HIPPO大野の雑記帳

ヒポポタマス社長のお仕事&プライベート日記

2024年09月

20240929_074309報道(バイクのニュース)が出ましたので報告させていただきます。

2024年9月8日に全日本ロードレース選手権オートポリスラウンドのST600クラスでの事故により亡くなられた芳賀涼大選手の追悼式が、岡山ラウンドの予選日である9月28日のST600クラス予選終了後にピットロード上で実施されました。

お父様の芳賀紀行氏が涙ながらに挨拶されておられて、あまりにも重い結果に心が痛むと同時に、私も涙が込み上げて来ました。

接触したライダーにまでお気遣いされておられる姿は、さすが世界で戦われて来られた元ライダーだと感じたと同時に、あまりにも人間が出来過ぎていて私には同じ事はできないと思いました。本当にお辛い状況の中ですごい方です。

亡くなった芳賀涼大選手はかえって来ない以上、生かされた者はこのロードレースという道を続けるしかない。そのことを参列した全員が感じたことと思います。

故人のご冥福を心よりお祈りいたします。
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先日9月27日に書いたブログ「石破さんが新総裁」で、「10月27日か13日投開票で総選挙」と書いた事について、「13日は無理」とか「新聞各社は11月と報道している」との声をいただきました。

ほとんどの自治体は、自民党総裁選の日程が8月20日に決定すると判明した8月上旬から徐々に「10月27日総選挙で準備、最短13日」と言われて調整に入ってます。「10月に選挙が入るのですみません」と言われた地域団体は山ほどあると思います。

そういう現場の話しは国会議員なんかに取材するより、その辺の少年野球チームとか老人会に聞いた方が早いかと思います。

最短で10月13日というのも、いつも解散総選挙の日程調整になると「最短 日」というのが付いてきます。

これは法律で「衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ」(誤字じゃないです)となっていて、投票日から少なくとも12日前に公示なので、本日解散で明日公示なら最短10月13日となります。

とはいえ、本日中に衆議院議員選挙のポスターを全自治体に発送する手続きを終えるのは現実的では無く、各候補者も「明日ポスター貼り!?」ってのは無理なので、最初から10月27日で決まっていた感じです。安倍政権下での最短は2014年の23日間でした。

昨夜の「Mr.サンデー」というテレビ番組で司会の宮根さんが「総裁選では与野党論戦が必要だと訴えてたのに早期解散って自民党にやられちゃってる」等と言ってましたが、ただでさえ嫌われ者の石破さんが選挙日程を変えたら早々に総スカンくらったことでしょう。

2008年にイージス艦あたごと漁船の衝突事故対応で防衛大臣だった石破氏がヘタを打ちまくったのを隠し、それを良く知る小野寺五典氏が政調会長、外務大臣が岩屋毅氏、防衛大臣が中谷元氏らしいので、情報の完全隠匿を図る体制はバッチリ!

とはいえ逆にその話しで早期体制崩壊を狙う防衛族や新旧自衛隊幹部も多いので、ジャンジャン当時の話しや証拠やネタが雑誌社やスポーツ各紙に流れているでしょうから、1年から2年のワンストップリリーフなのかも知れませんね。

石破さんと野田さんなら論戦はちゃんとしていて面白くないこと間違いナシなので、次期総理には面白い人をお願いいたします。

できれば、昔の韓国ノ・ムヒョン大統領のように突然美容整形を受けて目パッチリとかやって欲しいですけどねー。それと化AGA治療で髪フサフサとかね。そうやって国民ウケする総理になってもらいたいと思っている次第です。

Screenshot_20240926_140313_Chrome~2若者の車離れって話しが10年以上言われているのですが、今の車って高すぎる気がするんですよ。

私が20歳ぐらいの1988年って、ホンダシビックを例にあげると、4代目がデビューしたばかりでスポーツグレードのSiが143万円。3代目のワンダーシビックSiの中古が100万円を切るぐらい。2代目スーパーシビックの中古なら30万円切る価格でもありました。

バイクの2スト250レーサーレプリカモデルが50万から55万円ぐらいの頃なので、それだけあれば車も買えたんです。トヨタ86レビン/トレノのGT(APEXじゃないほう)も新車が130万円ぐらいだったし、61スターレットの中古も20万円ぐらいからアリ、みんな気軽に車を買って改造したものでした。

いまシビックのTypeRって500万円。一番安いのでも344万円超です。しかも中古を見ても2003年式のTypeRが100万円以上で売られてます。よほどレストアでもされてなければ古すぎてそんな価値ないと思いますけどねー。

ちなみに1988年だとロータスヨーロッパでも200万円を切る価格でありましたし、BMWの2002なんて100万円未満でゴロゴロしてました。時代が変われば変わるもんだとも思いますが、それにしても車が高すぎると思います。

いまって普通のサラリーマンでも車なんて買えないでしょ。若者の車離れどころか誰も買えないんですよ。軽の新車が200万円超えてますからね。昔はスズキアルトが新車で47万円でしたけどねー。

普通のサラリーマンですら新車が買えないのに、若者が700万円以上するアルファードに憧れたって買えるわけ無いし、落とし穴だらけの残価設定型カーリースや車のサブスクなんてのを使うぐらいなら、安い中古車を次々乗り潰すのが安く乗るコツかもですね。

今日カーセンサーで中古車検索すると、2015年式日産リーフが走行5.9万キロで乗り出し29万円でした。これはこれで電気自動車の値落ちがひどすぎる気がしますが、こんなのを気軽に乗るのを薦めていけば、若者が車に戻ってくるかもなーって思いました。

そんなことはさておき、本日は全日本ロードレース選手権岡山ラウンド決勝。サーキットだけでなくYouTubeでも視聴可能ですので、ぜひご覧ください。
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20240928_151225~2テレビ番組「秘密のケンミンSHOW」でも紹介されたキムラヤの「たくあんサラダロール」をはじめ高菜サラダや福神漬サラダは岡山に来たら絶対外せない菓子パンメニュー。

ただ県北部地域にはキムラヤが無いので手に入らないと思われがち。

ですけど「お弁当のつるや」がキムラヤグループなので少しだけ扱ってます。サーキットから近いのは吉井店。湯郷温泉の林野店も近い。津山周辺にはいっぱいあるし山田養蜂場の鏡野や院庄にもある。じつは一部のAコープでも取り扱っていて、湯郷温泉からすぐ近くのAコープみまさかにもあります。

そんなわけで複数店舗を回って差し入れを買うのが毎度のルーティーンとなっております。通常は前日買うのですが、全店朝6時オープンなので朝でも買えます。

でもキムラヤの一番人気はバナナクリームロール。密かに自分用にゲットしました。これこそ岡山のソウルフードです。

gooドシャースの地区優勝素晴らしかったですねー。相手がパドレスだったので、ドジャースの大谷選手と山本選手、パドレスのダルビッシュ選手と松井選手が揃ったというのも印象的でした。

山本選手は渡米1年目での優勝だから最高ですね。誰とは言いませんが、長く活動されてたのに一度も地区優勝もワールトシリーズ出場もできなかった選手もいますからね。ドシャースはこれで3年連続地区優勝なので、戦力が強化された今年の優勝は当たり前とされていたかもです。

それはさておき、アメリカで4大プロスポーツと呼ばれる物があるのですが、写真は各州でGoogle検索されるプロスポーツをビジュアル化したものです。

シアトルのあるワシントン州だとアメフトのシアトル・シーホークス。カリフォルニア州だとバスケのロサンゼルス・レイカーズといった感じ。では一番人気は?というと、圧倒的にアメフトのNHL。全米で約7割以上に支持されています。

NFLは32チームでシーズンが9月から1月。各チームは16試合を戦い、プレーオフを勝ち抜いたチームが最後のスーパーボウルで激突します。まあスーパーボウルの視聴率が40%超えですから、けた違いの人気ですよ。

次に人気なのがバスケのNBA。アメリカに29チームとカナダに1チームあって、シーズンが10月から4月。各チーム82試合を戦い、いろいろあって最後はNBAファイナルとなります。現在カナダのチームはトロント・ラプターズだけですが、昔はバンクーバーにもグリズリーズってのがありました。今は拠点がメンフィスになってます。

NBAは全米で約6割に支持されていますが、試合数が多い事もあってイメージとしてはNFLの半分以下の人気度って感じでしょうか。ただ、各チーム選手を15人しか登録できないので、所属選手はとんでもない尊敬を集めますし年俸はスゴイ事になります。

全米でも裕福なカリフォルニア州において、最大人気を集めるプロスポーツチームのロサンゼルス・レイカーズに所属する八村塁選手ってスゴイのです。ちなみに年俸は全450選手中101位の1,700万ドル。1ドル142円計算で約24億円です。

日本では人気のメジャーリーグと呼ばれる野球のMLBですが、アメリカのプロスポーツが冬場中心開催なのに対し、シーズンが4月から9月なのでポストシーズンの余興的な感じです。アメリカン・リーグ15チームとナショナル・リーグ15チームの合計30チームがあります。

うち29チームがアメリカで、1チームがカナダを拠点とするトロント・ブルージェイズ。以前はモントリオール・エクスポズというチームもありましたが、拠点をワシントンD.C.に移してワシントン・ナショナルズとなっています。

各リーグに西・中・東の3地区があり、各リーグ各地区5チームづつがリーグ戦や交流戦等をやって全162試合を戦い、その後ワイルドカードシリーズやディビジョンシリーズやリーグチャンピオンシップシリーズを経て両リーグの1位が決定し、ワールドシリーズへと進みます。

バンクーバーにもカナディアンズ(HP)というマイナー球団があり、2010年までオークランド・アスレチックス傘下、現在はトロント・ブルージェイズ傘です。球場はナットベイリー・スタジアム。まあまあボロい球場ですが、以前の草野球感丸出しの頃より劇的に良くなりました。

人気4位はアイスホッケーのNHL。アメリカの25チームとカナダの7チームの合計32チームで、シーズンは10月から4月。各チーム82試合を戦い、上位16チームがプレーオフトーナメントに進出し、優勝チームに贈られるスタンレー・カップを争います。

ホッケーはカナダの国技であり、バンクーバーにはカナックスというチームがあります。2004年のフジテレビ月9枠で放送されたドラマ「プライド」で、主人公の木村拓哉さん演じる里中ハルが最終回に日本人初のNHL入りと紹介されていたチームがカナックスだったりもします。

そんなわけで、野球シーズンが終盤に入るとアメリカはプロスポーツ真っ盛りとなります。ワクワクしますねー。今年はサンフランシスコ・49ersの対シーホークス戦が10月11日(金)と11月18日(月)にあるので、観に行くかどうか迷ってます。

今日はアメリカ4大スポーツの紹介でした。

20240927_205947本日宿泊している「ゆのごう館」さんは1994年に岡山でF1が開催された時のアイルトン・セナ氏の宿泊先だった場所だそうで、様々なゆかりの品が展示されてました。

この年は私は岡山県ならびに電通岡山支社よりF1メディア向けウェルカムレセプションを受託しており、企画構成演出をすべてやらせていただきました。

それがキッカケとなって1995年に電通から電通西日本が誕生した際に私も入社させていただくこととなるのですが、そこで営業担当になって山田養蜂場を受け持つこととなり、岡山県北部の津山や鏡野町に何度も訪問することになったのも昨日のことのようです。

ちなみに1995年のF1でもウェルカムレセプションやグリッドガール手配をさせていただきました。もう30年も経つんですね。まだ自分自身が生きてるって素晴らしいなー。ありがたいなー。全てに感謝しかないですよ。

写真は岡山駅前の桃太郎大通り。1996年はF1ではなく世界ツーリングカー選手権(ITC)が岡山で開催されることとなり、この目抜き通りを封鎖して実施される桃太郎まつりで、本物のメルセデスレーシングカーを展示して大々的にPRイベントをやりました。

当時の岡山放送営業担当は蜂谷さん。まだ津田さんは営業では無かったと思います。その節はお世話になりました。交通規制から30分で車両を置けるステージを設置して車両を搬入。撤去も同じ30分でやりましたねー。あれも企画から台本制作して進行までやったなー。

結局レースは中止になってしまいましたが、TIサーキット英田は岡山国際サーキットとして現存しており、そこにレース関係者として行けている事実は喜びでしかありません。サーキットの広報だった島内さんはテレビせとうちへ転職。いろいろ思い出しますね。

ITC岡山のPRビデオって私が全部編集してナレーターも私なんですよねー。誰か持ってたらYouTubeにアップして欲しいなー。オリジナルロゴを自分で作成してキーホルダーとかも作ったんだよなー。なんでも一人でやらせてもらえる地方支社のメリットを最大に享受してましたよ。

岡山支社時代、最後に制作したCMは岡山・高松・宇多津・米子ビブレの連合広告。支社の同僚の奥さんが元モデルということで出演していただき、閉店後の岡山ビブレで撮影させていただきました。この動画も誰かYouTubeにアップして欲しいなー。

本日は全日本ロードレース選手権岡山ラウンドの予選等が開催されます。来週もドリフトで岡山なのですがね。こちらにはYouTubeチャンネル「あかでみっくなかれっじ」の杏仁さんも出場です。いろいろ昔を思い出してジワっておりますが、本日もよろしくお願いいたします。
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きまりましたね
私が8月に書いたブログです。
恥を忍んで最後のチャンスなのでお願いしますと頼んだのでしょう。

