2026年09月09日 07:09

スクリーンショット 2026-09-08 052057その昔、車に乗るには現金が必要だった時代がありました。高速道路や有料自動車道路を通るには小銭が必須で、それを払うため用の写真の「スプリングコインホルダー」を車に取り付けるのが当たり前でした。

今では高速道路に乗ればETC、駐車場もクレジットカードや電子マネーで払うのが当たり前となっていて、最近ではナンバーを読み取って駐車券すら発行しないところも増えていますので、ウソのような話しですが、昔は本当にそんな時代でした。

このスプリングコインホルダーですが、500円、100円、50円、10円といった硬貨を、バネの力で押さえて並べておく物です。これを運転席から手の届くところに両面テープなどで貼り付けておき、料金所が近づいてくると、そこから必要な小銭を取り出します。

今考えると、車内の見えるところにわざわざ現金を並べていたわけですが、当時はそれが当たり前でした。今なら、そんな見える場所に現金を置いてたら車上荒らしの標的間違い無しですが、昔は治安も良かったのでしょう。

そんな定番のスプリングコインホルダーですが、なぜか正式なディーラーオプション品は無く、オートバックスやイエローハットといったカー用品店で買うのが基本形でした。

この時代、カー用品店で買う絶対的No.1商品は芳香剤。カーサワデーやポピーといった定番商品から、聞いたことの無い商品に至るまで大量に種類が置いてあり、店頭の見本で臭いを確認しながら購入したものでした。オール阪神師匠が「車にポピー!」と言っていたCMが大量に流れていたことを記憶している人々も多いと思います。

その後、高速道路では「ハイウェイカード」が普及しました。プリペイドカードを買っておき、それを料金所で使うものです。5,000円券や10,000円券などがあり、現金を毎回用意しなくても高速道路を利用できるようになりました。

今のETCほど便利ではありませんが、それでも小銭をジャラジャラ用意しなくて済むというのは大きな進歩でした。

こうして書いてみると、ウソのような時代なわけですが、それが何十年も続いて来たわけです。だってETCの導入自体が2001年末で、日韓ワールドカップサッカーのあった2002年は、まだETC端末なんて普及してませんでしたからね。

私が導入したのはBMW520iを売却してスズキエブリィランディを購入した2002年末。オートバックスにスプリングコインホルダーを買いに行った際に、ETCが実質ゼロ円で付けられるというキャンペーンがあって、付けたのがキッカケでした。

それから20年以上が経過し、今やETCが当たり前になり、スプリングコインホルダーもいつの間にか車内から姿を消しました。考えてみれば、ほんの20数年前まで、車に乗るには「小銭を用意する」という準備が必要だったんですよね。

便利になったことは間違いありませんが、スプリングコインホルダーに小銭を補充して、カーサワデーを買って車に乗る。そんな時代も、今となっては懐かしい思い出です。

なんでこんな記事を書いたかというと、鈴鹿4時間耐久レースから帰って来た日曜日に、東名東京インター直前で、結構なオラオラ運転するアルファードとヴェルファイアの2台にあおられたんです。

というのも、猛烈な雨で視界が悪く、私のN-BOXは風にもあおられ時速70kmで走るのが限界と言った感じでした。実際に道路も時速50km規制でしたからね。

そんなわけで、片側3車線の道路の左端を走っていたのですが、車間距離を詰めてオラオラされまして、ぶっちゃけ「追い越せよ」と思っていたのですが、料金所へ着くと、ETCが付いている私の後ろから左にそれ、その2台は有人料金所へと向かったのですよ。

きっと由緒正しきETCやクレジットカードを作れない広域指定団体所属の方々だったのでしょう。もしかすると、そういう方々には今もスプリングコインホルダーが流行ってるのかもしれないと思った私でした。

2026年09月08日 04:33

kataduke長年、家人より「いったい必要な物は何個!?」と言われ続けて来た、様々なアイテムの処分が進んでおります。

家人から「お前はヤマタノオロチか!?」と言われ続けて来たバイク用ヘルメットですが、おかげさまで社外品の内装交換キットといったものが多数販売されていることもあり、80年代の物からX-Twelveに至るまで、ショーエイ製ヘルメット11個を売却処分することができました。

現在使っているのは、バイク2台に対してHJCのヘルメット3個だけです。まあ、頭は1個しかありませんから、それでも多いと言われれば多いのですが。

そして家人から「お前は千手観音か!?」と言われ続けて来たギターやベースですが、こちらも、お世話になってきた先輩や息子の同級生等に高級品を合計3本贈呈し、さらに高価な物は3本売却しました。

そのかわり、安いけれど国産のギターとベースを3本、ジモティーで購入して事務所に置いています。高価な楽器を何本も所有するという状態から、気軽に弾ける物を必要な場所に置いておくという形に変わりました。

「ゴミ山積み」と言われた倉庫の片付けも進みました。かつては11tトラックが3台も入る規模の倉庫を使っていましたが、徐々に荷物を減らし、2年前には戸越銀座にあった160�屬料匕砲皺鯡鵝�いよいよ現在は、6畳の倉庫を1つ賃貸しているだけになりました。

事務所も少しずつ減らし、さらにスペースを小型化して来ました。一時は4か所に分散していた拠点を五反田の1か所に集約し、現在はワンルームに毛が生えた程度の60�屬曚匹任后�

1万枚以上あったCDも、イベントで使用する100枚程度まで減らしました。考えてみれば、これだけで99%削減です。

何よりも減ったのが、スーツと腕時計です。もう身に着ける機会そのものが少なくなったので、腕時計は10個のみ。スーツについては高級ブランド品を処分し、同時に「もう新しく買わない」と決め、喪服を合わせて7着まで減らしました。

と書いていて気が付いたのですが、「腕時計は10個のみ」「スーツは7着まで減らした」というあたり、普通の人から見れば、まだ十分多いのかもしれません。ただ、自分としてはこれでも相当に減りました。

若い頃は、欲しい物があれば買い、気に入った物は何個でも持っていました。「いつか使うかもしれない」「これはもう手に入らないかもしれない」と考えると、なかなか手放すこともできませんでした。G-SHOCKなんて、一時は50個もありました。

ところが最近は、その「いつか」が本当に来るのかを考えるようになりました。

物は持っているだけでは意味がありません。使う物は残す。誰かが使ってくれる物なら譲る。価値のある物なら売る。そして、もう役割を終えた物は処分する。

しかも今は、売る方法がジモティー、ヤフオク、メルカリ……といくつもあります。昔なら捨てるしかなかったような物でも、欲しい人を探して引き継いでもらえる。そんな環境が整ったおかげで、意外なほど物を手放せるようになりました。

もちろん、いわゆる「ミニマリスト」になるつもりはありません。好きな物まで全部なくしてしまったら、それはそれで面白くありません。ただ、「持っていること」が目的になってしまった物については、そろそろ整理しても良い年齢になったのかな、と思っています。

ヤマタノオロチから頭を減らし、千手観音から腕を減らし、巨大倉庫から6畳へ。こうして数字を並べてみると、我ながらずいぶん身軽になったものです。

車も無駄に2台保有していましたが、現在は軽自動車1台のみ。バイクも次々と売却を進め、日常的に乗るスーパーカブとDio110だけにしました。おかげで納める自動車税や軽自動車税の額も激減しましたよ。

物を減らせば、置いておく場所も小さくできます。場所が小さくなれば家賃も下がります。車やバイクを減らせば税金や保険、駐車場代、整備費用も減ります。

そう考えると、物を減らすというのは単に部屋や倉庫が片付くだけではなく、毎月、毎年出て行くお金を減らすことにもつながるんですよね。

もっとも家人から見れば、高圧洗浄機が2個とか、ギターアンプとベースアンプが8個とか、使わないパソコン10台とか、液晶テレビ5台とかが倉庫にあり、「まだ多い」の一言で終わるのでしょうけどね。

ちなみに、鈴鹿4時間耐久レース時にモトバムさんに購入して3年ぐらいの超軽量(世界一!?)ノートパソコンを譲渡させていただきました。60歳までには今の3分の1まで今後も処分を進めてまいります。次は服だな!

