、事前に円安をある程度是正しておく」という判断があった可能性も、ゼロではないのかもしれません。
もっとも、現時点でそのような事実を示す情報はなく、あくまで私個人の推測にすぎません。実際に協調介入が行われた理由は、急激な円安による市場の混乱を抑えることだったと考えるのが自然でしょう。
それにしても、今回改めて感じたのは「為替相場は一つの経済指標で1円、2円と動くことがある」ということです。特にアメリカの雇用統計は、FRB(米連邦準備制度理事会)の金融政策を左右する最重要指標の一つです。為替や株式市場に関心のある方は、発表日だけでも頭に入れておくと、「なぜ急に相場が動いたのか」が分かりやすくなると思います。
私は今後も155円台で気長にドル買い注文を入れたまま、次のチャンスを待とうと思います。
8月4日午前、羽田空港付近の上空で着陸態勢に入っていた全日本空輸(ANA)968便と、国土交通省航空局の飛行検査機が接近し、ANA968便の空中衝突防止装置(TCAS)が作動する事案が発生しました。国土交通省は「両機が互いを目視で確認しており、結果的に安全が確保されたことから、この事案は重大インシデントには該当しない」としています。
しかし、公開されている飛行航跡や航空管制(ATC)の交信記録を聞く限りでは、航空安全という観点から非常に考えさせられる出来事だったように思います。
当時、ANA968便は羽田空港C滑走路(34R)へ着陸進入中でした。一方、飛行検査機はD滑走路(05)を離陸し、右旋回して34Rへの進入経路を横切る飛行を行っていました。
公開されている交信では、飛行検査機が管制官に「このまま滑走路34Rをクロスしてよろしいでしょうか」と確認しています。
これに対し管制官は、「ランディングトラフィック(着陸機)があなたの南側にいます。注意してください」と応答しています。つまり、この時点で着陸機の存在自体は双方とも認識していたことになります。
ところが、その数秒後にはANA968便でTCAS(空中衝突防止装置)のResolution Advisory(RA)が作動したとみられ、パイロットはTCASが音声と計器表示で指示した回避操作に従って、右へ大きく回避しています。
TCASのRAは、単に近くに航空機がいることを知らせる警報ではありません。衝突の危険性が高まったと判断した際に、パイロットへ直ちに回避操作を指示する航空機最後の安全装置です。
離陸機と着陸機は互いに接近する飛行経路となっており、相対速度は非常に大きかったと考えられます。公開されている飛行航跡からも、ANA968便の乗員は瞬時の判断を求められる極めて緊迫した状況に置かれていたことがうかがえます。
この回避行動から数秒後、ANA968便は管制官へ「衝突は回避しました。ゴーアラウンドします」と通報しています。
一方、その後の交信では、管制官が飛行検査機に対し「到着機は見えていましたね」と確認すると、「はい、見えていました」と回答しています。
さらに管制官が「進入機が来ていたのは見えていましたか」と問い掛けると、飛行検査機は再び「はい、見えております」と返答しています。
これを受け、管制官は「あー、着陸機はゴーアラウンドしました」と伝え、飛行検査機は「了解しました」と応答しています。
公開されている航跡を見る限りでは、TCASによる回避操作を実施したのはANA968便側であり、飛行検査機には大きな回避行動は見られませんでした。
さらにANA968便は、ゴーアラウンド中に別のANA844便との間隔も考慮しながら飛行経路を調整し、その後ビジュアルアプローチ(視認進入)で再び滑走路へ向かい、数分後に無事着陸しています。
もちろん、現時点では交信記録や飛行航跡だけで、誰に責任があったのかを断定することはできません。管制指示の内容、目視間隔維持の責任、レーダーデータ、TCASの記録などを総合的に解析しなければ、最終的な評価はできないでしょう。
そもそも私は、航空事故や航空インシデントについて、犯人探しをすることにはあまり意味がないと思っています。
航空事故の歴史を振り返ると、安全性が向上してきた背景には、事故だけでなく「もう少しで事故になるところだった」という数多くのインシデントやニアミス事例を徹底的に分析し、その教訓を運航や管制のルールへ反映させてきた積み重ねがあります。
今回は国土交通省が「重大インシデントには該当しない」と判断しています。しかし、TCASが作動し、旅客機がゴーアラウンドを余儀なくされたという事実は、決して軽いものではありません。
しかも場所は、昨年1月2日に海上保安庁機と日本航空機が衝突・炎上する事故が発生した羽田空港です。あの事故では、日本航空機の乗客乗員379人全員が脱出できた一方、海上保安庁機では5人が亡くなるという痛ましい結果となりました。
その教訓を考えれば、「危険性は低かった」という結論だけで済ませるのではなく、「なぜここまで接近したのか」を徹底的に検証する姿勢こそ重要ではないでしょうか。
航空の安全は、一つ一つのインシデント事例をしっかりと認識し、研究し、対策を講じることで築かれてきました。犯人探しをすることに意味はありません。今回は重大インシデントには値しないとの判断ですが、一歩間違えば大変な事態になっていた可能性があったことも事実です。