10月27日か13日投開票で総選挙です。
運動会などの方は大変だと思いますが、本日から総選挙モードに突入したいとおもいます。

追伸) 総選挙が11月にずれ込む可能性もあるとのことで、いろいろなスケジュールの調整が必要になってきました。自民党のせいで投票所になる場所を借りている全国の人々に迷惑かけるのは良くないし、野党に準備時間を与える必要もないと思うので、予算委員会なんて開かず国会冒頭で解散してもらいたいです。

marumi以前にも書きましたが、ボキャブラリーの豊富な方々との会議がとっても時間がムダに感じられるのは私だけでしょうか?何を言ってるか分からないし、そもそも話してる本人が何を意味してるか分からず使ってる場合が多い。

例えば広告系だとストラテジックプランナーとかいう職業があるんですけど、かくいう私もそう言って説明されることも多々あるのですが、マーケターでもプランナーでも何でもいいんですよ。

ただこれを短くしてストプラとか言い出すと、大阪の地名を例に挙げれば「天神橋筋六丁目」を「テンロク」というのは良いけど、「西中島南方」を「ニシミナミ」と言ったり、「雲雀丘花屋敷」を「ヒバハナ」と呼んでるようなもんでサッパリ分からんのですよ。

しかも私の場合、最初のイベント会社にいる頃からお得先の経営企画室や社長室に入って、中長期計画を構築した上でイベントプランニングをやってたわけです。それこそ採用イベントも新入社員歓迎会も代理店表彰式も周年事業も全部やる。

それがイベント会社の仕事だと思っていたのに広告代理店に転職したら、売り企画だけになっちゃった。まじでビックリしました。販促キャンペーンとかCMキャラクター選びとかをやってるわけです。

お得意様の売上目標に従って、社員の採用計画や社員教育プログラムの構築や新規出店計画を練ってきたのに、そんなの全部無いわけです。

しかも売り場に物が置いてなければ広告なんてやっても意味が無いんですが、それにはセルインというプランニングが不可欠で、例えば問屋を通して売る物なら問屋さん向けキャンペーンが必要だし、大手流通向けにも棚取りキャンペーンが必要なんです。

例を挙げると店頭大量陳列コンテストといって店頭での陳列写真を送ってくれたら賞金50万円とかハワイ旅行なんてのは典型的なセルイン施策。

そろそろ使い捨てカイロの時期ですけど、これを100箱以上発注するだけで参加資格があって、用意したPOPを活用して素敵なディスプレーを作ったら賞金がもらえるなんて企画等はイベント会社時代は当たり前のように作ってました。

ハウスメーカー向け施策では「主婦向けリフォーム教室(全10回)」なんてやって、初級・中級・上級に分けてやってましたが、実際に水回りリフォームは多数ありましたし、建て替えまで至った事例も少なからずありました。

昔はテレビ雑誌ってのがあって、年末年始には「超特大号」が出るんですが、これを東販・日販といった本屋さんの問屋さんにあたる取次会社へ訪問して、営業さんと一緒に書店を回って、他雑誌のPOPやポスターをはがしてザ・テレビジョンに貼り替えるなんてキャンペーンもやりましたよ。

自販機にペタペタとシールが貼ってありますよね。あれも販促なんですよ。レジ前や冷蔵庫の中にユラユラ揺れるスイングPOPがあったりしますよね。あれもそう。店頭でウインナー等を焼いて試食させるのも同様。手法は無限大です。

そんなわけで、なんだかカッコ良さそうなボキャブラリーを披露している暇があったら、その辺に売ってるマーケティングの本を読んだほうがいいかなーって思ってますし、まず知識が無いのに無駄に会議するなら、丸投げしちゃったほうがええんちゃう?と思ったりしております。

企画書のコツは、平易な文章で誰にでも分かるように少ないページ数で仕上げること。分厚いのが好きって会社や自治体は、やってる感を出したいアホがいる証拠なので、付き合わない方が良いかと感じてます。

そんなこと書いてますが、昨日よりお仕事をお休みして岡山におりますことをお詫び申し上げます。なお自民党総裁選や兵庫県知事や袴田事件については、今朝のところは言及ナシとさせていただきます。

イチローさんのコメントを読んで思ったんですが、いいこと言いますねー。
前編
後編

努力は他人の評価。自身は信じたことをやり続けるしかない。指導者という人が正しい事を言ってるとは限らない。そうだよなー。そしてイチローさんは今も練習してるってのがスゴイ。スゴイ人はみんな同じような事を言ってるなーと感じました。


本田宗一郎(元経営者)の言葉

がんばっていれば、いつか報われる。
持ち続ければ、夢はかなう。
そんなのは幻想だ。

たいてい、努力は報われない。
たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢はかなわない。
そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。

けれど、それがどうした?
スタートはそこからだ。

技術開発は失敗が99%。
新しいことをやれば、必ずしくじる。
腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。

さあ、きのうまでの自分を超えろ。
きのうまでのHondaを超えろ。
負けるもんか。



王貞治(元スポーツ選手)の言葉

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。



志村けん(元お笑いタレント)の言葉

どんなに時代が進もうが、後退しようが、自分の信じた道を行くっていうのが、一番のような気がするね。

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概要)
6月18日14時15分に「静岡県立三ケ日青年の家」での野外学習に来ていた愛知県豊橋市立中学校の1年生94人と教諭5人が浜名湖での手漕ぎボート訓練に出発。20人乗り(全長約7m)と30人乗り(同9m)の2隻に分乗し、20人乗りには生徒18人と教師2人が乗っていた。
訓練開始前から大雨雷波浪洪水注意報が出ていたこともあり、15時半前に船から施設に「生徒たちがひどい船酔いでこれ以上こげない」と無線連絡。施設のモーターボート1隻が助けに向かい、えい航中に転覆した。転覆した船は教諭と生徒だけで指導員は乗っていなかった。
20人のうち19人は消防隊員によって救助されたが、女子生徒1名だけがボート内側にいて発見が遅れ死亡した。

詳細抜粋)
・注意報が出ていたが訓練実施
・えい航中に転覆するほどの波?風?
・1名のみ救助されていない事に気づかなかった

教訓)
・常に点呼(全員確認)することの重要性
・少しでも危険があれば即訓練中止

個人的な意見)
本件は後に被害者家族から裁判が提訴されましたが、当時引率教諭でボートの船長としてかじ取りと無線連絡を担当していた方と学校長には無罪が言い渡されています。施設の元所長については業務上過失致死の罪で禁錮1年6か月/執行猶予3年となっています。
船に水がたまった状態でえい航するなんて聞いたことが無く、普通ならバケツか何かで先に排水してからえい航するのですが、とんでもなくずさんな管理体制だったのかな?と思ってしまいました。本当にヒドイ話しです。

kouka能登半島地震の発生は今年1月1日16時10分。そして先日9月21日に豪雨災害が訪れました。東日本大震災の時は何度も被災地を訪れた私ですが、能登半島地震に関しては訪問が1度きりで、輪島まで行けていないなので詳しいことは分かりません。

ただ想像するに、東日本大震災でも震災後に川の水位や防波堤の高さが変わったのを各所で目にしていて、このまま大雨でも来たら一大事だと思ったし、市街地が壊滅した南三陸町の志津川は橋が自衛隊の仮設であったこともあり、少しの雨でも道路が橋ごと水没する感じでした。

東日本大震災では危惧だけで終わったのですが、今回は豪雨災害が発生してしまいました。震災発生から約9カ月経過した時点での災害。心折れますよ。

私が1995年1月17日の阪神淡路大震災の際に六甲アイランドで被災した時は、電気・道路・水道・ガス・鉄道の順に復旧していきました。電気は地震当日夜。ガス貯蔵タンクのガス漏れで避難所生活が3日ほどありましたが、約1週間後には六甲大橋の一般車両通行が可能になりました。

給水車ではなく道路上の水道管から水を汲めるようになったのが約1ヶ月後。自宅の水道から水が出たのがそれから2週間後。約2ヶ月を経過した頃にガスが来て、3月下旬には自宅でお風呂に入れるようになりました。

鉄道の復旧は4月1日にJR。6月12日に阪急。6月26日に阪神。埋立地の六甲アイランドと陸地を結ぶ六甲ライナーは7月20日に阪神魚崎駅まで開通。JR住吉駅までの全線復旧は8月23日。震災発災から約7か月後のことでした。

震災直後から防塵ゴーグルに手袋とヘルメットの姿で、阪神甲子園駅への代替バスが運行していた国道2号線のJR住吉駅代替バス乗り場まで徒歩で約1時間半。各所で住宅や高速道路や電柱の撤去解体が進む騒音と埃まみれの場所を歩いて、駅で代替バス乗り場で約2時間並んで大阪の会社まで通勤してました。

最初は折れていた心も、少しづつ復旧が進むにつれ喜びに変わって行くんですよ。「あっ今日はスーパーマーケットが営業再開した」とか「家の前の水道管まで水が来てる」みたいな感じ。

震災から半年ぐらいで住宅被害の修繕見積りを取り始めたような気がします。海側の市街地が全滅でしたので見積もりに来れる業者さんも少なく、来ても「修繕開始は1年後」といった感じでした。

今回は仮設住宅が水没したといった報道が出ていますが、浸水被害はかなり広範囲で、工場や商店や住宅も水没しているようです。

さすがに震災後に頑張って住宅を補修したり、新規設備投資して壊れた機材を更新した方々は、この水害で機械が壊滅すると生活破綻でしょう。工場や商店が経営破綻すると働いている方々も仕事を失うわけで、経営者だけではなく地域全体の問題でしょう。

本来なら輪島市の大動脈である中屋トンネルはこの動画のように本日12時に緊急車両と地元車両が通行再開できる予定でした。トンネル内にトンネルを設置すると言う苦肉の策でしたが、再開どころか死者が出る事態(中日新聞動画)となりました。トンネル内も崩れ接続される道路は山ごと崩落しています。

インフラ復旧の後に各住宅や事業所の復興ですから、道路すら完全復旧していないまま再度同じ状況が発生すると厳しいですね。復旧工事を根本的に見直す必要がありますし、床上浸水した仮設住宅はハザードマップ上でも浸水するとされていたらしいので、そこに設置した経緯から調べ直さないとです。

あまりの状況に理解出来なさ過ぎて自分に置き換えて考えてみましたが、私の場合は最初の地震で懲りて8か月後には転職して岡山へ引っ越してますので、地元に残って生活再建を図っていた方々は相当元気で気合も入っていたでしょうから、地域の核となるそういう人々を打ちのめすような水害に心が痛みます。

今回、私共にできそうなのは寄付ぐらいで、いろんな団体が寄付の口座を立ち上げていましたが、石川県が昨日から正式にサイト(石川県 令和6年 能登豪雨に係る災害義援金の受付について)を立ち上げられたので共有させていただきます。

追伸) 写真は航空自衛隊で降下訓練中の警備犬です。もしかしたら救助犬として被災地に投入されているかもしれません。本来は警備犬なのですが、緊急時に備えてこんなこともやらされていますという紹介でした。

bi2報道(リンク)によると、昨日23日午前8時頃うるま市石川の国道329号線を北向けに走行していた2人乗り小型スクーターが道路脇の縁石に接触転倒。男子高校生(16)が死亡し女子高校生(18)が頭の骨を折るなどの重傷とされています。

現場はかなり見通しが良く直進中に縁石へ当たるとは到底思えません。もしかすると左手にセブンイレブンやエネオスが見えるので、どこかの店に入ろうとして曲がろうとして速度が出ていて間切り切れなかったのかも知れません。

私も2度ほど「縁石に当たるかも」と思った経験がありますが、中でも一番命の危険を感じたのが広島駅近くのココ。電停の銀山町と稲荷町の間にある稲荷大橋の部分が急に狭い2車線になるのですが、広島駅方向に向かっていた私は3車線道路の左端から前車を抜いたら突然道が無くなってました。

高校3年だから早生まれの私は年齢で言えば17歳。バイクはHONDA VT250Fで、後ろに16歳の男子高校生を乗せていました。時速は60km以上出ていたと思います。急制動をかける技術も無く、奇跡的に運だけで走行車線に移動できましたが、そこに渋滞車両がいればアウトでした。

「縁石に当たるかも」と思った瞬間に視点は縁石に釘付けとなります。バイクはスキーと同じで見た方向に向かうので、縁石を見たら縁石に向かう(動画例)のです。絶対速度が低ければ当たる前に止まれますが、速度が高ければ止まれないのは当たり前。

バイクに乗っていれば大型だろうが原付だろうが関係なく危険がつきまといます。制動距離は細い2本のタイヤのバイクは太いタイヤ4つの自動車には全くかなわず、事故っても車体が乗員の安全を守ってくれる自動車と異なりバイクでは乗員は道に投げ出されます。

絶対速度を低い状態で維持しつつ、ヘルメットやプロテクターといった安全装備を万全にして、セーフティライディングしないといけないと痛感しております。

本日も朝から交通安全運動の旗振りを頑張りたいと思います。道路には交通違反切符を切ろうと待ち構えている警察官が多数おられると思いますので、より一層の安全運転をお願いいたします。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方の1日も早い回復を祈っております。
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VOW今年6月29日と30日に川崎でおこなわれた14年ぶり「VOW WOW」のステージは、とんでもない物でした。

私がカナダに住んでいた時代にアメリカを拠点に活動してたラウドネスとイギリスを拠点に活動していたVOW WOWは、私の中で大きな心の支えであり最高のバンドたちでした。現地のミュージックテレビにも頻繁に顔を出し人気を博していました。

残念ながら日本では偏見を持たれていたハードロックやヘビーメタルといった音楽ですが、私が中学や高校の時点で関西ではしっかり受け入れられており、他にも44マグナム、アースシェイカー、ラジャスといった人気バンドがありました。

