
私のような昭和40年代に入ってから生まれた世代は、蒸気機関車はすでに退役しており、そのかわりに非電化区間を走るためのディーゼルカーが大量に走ってました。小さい頃の私は鉄道マニアで、おばあちゃんのいる伊予西条や松山へ神戸から行くのが最高の楽しみでした。
小学生の頃から移動は1人or弟と2人でして、時刻表を見ながら移動するのですが、当時は新幹線の終着駅だった岡山駅で宇野線に乗り換え。宇野駅に着くと連絡船にダッシュしてデッキのうどんを食べるのが基本形。
そして高松駅に到着すると夢の国鉄型ディーゼルカーランドが眼前に広がります。徳島行き、高知行き、愛媛行きの急行や特急が何編成もホームに停車しており、ホーム上は荷物を運ぶカートとターレットが走る中で駅弁販売がおこなわれてました。
デジカメの無い時代ですので写真なんて撮れません。フィルムカメラは24枚とか36枚しか撮影できないわけで、とっておきの1枚を撮るために温存するためです。でも温存し過ぎて何も撮ってないって事も多々ありました。
当時は特急しおかぜ号より急行いよ号に乗るのが好きでした。というのも所要時間が大して変わらないのに、急行の方が安い上に停車駅が多いので楽しみが多いからです。
コロナ禍を経て感じるのは「ゆっくり地方で暮らすのもありかも」ってこと。なにも東京中心部の狭い道路ばかりの場所で無理して3ナンバー外車を乗り回すような生活はしなくていいんじゃないかと感じるようになりました。
いきなり東京撤退というのはあり得ませんが、少し落ち着いたら5日ほど休みをとって四国をふらっと旅しようかと思ってます。もう電化区間も多いし国鉄型車両も走って無いですが、その昔に思いをはせながら時間が過ごせればいいなと思っている年の瀬です。