2026年09月07日 07:15

スクリーンショット 2026-09-07 060338復活した通称「鈴鹿4時間耐久レース」、正式名称「2026 ブリヂストン鈴鹿4時間耐久ロードレース」が終わりました。公式結果はコチラ(リンク)になります。

タイトルスポンサーの株式会社ブリヂストン、大会協賛の本田技研工業株式会社、鈴鹿サーキットを運営するホンダモビリティランド株式会社をはじめとする、様々な皆様のご協力によって大会を開催・運営していただいたことに、大変感謝しております。

レースはドライコンディションからレインへと変化し、最後はヘビーレインの中、セーフティーカーが導入された後に赤旗終了というものになりました。また、各チーム&ライダーにも、悲喜こもごも様々なドラマがありました。それらにつきましては、各種公式広報やブリヂストンからの発表に任せたいと思います。

私どもヒポポタマスでは、従来から本レースが持つ主旨の1つでもある「若手育成や発掘の場とする」という点に賛同し、このレースが復活するという発表と同時に、「何かやりたい」とこのブログに書きました。

今回は、モトバムレーシングのご協力により、3台(12号車/64号車/93号車)のエントリーが実現したわけですが、全日本ロードレース選手権にモトバムから出場する4名のほかに、他カテゴリーで走る若いライダー2名にも参加していただきました。

レース結果はさて置き、どのライダーにとっても、鈴鹿サーキットで600ccマシンを集中的に走り込むという機会は貴重な経験だったと思います。そもそも普段はロングランする機会自体がなかなかありませんので、今回の経験を、それぞれの成長の糧にしていただければと思います。

また今回、モトバム卒業生のレジェンド(おじさん?)ライダー2名が「クラブモトバム」(1号車)という名称で出走し、ピットを共にしていましたので、そのベテランライダー達のサーキット内での過ごし方やレースへの向き合い方、そして実際の走りにも、若い6名は学ぶところが多かったのではないかと思っております。(ちなみに総合4位完走/4Hクラス3位表彰台)

このレースウイークについては、私も含め全メカニック(50代から60代の9名)は弊社負担でホテル泊とさせていただきました。いつもは全員車中泊なのですが、先週がもてぎ本番、来週が岡山テスト、再来週が岡山本番というタイトスケジュールでしたので、せめてもの休息といった形でした。

結果的には4台すべてが何らかのクラスで表彰台に上がることができ、ブリヂストンの赤い帽子を手にすることができました。ご褒美はなんでもうれしいものですが、表彰台土産をいただけたことにも感謝です。きっと各ライダーの思い出になることでしょう。

各ライダーは全員アマチュアですから、それぞれに本職がありますので、今日は学校や会社へ行くことになります。そこはもちろん、かくいう私も同じです。「遠足はおうちに帰るまでが遠足」と言いますが、レースも無事に帰って、さらに日常に戻るまでがレースです。さあ現実に戻りましょう!参加された各チーム&ライダーの皆さんも、本当におつかれさまでした。

今回、復活した鈴鹿4時間耐久レースに参加して改めて感じたのは、こうしたレースが存在すること自体の大切さです。

若いライダーにとっては経験を積み、先輩から学び、次のステージへ進むための場所になる。一方で、かつてこのレースを走った人や、年齢を重ねてもなおレースを続けている人にとっては、もう1度鈴鹿4耐に挑戦できる場所でもあります。

実際、今回も若いライダーからベテランライダーまで、様々な世代が同じ鈴鹿サーキットで4時間耐久レースを戦いました。

速さや順位だけではなく、若手には若手の挑戦や学びの機会があり、ベテランにはベテランの挑戦の場がある。それぞれの立場、それぞれの年齢で参加できることも、このレースの大きな魅力なのではないかと思います。

今回だけで終わるのではなく、この鈴鹿4時間耐久レースがこれからも続き、若いライダーの育成や発掘の場であると同時に、年齢にかかわらず「鈴鹿4耐を走りたい」と思うライダーが挑戦できるレースであり続けてくれることを願っています。

最後になりましたが、運営にご協力いただいた審判団、計時関係者、医療関係者、オフィシャルスタッフ、警備員、その他すべての関係者の皆様も、本当におつかれさまでした。そして、ありがとうございました。またあの場所へ行ってみたいと思っている私です。

ChatGPT Image 2026年9月1日 07_10_41以前もこの話を書いたような気がするのですが、私は23歳ぐらいまで、あまりお米を食べる習慣がありませんでした。そして、箸を上手に使えませんでした。というのも、私が育った神戸市って、学校給食に関してはちょっと特殊な地域だったんです。

神戸市で米飯給食が週1回実施されるようになったのは1982年度(昭和57年度)。ですから、私が小学生だった時代の給食は基本的にパンでした。

しかも、食事用に出されるのは「先割れスプーン」だけ。今ではあまり見かけなくなりましたが、スプーンの先端だけがフォークのように割れていて、これ一本で「すくう」「刺す」の両方をやってしまうという、当時の学校給食ではおなじみの食器です。当然、給食で箸を使う場面なんてありません。

家での朝食も、トーストを焼いたものか卵かけご飯。トーストなら手で食べますし、卵かけご飯はフォークで食べていました。箸を使うのは、夕食にご飯が出てきた時くらい。パンやパスタの日なら、当然ながら箸の出番はありませんでした。

そして中学校に入ると、そもそも給食がありません。ただ、学校にはちょっと面白い仕組みがありました。AからDまで4種類の紙袋が用意されていて、2時間目が終わるまでに希望する袋へお金を入れておくと、昼休みになると注文した菓子パンのセットが届くというもの。

私はこれを3年間、ずーっと利用していました。つまり昼食は毎日、菓子パン。当然ながら手づかみですから、ここでも箸どころか食器そのものを使いません。

高校には学食がありましたが、ラインナップはカレー、うどん、そば、パン。お米を食べるなら基本的にカレー一択。箸を使うなら、うどんかそばを選んだ時くらいです。そんな食生活のまま高校を卒業し、その後カナダで4年ほど生活。そして23歳で日本へ帰ってきました。

就職したイベント会社で、ようやく「お米を中心とした日本の食生活」に接するようになったわけです。

とはいえ、会社は大阪。大阪で朝食と言えば、喫茶店でモーニングを食べるという習慣のある場所です。コーヒーや紅茶にトーストなどが付いてくる、名古屋や大阪ではおなじみの仕組みで、ほぼ毎日がそれ。ですから朝は喫茶店でパン。昼は会社の近所の飲食店でランチ定食。そして夜は酒場。