じつは私もジャパニーズハードロックは結構好きで演奏もしますし歌も歌います。特にVOW WOWのヴォーカルであった人見元基さんの大ファンなのですが、残念ながら高校教師になってしまい、人見元基としての活動はできなくなっていました。

昨年VOW WOW(BOWWOW)のドラマーであった新美俊宏さんが亡くなり、今年のライブは一周忌として開催されたのですが、VOW WOWの1stアルバム「BEAT OF METAL MOTION」発売40周年と併せて今回は人見元基さんの名前を出して開催されました。

こっそりYouTubeにアップされた学園祭動画()等で現在の歌声も聞いてはいましたが、以前もブログに書いたブリヂストンのCM(コレ)に使われた時代の歌声は変わらず、最高の時間を構築してくれました。

じつはレッドツェッペリンやディーブパープルやヴァンヘイレンやガンズンローゼスも大好きで、演奏もするしガッツリ歌もうたうので、久々にバンド活動でもやってみようかと思っております。同じような同世代がおられましたら、ぜひハードロック縛りカラオケでも良いのでお誘いください。

それにしても大好きなバンドの人々が次々と亡くなっていくのは悲しいですねー。歳を重ねるってこういうことなんだと痛感しております。大谷レイブンさんの死はコロナ禍で隠されていたので、もっと悲しかったです。ふー。

kobe1kobe2私が神戸に移り住んだのが3歳の時。それは摩耶ケーブル下駅の西側にある人間が住む最北の小さな河川の横でした。

その4階建てコンクリート建築物は、大雨が降ると裏山から土砂が流れて来て、その建物でせき止めるの連続。すぐ東を流れる小川は毎回濁流となるのが常でした。ただ、家を流すほどのことが無かったのは、当時は地域住民がみんな砂防ダムと呼んでいた砂防堰堤のおかげです。

神戸市では1951年(昭和36年)と1967年(昭和42年)に大水害(神戸市HP)を経験しています。それから毎年いくつもの砂防堰堤を建設して来ました。そしてそれは効果的に機能していました。

私が通っていた中学校の神戸市立長峰中学校は、まさに人々が住む北限エリアでしたが、私の通学路から見える場所にも砂防堰堤があり、その効果を目で見て体験して来ました。(山口組幹部が多く埋葬される長峰墓地に隣接しているので一和会との抗争中で他の事もよく経験しましたが・・・)

次に住んだ六甲川に面するサニーハイツ六甲台というマンションも六甲川に面しており、徒歩10分以内で六甲ケーブル下駅に近い場所で、2018年(平成30年)に土砂崩れのあった篠原台に面する場所でした。山に面する川沿いにすーっと住んでいたのです。

土砂災害警戒区域なのは当たり前で、家に帰る道すがら全部にその看板が立ってました。大雨が降ると川は増水し、大木や土砂が流れて来ていました。ただ何重にも設置された砂防堰堤が、それらをせき止めたのです。そういう意味では、砂防堰堤はある程度の効果を発揮すると思われます。

いろいろあって山での暮らしは15年以上に及んだのですが、その後に家族が新しい住まいとして選んだのは神戸市東灘区の埋め立て地である六甲アイランド。結果的にはそこで転勤になり、私が借りて住むこととなり、住んで数か月後に阪神淡路大震災で大きな被害を受けるのですが、それは別の機会とさせてください。

土砂災害警戒区域に住んでいた経験で書くと、本当に危険なエリアは横移動できる道が無く、山を上下する縦の道しかありません。そしてそこは大雨の時点で車では移動できず、歩いたら流されるような濁流になります。

住んでいた当時に何度か避難指示が出ましたが、出たら流されるって状況で避難なんて出来る環境ではありませんでした。ましてや今の勢いで雨が降ったら避難は到底無理でしょう。避難所に動けるのは奇跡的に避難情報が当日21時で雨が強くなる3時間前までに出された場合に限ります。

政府やメディアは「避難は早めに」と言いますが、もう少し具体的かつ現実的な対応を考えないと、雨も降っていないのに避難する人なんていないんじゃないかと思ってます。

みなさんは避難所へ予防避難したことありますか?避難所で生活したことありますか?私は避難所開設情報があれば即避難してます。理由はコンセントを確保したいため。避難所のコンセントがある場所に自分用のテントを設置してます。

早めに避難すると電源が確保できるとか、テントを建てて広いスペースを占有できるといった事実を伝えて、避難生活が長期化する可能性に備えて早めに行動すると有利であることを伝えていったほうが良いんじゃないかと思ってます。

20240914_162706~2都内11店舗で展開されている立ち食いそば店の「吉そば(公式HP)」で「とろろ昆布そば 480円」をいただきました。昔は五反田と言うか大崎広小路にもお店があったんですけどね。

ここのつゆは他の立ち食いそば店と違って手間ヒマかけました的なしっかりとした上品な味わいが特徴で、格安なのに高級感が感じられます。

というのも、こちらの運営会社であるノア(HP)さんはレコーディングスタジオ等も手掛ける会社でして、なかなかにクリエイティブな各種店舗や展開を繰り広げられてます。そして、そこが運営するリハーサルスタジオが不動前にあって、その右隣にあるのがこの吉そばなんです。

ちょっとわけあって楽器でも習おうかなーと思ってスタジオを訪問して、そのついでに食事して来た感じ。というのも吉本興業の小籔千豊さんに似てると言われる機会が結構あり、だったらドラムでも勉強しよっかなーとなった次第です。

「そんなもん習ってるヒマがあったら借金返さんかい!」と金融機関の皆さんは思っておられると思いますので、このへんでこの話しは締めさせていただきます。

20240920_134927~220240920_14500820240920_14212220240920_142138なんの説明もなく写真だけ並べさせていただきます。備忘録です。

釈迦に説法ですが、今一度青少年支援活動している人々向けの基礎資料をまとめてみました。

国立青少年教育振興機構の研修支援
様々な研修や事例がこちらに載っています
施設案内

国立青少年教育振興機構の事故事例集
令和5年3月
国立青少年教育施設における傷病の概況(令和3年度調査)
報告書

令和5年9月28日
・・国立青少年教育施設における傷病の概況(令和4年度調査)速報値

平成30年6月
事故データ・事例集

平成28年6月
高校生の安全に関する意識調査報告書〔概要〕 日本・米国・中国・韓国の比較

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概要)
神奈川県横須賀市内の公立小学校に通う5年生の男子児童が、1泊2日の宿泊行事で訪れていた施設(三浦YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジ)で就寝中に二段ベッドの上段から床に転落し頭蓋骨を骨折する事故発生。同室の生徒が発見し職員に連絡。職員の救急搬送要請で被災児童は救急隊により病院へ搬送され入院となった。

詳細抜粋)
・現時点では詳細不明
・深夜1:25頃に同室の生徒が落下に気付く
・即座に救急隊によって病院へ搬送

教訓)
・二段ベッドの上段からは落下の危険がある
・呼べばすぐ来る場所に救急車が必要
・近くに救急搬送できる大きな病院のある場所が重要
・無事故で運用されて来た施設でも危険が潜んでいる

個人的な意見)
現状は詳細が分かっていないため語れませんが、この事故を受けて横須賀市教育委員会は公立学校の校長に対して以下を指示しています。

・宿泊行事の際、就寝中の児童の見回りを行う体制を整えること
・施設の危険な箇所について事前に確認することなどをあらためて徹底すること

これですが、私自身の経験で書きますと、生徒達が就寝した後は引率者は疲労困憊なんです。2時間に1回の見回りでもヒーヒー言ってるのに、徹夜で監視しろと言われても生徒35人で引率1人ですから現実的じゃないので、就寝時監視スタッフを別に用意しないといけません。

施設の危険な個所について事前に確認とのことですが、実施踏査をやっても危機管理のプロじゃないと見抜けない事も多いと思いますので、より詳細な事故の経緯が分かりましたら、全自治体で共有していただければ幸いです。

最後になりましたが、事故にあわれました方の回復をお祈りしております。

概要)
愛媛県内の市立中学が学校教育行事で実施した石鎚山登山において、山頂付近で昼食中の突風により生徒の帽子が3m下の岩の上に飛ばされた。結果的に取りに行った生徒は80m下へ転落。助けようとした教師も転落。教師は死亡し生徒は助かったが脳に深刻なダメージが残った。

詳細抜粋)
・中学1年生による少年自然の家での2泊3日合宿訓練
・引率者6名/生徒数121名
・登山前に「崖に近寄らない」「下をのぞき込まない」の注意喚起アリ
・生徒Dの帽子が風に飛ばされ崖下へ落下
・教師Bが「取りに行くな!」と怒鳴る
・生徒Cの帽子が風に飛ばされ崖下3mの見える所に落下
・教師Aが「取ったらいかん!」と伝える
・生徒Cが教師Aに「すぐ取れるんじゃ」と言う
・何度か頼まれた教師Aは最終的に許可を出す
・生徒Cが滑落(壁面は少し凍っていた)
・救助を試みた教師A滑落

教訓)
・何があっても危険な場所に近づくな
・野外活動中に落とした物はあきらめろ
・監督者は生徒の希望を拒否する選択肢を持て

個人的な石鎚山の認識)
何度も登ったことがある素敵な山です。夏は頂上山荘前に臨時郵便局が開設され特別な消印を押してもらえるので、少年時代はそこから学校の先生達や剣道の師範達へ暑中見舞いはがきを送っていました。
以下は夏場限定の話しです。それ以外に登ったことはありません。
比較的容易に歩けるルートが整備されているので比較的気軽に登山できます。一部ルートは危険ですが、地域の方なら小学生の頃から登ったことがある方も多いと思います。
水筒に水を入れて持って行くのと、山は夕立があるので15時(午後3時)までに下山を守れば簡易な雨具で行けると思います。
じつは標高も高くルートを間違えると厳しい山なのですが、地域にいると結構登る機会もあるので、危険だと感じることが難しいかもしれません。

bousui地域ボランティア活動に参加しつつイベント会社で働くと言う生活は今年で約30年になります。キッカケは阪神淡路大震災でした。自助・共助・公助の大切さを痛感したためです。

「自助」は自身。「共助」は地域。「公助」は国や自治体。まず自身が安全対策を講じ緊急時の備蓄などを怠らないようにし、次に地域内に顔見知りを増やし避難所や防災倉庫に位置や中身を把握し、地域自治体と連携するということです。

おかげさまで東京都や品川区のボランティア活動にも参加させていただき、地域ボランティア活動にも参加させていただいていまして、順調に顔見知りは増えているのですが、心配しているのが素人集団のボランティア活動による危険リスクです。

私は本業の一つであるイベント業において様々な事故を経験しています。足場や脚立からの転落、熱中症、食中毒、高所からの工具や設備落下、落雷・・・といった感じで、まあまあ命にかかわる状況の事故もありました。

これはイベント用のよく通じるトランシーバーがあり、安全装備のヘルメットや落下防止帯を使用し、食品の管理を徹底し、脱水に気を付け、天候変化を常に監視していても発生しました。

私のようなバブル世代は年間300本以上のイベントをやった経験を持つ人も少なくないし、昔は安全に対する意識が低かったので、若い人々より業界内での失敗事例が多いと思います。

これに対し、ボランティア活動では小さなケガや事故は発生するものの、命にかかわるような事故は発生していません。これはボランティアに関わる日数や時間が短いだけで、実際に仕事レベルで活動したら、大変な事故が頻発すると思ってます。

例えばキャンプや山歩きの素人であるボランティアが引率する野外活動。どう考えても危険ですよね。でも世の中にはこういった事例が大量にあります。それどころか、学校の校外学習や遠足や旅行であっても引率者は素人に毛が生えた程度の教師でしょう。

では地域のお祭りはどうでしょう。ほろ酔い気分で高い足場やハシゴに登っての提灯取り付け。当然ですが落下防止帯もヘルメットも着用しませんし素手で電線を触るのが当たり前。朝からビールを飲んでおみこしを担ぐなんてのは日常茶飯事でしょう。

夜店のプロですら営業許可が取れないカレーライスが提供や販売されているシーンはよく見かけます。バザー、学園祭、お花見・・・当たり前のようにレトルトではない手作りカレーが出されています。食中毒リスクだけでなく異物や毒物混入リスクがあるにも関わらずです。

私はボランティア活動は素人同士で和気あいあいとやることが大切だと思ってます。だから自分の関わる活動で「おかしい」とか「こうやるべき」なんて言った事ありません。和気あいあいとやる中で頼まれた事だけやるという姿勢です。

みんなで提灯の配線を作っている時に「うちに防水用提灯コードのレンタル品あります」なんて言ったら興ざめでしょ。みんなで音楽流すのにラジカセ用意とか言ってる時に「レンタル用音響機材あります」って言えます?