昨年、羽田空港で海上保安庁機とJAL機の衝突事故が発生したばかりだからこそ、このようなニアミス事例については、危険性が低いと判断された場合であっても重大インシデントとして扱い、運輸安全委員会による詳細な調査報告書が作成・公表される仕組みにした方が、将来の航空安全につながるのではないかと思っている私です。
2026年08月07日 06:20
7年前、私は「新聞の未来」についてブログを書きました。それは、近所の方から「小学生の子供が学校から古新聞を持参しろと言われたので分けて欲しい」というものでした。その方は、「お友達も困ってるから多めに欲しい」と言っていました。つまり、その方が新聞を購読していないだけでなく、同級生の各家庭も同様だったということになります。その時期から、すでに周囲から新聞購読者が劇的に減っていたのかもしれません。
広告代理店に勤務していた25年以上前の新聞メディアは超人気で、私は通販企業のお得意様を受け持つ営業として、読売新聞や朝日新聞をはじめとする各紙のテレビ面の確保に四苦八苦しておりました。それほど人気メディアだったわけです。
実際に広告が掲載されると、早朝から注文の電話が鳴り、広告効果も相当なものがありまして、たまに掲載予定日を間違えたりすると、コールセンターにいる全受注スタッフの方々から総攻撃を受けたりすることもありました。つまり広告主側の期待度も高かったわけです。
今も通販クライアント様のお手伝いをさせていただくことはありますが、現在の主戦場は完全にネットです。主要4メディアと言われたテレビ・ラジオ・新聞・雑誌は、明らかにその存在感が低下しているというのが実情です。
2025年には、朝日新聞が土日祝の夕刊を休止しました。同じ頃、産経新聞は夕刊自体を廃止しました。この年は夕刊フジの休刊もあり、地方紙も含めると、結構な数の新聞社が様々なリストラクチャリングに入って行きました。
今回、産経新聞が「2026年11月末で東北6県での紙の新聞発行を休止」すると発表しました。用紙代や輸送費の高騰などが理由とされていますが、東北の読者は今後、電子版が中心になります。取材網は維持されるとのことですが、毎朝新聞が自宅に届くという当たり前の日常は終わりを迎えます。
新聞社は、自前で取材して記事を書き、自前の印刷所で印刷し、自前のネットワークで新聞を個別家庭や企業まで送り届け、自前で集金までやるという、民間放送局とは全く異なる手法でメディアを構築していました。
新聞社同士は長年ライバルとして切磋琢磨し、朝刊のスクープを競い、それぞれが自社の新聞を自前のネットワークで送り届けることに誇りを持っていました。
ところが今は、複数の新聞を配達する販売店も少なくありません。新聞社が、会社の垣根を越えて「一緒に届けてもらう」時代になったという事実に、私は時代の流れを感じずにはいられません。
私は新聞業界の人間ではありません。それでも、広告業界で長く仕事をしてきた人間として、新聞には特別な思いがあります。新聞広告を作り、折込チラシを企画し、発行部数や到達率を真剣に考えていた時代がありました。
何十年間もの間、朝インクの匂いがする新聞を広げることが、一日の始まりでした。朝は駅の売店でスポーツ紙を買い、帰宅時は日刊ゲンダイや夕刊フジといったタブロイド紙を買うのも当たり前のことでした。
思えばいつからそんな日常が消えてしまったのでしょう。まだ紙の新聞を配達してもらっている私ですが、その紙は自宅ポストからゴミ箱へ直行しているのが実情です。なぜなら朝5時にはスマホで読める電子版ですでに読み終わっているから。6時に届く紙の新聞を開ける習慣は無くなってしまいました。
もちろん時代は変わります。電子版へ移行すること自体を否定するつもりはありません。それでも、長年親しまれてきた新聞の販売エリアが縮小され、夕刊が姿を消し、配達網までも維持できなくなっていくニュースを目にすると、どこか胸が締め付けられる思いになります。
新聞がなくなるということは、単に一つのメディアが減るという話ではありません。それは、日本の情報文化や地域社会を支えてきた仕組みが、一つずつ静かに姿を消していくということでもあるのではないでしょうか。
7年前に書いた記事では、「新聞がなくなる日が来るのだろうか」と半ば未来の話として考えていました。しかし今、その未来は確実に近づいています。便利さと引き換えに、私たちは何を失おうとしているのか。そんなことを、産経新聞東北撤退のニュースを見ながら、改めて考えさせられました。
阪神淡路大震災の当日や翌日も、電気もガスも水道も止まっていたにもかかわらず、朝刊は届けられました。エレベーターが動かないため、新聞を取りに10階から1階まで階段を往復したのですが、それも苦ではないほど、苦しい状況の中で唯一の情報源として届く新聞は、喜びであり感動でした。
テレビは停電で映らず、インターネットもスマートフォンもない時代です。被害状況や交通情報、支援の動き、行政からのお知らせまで、それらを知る手段は新聞しかありませんでした。極限状態の中で届けられた一部の新聞には、「ここまで届けてくれたのか」という感謝の気持ちしかありませんでした。
震災発生当時、神戸三宮にあった神戸新聞本社は全壊し、新聞発行の危機に直面しましたが、災害発生時の協定に基づき、京都新聞の協力を得て当日の夕刊ですら休むことなく発行を続けました。この時ほど新聞メディアの持つ底力の凄さを感じたことはありません。