こうして振り返ってみると、日本へ帰ってきてからも、意外なほど「家で炊いたご飯を箸で食べる」という生活には縁がありませんでした。

大きく変わったのは、1999年に東京へ引っ越してきてからです。ここからは基本的に箸を使う生活になり、家でも結構な頻度でお米を炊くようになりました。

理由は単純で、今の奥さんが、「夕食にハンバーガーはイヤ」とか、「朝からシリアルやパンはイヤ」という人だったからです。ちなみに私は、夕食がマクドナルドでもまったく問題ありません。

そんなわけで、半ば強制的に始まった「ご飯と箸の生活」ですが、気がつけばもう27年。さすがにこれだけ長く続けていれば、箸も結構使えるようになりました。パックご飯を買ってきて電子レンジでチンして食べる、なんてことも普通にやるようになりました。

ところが最近、同年代の人たちと学校給食の話をしていて、ちょっと驚いたことがあります。私と同じ世代でも、神戸以外で育った人たちは「小学校の頃から週に何度か米飯給食があった」と言うんですよね。私の記憶とは、かなり違います。

私が通っていた小学校に給食室ができたのは、6年生の最後でした。ですから、それまではお米どころか、学校で作った温かい給食そのものを食べた記憶がありません。

先割れスプーンについては日本中で使われていたようですが、私が高校1年生だった1980年代前半に「お箸の使えない子供が激増している」ことが社会問題化し、高校で「箸の使い方」を学ぶ時間まで設定された記憶があります。今考えると、なかなか不思議な光景ですよね。

結局、神戸生活は3歳から17歳と震災のあった27歳の6ヶ月間のみ。生まれた場所でも無く、故郷と言うには、大半を六甲山の山の中で生活していたので、山を歩いた記憶が大半です。

カナダ・バンクーバー生活が4年、大阪市が5年、岡山市が4年、東京が27年。もはや東京の人といった感じでしょうか。

それでも今でも「箸とフォークのどちらが良いですか?」と聞かれるとフォークが使いやすいと思ってしまうのは変わらないのですが、60歳目前にして「使えないと思われるのカッコ悪いから箸にしよう」とカッコつけてる自分に気づくたび、「今さら何を格好つけているんだ」と思っている私です。

2026年09月06日 02:08

20260905_121010いよいよ本日、鈴鹿4時間耐久ロードレースの決勝が行われます。

今日の鈴鹿は、朝からビミョーな空模様。時間帯によっては雨が降る可能性もあり、天候と路面状況を読みながらの難しいレースになりそうです。

4時間という長いレースの中で、いつ雨が降り始めるのか。どの程度降るのか。路面はどこまで濡れるのか。そして、どのタイミングでタイヤを交換するのか。

ライダーの速さだけでなく、チーム全体の判断力も試される4時間になるかもしれません。

もちろん、できることなら大きく天候が崩れることなく、最後まで安全にレースが行われてほしいと思っています。

ここまで準備を重ねて鈴鹿へやって来たすべてのチームに、それぞれの思いがあります。そして、このレースを走るすべてのライダーにも、ここへたどり着くまでの時間があります。

鈴鹿4時間耐久ロードレース、いよいよ決勝です。

事故なく、怪我なく、そしてすべてのチーム、すべてのライダーにとって、今日という日が素晴らしい一日になることを祈っています。



2026年09月05日 03:49

20260904_154553~2鈴鹿4時間耐久ロードレースが復活する。その話を聞いた時、私はこのブログに「ぜひ参戦したい」と書きました。

とはいえ、レースに参戦するとなれば、当然ながらそれなりの予算が必要です。その予算をどうやって捻出するのか。いろいろ考え、いろいろ調整し、なんとかひねり出して、今日この場所へ来ることができました。やっぱり鈴鹿に来て良かったです。

鈴鹿4時間耐久ロードレースは、今日が予選。そして明日が決勝です。

まずは今日の予選で、それぞれのチームとライダーがどのような走りを見せてくれるのか。そして、その結果を受けて、明日の4時間という長い決勝レースがどのような展開になるのか。今からとても楽しみです。

そして今回は、あえて「何号車の誰を応援しています」といったことは書きません。もちろん、私共のチームやライダーも、それぞれが必死に戦うことと思います。

でも、鈴鹿4時間耐久ロードレースという歴史あるレースが復活した今回は、特定の誰かではなく、ここに集まったすべてのチーム、すべてのライダー、そしてこの大会を復活させるために尽力されたすべての関係者を応援したいと思っています。

4時間という長いレースです。

速さだけでは勝てません。ライダーの技量はもちろん、マシンの耐久性、ピットワーク、チームワーク、そして運も含めて、さまざまなものが試されるのが耐久レースです。

だからこそ、最後まで何が起こるか分かりません。

まずは今日の予選が無事に終わり、そして明日の決勝も大きな事故なく、すべてのチームとライダーにとって素晴らしいレースとなりますように。

そして何より、復活した鈴鹿4時間耐久ロードレースが今回限りのものではなく、来年も、再来年も、その先もずっと続いていくレースとなりますように。

そんなことを願いながら、今日は予選を、そして明日は4時間の戦いを鈴鹿で見届けたいと思います。



2026年09月04日 08:18

スクリーンショット 2026-09-04 074352私が23歳から27歳まで勤務した協愛株式会社でお世話になった、渡辺先輩の訃報が入りました。実際に訃報が入ったのは数日前ですが、さすがに自分自身が落ち着くまで、ブログには書けませんでした。

私は31年前に、この協愛というイベント会社を退職したのですが、営業成績が悪かったわけでも、会社の対応に不満があったわけでもありませんでした。逆の書き方をすれば、退職した1995年9月30日まで会社は大繁盛で、死ぬほど忙しいままの転職でした。

私は今もイベント業務を生業の一つにしていますが、基本的に私共だけで完結させることはしていません。必ず、お世話になった協愛に何らかの作業をお願いしています。

そして、私は営業マンでしたので、私から仕事をお願いすることがあっても、協愛からお仕事をいただくことはしていません。そんなわけで、退職して31年になりますが、一度も関係性が悪くなったことはありません。

世の中の方々は、イベント会社というと、コンサートやフードイベントをイメージするかもしれませんが、私のメイン業務は、大手不動産デベロッパーが仕入れた土地の現地調査をし、その場所を宅地にするかマンションにするかを検討し、実際に完売するまでを企画する仕事でした。

もちろん社内には、コンサート系をやる人々も多く、他にも企業の営業セールスマン表彰式や工場まつり、企業運動会、周年行事といった企業イベントを企画&運営する方も多くいました。渡辺先輩は、そういったメインストリームの仕事をされていました。

私は渡辺先輩と同じ部署になったことも、業務で深く関わったこともありませんでした。ただ、大阪・北新地で飲んでいる時にすれ違う回数が一番多い先輩でした。

お互い営業マンでしたので、会社で顔を合わせる機会はほぼ無かったのですが、年に1度の社員旅行や新年会では、いつも「大野はホンマに飲み歩いてんなー」とのお言葉をいただいていましたし、必ず二次会以降はガッチリ抱きかかえられて連れ歩いていただいていました。

