
1994年ボーナス商戦で日本の家電領域に初めてパソコン市場が構築されました。私もその時Apple社のパフォーマ630というテレビが見られるパソコンを約20万円で購入。パソコンラックに設置しました。
その翌月1995年1月17日に阪神大震災発生。車輪付きパソコンラックに乗っていた私のパソコンは15畳もあるリビングを走り回り、様々な家具やテレビ・冷蔵庫が倒れる中で無事でした。
そしてその年の暮れにウインドウズ95が発売されます。これは世界中がウインドウズパソコンを本格的に知るキッカケになりました。中身は今までにあったウインドウズをマックの使い方に似せただけ。誰が見てもマックのパクリでした。
ただ売れまくったんです。もちろんAppleはマイクロソフトを提訴。だけど提訴しても無駄ですよ。売れてる量が全然違いますから。Apple OSはアップル製パソコンにしか搭載されてないのに、ウインドウズOSは世界中のメーカーが搭載してましたからね。
そこでアップルはウインドウズと同様に各社と手を組みます。その中でもバンダイと組んで96年に登場したのが「ピピンアットマーク」でした。世の中の多くの人々がアットマークと言う言葉も知らない時代に、この名前でマックOS搭載端末がゲーム機として売り出されたんです。
私が94年暮れに20万で買ったパソコンより遥かに高速なPowerPC603(66MHz)を搭載。ハードディスクではなくフラッシュメモリが記憶装置という現代と近い仕様。電話回線モデムが標準装備でインターネット接続もでき、価格は49,800と破格でした。
売れない理由が全く無いこの製品。総販売台数は約4.2万台。ライバルのスーパーファミコンはピピンアットマーク発売時点ですでに1,000万台以上売ってましたのでボロ負け。世界で最も売れなかったビデオゲームという称号を手にしました。