だからこそ、私は新聞という存在に特別な思いがあります。
時代の流れの中で、紙から電子版へ移行することは避けられないのでしょう。それでも、何十年にもわたって日本の情報インフラを支え、災害時には命をつなぐ情報を届け続けてきた新聞という文化が、静かにその役割を終えようとしていることには、やはり寂しさを覚えます。
新聞が消えていくことは、一つの企業の問題ではありません。それは、日本人の暮らしの中にあった一つの文化が幕を閉じようとしているということなのかもしれません。
その日が来るまで、私は紙の新聞を購読し続けようと思います。
2026年08月06日 15:22
イオンモール熊本の爆発事故で従業員3人が犠牲になったことを受け、オンワードホールディングスは「帰宅に必要な貴重品を常に携行すること」を新たなルールとして導入すると発表しました。これまで多くの職場では、「私物はロッカーへ」「仕事中はスマホを触らない」というルールが当たり前でした。接客業や工場、商業施設などでは、勤務中にスマートフォンを身につけること自体が認められていないケースも少なくありません。
しかし、大規模災害や火災、爆発などの緊急事態では、そのルールが避難の妨げになる可能性があります。
「スマホだけ取りに戻る」
「財布や鍵を取りにロッカーへ向かう」
そんな数十秒の行動が、生死を分けてしまうこともあります。
そのため、「避難時に必要なものは最初から身につけておく」という考え方へ、大きく舵が切られ始めました。
これは単にオンワードだけの話ではなく、今後は多くの企業や商業施設へ広がっていく可能性があります。
災害時避難の原則は、「避難したら(物を取りに)戻らない」です。そのためには、そもそも取りに戻る必要がない環境を作ることが重要になります。
スマートフォン、財布、家や車の鍵、社員証など、帰宅や安否確認に必要なものは常に携帯する。
イオンモール熊本の悲劇は、日本の職場に新しい安全ルールを生み出す、大きな転換点になるのかもしれません。
2026年8月1日に、ひろゆきさんは大手銀行の住宅ローン固定金利引き上げのニュースを引用し、Xで次のように投稿しています。「住宅ローンを5000万円借りると、毎月16万円支払いをしても、元本が増え続ける時代になりました。都内23区で平均年収の人がマンション買うのは不可能なのでは?」
私は住宅ローンを10年固定で契約し続けていますが、今年5月が更新のタイミングでした。従来の固定金利1.05%から4.0%へと上昇したことは、以前のブログでも書いたとおりです。
その記事を書いた3か月前には、「年利4%なんて本当ですか?」「そんな高い金利の銀行があるのですか?」というコメントを複数いただきました。しかし現在では、住宅金融支援機構のフラット35でも、イオン銀行や楽天銀行で3%台前半、銀行によっては固定金利が5%台という商品も珍しくありません。もはや住宅ローン金利が変動で5%という数字も、決して非現実的なものではなくなっています。
では、ひろゆきさんの言う「毎月返済しても元本が増え続ける」という状況は、本当に起こり得るのでしょうか。
そこで、変動金利で「5年ルール」「125%ルール」が適用される住宅ローンを想定し、シミュレーションしてみます。
【シミュレーション条件】
・借入額:5,000万円(2024年1月契約)
・返済期間:35年(元利均等返済/ボーナス払いなし)
・5年ルールあり(返済額は5年間据え置き)
・125%ルールあり(5年後の返済額は最大1.25倍まで)
・借入時適用金利:0.3%(2024年1月)
・2年目:1.75%
・3年目:3.0%
・4年目:4.0%
・5年目以降:5.0%で固定
【シミュレーション結果】
・1年目(0.30%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,864万円
・2年目(1.75%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,798万円
・3年目(3.00%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,792万円
・4年目(4.00%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,792万円/未払利息:約41万円
・5年目(5.00%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,792万円/未払利息:約130万円
・6年目(5.00%)返済月額:約15.7万円/年末元本残高:約4,792万円/未払利息:約182万円
このシミュレーションでは、金利が4%に達した時点で毎月発生する利息が返済額を上回り、支払い切れなかった利息が「未払利息」として積み上がることが分かりました。
変動金利には「5年ルール」と「125%ルール」があるため、金利が急上昇しても返済額はすぐには増えません。一見すると家計に優しい制度に見えますが、その間も利息は増え続けます。結果として、返済額が利息にも届かない期間は未払利息が積み上がり、元本はほとんど減らないという状況が生まれます。