3年前、コロナ明け早々に大阪万博の会議があった時、協愛へも挨拶に行ったのですが、偶然にも渡辺先輩がおられて、「大野やん! お前は時空を超えたみたいに見た目が変わってへんなあ」とのお言葉をいただきました。

渡辺先輩の体調が悪いとの話を耳にしたのは3か月前。ラリージャパンの設営時でした。向井先輩という方にパーティー時のディレクターをお願いしていたのですが、その際に「みなさんお変わりありませんか?」と尋ねたところ、「渡辺さんがガンで入退院を繰り返しているねん」と言われたのです。

それから大阪へ行く機会のないまま、訃報を聞くことになりました。

私は阪神・淡路大震災時に六甲アイランドのマンションで被災したのですが、その頃、渡辺先輩は宝塚の中古マンションを購入されたばかりで、そのマンションで被災されました。

震災翌々日に会社へ行って、翌週末の北九州厚生年金会館で始まるSMAPローソン招待コンサートの移動方法の検討やチケット発送手順の確認をしていたのですが、その際には「大野やん! お前、大丈夫やったんか?」と優しい言葉をかけてくださいました。

私はうかつにも、天井や壁がバラバラになったことや、ユニットバスが割れ、しかもガス貯蔵施設のガス漏れで避難所生活をしているという実情を話したのですが、渡辺先輩は「うちはマンションの外廊下が崩れただけで、生活スペースは大丈夫やったわ」と教えてくれました。

じつは、そのコンサートツアー最終日のあとで、渡辺先輩のマンションを見に行く機会があったのですが、マンションの外廊下が崩れるということは、玄関から出ることも入ることもできないということだと、その時初めて認識しました。

つまり、とても「大丈夫」と言えるような状態ではなかったのに、避難所から毎日出退社されていたわけです。

身長は180センチ以上もあり、スラッとした体形で、バブル期に大人気だったBMW3シリーズのクーペに乗っていて、「スピカ号」というヨットでノエビアの大倉Jr.と一緒に、ケンウッドカップというハワイ沖で争われるヨットレースに出たりもしていました。

協愛から朝日放送へ出向して、ジャニーズ事務所の忍者やSMAPの番組やイベントを担当されていた福見さんという女性と結婚されました。

福見さんは、忍者がパーソナリティだった朝日放送ラジオの「忍者なんじゃもんじゃ」の番組ディレクターで、後釜になったKinKi Kids(現DOMOTO)が初めてやった番組も手掛けられていたので、まさにKinKi Kidsの産みの親だったりもします。

私が不動産イベントを手掛けるキッカケになったのは、渡辺先輩と一緒に行った「神戸北町」という宅地の販売会でした。

当時、宅地開発は伊藤忠で、創芸という広告代理店から受託していた作業でしたが、何もない山に販売センターを建て、そこで風船を配ったり、アンパンマンショーをやったりして、華やかな街が出来ることをイメージさせて宅地を分譲する、というお仕事でした。

まず最初に頼まれたのは「仮設トイレの芳香剤を買ってこい」という仕事。渡辺先輩のBMWを運転して、ホームセンターで小林製薬のサワデーという芳香剤を10個買って来たのですが、「お前、こんなん1時間で無くなるぞ。絶対家に置きたくない丸いやつにしろ」と言われたのです。

私は「1か月は持ちますよ」と答えたのですが、渡辺先輩は「ちゃうねん。盗まれんねん」と言い、その言葉は販売センターオープンの10時を待たずして現実のものとなりました。それからは、丸いパラジクロロベンゼンのニューパラしか買わなくなったのは、言うまでもありません。

渡辺先輩のBMWのトランクには、風船用のヘリウムボンベや、抽選会用の押すと丸いガムが出てくる大吉ガムが入っていて、いろいろ勉強になったのですが、一番の感動は、販売センターを閉める際に、販売会で出たゴミ袋を車のリアシートに入れろと命令されたことです。

BMW3シリーズクーペのリアシートですよ。ゴミ袋なんて3袋も載せられないのです。しかも、ゴミの汁でも垂れたら大変なことになっちゃうじゃないですか。

1日のイベントが終わって、ゴミ袋を積み込むだけになってから、全ゴミ袋を空けて、小さく収納できるように1時間以上かけて「大野、汁はアカンで!」と言われながら、渡辺先輩と再梱包したのです。

この1時間のゴミ整理行動が、後に不動産デベロッパーや創芸・読売広告社といった不動産系広告代理店に広まり、不動産販売におけるプランナーとして今に続く不動の地位を築くことになったのです。今考えても、本当にありがたい出会いでしたし、ありがたい時間でした。

後に車を買う際にも、「タレントの送迎もあるから、車を買う時は4ドアで相手に失礼のない車種にしろ」「後ろのドアを開ける時に左ハンドルのほうがやりやすい」「トランクにゴルフバッグが3個は載せられる車がイイ」「最新モデルは反感を買うから1世代前のモデルにしろ」といったアドバイスをいただき、当時新型が出ていたBMW5シリーズセダンの新古車を手に入れたのも、今回の訃報を受けて思い出しました。

「神は細部に宿る」という言葉があります。

今になって考えると、渡辺先輩から教えていただいたことは、まさにそれだったような気がします。

仮設トイレに置く芳香剤ひとつ。イベント終了後のゴミ袋ひとつ。タレントを送迎する車の選び方ひとつ。どれもイベントの企画書には書かれていないことですし、誰かに評価されるような仕事でもありません。

でも、そういう細かな部分を一つひとつ考え、きちんと処理していくことが、最終的には仕事全体の質につながっていく。

私が不動産イベントの仕事を続け、その後独立して会社をつくり、今もイベント業務を続けている中で大切にしていることの一つは、間違いなく渡辺先輩から教えていただいたものだったのだと思います。

考えてみれば、渡辺先輩と同じ部署で仕事をしていたわけでもありませんし、一緒に仕事をした時間が特別長かったわけでもありません。

それでも31年経った今の私の仕事のやり方や考え方の中に、渡辺先輩から教えていただいたことが、いくつも残っています。今回、こうして思い出してみると、自分でも驚くほどたくさんの言葉や光景が残っていました。

とにもかくにも、本当に大変お世話になりました。
もう一度大阪でお会いして、「大野やん!」と声をかけていただきたかったです。
渡辺先輩、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

risonaつい数か月前、住宅ローンの金利が変更になったという記事を書きましたが、複数人から「住宅ローンの金利が4%って本当ですか?」「どこの金融機関ですか?」「残債はいくらですか?」等と質問を受けました。

そんなわけで銀行名/残債/金利を画像でアップさせていただきます。銀行はりそな銀行、借りたのが2002年5月末で、24年経過して残債が約1,500万円。完済は2036年1月となっています。少し繰り上げ返済したので35年かからず完済できる予定です。

以前も10年固定金利を選んでいて、その金利は1.05%でした。ちょうど5月末で期限が来て、更新したら4パーセントになって、月額約2万円ほど返済が増えたというのは、前回書いたとおりです。その時点で変動金利を選ぶと金利は1.65%となっていました。ザックリ以下のような感じだったわけです。

・変動金利1.65% → 月約13.6万円、総返済額約1,628万円
・2年固定金利3% → 月約14.5万円、総返済額約1,738万円
・10年固定金利4% → 月約15.2万円、総返済額約1,822万円

