
その昔、お米は国の全量買い取りでしたが、余った米が大量に出て国家施策として「減反政策」というのが1970年から始まります。農地を水田から他の耕作物に変えると農家にお金が支給される仕組みで、70年代から80年代は全力で田んぼを減らしていました。
しかし減らしても減らしてもお米が余る。だって食べないんだもん。そこに1972年のあさま山荘事件で機動隊が食べていた即席ラーメンに注目が集まり即席ラーメンブーム到来。さらに1962年に指宿市の観光PRで始まったそうめん流しが70年代に回転流しソーメン機の普及で大ブームに。
60年代にマ・マーやオーマイといったスパゲティブランドが普及し始め、喫茶店でナポリタンが提供されるようになると、こちらも急速に家庭へも浸透。80年前後の喫茶店インベーダーゲームブームとファミレス誕生でパスタはイタリア以上に普及することになります。
これと同時期に問題となったのが「子供が箸を使えない」ということ。家庭でご飯を食べないのに学校給食では先割れスプーン(コレ)しか出されないから、箸なんて使うシーンが無い。結果的に今も死ぬほど持ち方がヘンテコなオッサン&オバサンいますよね。はい私達の世代です。
国会ではお米を食べさせる「(箸で米を食べさせる)米飯給食を開始せよ」というムーブメントへと発展し、1976年からお米が給食で出される地域が出て来ました。(学校給食の歴史) ただ、私の場合は小学校の給食は全部コッペパン(ごくまれにカレーパン)。
中学校は任意で昼食を購入できましたがパンのみ。高校の学食にカレーライスがあったので、はじめてランチでご飯を見たのは高1ということになります。
神戸市で小学校の学校給食にお米が週1回出されるようになるのは1982年ですから、食べてるのは50歳未満の方だけですね。(神戸市学校給食のあゆみ)
それなのに19歳でカナダに引っ越しちゃって、帰って来たのが23歳なので、箸を使うとかご飯を食べる文化に慣れるのは大変でした。箸の持ち方や使い方は何度も指導されたし練習もしましたが、あいかわらず下手くそで、ナイフ&フォークに頼りがちです。
大阪や神戸に住んでいた時はこういう話しをしてもビックリされませんでしたが、東京は地方からの移住者が多いので、米食が普及していたのと学校でも米飯給食が早期から開始されてたようなので、いちいち驚かれます。地域性っておもしろいですね。
カップヌードルの登場が大阪万博翌年の1971年(即席めんの歴史)ですから、80年前後は家庭や学校の食事は激変の時代でした。そんなわけで、お米を食べない私のような世代がいるんですよ。
もし食事に行く時にオッサンやオバサンが「鍋とか寿司は嫌いなんだよなー」と言ってたら、ご飯が苦手か箸の使い方が下手なんだと思っていただき、一定の配慮をいただければと思います。堂々とスプーンで食べられるカレーは大好きです!おしまい。