ただ少子高齢化で各ボランティアも高齢化して来ました。いずれ事故が発生するのも時間の問題だと思います。イベント業界や建設業界における骨折事故の大半は高さ90cm未満の脚立や踏み台によるものです。危険は何気ない場所に存在しているのです。

現在、能登半島の輪島や珠洲で豪雨被害が出ているようです。町内会や各校PTAは避難所で様々な活動をしているでしょうし、消防団や自警団は危険地域の見回りと注意喚起をされていることでしょう。これらはみなボランティアです。

そんなわけで地域ボランティアの安全確保へ向けた政府的な取り組みが必要なのかなと思い始めています。まずどんな危険を各活動が内包しているのかをガイドブック等にして出したいのですが、どうすればいいんでしょうね。

ヒマな時にでも、ボランティアに関するリスク警鐘のホームページを作成してみようかなと思ったりしてます。

la大谷選手の活躍はスゴイ事ですが、今回地域の祭礼を通じてスゴイ事を発見してしまいました。なんと、多くの人々は大谷選手の話しはするのに、エンゼルスとドジャースが同じロサンゼルス地区の球団だと知らなかったのです。

これ、私は当たり前の事だから誰でも知ってると思ってたのですが、私が変だという事を知ったので、じつは多くの方々には当たり前のことをこのブログで書いてしまうことになるかもしれません。

カリフォルニア州に本拠地があるメジャーリーグ球団は以下の通り。
・オークランド・アスレチックス(サンフランシスコ近郊)
・サンフランシスコ・ジャイアンツ(サンフランシスコ)
・サンディエゴ・パドレス‎(サンディエゴ)
・ロサンゼルス・エンゼルス‎(ロサンゼルス近郊)
・ロサンゼルス・ドジャース‎(ロサンゼルス)

どちらもロサンゼルスと名乗ってるのですよ。昔のエンゼルスはアナハイム・エンゼルスでしたが、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとなり、今はロサンゼルス・エンゼルスです。

というか、そもそもロサンゼルスの「Los Angeles」という地名は聖母マリアにちなんで「Los Angeles=天使たちの女王の町」と命名されたとされています。

エンゼルスのチーム名を英文字表記にすると「Los Angeles Angeles」なので「ロスエンジェルス・エンジェルス」になるので、元々ロサンゼルスのチームというのは一目瞭然でした。

ロサンゼルス観光の3大テーマパークはユニバーサルスタジオ・ナッツベリーファーム・ディズニーランドですが、ナッツとディズニーがあるのがロサンゼルスの南に位置するアナハイム。そこにエンゼルスタジアムはあります。

「やっぱロサンゼルスじゃないじゃん!」と言われそうですが、阪神タイガースが兵庫県西宮市を本拠地としているのに大阪人が阪神は大阪のチームと名乗ってるレベルでは無く、現地の人々にとってアナハイムはロスなのです。

これは「グレーターロサンゼルス(Greater Los Angeles)」と呼ばれていて、日本語に直すと「ロサンゼルス大都市圏」といった感じで、アナハイムは確実にそこに属してるのです。

最後にロサンゼルスからアナハイムは車で南へ20分から30分。そこから2時間下るとサンディエゴでダルビッシュや松井裕樹のいるパドレスがあります。逆に北へ7時間ほど走るとサンフランシスコです。

20240920_151515~2昨日は相鉄が新たに開業させた「ゆめが丘ソラトス」の視察でした。今年7月に開業したのですが、訪問は今回が初めてになります。

ここは相鉄ゆめが丘駅前で、横浜市営地下鉄ブルーライン下飯田駅にも隣接しています。というか、そもそも工事開始時は両駅とも地名を由来とする下飯田駅(仮称)だったのですが、相鉄は「今後の夢を抱ける街=ゆめが丘」と名付けたそうです。

駅直結だけあって、ゆめが丘にはソラトス改札があり、通常なら駅員さんがいる場所には相鉄のマスコットキャラクターであるそうにゃんがバカでかいサイズでお出迎えしています。さすがにこのサイズで凝視されるとビビった。

「ゆめが丘ソラトス」は相鉄グループの店舗で、10スクリーンのシネコン「109 シネマズ」や巨大アミューズメントパーク「ASOBLE」等があり、3階全9店舗で構成されるフードコートの客席はユッタリと座れるサイズで約700席も用意され、ファミリー来場にバッチリ応える感じ。

ユニクロ/GU/無印良品があるのでファストファッションはOK。ワークマン女子があれば完璧だったなー。隣接するゆめが丘ソラトス 2にはヤマダデンキが入ってました。

イベントスペースは豊富に用意され、とくに2階と3階に地域住民の交流広場として「ソラトスルーム201」「ソラトスルーム301」が用意されてるのが印象的でした。こういう地域とのコミュニティ形成できる場所が表から見えるのいいですね。

三井不動産系/三菱地所系/イオン系の商業施設を見る事が多い私は、横浜を中心とした神奈川県内では結構見かける天井を造作せず配管や配線をスタイリッシュに見せるローコストだけど感じの良い仕上げに感心したりして来ました。

そんな商業施設レポートは本業なので横に置いておいて、私が驚いたのは乗用アミューズメントマシン「N-BOX」です。だって本物のホンダHマークが取り付けられ、どこから見てもN-BOXの乗り物が置いてあるんですもん。

調べるとこちらのように正規でホンダのライセンスを取った商品で、1回200円というのも正規の料金だそうです。

Google検索すると2019年2月には自動車系情報サイトのくるまのニュースで記事になってました。昨日まで知らなくてすみません。そして、サーキットのホンダブースににこれ置けばいいじゃん!とも思っちゃいました。

スタイリッシュで居心地の良いニューファミリーだけでなく、通路幅がユッタリと確保された日本では無いような雰囲気も感じられるショッピングモールとなっていますので、お近くの方は一度立ち寄って見てはいかがでしょうか。

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aisatsu~2写真は芳賀涼大選手の通夜ならびに葬儀にていただいた会葬御礼です。これはすべてのレースファンや関係者へのメッセージだと思いましたので共有させていただきます。以下にGoogleレンズにて抽出したテキストを貼らせていただきます。

「努力家で心のあたたかい私達の自慢の息子です」

「生まれてきてくれて、優しい子に育ってくれてありがとう」と妻が申しておりましたが、私も同じ気持ちです。涼大の父親になれて 本当に幸せでした。
涼大の中にライダーになるという気持ちがはっきりと芽生えたのは、四歳の頃だったでしょうか。まだ私も現役で、出場するレースには全部ついてまわってきていましたから、ライダーを志すのは自然なことだった かもしれません。「乗るか?」と尋ねた時、真っ直ぐきらきらとした眼差しで「乗りたい!」と返してきたのを覚えております。それから兄の瑛大と切磋琢磨しながら、本当によく頑張ってきました。いつだったか「パパがニポイント差で逃した世界チャンピオンを俺達で獲りに行きたい」と話してくれたこともあります。その言葉がどんなに嬉しく、誇らしかったか・・・周りの人から「紀行さんそっくりだ」と言われるほど、血液型も性格も、レースの走り方も私と一緒で、まるで 「もう一人の自分」のような存在でした。きっと来年はゼッケンの番号がひとケタになっていたはずですし、兄弟二人で私を追い越していく姿を見たかった。そう思うと涙がにじみますが、これからは大空という広大なサーキットを風を切って走り抜けるのだと思います。私も空を見上げ、この先もずっとレースを続ける涼大を応援し続けます。次男 芳賀 涼大は、今和六年九月八日、満二十一歳にて生涯に幕をおろしました。息子のライダー人生を支えてくださったすべての方へ、深く感謝申し上げます。本日のご参列誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚くお礼申し上げます。

喪主 父 芳賀紀行 親族一同

hope1996年から98年にかけて、当時広告代理店の岡山支社で営業マンだった私は、なぜか遠い鳥取県米子市も営業テリトリーに設定され、月に2日は米子に行ってました。

一番大きな理由は「ビブレ」というブランドの担当であったこと。当時は巨大流通チェーンだったマイカルグループが持つブランドの一つで、岡山ビブレ・高松ビブレ・宇多津ビブレ・米子ビブレを一括で担当していました。

これは岡山県と香川県が同一放送エリアなので、効率が良いのは地域で一番大きい岡山ビブレに行きやすい岡山支社が営業する方が良いって話しだったのですが、マイカルの別ブランドであったサティだった米子サティが米子ビブレになったことで、営業先が増えちゃったことに起因していました。

米子ビブレで営業マネージャーを担当してくださった田中さんは、直前まで大阪のマイカル本社宣伝部でバリバリだった方で、お会いすると話しは面白いしサティからビブレへのブランド変更におけるマーチャンダイジング計画についての考え方等も勉強になったものでした。

鳥取県に民間地上波放送局は3局あるのですが、米子市に本社を置くのは山陰放送のみ(あとは松江市)。そんなことから山陰放送さんとのコラボ企画も何度か立てさせていただきました。

この米子ビブレが誕生したのは、米子市内にあった「ホープタウン」という商業施設がマイカルグループ入りして「ホープタウンサティ」になったのがキッカケだったそうで、これに「米子サティ」を名乗らせるため、現存する米子サティを米子ビブレにして、ホープタウンサティを米子サティに変えるためとのことでした。

「ビブレ」はファッション系百貨店ブランドだったのですが、米子ビブレは1階入口にたこ焼き屋とミスドがあり、その奥にはスーパーマーケットのサティがあるって感じだったので、サティ感丸出しではありましたが、ホープタウンとの差別化について一生懸命打合せしたのを覚えています。

私の退職後にマイカルが破綻。後任で営業についた後輩の吉田中には苦労をかけたと思いますが、こちらの話しは別の機会にしてホープタウンの話しを続けます。

米子サティとなったホープタウンサティですが、マイカル破綻によって再度ホープタウンサティに名称変更。さらに元のホープタウンに名を戻し岡山県津山市が本社の大手スーパーマルイが入居してホープタウンマルイになったそうです。

こちらの記事によると「1982(昭和57)年7月9日、山陰初の郊外型ショッピングセンターが誕生」とあるので、当時はかなり斬新なことだったと思います。

ホープタウンはコロナ禍の2022年1月に全店閉店。その後は「MEGA・ドン・キホーテ米子店」になっていますが建物の持ち主が変わっており、もともとの会社は精算となったとのことで、いろいろ感慨深い物がありました。

私が担当していた時代に、鳥取県境港市で電通関西支社や乃村工藝社が担当していた「山陰・夢みなと博覧会(1997/7/12-9/28)」が開催され、米子ビブレから会場へ行くにはホープタウンの前を通るので思い出深い場所でもあります。

博覧会オープン前日から鳥取県は台風の影響で結構な大雨に襲われ、SPEEDや知念里奈の出演する予定だった近くで開催予定の野外ライブ会場も水浸し、結構大変な状況下でFM山陰の当時社長だった高木さんには「コンサート実施予定」や「博覧会オープン時刻」等をリアルタイムで放送していただき感謝しております。

あの時、上原多香子さんが高熱を出していて絶対出演できないと思ったのに、病院に行ったら「できます」と言ってくれたのを急に思い出しました。あの仕事って請け負って無かったのに米子空港に知念さんを迎えに行ったり上原さんを病院に連れて行ったりしたのはナゼだったんだろう。

あの時は大阪組とホープタウンのフードコートで待合せしたなー。思い出の多い米子の地。冬は車で岡山から北へ向かうと大山でスキーやスノボをやり、米子ビブレの見切り品のカニを食べたのも記憶に新しいですが全部25年以上前の記憶。

なので、昔を思い出しながら久々に米子にでもいってみようかなと思っている朝です。
sanin

20240918_123701~2赤坂で良く見かけては行ってみたいなと思っていた韓国料理店「ガンガンスルレ」でランチをしてきました。

韓国で一番大きな祝日が旧暦8月15日の「추석(秋夕)」で、「カンガンスルレ(강강술래)」は女性たちが輪になって歌と踊り(動画)をする行事を指します。

赤坂のお店はランチ1000円以上するのですが、今回訪れた蒲田店(食べログ)はなんと850円。これでおかず7品付です。TikTok動画のようにユッケジャン定食を注文したのですが、おかずが豊富すぎてビックリ。

動画に出て来るおかずの前にサラダがありまして、それはメイン料理が出て来る前に食べちゃいました。チャプチェ、卵焼き、キュウリの漬物、唐揚げ、野菜のお浸しに壺キムチと壺カクテキですよ。こんな豪華なの見たこと無いって感じ。

ソウル市内でも同名の焼肉店が各所にあって弘大のお店で食事したこともあるんですが系列なんですかねえ。それは分かりませんが、出された壺キムチは中国産のスッパイ物ではなくストレートな辛さでしたので店舗で漬けているのかもです。

じつはゆで太郎に行こうとして偶然発見したのですが、入口が分かりにくいものの、店内に入ると超絶キレイで上品な空間が広がってます。なかなか夜に蒲田へ行くことは無いのですが、ぜひ夜にも行ってみたいと思うお店でした。
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1726701877467今年の鈴鹿8耐でもお世話になった首都圏最大級の整骨院を運営する健康堂グループ(HP)。その取締役であった鈴木健造さんの通夜が今晩、葬儀が明日執り行われます。

2009年の鈴鹿8耐で我々の石垣島マグロレーシングは初めてコンディショニングスタッフをお願いしました。相談したのは鈴木康成総院長。快く「交通費と宿泊費だけで派遣します」と言っていただき、実弟の健造さんが来てくれました。

レースウイーク中でのチーム参加にも関わらず、持ち前の明るさと人柄で即座に全員に受け入れられ、あっと言う間にチームへ溶け込み、気が付けば誰もが「鈴木先生」と呼んで頼りにする存在となっていました。

当時私はふくらはぎに痛みがあり、複数の病院や整骨院にも行ったのですが原因不明とされていました。監督の私はライダーやメカニックを優先してもらいたかったのですが、鈴木先生は「ちょっと寝てください」と言って触ると一瞬で原因を見抜きました。

「ひらめ筋が固いだけでストレッチで治ります」と言うのです。半信半疑の私は言われたとおりのストレッチをすると即解決。

そして「ライダーの方って前腕外側でバイクを押してると思うのですが筋肉が固いのでストレッチしないと腕が動かなくなります」と多くのライダーが言う「腕あがり」の対策をササっとやってくれました。