「10年固定で4%を選ぶってことは、今後変動金利が4%以上になると思ってるってことですか?」とも聞かれたのですが、そんなこと私にわかるわけありません。ただ、私がマンションを売りまくっていた平成4年前後は4%以上が当たり前でした。

2024年のマイナス金利解除から約2年で、日銀の政策金利は1.00%まで上昇しています。市場では2026年末までに1.25%前後、2027年中には1.50〜2.00%程度まで上昇するとの見方をしています。

日銀内部や民間エコノミストが意識している「中立金利(景気を冷やしも熱しもしない金利)」は名目で1.5%程度とも言われており、今後さらに利上げが行われる可能性は十分あります。

また、日本国債の利回りを見ると、10年国債は2.6%超、20年国債は3.5%超の水準です。そう考えると、固定金利の住宅ローンが4%というのは至極当然の数字のようにも見えます。

私のように残債が10年・1500万円程度という人はそれでもダメージが少ないからいいのですが、ここ数年はマンション価格が大きく上昇していたため、7,000万円から1億円超の住宅ローンを、夫婦でペアローンを組み、40年から50年という超長期で借りている方も少なくないと思います。そして、その約8割が変動金利を選択しているとも言われています。

例えば、5,000万円を35年ローンで借りた場合、

・金利0.6% → 月返済約13.2万円(支払い総額 約5,540万円)
・金利2.0% → 月返済約16.6万円(支払い総額 約6,970万円)
・金利4.0% → 月返済約22.1万円(支払い総額 約9,280万円)

となり、0.6%から4.0%へ上昇すると毎月約9万円、年間では100万円以上の負担増になります。

さらに50年ローンの場合は、

・金利0.6% → 月返済約9.0万円(支払い総額 約5,410万円)
・金利2.0% → 月返済約13.2万円(支払い総額 約7,940万円)
・金利4.0% → 月返済約19.3万円(支払い総額 約1億1,580万円)

となります。

50年ローンは当初の返済額を抑えられる反面、金利上昇局面では元金の減りが遅く、総支払額は驚くほど大きくなります。4%になると、借りた5,000万円に対して支払総額は1億円を超え、「家を1軒買ったつもりが、もう1軒分近い利息を払う」計算になります。

もちろん、明日いきなり変動金利が4%になるとは思っていません。しかし、私が社会人になった1980年代後半から1990年代前半には、住宅ローン金利が5%や6%だった時代が実際にありました。超低金利が10年以上続いたため感覚が麻痺しがちですが、本来の金利の世界に戻りつつあるだけなのかもしれません。

住宅ローンは人生で最も大きな借金です。だからこそ、「今の返済額なら大丈夫」ではなく、「金利が2%、3%、4%になっても返済できるか」という視点で考えておくことが、これからはますます重要になるのではないでしょうか。

私は10年後の金利などまったく予想できません。ただ一つ言えるのは、「金利は永遠に低いもの」と思い込むのは危険だということかもなって思ってます。

2026年09月03日 06:27

komebanare今年1月30日のブログで「とうとう始まったコメ価格下落」という記事を書きました。

その時に書いたのが、政府備蓄米がまだ大量に残っている一方、高い価格で買うことを約束してしまった2025年産米も次々と入荷し、さらにはコメ価格高騰によって消費者が「米を食べない生活」に慣れてしまったという話です。

その時は「価格が下がるのは時間の問題」と書いたのですが、それから7カ月。とうとう「JAですら、いくらで買えばいいのか分からない」というところまで来てしまいました。

今回、JA晴れの国岡山が、2026年産米について農家へ支払う「概算金」の設定を当面見送ることを決めました。概算金とは、JAが農家からコメを集荷する際に支払う前払い金のようなものです。

当然、その後いくらくらいで販売できるのかを予想して金額を決めます。ところが、その価格が読めないわけですよ。

今年は各地のJAで概算金の大幅な引き下げが相次いでいます。わずか1〜2年前まで「コメがない」「コメが高い」と大騒ぎしていたのに、今度はコメが余り始め、いくらで売れるのか分からない。完全に逆回転が始まりました。

私は今回の米騒動で一番怖かったのは、価格が上がったことそのものではなく、消費者が「米を食べなくても別に困らない」と気付いてしまったことだと思っています。

5kg2000円程度だったものが4000円、5000円となれば、当然ほかの食品へ逃げます。朝はパン、昼は麺類、夜も必ずしもご飯でなくていい。そして一度生活習慣が変わってしまうと、コメが安くなったからといって、簡単には元へ戻りません。

実際、私自身もそうです。夫婦2人でコメを5kgも買えば半年くらいは持ちます。週に1回程度しかご飯を炊かない生活に慣れてしまいました。

つまり米騒動は、コメ価格を高騰させただけではなく、「米離れ」を加速させてしまったのではないでしょうか。

もちろん、だからといってコメ価格は安ければ安いほどいい、という話でもありません。肥料も燃料も農機具も人件費も上がっています。農家が再生産できない価格まで下がれば、今度は本当にコメを作る人がいなくなります。

高すぎれば消費者が離れ、安すぎれば生産者が離れる。本来必要だったのは、その間で生産者も消費者も納得できる安定した価格を維持できるよう、政治が農政としてしっかり支えることだったはずです。

ところが実際には「コメ不足だ!」と大騒ぎした翌年には、JAですら概算金を決められないほど先行きが見えなくなっている。

今年1月には「とうとう始まったコメ価格下落」と書きました。7カ月後の今は、「とうとうJAもコメ価格を提示できなくなった」というところまで来てしまいました。

令和の米騒動。もしかすると最大の後遺症は、コメが高くなったことではなく、日本人の米離れを一段と進めてしまったことなのかもしれません。

これまで私は、平日の昼食だけはなるべくコメを食べるようにしていました。というのも、夜はお酒が入るとコメを食べる機会が無くなるし、朝はパンやシリアルで十分なので、昼食ぐらいしか食べる機会が無いためです。

そんなわけで、そば屋に行ってもおにぎりを注文したり、丼物をセットで頼んだりしていたのです。それは、ほんの少しでいいからコメ農家を支えるという気持ちから続けていた行動でした。

ところが、コメ価格高騰時に「どうせ頼んでも残すなら、もったいないから食べるのをやめよう」と思って頼まなくなったら、すっかりその生活に慣れてしまいました。

これでは自分自身も「米離れ」を加速させている一人になってしまいます。そんなわけで最近は、事務所近くのお弁当屋さんで、ご飯の入ったお弁当を食べるようにしております。

一人が昼食に食べるコメの量などたかが知れています。それでも週5日なら年間ではそれなりの量になります。ささやかな行動ではありますが、コメ農家支援になれば幸いです。

2026年09月02日 02:44

スクリーンショット 2026-09-01 220632まだ世の中の多くの人々が、テレビ報道を見ていた時代のことです。

1990年11月に雲仙・普賢岳で噴火があり、その後いったん小康状態となっていたのですが、翌1991年2月には新たな火口で噴火が始まり、春になると活動はさらに活発化。5月20日には溶岩ドームが出現し、24日には火砕流が発生します。