さらに、多くの金融機関では5年ごとの見直し時にも125%ルールが適用されるため、返済額は段階的にしか増えません。
このシミュレーションでは、
・11〜15年目:返済月額 約19.6万円
・16〜20年目:返済月額 約24.5万円
・21〜25年目:返済月額 約30.6万円
・26〜30年目:返済月額 約38.3万円
・31〜35年目:返済月額 約47.8万円
と、5年ごとに返済額は増えていきます。
しかし、それでも20年間近くは元本がほとんど減らず、返済期間の終盤になってようやく元本返済が本格化します。そして今回の条件では、35年間返済を続けてもなお約387万円の元本が残るという結果になりました。これは最終回に返済が必要となるのでしょう。
もちろん、実際の住宅ローンは金利の動きや各銀行の未払利息の扱いによって結果は変わりますし、このような極端な金利上昇が現実に起こるかどうかも分かりません。しかし、「5年ルール」「125%ルール」があるから安心とは言い切れないことは、このシミュレーションから見えてきます。
住宅ローンを組むときは、現在の返済額だけではなく、「もし金利が5%まで上がったらどうなるのか」という最悪のケースも、一度シミュレーションしておくことをおすすめします。
ご利用は計画的に。
2026年08月05日 06:21
災害時に多くの命を奪い続ける「正常性バイアス」というものがあります。しかし、その重要性に警鐘を鳴らしているメディアは、決して多くないように感じます。これは、危険な状況下でも事態を過小評価してしまう心理的メカニズムです。恐怖や不安から心を守るための働きでもあり、これがあるからこそ、自動車が走る道路の近くを平然と歩けたり、安全確認や一時停止を十分にせず自転車で交差点へ進入してしまったり、旅客機にも平常心で乗ることができるとも言えます。
しかし、この心理は災害時には多くの命を奪ってきました。例えば台風の際、「まだ避難しなくても大丈夫」と自宅にとどまり命を落とした方は少なくありません。韓国・テグ地下鉄放火事件でも、運行側と乗客の双方に正常性バイアスが働いた結果、多くの方が避難の機会を失いました。
自動車免許を取得した方なら、教習所や免許更新時に「大地震が発生したら車を道路脇に寄せ、キーを付けたまま避難する」「むやみに車で移動しない」と教わったはずです。しかし東日本大震災では、比較的被害の少なかった東京でも大量の車が道路へあふれ、大渋滞が発生し、緊急車両の通行にも大きな支障が出ました。
「電車が止まったから迎えに来てもらおう」「15分くらいだから車で迎えに行こう」。一人ひとりに悪気はなくても、その積み重ねが都市全体の交通を麻痺させます。これも正常性バイアスの典型例と言えるでしょう。
私は阪神・淡路大震災発生時、神戸・六甲アイランドで被災しました。地震発生から約15分後、奇跡的につながった携帯電話で会社の上司から指示を受け、車で神戸国際会館(旧会館)と三宮ターミナルホテルへ向かいました。
その理由は、震災当日から3日間にわたり坂本冬美さんの招待公演が予定されていたためです。会場は旧神戸国際会館、スタッフの宿泊先が三宮ターミナルホテルでした。
旧神戸国際会館は完全に崩壊し、公演どころではない状態でした。一方、三宮ターミナルホテルではスタッフ全員の無事を確認できました。(坂本冬美さんは大阪マルビル宿泊だったため無事でした。)
その後、「新神戸オリエンタルホテルも見てきてほしい」と再び指示を受け、私は車を走らせました。数日後に倒壊した柏井ビルの前も通過しています。
道中で目にしたのは、倒壊した建物、高架道路、そして各地から立ち上る炎でした。水道筋商店街やJR六甲道駅南側では、火災の熱で車の窓ラバーが変形するほどでした。
今振り返ると、私にも上司にも正常性バイアスが働いていたのだと思います。本来なら「まず避難しよう」と判断すべき状況でした。しかし私は会社の指示どおりに行動し、その結果、救助活動をすることもなく終わってしまいました。
今回のイオンモール熊本でも、同じような心理が働いた可能性はあるのではないでしょうか。
商業施設で働いている立場で、「建物の安全確認が終わるまで絶対に中へ入らない」と、とっさに判断することは簡単ではありません。もし「バックヤードに私物や売上金が残っている」と伝えられれば、「入れるなら気を付けて対応して良い」と考えてしまう人がいても不思議ではありません。
だからこそ、災害時には「会社に言われたから」「頼まれたから」ではなく、まず自分の命を守ることを最優先に考えてください。命があれば、仕事は後からでもできます。しかし、一度失った命だけは、二度と取り戻すことはできません。
そして重要なのは、「災害発生」の連絡を受けた人は、それが家族・上司・部下・友人・知人に関係なく、「身の安全を確保して車は使わず避難しなさい」と伝えることでしょう。
私自身の震災体験をお伝えしているのは、過去を振り返るためではなく、これから起こるかもしれない災害で、一人でも多くの命が救われてほしいという願いからです。
このたびの地震でお亡くなりになられた皆様に、心よりお悔やみ申し上げますとともに、ご遺族の皆様に深くお見舞い申し上げます。
また、現在も行方が分からない方々が一日も早く発見され、ご家族のもとへ戻られることを心からお祈り申し上げます。