決勝日にはタイヤは運ぶしガソリンは買いに行くしで、気が付けば完全なチーム員として溶け込んでいて、素晴らしい人柄や人間性に感動させられました。

今年の8耐参戦にあたり松川選手から「また鈴木先生来れないですかね」との話しがあり、10年以上ぶりに連絡を取ったのですがつながらず、鈴木総院長へ連絡をして別の先生を派遣していただきました。こちらの先生もバイクレースに詳しくトレーナーとしても超優秀な方で、大変助かりました。

再会を果たせないままの訃報は残念でしたが、連絡を取り合ったからこそ訃報をいただけたので、参列させていただこうと思っております。本当に残念ですがありがとうございました。これからも忘れません。安らかにお眠りください。

shimizu日刊スポーツの清水アキラさんに関する記事を読んで思う所があったので書きます。

1990年にカナダから帰国して大阪のイベント会社に入社した私は、当時「花博」と呼ばれる巨大博覧会で盛り上がっていたバブル時代を象徴するイベントに関わりました。

そのころ世の中でブームだったのがものまね。ものまね四天王と呼ばれたコロッケ/ビジーフォー/栗田寛一/清水アキラと、それ以外にも布施辰徳/神無月/葉月パル/加賀あすか大原真美宮川珠季・・・といった方々とよくご一緒させていただきました。

アイドルではCCガールズ/T-BACKS/CHA-CHA・・・といろいろいましたけど、それは本題からずれるのでまたの機会に。

ものまね四天王は一長一短があり、コロッケさんはギャラが高く、ビジーフォーはモトさんとグッチさんの仲が悪いのでケアが必要、栗田寛一さんは元々バンド出身で生バンド必須なので一行人数が多く、カラオケでOKの清水アキラさんは非常にありがたい存在でした。

何よりも舞台セットを東京と大阪に置いていて、全国どこでも最短距離のトランポ輸送費で現場が出来た上に、2セットあるので自走では絶対に間に合わない那覇の翌日に札幌といったスケジュールでも対応可能でした。

ちょうどあのねのね事務所から独立して清水エイジェンシーを設立され、音響照明のフライアウト企画さんもレスポンス良く、当時は同じ事務所に松居直美さんもいて、2人共演イベントもよくやったものでした。

当時の営業ギャラは取りの500万円。当時は業界用語で5ならびと呼ぶ源泉税込みで5,555,555円。これに会場費・運営費・一行10名の移動交通宿泊費・現地照明費・各社利益を足して1本700万円から1千万円程度で売るのですが、結構な本数が決まっていたと思います。

私のいた会社だけで月に2回はお願いしていたと思います。年間24本で1.2億円。しかも清水アキラセロテープとかの各種グッズも毎回結構な売れ行きでした。テレビのギャラも動画サイト全盛の今と違って破格でしたから相当な年収だったと思います。

1回のギャラが50万円以下の大原真美さんでも神戸に次々と不動産を買っていたし、宮川珠季さんも7百万円ぐらいするセルシオを買っていたので、それぐらいものまね業界が盛り上がっていたのだと思います。

熱海で長期公演されていた際には熱海にも寄せていただきました。一時は息子さんの逮捕報道等ありましたが、その息子さんも昨年はBreakingDownに出場したり音楽活動をされたりと再起されているようで何よりです。

最近は営業を売ると言った仕事をしていない私なのでご一緒できる機会がありませんが、コンサート等があれば観に行ってみたいなと感じました。

taion2024年の富士登山シーズンが終了しました。私の場合は自身に興味が無いにも関わらず富士登山をやる羽目に陥りまして、初回でこの山は懲り懲りだと思い知らされました。

なぜ登る羽目に陥ったかと言うと、その昔の電通には新入社員や中途入社社員の全員参加が義務付けられた「電通富士登山」というイベント(今は自由参加)がありまして、それに参加させられたり救護ボランティアになったりしたためです。

1986年にこの電通富士登山へ初めて挑戦しました。諸先輩方から「金剛杖(と言われる木の棒に鈴がついた物)に焼き印をもらって土産として帰って来い」と頼まれ、さらに「絶対上位登頂」や「お世話になった方に暑中見舞いのハガキを書いて山頂郵便局に投函しろ」とか言われました。

中途入社かつ世の中を斜めから見ていた私は、そうは言ってもノホホンとしたハイキングだろうと思っていたのですが、まあまあアホみたいな速度で駆け上がる競走となってまして、ただでさえ混んでいる登山道を、人をかき分けながら進むという地獄のような登山。

しかも早く登頂しても途中の八合目山小屋で宿泊。翌朝登頂組と仲良くランデブーして男女関係無く頭と足を互い違いにして寝る必要がありました。頭の両サイドが他人の足と言う状態。もちろん今はそんな非人道的な山小屋はありません。

金剛杖2本とか頼まれ、暑中見舞いはがき300枚とか持ってて結構な荷物なのに、「最悪0度以下になることもあるから冬装備や遭難時の食品も必須」とか言われ、真夏の陸上部的なファッションからダウンまで用意して登りましたよ。

ある意味で今の人ならイジメと感じるかもしれませんし、ある意味相撲部屋のカワイガリに近い物があるのですが、私には山を下りてから鈴鹿8耐へ行くというノルマがあったので、必死のパッチで山を駆け登って何ヶ所も止まって焼き印をもらって、暑中見舞いのハガキを山頂郵便局に投函して山を駆け下りて鈴鹿へと向かい、コーリン・エドワーズ/芳賀紀行組の優勝を観る事ができました。

このイベントは、関東大震災で沈んだ社員達のために電通初代社長の光永星郎氏が始めたとされ、社長以下結構なレベルの幹部も勢ぞろいする感じで開催されていました。

当時は先輩から登山グッズをまとめて渡され、その中には飴などの食糧/缶入り酸素/レインコート/シェルター(簡易テント)/ウインドブレーカー/体温計/ヘルメット等が入っていて、そこには「登頂棄権判断=体温35度以下(低体温症)/頭痛(高山病)」とも書かれていました。

そして登った感想ですが、駆け上って駆け下りるなら軽装でも良いでしょうが、ご来光を拝むとか日の入り後に高山病で動けないなんて事態になったら外気温は真冬。1人登山や友人と数人程度の登山なら冬装備は必須でしょう。

近年はインバウンド客を中心に超軽装で登山に挑み、現地の公衆トイレ等でぶるぶる震えながら救助を待つと言った人も多いそうです。小型テントも持って行かないとダメですよ。

私はウソかホントか「山頂でのインスタントラーメンやコーヒーが格別」とか言われて、携帯燃料や鍋まで持って行ってました。

最近はモンベルのヘルメット(コレ)が1万円を切ってるのに225gなんで、買いたいなーと思ってます。その前にトレッキングシューズの底が抜けてるので、そっちが先なんですけどね。

富士山は尾根が広い山だし大渋滞なので山頂が見えてからも結構な時間がかかるし、「7合目」とか「8合目」と書かれた看板がトラップのように次々出て来て「おっ9合目か!?」なんて思うとずーっと8合目だったりして心も折れます。

いつもの調子で話していると酸欠で高山病にもなるし、低体温症も怖いし落石も多いので、もし来年の登頂を検討されている方は、ある程度は装備を持参したほうが良いと思います。素人なりの富士登山準備品リストでした。

kongo

20240905_210528~29月8日のお祭り終了後に行った打上げで、32歳の女性からマジマジと顔をみつめながら「白髪が増えましたね」と言われました。

私は50代後半ですが年齢の割に髪の毛が黒々としており、はげてもいないので年齢的に若く見られます。ただ、白髪は今までの人生でも困難に直面した時に一挙に出ました。

30年以上も前になりますが、私が所属していたイベント会社は目黒駅前で毛髪の専門クリニックを開設していました。そこでは様々な患者さんがお見えになりましたが、白髪に関する相談は3年間でたったの2件でした。

恐らく、そもそも白髪程度で病院へ行く人は少なく、白髪なんて染めれば解決するので研究する人も少ないのだと思います。多くの人々は髪の毛が生えて来る課程で根っこから白くなり、半年ほどかけて外から見た人が認識するほどの白髪に成長すると思っているかと思います。

私もそう思っていました。でも阪神淡路大震災で認識を改めました。理由はたった1日で一気に白髪になる人を見たからです。それも前日の成人式では黒々とした髪の毛だった神戸市内区役所勤務の当時27歳だった同級生が、本当に数日で白髪になりました。

成人式のビデオ撮影をうけたまわっていた私は、その彼を含む動画を撮影していました。その撮影から1週間後に彼から「被災住戸確認用のカメラが欲しい」と言われ届けに行ったら、ほぼ全白髪になっていたのです。

まじで撮影した成人式動画を再確認しましたよ。だけどたった数日で真っ白。翌年その彼に会った時の髪は黒くなっていて「染めたの?」と聞くと「なぜか治った」と言ってました。

私の場合、そんな極端な経験はありませんが、コロナ初期の数か月間で一気に白髪が進み、頭頂部から髪の毛が薄くなった時期がありました。でも昨年1月頃から毛量は元に戻り白髪も少しづつ減って行ってました。

残念ながら、白髪なんて染めれば解決するので世界中の大学教授が本気で研究していないため、はげと違って誰も白髪が発生するメカニズムを分かっていないみたいですが、自分自身の小さな経験では少なくともストレスで白髪になることは間違いないです。

そして、今回はお祭り中だったので2日間に撮影された一生懸命に見れば髪の毛の雰囲気まで分かる程度の解像度写真が数枚あり、確かに白髪が増えていました。

そこから感じたのは、髪の毛って根っこからメラミン色素によって染められる(花王サイト)と言われてますが、なんとなく根っこから色を注入したり吸い出したりする仕組みがあるんじゃないかと感じてます。

今は爪の根元にある白い部分がほぼ消え去っているので、いろんな意味で疲れていると思うのですが、やっと2日続けてトレーニングジムにも行けたので、何気ない日常が戻って来ていることを感じています。

白髪が増えて困ることなんてレーザー脱毛できなくなる程度しか無いのですが、ストレスのバロメーターだと思って少しでもストレスが減少するよう、静かにおだやかに生活したいと思っております。

komeバカみたいにお米を買いだめした人々がいて、その人々の家には通常では考えられない量のお米が備蓄されることとなり、買いだめ軍団のストックが平均30kgに達したとされています。

通常5kgのお米を買って、最後の3合程度になったら新しい5kgを購入していた人が6倍も買ったわけです。スーパーマーケットでは、通常の2倍と言われるお米を流通させて来ました。でも地上波メディアは店頭にお米が無いと報道しました。

当たり前ですが、若い人々は地上波放送を見ないので令和の米騒動は50代以上の中高年層によって引き起こされました。うちから徒歩2分の距離にあるライフというスーパーマーケットには、毎朝たくさんのお米狙いの老人が行列を作っていました。

その時でも、近所にある大きな米屋さん2店舗の店頭には大きな米袋が山積みとなっており、コメ不足なんて事実は無かったのにです。

沖縄県では米騒動が発生しませんでした。例年並みの供給量だったにも関わらずです。川すらない沖縄本島や他の離島と異なり石垣島は水が豊富なので沖縄県産米の7割以上は石垣島産で、6月と11月に新米が流通します。それも例年通りの生産量でした。

何度も石垣島の友人から「米あるよー!」と連絡をもらいましたが、「こっちもあるよー!」と送ってもらいませんでした。

3連休最終日に突如として買いだめ軍団の買い占めが終わりました。朝行列をつくって奪うように購入した人々が去ると、誰も買わなくなり昨日18時の業務スーパー武蔵小山店の米売り場は写真のような有様。

政府が8月下旬に備蓄米放出を決定していたら連休明けの今日から大量に出回る所でした。放出されなくてなによりです。当面は「いくらでも回してくれ」とオーダーを出していた大手スーパーマーケットは地獄の米余りに陥ることでしょう。

我が家には徐々に今年のはじめに納めたふるさと納税返礼品の新米が届きます。大潟村同友会からは「今年の新米予約受付開始」のハガキが届きました。

家庭で精米済みの白米をストックするのは難しいです。冷蔵庫か冷凍保管でも2ヶ月もすれば味は落ちるし3ヶ月以上になると虫がわくことも多い。買いだめした方々は下手すると半年分以上も自宅に置くなら、それだけの冷蔵庫や冷凍庫が必要です。

米不足の解消は買いだめ軍団のストック量が限界に達する9月中旬だろうと言われていました。店頭には在庫が溢れかえっていて、今後は価格も暴落するでしょう。

オイルショック時のトイレットペーパー騒動同様のことが、こんな情報化社会の現代でも発生することに、バカバカしさを感じております。

toshimaあらかじめ書いておきますが、この写真やリンクしている動画は事故に至らず無事であったという物です。

昨日は朝から大神輿(おおみこし)の片付けがありました。私は品川区青少年委員会のボランティア活動で参加できなかったのですが、無事終了との連絡をいただきました。あとは大神輿保存会の鉢洗いを残すのみです。

事前準備の段階からガンガンお酒を飲みまくり、思い出話しに花をさかせ、いろいろなことに一喜一憂しながら約1ヶ月半を過ごし、始まってしまえばあっという間に終わってしまうお祭りの賑やかさとはかなさを痛感しております。

祭礼を理由に13年ぶりにお休みした全日本ロードレース選手権では、21歳のライダーが死亡する重大事故が発生しました。やはり命にかかわるスポーツだけに、単純に休むのではなく誰か代理をたてておくことの重要性を再認識しました。

バイクのロードレースは1列3台でスタートします。偶数列と奇数列で位置がずれており、予選4位の真後ろは予選10位。

写真は9月7日(土)のST1000クラスRACE1スタート時(中継動画)で、予選4位スタートのオレンジのマシン豊島選手がスタート時に失速、1列後方左側に予選7位のモトバム荒川選手(写真手前)と2列後方で真後ろの位置に予選10位モトバム伊藤選手(写真奥)がいました。