ヘリの空撮映像では、山頂付近に巨大な溶岩ドームが形成されていることがはっきりと見え、その溶岩ドームが成長を続けていることも分かりました。火砕流が民家近くまで迫るようになり、住民には避難勧告が出されました。

ところが、この避難勧告とは逆に、危険な地域にとどまった人々がいました。メディア関係者や火山学者・研究者です。彼らは火山活動の様子を取材・観測するため、現場に入り続けていました。

1991年6月3日午後4時8分、噴火活動が続いていた雲仙・普賢岳で大規模な火砕流が発生しました。ちょうど夕方のニュースが放送されている時間帯で、とんでもない量の煙がモクモクと立ち上がる様子がテレビで報じられていました。

全身が灰色から黒になった状態で逃げて来た消防団員が映し出されました。誰もが煙や灰に包まれて真っ黒になったのだと思ったかもしれませんが、実際には猛烈な速度で押し寄せた高温の火山ガスや火山灰によって、全身に重いやけどを負った状態でした。

今では考えにくいのですが、焼け焦げた人、燃える車両、病院へ搬送される全身に大やけどを負った人々など、凄惨な状況が刻一刻とテレビで次々と報じられました。

この大火砕流による死者・行方不明者は43人。報道関係者16人、消防団員12人、警察官2人、火山学者3人、タクシー運転手4人、地元住民などが犠牲になりました。

当時、私は大阪のイベント会社で仕事を始めて1年ほど。テレビ取材の仕事もしていましたが、命を懸けてまで撮影するような場面に遭遇したことはありませんでしたし、それは今もありません。

ただ、後日明らかになった経緯を知ると、どうしても疑問が残ります。「なぜ、そこにこれほど多くの人がいたのか」ということです。

すでに住民には避難勧告が出されていました。ところが、報道関係者は避難勧告区域内で取材を続けていました。さらに、避難して無人となった民家の電話や電源を一部の報道関係者が無断で使用していたことまで発覚します。

そのため、留守宅を警戒する消防団員が避難勧告区域内へ戻り、区域内に残っている報道関係者などに避難を呼びかけるため、警察官も現場へ入ることになりました。

そして大火砕流が発生し、報道関係者だけでなく、消防団員12人、警察官2人、報道関係者を運んでいたタクシー運転手まで犠牲になりました。

私は、命を落とした報道関係者を非難したいわけではありません。ただ、誰が、なぜ避難勧告が出されている地域で取材を続けるという判断をしたのか。なぜ住民が避難した場所に入り続け、その結果として消防団員や警察官まで危険な場所にいなければならなかったのか。そこは検証されるべきだと思っています。

噴火は天災です。しかし、この43人の犠牲については、すべてを「天災」という言葉だけで片付けてよいのだろうかと思うのです。人災という側面が、あまりにも大きかったように感じます。

さらにこの大火砕流が発生した際、眉山の中腹にあるテレビ中継所へ避難したNHKなどの取材陣・スタッフら10人が一夜を過ごし、翌6月4日にヘリコプターで救助されています。

もちろん、助けを必要としている人がいれば自衛隊や救助隊が救助するのは当然です。しかし、大災害が発生し、多くの行方不明者がいる中で、なぜ取材のために現地へ入った人たちを救出するため、さらに別の人たちが危険を冒さなければならなかったのか。そこにも疑問を感じます。

翌6月4日には、陸上自衛隊が極めて危険な被災現場へ入り、遺体の収容などにあたりました。現場は「原爆が投下された直後の長崎の写真のようだった」と表現されるほど凄惨な状態でした。黒く焼けた三つの塊を収容したところ、検視すると実際には4人の遺体だったという話も残っています。

人間の身体であることすら判別できない。それほどの熱に襲われたわけです。しかも、自衛隊が活動している最中にも火砕流が発生し、救助・収容する側まで危険にさらされています。

もちろん、現在の知識だけで35年前の判断を批判することはできません。当時は火砕流の恐ろしさが、現在ほど一般に理解されていなかったという事情もあります。

それでも、避難勧告は出されていました。住民には「危険だから避難してください」と言っている場所です。そこへ取材のために入れば、消防団が警戒する。警察官が避難を呼びかける。事故が起これば消防や自衛隊などが救助に向かう。孤立すればヘリコプターによる救助まで必要になります。

つまり、災害現場での「自己責任」は、自分一人では完結しないのです。これは現在にも通じる話です。

台風の海での撮影。増水した川や氾濫している場所の撮影。震災に見舞われた地域の撮影。そんな写真や動画が、危険を冒してまで本当に必要なのでしょうか。

災害現場への取材を、取材者本人やメディア側スタッフは「自己責任」と考えているのかもしれません。しかし、そこで事故が起きれば、誰かが助けに行かなければなりません。そして、その救助する人にも家族があります。

雲仙・普賢岳大火砕流から35年。亡くなられたすべての方々のご冥福を心よりお祈りいたします。そのうえで、43人という犠牲者の数字だけではなく、「なぜ、そこに43人もの人がいたのか」というところまで検証し、後世へ伝えていく必要があるのではないでしょうか。

報道の自由も、災害を記録することも大切です。しかし、それ以上に優先されなければならないものは、人の命なのではないかと思っている私です。

最後になりましたが、この大火砕流で犠牲となられたすべての皆さまに、改めて心よりお悔やみ申し上げます。

2026年09月01日 10:46

スクリーンショット 2026-09-01 102445※ネタバレアリです。映画を観ていない方は、読まない方が良いかもです。

予告編に出ている部分で言うと、ちいかわ達は「チラシを読んだあなた 特別な島へご招待」というチラシを目にして、島へと向かいます。そこで依頼されたのは「とある生き物の討伐」。そして、ちいかわ達は島を守るために立ち上がる。といったお話しです。以下はネタバレです。

この物語に出てくるのは、「島の人々」「島にやって来た謎の巨大生物と3人組の人魚達」「ちいかわ達」、そして島で飲食店を営む「島二郎」くらいです。そして重要なのは、この登場キャラクター達の中に、最初から明確な悪者がいないことです。

ところが、物語では血を血でぬぐうような激しい戦いが繰り広げられます。

そもそもの発端は、平和な離島に謎の巨大生物と人魚達がやって来たことでした。それどころか仲良く暮らしていたのです。

ところが巨大生物が、自分自身の巨大さ、そして自分が持つ力の強大さを理解しないまま行動した結果、島の仲良し2人組のうち1人が、予想もしない形で瀕死のダメージを受けてしまいます。

そこで、もう1人の島民が友達を助ける方法を探していたところ、手持ちの書籍に「人魚の肉を食べると永遠の命が手に入る」ということが書いてあったことから、瀕死の仲間を人魚の肉で生還させることを計画します。

その計画はしるこサンドで人魚の1人をおびき寄せて殺して食べさせるというもの。そして計画は成功、友達も無事回復します。ここだけを見れば、「大切な仲間を助けたかった」という話しでもあります。しかし、そのために何の罪もない人魚を殺して食べています。

そして、それに気づいた巨大生物が、人魚を食べた島民を探し始めます。ところが誰も白状しません。すると巨大生物は、犯人を特定するのではなく、島民を次々と襲い、食べ始めます。

困り果てた島民達は、自分達では対処できない巨大生物を討伐してくれる誰かを集めるため、島への招待を装ったチラシをまき、それを見てやって来たのが、ちいかわ達だったというわけです。