追伸)
阪神・淡路大震災発生時(朝6時前)、地震から10分ほどで当時電通に赴任していた父親へ電話がつながりました。しかし返ってきた言葉は、「早朝から地震ぐらいで電話してくるな!」でした。弟が電話した時も同様だったそうです。
今思えば、これも正常性バイアスだったのでしょう。岡山では大きな被害がなかったため、神戸で何が起きているのか想像できなかったのだと思います。
その後、13時過ぎに父から再び電話があり、「部下の実家があるので見に行ってくれ」と頼まれました。
当時はGoogleマップなどなく、地図帳を頼りに現地へ向かいました。しかし、その場所は木造家屋が密集する地域で、多くの住宅が倒壊し、路地も道路もがれきで埋まり、電柱も何本も倒れていました。目的の家を見つけることさえ困難で、とても足を踏み入れられるような状況ではありませんでした。
その後、そのご実家ではお母さまがお亡くなりになっていたことを知りました。
正常性バイアスは、誰にでも起こり得る心の働きです。だからこそ、「自分だけは大丈夫」「まだ大したことはない」という気持ちが湧いた時ほど、一度立ち止まって考えてください。
災害時に最優先すべきことは、仕事でも財産でもなく、自分と大切な人の命を守ることだと思ってます。
2026年08月04日 05:56
大震災が発生すると、被災地には全国から大量の救援物資が届きます。ところが、まことに残念なことですが、その多くは「プッシュ型支援」です。つまり、被災地のニーズを確認してから送るのではなく、「今必要だろう」という判断で全国から一斉に送られてくるため、どこに何が届くのか分からないのが現実です。
1995年の阪神・淡路大震災では、「神戸に届けてくれ」とだけ言われたトラックドライバーが数多くいました。東側から神戸を目指したドライバーの多くは、神戸市に入って最初に目に入る自治体庁舎である東灘区役所へ向かいます。
激しい火災が何日も続く中、阪神高速道路は倒壊によって通行止めとなり、大型トラックは一般道へ降ろされました。そして区役所前で荷下ろしをしようとします。しかし、10トントラック1台分の荷物は膨大な量です。積み込む時はフォークリフトで載せられた荷物を、被災者であふれ返る区役所で人力だけで降ろすのは、現実的ではありませんでした。
ドライバーさんも関東や中部地方から何十時間もかけて神戸まで来ています。燃料にも限りがあり、一刻も早く荷物を降ろして帰路につきたい。一方、受け入れ側には人手も保管場所も足りない。現場では押し問答が続いていました。
その結果、東灘区役所には物資が山積みになっているのに、隣の灘区や中央区では必要な物資が不足するという偏りが発生しました。さらに旧神戸市役所庁舎では水道局部分が倒壊し、水道復旧にも大きな支障が出るなど、物流だけでなくライフライン全体が混乱していました。
2016年の熊本地震でも同じような光景を目にしました。熊本城近くの熊本県庁前には10トントラックが何十台も並び、県庁職員が懸命に荷下ろしをしていました。しかし、その作業速度では到底追いつきません。「この荷物、本当に全部降ろしきれるのだろうか」と感じたほどです。
そんな中で素晴らしい判断をされたのが、当時の熊本市長・大西一史市長でした。当時はまだ活用する方が少数だったツイッター(現エックス)を使って以下の発信をしたのです。
「物資は総合運動公園へ運んでください」
「手の空いている方は総合運動公園のボランティアに来てください」
これが見事に機能しまして、大型トラックが目的地を総合運動公園へと変更することで、駅前や県庁周辺のトラック住宅は一気に解消。熊本にある陸上自衛隊・西部方面総監部の部隊が荷下ろしと仕分けを指揮しつつ、駆け付けた多くの中高生ボランティアがジャンジャン運ぶという体制が、一瞬で整備されました。
そして、この一連の経験から私が皆さんにぜひ知っていただきたいことがあります。それは「救援物資は座って待っていても届くとは限らない」ということ。
「避難所にいれば誰かが持って来てくれる」「行政が各家庭へ配ってくれる」と考えてしまいがちですが、現実にはそこまで人手はありません。道路事情も悪く、職員も被災者です。物流網が正常に機能するまでには時間がかかります。
実際には、「○○小学校に水が届いた」「△△公民館で紙おむつを配布している」「□□体育館には毛布がある」といった情報を自分で集め、受け取りに行く人ほど早く必要な物資を手にできるのです。
もちろん、高齢者や障害のある方など、自力で取りに行けない方への支援は必要です。しかし、体が動く方まで全員が「誰かが持って来てくれる」と待ち続けてしまうと、限られた人手が配達に追われ、本当に支援が必要な方への対応が遅れてしまいます。
災害時の救援物資は「公平に家まで届けられるもの」ではありません。どこかに集中的に届き、そこから人が取りに行く形になることがほとんどです。そのため、平時から地域の情報網を知り、町会や自治会、SNS、防災無線などを活用して「今、何がどこにあるのか」という情報を得ることが、とても重要になります。
大震災では「物がない」のではなく、「必要な場所へ届いていない」ことが少なくありません。だからこそ、救援物資は待つものではなく、情報を集めて取りに行くもの。この現実を知っておくだけでも、被災直後の行動は大きく変わるはずだと思っている私です。