豊島選手はスタートと同時にフロントが少し浮いて前進したので真後ろの伊藤選手にはスタートしたように見えたと思います。しかし失速して左を荒川選手が通過したと同時にヨロヨロと車体が左に流れ、左に避けた伊藤選手の目の前に進んでいきます。

ヨロヨロになるのは、オートバイのレーシングマシンって足がつかないほど車高が高いんです。なぜなら加速時はリアタイヤは潰れリアサスペンションも縮むので、縮んでいない低速時は結構な車高になるのです。

伊藤選手は失速車両を視認した時に「絶対無理」と思ったそうですが写真のように無意識に回避行動をしており、奇跡的に後続選手も接触せず事なきを得ました。でも翌日のST600ではそうならなかった。まことに残念です。

先週は、今年の鈴鹿8耐でもチームスガイモトバムレーシングジャパンにコンディショニングスタッフを派遣してくれた都内最大規模の整骨院を営む健康堂接骨院グループ(HP)の取締役で、石垣島マグロレーシング・モトバムでもマッサージを担当してくれた鈴木健造さんの訃報が届きました。

じつは今年彼の携帯に連絡をしていたのですがつながらず、代表の鈴木総院長へ久々に連絡を取ったのですが、その時に「健造は入院してるんですよ」とだけ聞いていました。

あまりの衝撃に驚きましたが、今回連絡を取らせてくれたモトバム松川選手からの「8耐に来てくれてたマッサージの人を今年は呼んで欲しい」との一言で鈴木兄弟と連絡を取ることができ、訃報連絡もいただけたので、ショックではありますが感謝しております。

世の中いろいろありますが、幸いにしてまだ生かされている立場なので、また来年の祭礼を迎えられますことを祈りつつ、まずはみなさまに御礼申し上げます。

今週の全日本ロードレース選手権は岡山テストとなります。こちらもよろしくお願いいたします。

自民党総裁選が始まりました。それはいいのですが、いきなり高市早苗氏の「大方の議員はたいがい手取り30万円台」と語ったとの記事を目にして、さすがに「この人いかれてるぜー!」と思ってしまいました。

「多くの方々から言われます。国会議員はたくさん歳費をもらっていて、ええ生活してるんやろって言われます。でも大方の同僚議員の皆さまは、たいがい手取り30万円台だと思います。少ない方、議員連盟にたくさん入ってらっしゃる方だと20万円台」との認識だそうです。

自分で立候補しておいて、選挙区で多くの人々に投票してもらっておいて、金が少ないとか多いって話しします?私は一貫して意見が変わって無いのですが、政治家に給料は不要だと思ってます。こんなもんヒマと金があるヤツがボランティアでやればいいのです。

例えば町会。私は副会長ですが一銭ももらえません。おまつりの会でも役員だし、お神輿の保存会でも役員だし、品川区の地区委員ってのもやってますが全部賃金はゼロ。品川区青少年委員会だけ毎月1万円支給されますが、活動費として5千円徴収されます。

先週は地域のお祭りでしたが、町会への奉納が1万円、おまつりの会への奉納が5千円、お神輿の会への奉納が5千円、それ以外に各所へ缶のお茶割を2ケースづつ奉納したので支出合計は約4万4千円。

そして鉢洗いと称する打上げ費用が3か所で約1万円、ご奉納いただいたバーやスナックを回っての挨拶費が現時点で約4万円。ザックリ9月のお祭り関係費用で10万円が出て行ってます。ボランティアとはそういうものなんですよ。

「私が総理大臣になったら国会議員の給料はゼロにします!」といった当たり前の事を言える人っていないんですかねえ。手取りが20万円だろうが30万円だろうがどうでもいいじゃないですか。そもそも年間4千万円も支給されて手取り30万って使い方アホですよ。

少なくとも私は議員なんて目指さないし、やってる人を偉いとかスゴイと思った事もありません。ただ、それで生活している職業議員だらけなのであれば、他人を批判し合うヒマがあったら、みんなで仲良く日本を良くすることに邁進すればいいのになーって思ってます。

どうせ1発で過半数を超える候補者なんていないんで、ほぼ自民党国会議員の票だけで決まる決選投票になるでしょうから、立候補者の皆さんは自民党内での多数派工作がんばってくださーい。

sigこのたびのご不幸に接し
同世代の子を持つ親としてレースに関わる立場でしたので
いろいろ考えることがありました

親子で全レース戦っている選手はたくさんいます
我がチームにも親子で参加している選手がいます
どの選手の顔も親御さんの顔も思い浮かびます

あの日あの時あの瞬間まで目の前で元気な姿の家族を
自身の手でコースに送り出し眼前で失うという
この競技特有のアクシデントには本当に心が痛みます

彼の父である紀行氏は1996年の鈴鹿8耐で優勝し
世界スーパーバイク選手権では何十回も優勝した
超有名な元レーシングライダーです

紀行氏の兄 健輔氏も元ワークスライダー
1998年の全日本ロードレース選手権最終戦SUGOで転倒
奇跡的に命をとりとめたものの半身不随となり引退されました

ご家族で世界を回りながらレース活動するのが日常という家庭
父だけでなく親戚のオジサンも元ワークスライダーという環境

ライダーが父という家族は父が監督で息子達がライダーへと変化し
あの日まで続いていました

上位争いにできるタイムを出し激しいバトルも出来るようになり
劇的な進化を遂げている中でのアクシデントでした

スタート順位は予選で決まり 速い選手から1列3台づつ並びます
1列目は予選1位・2位・3位で予選4位の芳賀選手は2列目
この日のスタートは25台で芳賀選手の位置だけ9列目がありました

レースのスタートはスタートシグナルと呼ばれる信号機で表示され
全部赤点灯後に消灯するとスタートです

スタート前にエンジンがかからない選手は手を挙げ
手が挙がった場合は信号機は消灯せずスタートやり直し
信号機は黄色点滅となり START DELAYED ボードも提示されます

芳賀選手は一瞬手を挙げましたが遅すぎました
信号機は消灯しスタートは切られていました
エンジンを再始動しなければ後方から20台以上の選手が来ます

エンジン始動は左手でクラッチを切り右手でスターターを押すので
当然ですが両手はハンドルを握った状態になります
後方に自身が停止していることを知らせるすべは失われました

スタート直後は全選手が隙間を探して広がります
後方スタートの選手は前方視界が各車両で埋め尽くされますが
それでもより後方の選手に追突されないようフル加速が原則

停止車両に近いスタート位置の選手は速度も大して出ていないし
前方視界も確保されているので上手くよけられました
その時点で信号を全赤にしてレース中断できたかもしれません

ただライダーは完全に伏せ小さなスクリーンを通して前方を見ます
ですからスタート後その信号に気付けたかは分かりません

結果的に後方の2台と接触
50m以上フル加速して目の前の停止車両を視認した選手達は
時速80km以上出ていて一瞬のことだったと思います

接触車両を含め全員がよけていました ただよけきれなかった
ほんの少し位置が違えば最悪の事態は避けられたかもしれません
この日は何もかも悪い方向にいってしまいました

紀行氏は気丈にも
泣いてはいけないと思うので泣きません見送ってやってください
とおっしゃってました

ご家族のみなさんの辛さを思うと何の言葉もかけられませんでした
ここでは文字で記させていただきます

このたびのご不幸に対し 心よりお悔やみ申し上げます

記事が出ましたのでアップさせていただきます。

2イベント会社の営業マンとして売上を作るにあたり、最初にやったのは大阪市内総当たり作戦で、当時の無知な私に知ってる会社も知らない会社も無いので、しらみつぶしに営業をかけていました。

そんな中で、なんとなく知ってる会社名で武田薬品・塩野義製薬といった製薬会社や、伊藤忠・丸紅・兼松江商といった商社や、積水ハウス・ミサワホーム・積水化学といったハウスメーカー等から引き合いをいただくようになりました。

ただ大阪の会社でしたので、部署としては日本生命チーム/ダイエーチーム/松下(現パナソニック)グループチームに分かれていて、私の所属は日本生命チームでしたが、最下級パシリとして他チームからも引っ張りだこというありがた迷惑状態でした。

新規の引き合いをいただく中で、リモート会議なんて無い時代ですので、結構な頻度で打合せに行かないといけないのですが困難で、引き合いが増えるに従って広告代理店に入ってもらって調整する機会が増えて来ました。

そのうち、会社から「創芸(現DGコミュニケーションズ)って広告代理店があるから担当しろ」と言われ、訪問したところ気に入っていただき、突然ですがプランナーを任命いただきました。

これが大変で、この創芸って会社は不動産系プロモーションを専門領域としていて、マンション販売やニュータウン開発をやっていました。旅行会社の海外ランドオペレーターとイベント会社しか経験してない私が不動産開発プランナー!?って状態。

しかもワープロすら使った事無いのに企画書を書かないといけない。その頃にApple社のMacintosh Classic IIという今考えるとオモチャみたいなパソコンを購入し、何枚にも分かれていたフロッピーディスクを使ってクラリスなんとかというアプリを入れて企画書を書き始めました。

そうしたら、1992年当時そんなハイカラな事やる人はいなかったのでバカ当たりしまして、来る日も来る日も企画書を書く羽目に陥ったわけです。朝から夜までイベント現場をこなして深夜は企画書を書く毎日。鍛えられましたねー。

バブル崩壊していたので、過去の不動産販売データが使い物にならない中、直近の販売動向を見て2年後から5年後に分譲する物件の計画を立てるのですが、様々なデータ分析技術はその頃に磨かれたと思います。

販売計画も地縁者対策/職縁者対策/ニューファミリー対策/親がかり購入対策なんて形で細かく細分化して、収入別購入シミュレーションなんてのも作っていました。

・・・つづく・・・

tantouマンションの販売センターをパビリオンやサロンと名付け始めたのもこの頃。というのも1990年に大阪で通称花博という国際花と緑の博覧会ってのがあって、当時はイベント用建築物ならパビリオンでいいんじゃね?って感じだったから。

「パビリオンって名付けるなら入口に建物の模型を置いて照明演出もしましょう」なんて感じで盛り上がったりして、高級家具メーカーとタイアップしてモデルルームの家具を全部コーディネートさせたり「最後の1軒を買う方にモデルルーム内の家具全部プレゼント」等も企画しました。

再開発の流れもよく分かったし、建設省や都道府県市区町村との行政交渉もたくさんやらせていただき、大きな経験になりました。

あと、バブル崩壊でブームになったのが企業の社員寮売却。バブル時は「豪華社員寮アリ」なんてことを求人時にアピールするため、大手企業はこぞって大規模社員寮を購入したり、既存社員寮を建て替えたりしていたんです。

これの口利きは感謝されましたねー。もちろん不動産仲介会社では無いので手数料は取りませんし責任も取らないのですが、新日鉄堺の社宅売却を三井不動産に紹介させていただいた時は、寮のさよならイベントからマンション販売終了までのモデルルーム作業をうけたまわりました。

創芸様との最後の仕事は神戸市北区にある「神戸花山手」という阪神電鉄が手掛けていた大規模分譲地での1995年9月から10月にかけての第二期?分譲販売センター運営。

1995年1月に阪神淡路大震災があったのですが、被災地から離れたその地は無事だったので、結構な来客があり、販売センター前の巨大テントが強風で飛ばされて分譲中の家の屋根に突き刺さる等のトラブルもあって思い出深い作業となりました。

当時乗っていたフォルクスワーゲンのゴルフ2に着替えと引っ越しの荷物を満載にして、10月1日(日)の販売センター営業終了とともに、新たな転職先である旧電通岡山支社へと自身の運転で向かったのは今も忘れません。

山や工場を購入して、建設コストと販売コストを算出して事業予算を組み立て、売りやすい価格の物件を検討して商品づくりをするのは、住宅ローンを組もうとする方の人生を左右するプランニングで、毎日しびれる生活でした。

「(住宅金融)公庫金利3.65に下がるらしいから物件価格上げろ!」とかやってました。今だと63平米で3LDKって狭すぎて滅多に無いと思いますが、そんなのも作ってました。物件を購入された方々が今も幸せに暮らされてることを信じたいです。

「仕事あればトラブルあり」
「トラブルが無いのは仕事してないヤツ」

イベント会社ではそう教わりました。それでもイベント会社がトラブルの少ない業種であることを当時はまだ知りませんでした。そして毎日がトラブル続きの広告代理店生活が始まるのですが、それは10年後にでも書きたいと思います。

長文におつきあいいただきありがとうございました。

misu私は個人的に文字で残すことを大切にしています。というのも人間は忘れる動物だから。一番嫌いなのが何の文字でも残さないのに記憶で話す人。理由は同じです。

私の若い頃は検索もインターネットも無くコピーですら自由に出来ませんでした。コピー機なんて大学や大型文具店にあるだけで、何枚も紙を刷りたい時は表面にロウが塗られた紙に鉄針(鉄筆)で文字を書いて、わら半紙というヒドイ紙に手で印刷(参考記事)していました。

仕事も遊びも覚える事が山のようにあり、言われたことを記録するにはカセットレコーダーで録音するか紙にメモるしかありませんでした。

本は素晴らしい物でしたが、当時の図書館は国会図書館も含めコピー不可で、調べ物をすると大変な時間滞在してノートに書き写していました。だから古本屋で欲しい本を格安で見つけた喜びは格別なものでした。