・巨大生物は、自分の持つ強大な力を理解しないまま島民に瀕死の重傷を負わせる。
・重傷を負わされた島民は、巨大生物へ反撃せず、人魚を殺して食べる。
・人魚を殺された巨大生物は、不特定多数の島民を襲って食べる。
・島民達は、外部から戦闘要員を呼び寄せ、巨大生物を討伐しようとする。

こうやって整理すると、かなり恐ろしい話しです。誰も最初から戦争をしたかったわけではないのに、どんどん事態がエスカレートしていき、その局面ごとに「誰が被害者で、誰が加害者なのか」まで入れ替わっていきます。ちいかわ達の立場も、物語の進行とともに激しく変わります。

とはいえ最終的には、いつものように討伐に成功。島の特産品をもらって帰っていきます。巨大生物はいなくなり、これ以上の殺戮も起きない。私は「これで、めでたしめでたしなのかな」と思っていました。そして映画はエンドロールへと進みました。

ところが、この映画が本当に恐ろしいのはエンドロールが終わってからでした。

人魚を食べた島民2人は島を抜け出し、別の離島へと向かいます。二人だけの安住の地を見つけたかのように見えた直後、そこへ巨大生物と人魚が追いかけていくシーンに切り替わり、映画は終わります。

つまり、戦いは終わっていなかったのです。
憎しみも、報復も、何も終わっていない。
考えてみれば、これは戦争そのものではないでしょうか。

最初から悪者がいたわけではありません。
・巨大生物には島民を傷つけようという明確な悪意があったわけではない。
・島民は仲間を助けたかった。
・人魚は何もしていないのに殺された。
・巨大生物は仲間を食べられた。
・島民達は巨大生物に次々と仲間を食べられた。

それぞれに、それぞれの事情と理由があります。

ところが、一度「やられたからやり返す」が始まってしまうと、最初の原因とは関係のない者まで巻き込まれ、被害者が加害者になり、その加害者が次の被害者を生み出していく。

そして当事者だけでは収拾できなくなり、外部から戦う人間まで呼び寄せる。その意味では、この映画における「ちいかわ達」は、傭兵のようにも見えます。

島民から提示された情報を信じて島へ向かい、そこで「討伐」という仕事を依頼される。しかも、ちいかわ達は最初から事件の全容を知らされていたわけではありません。自分達が何の争いに巻き込まれているのかよく分からないまま、目の前にいる「討伐対象」と戦うことになります。

もっと現代的で身近なたとえをするなら、闇バイトやオレオレ詐欺の「かけ子」のような立場にも見えます。

「簡単で儲かる仕事があります」
「ここへ来てください」
「これをやってください」

と言われて現場へ行ったら、実はその背景には自分の知らない巨大な事件があり、自分もその一部に組み込まれていた。

もちろん、これは「ちいかわ」の物語です。かわいいキャラクター達が活躍する作品です。しかし、そのかわいい絵柄を一度取り払って、物語の構造だけを並べてみると、まったく違ったものが見えてきます。

私には、この映画が描いているものは「戦争」に見えました。しかも恐ろしいのは、悪者が戦争を始める話しではありません。普通に暮らしていた者達が、それぞれの事情、それぞれの正義、それぞれの大切なものを守ろうとした結果、殺し合いになっていく話しです。

「ちいかわ」のかわいい世界で描かれているからこそ、逆にその構造の恐ろしさが際立って見えた映画でした。

最後に、本ブログには「島で飲食店を営む島二郎」の話しがぜんぜん出て来ませんが、映画では大活躍しております。

なお、9月5日から入場者特典第4弾として「チャームミニフィギュア」が配布開始となるそうです。今回は島二郎、巨大生物セイレーン、島の仲良し2人組のヒトハ&フタバの4キャラクターだそうですので、まだご覧になられて無い方は、ぜひ映画館でご覧ください。

speed本日、2026年9月1日から、クルマを運転する人にとって結構大きな交通ルールの変更が行われます。

簡単に書けば、これまで一般道路では、最高速度を示す標識がない場合の法定速度は原則60km/hでしたが、今日から「生活道路」については、この法定速度が30km/hへ引き下げられました。

「住宅街なんて、そもそも30km/hくらいで走るものでしょ?」と思う方もいるでしょうし、実際、狭い住宅街を60km/hで走る人はそれほど多くないと思います。

ただ、今回重要なのは、「標識がない道路なら法定速度は60km/h」という、これまでの常識が変わったことです。

今までは、住宅街の細い道であっても、最高速度30km/hなどの標識が設置されていなければ、原則として自動車の法定速度は60km/hでした。そんなわけで、中央線のない小さな道路については、最高速度30km/hの標識が取り付けられている場所も多かったと思います。

今後は、生活道路について法定速度そのものが30km/hになるわけですから、「30km/hで走らせるために30km/hの標識を設置する」という必要性は小さくなります。ある意味、道路標識のリストラにもつながるのでしょう。

そもそも私は以前から、「こんな細い道路にまで最高速度30km/hの標識を付けなければならないのか?」と少し違和感を持っていました。

誰がどう見ても60km/hで走れるような道路ではないのに、法律上は標識がなければ60km/h。そのため、わざわざ30km/hの標識を設置する必要があったわけです。今回の変更によって、そのあたりも実際の道路環境に合わせた、より分かりやすいルールになるのだと思います。

では、今日からどんな道路が30km/hになるのでしょうか。ここは結構重要です。

警察庁の説明では、今回30km/hとなる「生活道路」は、主に地域住民の日常生活に利用されるような道路で、実際に運転する際には「中央線や車両通行帯が設けられていない一般道路」が大きな判断材料になります。

逆に、中央線や車両通行帯が設けられている一般道路については、標識などによる速度指定がなければ、これまで通り法定速度は60km/hです。

また、道路の構造によって往復の方向が分離されている一般道路や、高速自動車国道、自動車専用道路なども今回の30km/h化の対象ではありません。

ものすごく簡単に覚えるなら、「中央線などがある大きな道路は60km/h、中央線などがない小さな生活道路は30km/h」と考えておけば、まずは分かりやすいと思います。

ただし、これはあくまで「法定速度」の話です。道路に最高速度を指定する標識や標示があれば、当然そちらが優先されます。例えば、中央線のない道路でも「40」の最高速度標識があれば40km/hですし、反対に中央線のある道路でも「30」の標識があれば30km/hです。

ですから、今日から「中央線がなければ何が何でも30km/h」というわけではありません。まず最高速度の標識を確認し、指定がなければ道路の構造によって法定速度を判断するということになります。

そして今回の変更で、個人的に一番注意しなければならないと思っているのが「いつも走っている道」です。

初めて走る住宅街なら、道幅も分かりませんし、どこから人や自転車が出てくるかも分からないので、自然と慎重に運転します。ところが、自宅や会社の周辺など毎日のように走っている道路になると、「ここはこのくらいの速度で走る」という感覚が身体に染みついています。

昨日までと道路そのものは何も変わっていません。道路の幅も同じ、交差点も同じ、建物も同じです。ところが法律上の最高速度だけは、今日から変わっている可能性があります。しかも、すべての道路に今日から突然「30」という標識が立つわけではありません。