2026年08月03日 07:01
その昔、近鉄奈良線の菖蒲池駅前に「近鉄あやめ池遊園地」という遊園地がありました。今日はその思い出話を書きたいと思います。私はこの遊園地の存在を、1991年に23歳になるまで全く知りませんでした。ただ、この場所で毎年開催されていた朝日放送ラジオの公開録音イベントに、ジャニーズの人気グループが出演していたことから、この遊園地と関わることになります。
1990年は大阪で「国際花と緑の博覧会(花の万博)」が開催され、バブル景気の真っただ中ということもあって、関西各地でさまざまなイベントが開催されていました。
その前年には、それまで日本の歌謡シーンを彩ってきたTBS「ザ・ベストテン」が放送終了。ジャニーズ事務所は、光GENJIという絶対的な人気グループを抱えながらも、テレビ中心だった戦略が大きく揺らぎ始めていました。そんな中で新たな活路として力を入れ始めたのが、全国各地のイベント出演やバラエティ番組への進出でした。
当時のジャニーズ事務所には光GENJIと忍者というグループがおり、歌番組全盛期にデビューした彼らは、売れていることが当たり前という雰囲気でした。周囲にも「俺たちをチヤホヤしろ」と言わんばかりのオーラを放っていましたが、一方で人気は確実にピークを過ぎ始めていました。
そんな状況の中で、ジャニーさんは新たな展開を模索し続け、1991年9月、SMAPが誕生します。
ところがデビュー当初はテレビでのプロモーションはほとんどなく、西武園ゆうえんちで開催されたデビューイベントは、台風接近による土砂降り。ファンも芸能記者も全身ずぶ濡れになりながら見守るという、まさに伝説のようなスタートでした。
当然ながらメディア露出も少なく、世の中に「SMAPがデビューした」という事実すら十分に伝わらない状況でした。その一方で、事務所には光GENJIや忍者という既存グループをどう次の時代へつないでいくかという課題もありました。
そんな事情もあって、当時は日本最大のスーパーマーケットチェーンだったダイエー各店で光GENJIメンバーによる握手会が開催されたり、ダイエーのレシート応募形式による忍者のコンサートが全国各地で実施されたりと、テレビ以外の場所でファンとの接点を増やす取り組みが積極的に行われていました。
その流れの中で朝日放送ラジオが企画したのが、近鉄あやめ池遊園地の野外ステージで行われた公開録音ライブでした。スタンド席に入場できるのは、ラジオ番組へ応募して抽選に当選したリスナーだけ。今では考えられないほど贅沢なイベントだったと思います。
私が最初に関わった1991年は光GENJI、1992年は忍者、そして1993年はSMAPだったと記憶しています。しかし、現在インターネットで検索しても当時の記録はほとんど見つかりません。
今となっては、まだデビュー間もないSMAPをあの距離で見られたイベントは、本当に貴重な機会だったのだと思います。
一方、この遊園地にはもう一つ、大きな歴史がありました。
NHK連続テレビ小説「ブギウギ」に登場した「梅丸少女歌劇団(USK)」は、「OSK日本歌劇団」をモデルにした作品ですが、そのOSK日本歌劇団が長年活動の拠点としていたのが、この近鉄あやめ池遊園地だったのです。
23歳になるまで遊園地の存在すら知らなかった私ですから、当然ながらOSK日本歌劇団の存在も知りませんでした。阪急電鉄グループの宝塚歌劇団と並ぶ歴史ある歌劇団が、近畿日本鉄道グループにも存在していたことを、この時初めて知りました。
園内には「あやめ池円型大劇場」という専用劇場があり、劇団員を育成する「日本歌劇学校」も併設されていました。イベントの仕事で現地へ通うようになって初めて、この遊園地が単なる遊園地ではなく、長い歴史を持つ文化施設でもあったことを知ったのです。
しかし、その歴史にも終わりが訪れます。
決定打となったのは2001年のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の開業でした。宝塚歌劇団の本拠地・宝塚大劇場の隣にあった宝塚ファミリーランドも、USJ開業後の2003年に閉園。そして、その翌年の2004年には近鉄あやめ池遊園地も閉園となります。
それに先立つ2002年には近鉄グループがOSK日本歌劇団への支援打ち切りを通告し、2003年には劇団が一旦解散。幸い2004年に復活を果たしたものの、当時の近鉄グループがいかに厳しい経営状況に置かれていたかを物語っています。
2004年には近鉄バファローズも球団の歴史に幕を下ろしました。鉄道会社が遊園地や球団、文化事業まで幅広く支えていた時代が終わりを迎え、大きな時代の転換点だったのだと思います。
閉園から20年以上が経過した現在、その跡地には「近鉄あやめ池住宅地」が広がっています。今、この場所に遊園地があったことを知る人は、年々少なくなっていることでしょう。
閉園した遊園地は全国各地にありますが、私にとって近鉄あやめ池遊園地は、単なる遊園地ではありません。イベント制作の仕事を始めたばかりの頃、多くのことを学び、多くの出会いがあり、数え切れない思い出を残してくれた場所です。
そして振り返ってみると、あの場所には様々なエンタテイメントの歴史がありました。あの時代に同じ現場へ立ち会えたことは、本当に幸運だったと感じます。