仕事で覚えないといけない事は、文字で書いたメモを単語帳に移し書きして反復してました。旅行会社の時はアルファベットの表現も特殊で「 A=エーブル、B=ベーカー」と覚えたし「成田=NRT」「バンクーバー=YVR」といったコードも覚えました。

イベント会社では全国のイベント会場を回るので、各ホールの定員数や楽屋数とサイズをメモるだけでなく、会場で借りられる物品一覧も記録していました。

先日の事務所移転では「高知県立県民文化ホール=オレンジホールとグリーンホールの音漏れ注意/高知新阪急ホテル至近/10t車は天神橋パーキング」なんて書いてあるノートも出て来ました。

ファックスが一般化したのは1990年代だと思いますが、80年代中盤までは紙テープに穴を開けて記録するタイプのテレックスで文字通信をしていました。一日中テープに穴を打つ「ダダダダダ」の音が聞こえているのは会社や自治体では当たり前でした。

見積書や請求書は手書きが基本。間違ったらガンジーのミスノンという修正液で消すか二重線の上に訂正印を押して上書きしていました。事務所の引き出しには「ミスノン/ミスノン薄め液/訂正印」は絶対入ってました。

普及価格のワープロと呼ばれる日本語タイプ機の普及は90年以降。80年代後半からワープロは企業内に普及しつつありましたが、誰もキーボードを打てなかったので、ワープロを打つのは専門職の若い女性というのが当たり前でした。

電話番号は会社や取引先は頭に入っていて、無線タクシー予約や行きつけ飲食店の電話番号も覚えていました。当然ですが手書きの電話帳は宝物として常に持ち歩いていました。

毎日が「文字で残す/書いて覚える/読んで思い出す」の連続。情報が頭に入ってるから誰よりも早く対応できる。今の検索頼りの人々を見ていると「文字を書くというありがたい習慣を身につけてくれた」ことに感謝です。

こんなこと書いてますが、酔ってフラフラになって「GO」アプリでタクシーを呼んだり、YouTubeでレース観戦したりとネットの恩恵にも人一倍授かっているのですが、これからも文字で書くという習慣は大切にしたいと思ってます。
kamiboukyau

butaiイベント業と最初に関わったのは音響屋さんでのアルバイト。朝6時頃に大きな国道沿いでトラックに拾ってもらって8時には現場入り。内容は「EPO」って歌手のコンサートで、夜21時過ぎに撤収完了で23時頃にトラックで自宅近くまで送ってもらいました。

その時からずーっと言われて来たのは「イベント当日作業は機材の積み込みから積み下ろして数量と破損や紛失の有無をチェックして車両清掃するまでだからな!」ってこと。「イベントの設営開始は撤収の段取り開始だぞ!」とも言われていました。

コンサートの例を挙げれば、まずは「一切の忘れ物が無いよう備品リストを作成」して、次に「万一の事態に対応できる予備備品を用意」して「忘れ物が無いように積み込み」。

現場に着いたら「積み下ろし忘れの無いよう搬入」して、次に「搬入物チェックして設営開始」となって、そこからは「設営しながら整理整頓して撤収準備」となります。

ここが最も重要な部分で、舞台上は速やかに設営したいんですが、同時に機材の空ケースが大量に出て来て、設営が進めば進むほど搬入した機材の2倍近くのスペースを取るようになります。だからドンドン整理整頓しないといけないんですよ。

それも、撤去時は最初に使うケースを一番下にして重ねて置いたりしたら一大事ですから、撤収手順を理解した上で空ケースを置かなきゃいけない。もちろん舞台・照明・映像・特殊効果・楽器といった各業者さんと連携しつつ収納場所を取り合うわけです。

音響スタッフが音出しを終えたら即座に照明スタッフが会場を真っ暗にして全ての照明の向きを調整する照明シュートの時間になります。

その間にペンライトと作業灯だけを頼りに持って来た機材の中で不要な物をドンドン整理してコンパクトにして搬入口へ追いやります。若い頃は「使わない物は片付けろー!」とずーっと怒られてる感じ。

昼食前に控室の場所と昼食&夕食がお弁当なのか現金精算なのかも確認必須。コンサートあるあるは、全スタッフが近所唯一のコンビニで弁当を買おうとするも客に買われて在庫切れ、唯一の飲食店に出前を頼むも時間がかかり過ぎて誰も食べられ無いパターン。

その後はバンドが到着してサウンドチェック、歌物であれば主役が入ってリハーサル。その頃にはすでに「アンコール前に使わないマイクは前に出すんで終了後に楽器は上手(舞台向かって右側)にお願いします」なんて打合せをやってます。

設営のピークはリハーサル開始前。リハーサル終了直後が撤収準備のピーク。コンサート中は「ミキサー卓の空ケースってどこ?」「下手花道奥です」みたいな段取りの嵐。

本番開始後は入場口でチケットのモギリや誘導をやっていたバイトスタッフは撤収用の動きやすい服に着替えて警備配置へ。

楽屋や楽屋通路にはケータリングと呼ばれるドリンクやお菓子が置いてあるんですが、本番開始と同時にポットやクーラーボックスまで撤去され最低限の物だけに。ゴミ袋も燃える&燃えない各1枚を残して撤収されます。

ディナーショーやパーティー現場だと音響・照明等のスタッフってスーツなんですが「本番中の暗いうちに(撤収用の)動きやすい服に着替えろ」と言われてました。

これらから学んだのは「イベントは本番開始前に撤収の段取りを終えておけ」ってこと。「本番=撤収イメトレ」って感じ。スタッフの多くは「帰りは餃子の王将で食べてから倉庫な」なんて話してるイメージ。

各種ボランティア活動をやっていると、本番で燃え尽きイベント終了してから撤収段取りってパターンが散見されます。お道具箱が全部開いていて備品は何が何処にあるか分からない状態で撤収開始は無理があるので、本番ピーク時には7割が片付いてるって状態が良いんですけどねー。

今日と明日は今週末ボランティア活動の準備が佳境に入るので、自分のテリトリーだけは早急に作業が終わるように撤収段取りを考えながら準備してみます。

20240909_220408昨日開催された全日本ロードレース選手権ST600クラスの決勝レースで、2列目予選4位スタートの芳賀涼大(21)選手のマシンがスタート出来ず後続車と接触し、不幸にも亡くなられたとのことです。

芳賀涼大選手は、世界で活躍された芳賀紀行さんの息子さんで、お兄さんの芳賀瑛大選手とともに全日本ロードレース選手権に参戦されていました。

謹んでお悔やみ申し上げます。

autosport web

20240821_115309~3写真は大岡山のタイ料理店「ココナッツシュガー(食べログ)」のランチAセットで、グリーンカレーとガパオにサラダとデザートが付いて確か900円ぐらいです。

東急電鉄大岡山駅から徒歩3分ぐらいの距離で、12時前までに入店すればランチタイムも混雑する前に入れることもあり、しかもデザートまで付いて1000円を切るタイ料理店って滅多に無いので、近くにあるサイゼリアのワンコインランチを食べるつもりが、ココに行ってしまうという機会もよくあります。

エリアとしては東京工業大学がドーンとあるので多くのお客様は大学関係者だと思いますが、大きな総合病院の東急病院もあるので、お見舞いや通院の方も来店されているのだと思います。

お得な価格のテイクアウト弁当もあるのですが、私はそれを買っても食べる場所が無いので敬遠していたのですが、じつは東京工業大学のキャンパスが出入り自由だと知ったので、次回訪問時に天気が良ければ、お弁当を買って日向ぼっこも良いかなと思っております。

じつはこのお店、ディナータイムはコースもありまして、その価格が1人2000円を切ると言う奇跡。さらに1600円の120分飲み放題をセットにすると500円引になるという大盤振る舞い。密かに夜訪問も狙っております。

sir日本には公営競技と呼ばれる競馬・競輪・競艇・オートレースの官製カジノがあって、さらに民間もパチンコ・パチスロ店と言うカジノを日本中で展開しています。

日本にカジノを導入するにあたってできたIR法案ですが、別に最初からそんな法律無くてもカジノというか合法ギャンブル場はあるわけです。そしてそのほぼすべてが荒廃した場所であり、集まっている人々はほぼギャンブル依存症患者です。

日本のIR法案では、カジノと連動してホテル・劇場・国際会議場といったものを複合開発するとしていますが、世界中を見回してもカジノってのは僻地に作られるもので、最初から国際展示場やホテルがある都市部になんて作りません。

何やらラスベガスやマカオを成功事例と思っている国会議員や地方議員が多いようですが、ストレートな書き方をするなら、それらの街は大して賑わってるわけでも無ければ、大して楽しい場所でもありません。

幸いにして社業の中にイベント業が含まれているので、エンタテイメントを見たり展示会に参加するためにラスベガスやマカオに行く機会もありますが、同じことをやりに行くならロサンゼルスや上海のほうが楽しいというのが正直なところです。

大阪府と大阪市が誘致を進めてきたカジノ事業ですが、これの撤退可能期限まで2年もあるというのに撤退しないことを決定しました。

本来なら大阪万博前にカジノ工事が完了していて、そのおかげでインフラや巨大ホテルが多数整備された場所で万博が開催されるはずだったのですが、着工が遅れに遅れた結果、何も無い場所で万博を開催することになってしまい、何もない場所で真夏の過酷な工事が続いています。

開発資金はアメリカのMGMリゾーツと日本のオリックスが主体となって全体費用の大半を負担するのですが、アホみたいに工事費用と建築資材が高騰しているので、当初は1.2兆円としていた金額の大幅な上振れが予想されています。

屋根すら無い新国立競技場の建設費が1600億円程度なのに、電気・ガス・水道・道路といった基本インフラすら整備中の場所に、国際展示場とエンタテイメント施設と商業施設とホテルにカジノを建設して1.2兆円は無理がありますからね。

私はバブル期に2018年までORC(オーク)200と呼ばれた大阪弁天町駅周辺の大規模再開発を手掛け、華々しく失敗した経験もありますし、1999年には大阪南港のバブル遺産であるATCの顧問をやっていたこともあります。

もちろん国や大阪の地方自治体が大金をドブに捨てたと言われる関西国際空港や、パナソニックグループが同じく大金をドブに捨てたユニバーサルスタジオの開発ならびに開業周辺にも関わりました。

そういった経験から書かせていただくなら、そんなもん無くても大阪は魅力的なのです!だからそんなもんに誰も見向きもしないのです。梅田と心斎橋と難波と天王寺で良いのです。

私のラスベガスでの定宿はピラミッドのあるルクソール。まさにMGM村のど真ん中で目の前の交差点にはMGMグランドやニューヨークニューヨークがあり横にはベラッジオとMGM系ホテルが立ち並び、ボロ負け記念メダルも多数保有しています。

その経験から言って、日本へのローカライズが一番難しいパートナーと組んでるなーというのが正直な実感。下手すると日光江戸村と太秦映画村が合体したようなホテルになって、フロントスタッフが忍者装束だったりするんじゃないかと思ったりしてます。

もちろんそんなことは無いと思いますが、毎週ボクシングの世界戦をセットしたり、ホワイトタイガーのイリュージョンショーを毎日やるなんて日本では出来ないと思いますので、どうせ建設するならフルスイングで良い物を建設してもらいたいものだと思っております。

最後になりましたが、小さい子供連れでラスベガスへ行くならホテルはサーカスサーカス(HP)がおすすめ。理由は単純で宿泊費がリーズナブルなのにしっかり楽しめること。

カジノフロアでは24時間サーカスが無料で楽しめるし、カジノフロア上の階に楽しいファミリー向けカーニバルゲームも多数。食べ放題のレストランはオリンピックの選手村さながらに世界中の料理があります。よろしければご検討ください。

20240801_120813~2都心展開されている八百屋に「旬八青果店(HP)」というお店(参考記事)があります。

田町に事務所があった頃も事務所のあるビルの2軒右隣にお店があり、新鮮野菜が売りのお店が作るお弁当なので美味しさは間違い無しなのですが、見た目の彩りがキレイで食欲をそそるし、お魚やお肉のクオリティも高く、結構な頻度で利用させてもらってました。

コロナ禍で都心の事務所を閉めたのですが、その後も五反田TOCと大崎広小路にお店があったので、利用は継続しておりましたが、TOCの建て替えが決まり閉店。そして大崎広小路のお店は自転車店と併設でしたが、自転車店が撤退したので旬八さんも無くなってました。

ところが大崎広小路のお店がほぼ同じ場所で再開しまして購入したのがこちらのお弁当。少し前の話しなので金額は覚えて無いのですが、いつも700円前後なのでこれも同様だと思います。

写真の野菜や鶏肉が動いてしまっているのは私の運搬方法がクソだからです。どんなにキレイに仕上がってるお弁当やケーキでも、私が持つと縦になったり転倒したりでグチャっとなるのですが、それについては申し訳ありません。

当日はテレビ取材が入っていて、生の冷やしきゅうりをいただいたので、もしかしたらニュースやワイドショーに映り込んでたかも知れません。

あまり沢山店舗があるお店では無いですが、結構メディアにも取り上げられているので、お近くにある方はお弁当から試してみられてはいかがでしょうか。たまに午後になっても残っていて値引き販売されてることもありますよー。

20240801_120758~2

suke昨日発表された「株式会社資さん株主変更の予定(リリース)」は、福岡を代表するうどん店の一つである「資さんうどん」の全株式が「すかいらーくHD」に行くとのものでした。

報道によると価格は240億円。2015年に創業者が死去して紆余曲折の後にユニゾン・キャピタルという外資の投資ファンドが全株を取得。ここ数年は関西進出や関東進出が話題となっていて、投資ファンドの売り先に注目が集まっていました。

私は関東でのフランチャイズ出店ノウハウの多い「かつや」等を運営する「アークランドサービスHD」がベストパートナーだと思っていましたが、すかいらーくHDの方が高い金額を提示したんですかねえ。

すかいらーくHDって会社は大きいのですが、タイアップ企業の味を都合良く解釈してガストのメニューに採用しちゃって似ても似つかない味にしたりするし、アークランドのから揚げ店「からやま」そっくりの「からよし」を展開して裁判(記事)になったりしてましたよね。

できれば変わらぬ味とブランドを維持し続けてもらいたいと思ってるのですが、そんなわけには行かないですよねー。

昔は「Sガスト」と名乗っていたファーストフード形態の店舗が結構な数「から好し」になっているのですが不調店舗も多いようなので、これが安易に「資さんうどん」に衣替えするだけで味やクオリティ無視の大量出店とならないことを祈ります。

20240906_182719~2先日予告しておりました、立食いソバチェーン「ゆで太郎」で9月末まで開催中の「かつ丼/カツカレー100円引きセール」に行ってきました。

「倍盛鍋カツカレー1380円」を試す前に「ミニカツカレーセット760円」で様子見を図りましたが、ぜんぜんヘタレの私では歯が立たず、カレーもそばも残す結果となりました。私に大盛り系は無理なようです。味はとてもおいしかったです。

それはさて置き、今までだと単なる「再来同機づけ」として配られていた無料クーポンが、今回は「能登半島応援チャリティークーポン」として募金箱とともに置かれていて「1枚に付き100円以上の募金をお願いします」と書いてありました。

こういうのいいですねー。このクーポンは海老天・かきあげ・コロッケ・三陸わかめ等といった7種類の小鉢がもらえる物で、430円以上の食事で1枚使用できるのですが、非常にお得感のある物なので、募金に使うというのは素晴らしいと思いました。

しかも、無料でもらうクーポンと違って、チャリティとは言え購入するのと同じ感じなので、再来同機づけとしても高い機能を発揮するのでは無いでしょうか。

私は通販化粧品等のコンサルでも「無料サンプル排除派」です。理由は単純で「タダならもらう」「タダだから申し込む」という人は不要で、「有料サンプルは信頼できる」「タダならいらない」という人を取り込むことが出来るため。

「ゆで太郎のクーポンならお金を払っても買いたい」「お金を払ったのだから使わないと損」って方々の手元にクーポンが行くということは使われる確率が一気に上がるでしょうから、後日効果検証の結果を知りたいと思ってます。

このたびはカレーもそばも残してしまい失礼しました。次回はご飯物とそばのセットでは無く、そばだけを注文してみたいと思います。

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20240907_124951~2全日本ロードレース選手権ですが、前回のもてぎラウンドは品川区青少年委員会ジュニアリーダー教室のサマーキャンプ引率で欠席させていただきました。

今週のオートポリスは、戸越八幡神社例大祭に伴い地域の祭礼が開催されますので、今回も欠席させていただきます。全日本ロードレース選手権の現場を欠席するのは13年ぶりですが、さすがに副町会長だしお祭りの会の役員でもあるのですみません。

そんなわけで先週末から毎日のようにお祭り準備をしております。

2生命保険会社の元三井生命だった大樹生命さんのセールスレディの方がお越しになり、私の加入している生命保険を見せてくれという話しになりました。

そんなもん加入したことすら忘れているのに、保険証券なんてちゃんと置いてるわけが無いんですが、偶然にも事務所を移転したばかりだったので、保険証券ファイルが会議テーブル横に置いてあり、運良く保険見直しをする機会を得ました。

生命保険って新入社員の時に強引に入れられますよね、私もそうでして22歳で就職した際に入らされた生命保険と個人年金があって、30歳の離婚時に解約したのが利回り6%だったので、それが一番もったいなかったのですが、同じぐらいの利回りの個人年金に1本加入してました。

さらに忘れていたのですが、阪神タイガースに入団した藪恵一さんが朝日生命のPR担当だった時に入った個人年金が1本あり、これもまさかの利回り4.5%。

さらに阪神応援団の仲間に今は無きアリコジャパンと言う会社の営業マンをやってたのがいて、その彼が就職と言うか転職した際にご祝儀で加入した終身保険1本。住宅購入時に加入した終身保険がさらに1本。そして医療保険が夫婦で2本ありました。

あとは米ドルの貯蓄タイプの終身保険が2本。豪ドルの貯蓄タイプの個人年金が1本。そんなの加入した事実すら忘れてましたが、どれも最近加入した物でも32歳と25年前で、しかも全期全納で収めているので、払ったのが25年前という感じでした。

それはいいのですが、当時加入した保険だから貯蓄タイプばかりで、60歳から年金方式で10年や15年に分けて受け取れるようになってまして、いろいろ調べると60歳から全部を10年間に分けて年金方式で受け取れば、毎月32万円と1200米ドルと500豪ドルになることが分かりました。

ってことは60歳から70歳まで52万円ぐらいもらえるわけですよ。そして65歳から年金が月に13万円受け取れる計算なので、65歳から70歳は月に65万円が得られることを知りました。

今、会社の借金が6千万円なんですが、個人年金だけで返済できちゃうことになります。知らんかったなー。生命保険の見直しに来てくださった方に感謝ですよ。

消費税を払うだけでこの2週間ほど四苦八苦していた私は、20代&30代の自分が保険会社のセールスに弱かった自分と強引に売り込んでくれたセールス担当者に感謝しました。

確かに90年代の若い頃って土日も夜も休みなんて無かったので、給料やボーナスって使い道無かったんですよ。そして事務所にいると保険会社のセールスレディがいるので、うっとうしいから外回り頑張っちゃって、そうすると営業成績も上がって収入が上がるってスパイラルになってました。

昔は1年物の「ワリチョー」とか5年物の「リッチョー」って貯蓄商品があって、ボーナスを全部そこにぶち込んでたんですよ。確か郵便局の学資保険でも90年代前半は金利が5%以上あったので、利回りが7%ぐらいでした。

ボーナス時1回30万円を年2回リッチョーに入れると5年後に60万円が85万円ぐらいになって、それをもう1回リッチョーに入れると118万円と元金が10年で2倍になる感じでした。その資金の運用先に困って生命保険を全納してたのを今ごろ思い出しましたよ。

大樹生命の岸本さんありがとうございます。病気やケガのリスクの備えた保険が少ないと指摘されたので、それの加入を検討したいと思います。

政権交代まで果たした元民主党とは思えないほど弱体化した立憲民主党(以下立民)ではありますが、とはいえ野党第一党であり、都市部では自民党支持者層が一部老人のみなので、無党派層が5%ほど投票行動を立民に移せば、再度の政権交代も不可能では無い状況だったりします。

その代表である泉健太さんですが、まさかの代表選立候補断念となりそうな雲行きです。というのも推薦人が確保できないため。

党内で仲間を作れない人が政党の代表ってのは残念過ぎますねー。それで有権者や国民から広く理解を得ようとするのは無理がある。自民党の岸田総理もそうですが、何の失敗もしていないのに仲間や理解者が得られないってのは悲しいですねー。

今はYouTube時代になったので、政治に興味がある人は積極的に政党代表の動画を見るわけですよ。泉代表って様々な著名人と対談動画が出てますが、結構なレベルで突っ込まれてるんですね。

与党政治家の揚げ足取りで人気を博した人なのに、同じ揚げ足取りのひろゆきさんとかにツッコミまくられるってダメじゃないですか。

私は泉代表が個人的にどういう人かは知りませんが、YouTuberごときに突っ込まれてたら野党第一棟ってことは与党の揚げ足取りする人が一番いるわけで、党内の人々に突っ込まれまくって大変なんじゃないかと推測するわけです。

結果的には党代表として挑んだ選挙で議席数を大幅に減らし、党内でも理解者が減少してギブアップ直前ってことなのでしょうか。自民党の岸田氏もそうですが、なにも失敗してないのに理解者がいないって悲しいっすねー。

ここから頑張って立候補まで漕ぎ着けることを祈っております。

kutsuこれはインターネット普及前の話しです。昔の電通では広告主の御用聞きをする営業(今は違う言い方をしますが分かりにくいのでこのままで行きます)が最上流でして、その下にテレビ・ラジオ・新聞・雑誌といった主要4媒体の担当がいて、その周りにCM制作等のクリエーティブ担当やイベント等のプロモーション担当がいました。

「広告主を放送局に紹介したいので食事の席を用意してもらえますか?」

なんてことをテレビ担当に頼むと、最上流である営業の先にいる広告主様は「神」なわけで、とんでもない勢いでお店や時間等を決めて連絡してくれます。そして当日を迎えると、放送局のエライ人と広告主のエライ人と電通テレビ局の偉い人と営業部長と私といった感じになります。

ここでスゴイのがテレビ担当で幹事を頼まれた人の動き。宴席には同席せずひたすらバックアップに従事。店前でのお出迎えから座席までの誘導などは当たり前。二次会の場所決めや道案内やタクシーの手配まで完全に仕切り切ります。

世の中ではそれを体育会系と呼んでるのかも知れませんが、私は旅行代理店出身ですし、イベント会社でタレントの食事セッティング等もやっていたので、少々のことではビックリしませんよ。これは体育会系なんてものじゃなく「宴会幹事はこうあるべき」ってマニュアル化された動きだと感じました。

例えば先に店舗へ行って座席のティッシュやトイレの手拭きタオルがあるか確認します?彼らは無い場合に備えて持参して設置するだけじゃなく、店舗にもストックを置いて行くんですよ。靴や上着・コートを脱ぐ場面がある場所なら消臭スプレーを用意してます。

汗拭きパウダーシート/ウエットティッシュ/使い捨ておしぼりなんて持ち歩かないですよね。でもあったら嬉しいじゃないですか。そんなの持ってて当然どころか絶対に雨が降らない状況でも折り畳み傘を持ってて、帰りに雨模様だとビニール傘を買って持たせます。

当時はこういうのを全て「仕切り」と呼んでましたが、1年目や2年目の若い社員でも先輩と同じ動きをしていたので、きっと先輩方は「オレの仕切りを見てお前ら覚えろ!」ってやってたんだと思います。

私達営業は、ある程度ご挨拶とコミュニケーション機会を構築出来たら出来るだけ早く解散させないと、仕切りをやってくれてる面々こそ毎日仕事で相対している同僚なので迷惑がかかりますから、その気持ちいい雰囲気に飲まれること無くお得意様を連れて行くタイミングを一生懸命探ってました。

今ではそんな伝統は途絶えちゃってると思いますし、今もそんなことやってたらおかしいのですが、昔の電通はそんな楽しい戦場でした。いつも誰かに頭を下げながら、常に降って来る無理難題に必死で対処する日々。

様々な場面で気づきを与えてくれ、様々な場面で一緒に汗水流して頑張ってくれた電通ならびに電通グループの皆様方に感謝するとともに、今後ともよろしくお願いしたいと思っております。

kome大手スーパーでのお米の販売量は昨年比約1.5倍らしいです。だから、店頭に無いということは誰かの家にあるということになります。

またアホみたいに買い占めてるヤツらがいるんですよ。

うちの近所のスーパーにも開店前から並んでる人々がいます。それは老人。5kgとか10kgもある物を持って帰るの大変だと思うんですが、テレビで「米が無い」って言われると買いに行くんでしょうね。マスクの時と同じですよ。

しかも、今はミネラルウォーターも無いらしいです。近所のコンビニでも「1人1箱まで」と書かれていて、こいつも買い占めてる人がいるんでしょうね。水道水が出るならミネラルウォーターなんて不要ですけどねー。

アマゾンで売ってる5kgのお米も5千円以上になってますね。こうやって騙される老人も良くないし、騙す小売りも良くないなーと感じております。まあ買い占める人が一番悪いんでしょうけどね。

株価が下落してるランチタイムにアホみたいなことを書いてすみません。

hoyu今年の鈴鹿8耐ではじめて「この方が青汁王子こと三崎さんです」と紹介されたのですが、こちらは8耐でバタバタしていたし、先方もカワサキ250ニンジャのレースに出るとかでしたので、申し訳無いのですが会ったと思うのですが知らない方です。

私どもの関係者に知り合いの方がいるんだと思いますし、今年に入ってバイクを購入したいとか言ってたって話しも聞いてましたが、それ以上でもそれ以下でも無いです。

ネット記事で株の大暴落で大きな損失を出されたと見ましたが、元々どの程度の資産家だったかとか、どうやって資産形成されたかとか知らないので、こちらも全く分からないです。今朝再度検索してこの記事に接しましたが、これを読んでも詳しい内容は分かりません。

今回書かせていただくにあたっては、ツイッター改めXのご本人のページを拝見させていただき、信用取引で大きな損失を出た際に、不足する追証(おいしょう)を自身の会社資金から払ったけど、その後も株価が下落したのでエライこっちゃになったという事が分かりました。

大暴落後に株価は結構戻したので、資金が豊富にあれば良かったのでしょうが、下げ局面で資金切れになると厳しいのは分かります。

株式で資産運用する比率って独身世帯でも30%以下だと思いますので、三崎さんは極端に株式に寄った投資をされてたのかもしれませんね。私は日経平均株価2万8千円で年間で5万円ぐらい儲けて全部手放したので、現在は保有株式ゼロです。

そして以前からスタッフにも言ってますが、次に買うのは日経平均2万円を割った時ですので、当面手を出しません。

投資金額が大きい人は損失も大きいって事ですね。私は身の丈に合った地味な運用で何も派手さの無い生活をして行きたいと思っております。三崎さんも復活してまたサーキットでお会いしましょう。

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