遊園地は姿を消しても、そこで過ごした時間や思い出まで消えることはありません。私にとって近鉄あやめ池遊園地は、1990年代という時代の空気と、イベント業界で夢中になって走り回っていた若き日の自分を思い出させてくれる、大切な場所となっています。
何かの機会があれば、またあの場所へ行ってみたいと思っている私です。
PS) じつはこのジャニーズイベントは、毎度帰京時にトラブルが発生しておりまして、新大阪駅でファンにモミクチャにされたジャニーさんだけが新幹線に乗り遅れたり、伊丹空港のセキュリティチェック列の鉄柵を集まったファンの重みで倒れたりと、いろいろなことがあったのですが、それらはまた思い出した時に書きたいと思います。
2026年08月02日 06:22
この記事を書くのは何度目でしょうか。それでも思い出した時しか書く機会がないので、何度でも書きたいと思います。大震災で生死を分ける最初の分かれ目は、発災直後に生きているかどうかです。ドーンという激しい揺れから数分で、大半の方の生死は決まってしまいます。次は動けるかどうかの確認です。閉じ込められたり、家具や建物の下敷きになったりした場合は、救助が来るまで生き延びる必要があります。ただ、多くの方は生きていて、体の自由が利く状態だと思います。
生きていて自由が利く方は、ここから延々と続く余震への恐怖に耐える数日間を過ごします。本震と同じような揺れが何度も襲ってくるため、どんな小さな地震でも「またあの揺れか!?」と体が敏感に反応するのです。ちなみに阪神・淡路大震災では、発生初日に644回(うち有感地震62回)もの余震が観測されました。
多くの方は、多少の被害があっても自宅避難を選ぶはずです。一部の方は避難所へ向かうでしょうが、覚悟しなければならないのは、「避難所を運営するのは避難民自身」という現実です。
当たり前ですが、自治体職員も町会役員も消防団員も、みんな同じ被災者です。避難所へ行けば誰かが炊き出しをしてくれて、何でも準備されていると思ったら大間違いです。自宅の片付けが一段落する翌日、あるいは翌々日になって、ようやく本格的な運営が始まるケースも少なくありません。
そして、多くの方が地獄を見るのがトイレです。
あなたの家や避難所のトイレは何年前に設置されたものでしょうか。1990年代の製品なら1回流すのに約13リットル。少し新しいものでも約8リットル。最新の超節水型でも5リットル弱です。さらに古い便器なら20リットル近く必要なものも珍しくありません。
これ、断水すると流れないのです。
流すにはバケツで大量の水を流し込む必要があります。しかし、飲み水すら不足する状況で、トイレに何リットルもの水を使えるはずがありません。
その状況でトイレを使った場合、最初の1回目はタンクに残っていた水で何とか流せます。しかし2回目は水がありません。それでもレバーを回すので、便器内の水だけが抜け、肝心の便は残ります。
その状態で便器にためられるのは何人分でしょうか。せいぜい2人分が限界でしょう。つまり、3人目が使った時点で、そのトイレは実質的に使用不能になります。
ところが、人間はトイレを我慢できません。
使えないと分かっていても次々と利用され、やがてトイレットペーパーがなくなると、水に溶けないティッシュペーパーや新聞紙、ウェットティッシュまで便器へ入れられるようになります。そうなると詰まりはさらに悪化し、悪臭も急速に広がっていきます。
これは避難所だけの話ではありません。自宅避難している家庭でも全く同じことが起こります。流せないトイレしか使えなくなった人たちは、「どこか使えるトイレはないか」と避難所や自治体施設へ集まってきます。そして発災から数時間もすれば、多くの避難所では水洗トイレが使用禁止になるのが現実です。
10年前の熊本地震でも、この光景を目の当たりにしました。益城町の避難所に着いた時には、すでにトイレは悲惨な状態になっていました。誰かが悪いのではありません。人間は食べれば必ず排泄する生き物だからです。
そんなわけで、私は各所で簡易トイレの備蓄をお勧めしています。分かりやすく言えば、大人用のおまるです。できればそれに加え、トイレ用の小型テントと、簡易トイレにも通常の便器にも使える携帯トイレ(凝固剤入りの処理袋)を備えておけば理想的です。
品川区では2年前、携帯トイレを全区民へ配布しました。しかし、それだけでは十分とは言えません。通常の水洗トイレが使えなくなった後でも使用できる簡易トイレがあれば、被災後の生活環境は劇的に改善されます。
阪神・淡路大震災の頃は、防災備蓄といえば缶入りカンパン程度しかありませんでした。その後、アルファ米や保存水などが充実した背景には、「もっと良い避難生活を送りたい」という被災者の声がありました。
しかし現実には、食料が本当に不足して困るのは最初の数日間です。その状況で「少しでもおいしい物を」「温かい食事を」と言う人は、実際にはそれほど多くありません。
昔からある三立製菓の缶入りカンパンには、カンパンだけでなく氷砂糖も入っています。それだけでも命をつなぐ最低限の栄養補給はできます。食べる量を抑えれば排泄も少なく済みます。飲料水さえ確保できれば、救援物資が届くまで何とか持ちこたえることはできるでしょう。
私が本当に備えてほしいと思うのは食料よりもトイレです。人間の尊厳は、食事だけでは守れません。安心して排泄できる清潔なトイレがあって初めて、避難生活の最低限の尊厳が保たれるのです。
防災用品を一つだけ買うなら、私は迷わず簡易トイレを勧めます。それが、大震災を経験した私が何度でも伝えたいことです。
2026年08月01日 04:54
防衛省が公開したイオンモール熊本の内部映像を見ると、まるで福島第一原発事故でロボットが撮影した建屋内部映像のような壊れ方をしていることが分かります。福島第一原発では、水素爆発によって建屋が大きく破壊されました。一方、LPガスや都市ガスによる爆発事故は、一般的には「爆燃(ばくねん)」と呼ばれる現象です。爆轟のように衝撃波が音速を超えて伝播する現象ではなく、通常はそこまでの燃焼速度には達しないとされています。
ただし、2018年12月に発生した札幌・アパマンショップ平岸駅前店の爆発事故では、小さな不動産会社で行われていた除菌・消臭スプレー缶のガス抜き作業によって可燃性ガスが室内に充満し、大爆発が発生しました。その爆風で隣接する居酒屋まで吹き飛び、一帯に甚大な被害が及んだことは記憶に新しいところです。
この事故では、冬の北海道で窓を閉め切っていたことに加え、スプレー缶に使われていた可燃性ガスにはLPガスのような強い臭いが付けられていなかったため、誰も危険に気付くことができませんでした。密閉空間に可燃性ガスが滞留することの恐ろしさを改めて示した事故だったと思います。
あの事故を見た時、私は、「密閉空間に大量の可燃性ガスが滞留すると、爆燃であっても爆轟を思わせるほどの破壊力になることがある」ということを強く印象付けられました。
今回のイオンモール熊本の映像も、見た目の印象としては、それに近いほどの強烈な爆風だったように感じます。
テレビでは「LPガスは都市ガスより燃焼力が大きいので、飲食店ではLPガスがよく使われる」と説明している場面を見かけます。しかし、私はこの説明には少し違和感があります。
確かにLPガスは都市ガスより単位体積当たりの発熱量は大きいものの、ガス器具は使用するガスの種類に合わせて設計されています。そのため、同じ能力のガスコンロや厨房機器であれば、LPガスでも都市ガスでも調理時の火力に大きな差はありません。
飲食店でLPガスが採用される理由は、「火力が強いから」というよりも、都市ガスの供給状況や設備条件、災害時の運用などが関係しているのではないかと思います。
ガス漏れが発生した場合、LPガスは空気より重いため床付近に滞留し、都市ガスは空気より軽いため天井付近へ上昇します。そのため、ガス漏れ警報器の設置位置も異なります。また、どちらのガスにも保安上の理由から臭いが付けられています。
もし今回、建物内に爆発を起こすほど大量のガスが滞留していたのであれば、現場にはかなり強いガス臭が漂っていた可能性がありますし、警報設備も何らかの反応を示していた可能性があります。もっとも、実際に警報設備が作動したのかどうかは、現時点では公表されていません。
もちろん、今回の事故が水素爆発のような「爆轟」だったと断定することはできません。LPガスであれば通常は爆燃ですが、大量のLPガスが建物内に長時間滞留し、一斉に着火したのであれば、爆轟と見間違えるほど大きな爆圧が発生した可能性も考えられます。
商業施設は窓が少なく、気密性が高い建物が多いため、可燃性ガスが滞留しやすい条件がそろう場合があります。私は、地震が発生した時点でLPガスのバルク設備は自動的に供給が遮断されるものだと思っていました。今回、その遮断設備がどのように作動したのか、あるいは正常に作動したのかも、事故原因を解明するうえで重要なポイントになるでしょう。
昨夜、爆発のあったイオンモール熊本から約20km南のイオンモール宇城(うき)で、崩落した壁の下敷きになっている男性が発見され死亡が確認されました。7月28日の爆発があり、イオンモール宇城にも全員建物への立入禁止が出ていたのでしょうが、いくらなんでも発見が遅すぎると感じます。
現在、全国のイオンモールでは、計画されていた各種イベントの中止が次々と発表されています。理由は「抜本的な安全対策の見直しが必要」とのことですが、その意味では、他の商業施設でも同様に安全対策の見直しが必要なのではないでしょうか。
阪神・淡路大震災や東日本大震災の直撃を受けた身としては、震災発生時に被災地以外の地域が果たすべき役割は、「日常生活を続けること」だと思っています。
だからこそ、今回のような悲惨な事故が発生したことは重く受け止めるべきですが、通常営業は続けながらイベントだけを中止するという対応には、少し違和感があります。
抜本的な安全対策が必要なのであれば通常営業そのものを見直すべきでしょうし、通常営業を続けるのであれば、せっかくの夏休みイベントは実施し、その場で被災地への募金活動や支援活動を積極的に行う方が、多くの人の気持ちにも応えられるのではないかと感じています。
私たちが今すぐできることは、地震が発生した際、周囲の安全を確認したうえでガスの元栓を閉めることではないでしょうか。
一般家庭はもちろん、大型施設においてもガス遮断設備や緊急時の対応手順を改めて見直す契機となり、このような悲惨な事故が二度と繰り返されないことを心から願っています。