むしろ標識が無いと最高速度が30km/hになるというのが、今回の変更のポイントです。もしかすると今まで40km規制だった道から標識が撤去されて30km規制になっているかもしれません。長年クルマを運転している人ほど、少し頭を切り替える必要があるでしょう。

最近はカーナビ、特にスマートフォンのナビが非常に優秀になったことで、幹線道路の渋滞を避けるため、昔なら地元の人しか通らなかったような生活道路へクルマが案内されることもあります。

実際、私の住んでいるエリアも、朝はカーナビが抜け道として指示するらしく、多数の車が通行するようになりました。朝8時半までは車両が通行できないスクールゾーンへ入ろうとする車もいたりします。

土地勘のないクルマが住宅街へ入り、そのままの感覚で走ってしまう。住んでいる者からすると、結構怖いことだったりします。

ということで、本日2026年9月1日から、生活道路における自動車の法定速度は原則30km/hになります。毎日クルマを運転している方は、今日いつもの道を走る時に、ちょっとだけ道路標識と中央線などの有無を意識してみてください。

昨日までとまったく同じ道路でも、今日から法定速度は変わっているかもしれません。

2026年08月31日 07:10

ike人は他人と出会うことで様々な局面を迎え、様々な体験をします。上司や部下、先輩や後輩、そういった人々との人間関係に悩んでいる人にもよく会います。もちろん、対外的な人間関係もいろいろあることでしょう。

取引先から怒鳴られたとか、下請業者さんに仕事を断られたとかも人間関係です。ましてやボランティア活動やレース活動ともなれば、無償で手伝ってくれる方々とも出会うわけで、お金や所属の縛りがないだけに、いろいろ大変なことも多々あったりします。

以前ブログに書いたこともあるのですが、私はそんなことも含め、人間関係なんてものは、1年経ったら「思い出」、5年経ったら「昔話」、10年経ったら「武勇伝」だと思うようにしていますし、そう言っています。

60年近くも生きていると、過去にあった良くない出会いの数もハンパない量となりました。「この人とは二度と仕事をしたくない」と思った人もいますし、理不尽なことを言われたこともあります。もちろん、私自身が誰かに嫌な思いをさせたことだって、きっとたくさんあるでしょう。

ただ、人生って、結局は「人との出会い」で出来ているんじゃないかと思うのです。

仕事で大失敗したこともあります。「もう終わった」「明日会社へ行きたくない」「なんであんなことをしてしまったんだ」。本人にとっては人生最大の出来事くらいに感じます。ウソを隠そうと、ウソにウソを重ねて大騒ぎになったことも複数回あります。そのたびに、すべてを投げ出したくなるほど悩みました。

ところが、不思議なもので時間が経つと、その出来事の見え方が少しずつ変わってきます。私のせいで問題を発生させたり、問題を大きくさせたりしたのに、本気で一緒に解決方法を模索してくれる社内外の人々に出会うと、その人が神様のように見えたこともありました。

面白いのは、その時に関わった方々から教わったことや、失敗した経験が、10年、20年経って自分の役に立っていたりもすることです。その瞬間には、人との出会いが自分の人生にとってどんな意味を持つのかなんて分かりません。だから私は、人との縁というものは面白いと思っています。

人間関係に悩んでいる真っ最中の人に「そんなこと気にするな」と言っても、なかなか難しいでしょう。でも、少しだけ時間軸を長くして考えてみる。

今、自分を悩ませている上司も、部下も、先輩も、後輩も、10年後には自分の人生を語る登場人物の一人になっているかもしれません。

取引先から怒鳴られたことも、仕事を断られたことも、大失敗して頭を抱えたことも、その時には人生を左右するほど大きな出来事に感じます。でも、それが人生のすべてではありません。

間違いないのは、「あなたの人生の主役はあなた」ということ。別の書き方をすれば、「私の人生の主役は私」ってことですよ。

今、自分を悩ませている人も、助けてくれた人も、好きな人も、嫌いな人も、自分の人生という長い物語の中で出会った大切な登場人物です。でも、あくまで脇役なのです。

嫌な出会いだったとしても、その人との出会いによって考え方が変わったり、自分の欠点に気づいたり、「自分はこういう人にはならないようにしよう」と思えたりする。それも立派な出会いの意味なのだと思います。

だから、今の人間関係だけで、自分の人生すべてを悲観する必要なんて無いのではないでしょうか。

1年経ったら「思い出」。
5年経ったら「昔話」。
10年経ったら「武勇伝」。

そうやって、いろいろな人と出会い、笑ったり、怒ったり、失敗したり、助けてもらったりしながら、人は自分の人生を作っていくのでしょう。

人生は人との出会いで出来ている。でも、その人生の主役は、最後まで自分自身です。それを久々にココにメモっておこうと思った月末の月曜日です。今週も頑張りましょう!

最後になりましたが、もてぎの皆さんおつかれさまでした。今週は鈴鹿4時間耐久レースです。私は金曜日から鈴鹿入りさせていただきます。また鈴鹿でお会いしましょう。

2026年08月30日 04:41

スクリーンショット 2026-08-30 043846住宅ローンの変動金利について、少し気になる話を耳にすることがあります。「日銀は0.25%ずつ利上げしているのだから、住宅ローンの変動金利も0.25%ずつしか上がらない」本当にそうなのでしょうか。

ここ何度かの日銀による政策金利の引き上げが0.25%刻みだったことから、「日銀が0.25%上げれば住宅ローンも0.25%上がる」と考えている方もいるようです。しかし、これは少し危険な考え方だと思います。

そもそも日銀が決めているのは、日銀の政策金利です。私たちが銀行から借りている住宅ローンの金利を、日銀が直接決めているわけではありません。

もちろん政策金利が上がれば、金融機関の資金調達コストや短期プライムレートなどを通じて住宅ローン金利にも影響します。しかし、最終的に住宅ローンの金利を設定するのは、それぞれの金融機関です。特に「これから借りる人」と「すでに借りている人」は分けて考える必要があります。

新規の住宅ローンでは、金融機関が設定する「基準金利」から「金利引下げ幅」を差し引いて、実際の適用金利が決まる商品が多くあります。

例えば、基準金利3.0%/金利引下げ幅▲2.0%/適用金利1.0%だったとします。基準金利だけ0.25%上がれば、適用金利は1.25%です。しかし新規借入について金融機関が金利引下げ幅を▲1.5%に変更すれば、基準金利3.25%/金利引下げ幅▲1.5%/適用金利1.75%となります。

基準金利は0.25%しか上がっていなくても、新たに借りる人の適用金利は0.75%上がることになります。逆に住宅ローン獲得競争が激しくなれば、金融機関が優遇を拡大して、基準金利が上がっても新規借入の適用金利を低く抑えることも考えられます。

一方、すでに住宅ローンを借りている人については、金融機関がその日の気分で金利を変更できるわけではありません。契約した商品の基準金利や金利見直しのルールに従って変更されます。

つまり大切なのは、「日銀が何%利上げしたか」だけを見るのではなく、自分が契約している住宅ローンが「何を基準に金利を決め、いつ、どのように見直されるのか」を理解しておくことです。

そしてもう一つ注意したいのが「5年ルール」と「125%ルール」です。これは金利の上昇を抑える制度ではありません。金利が上昇しても一定期間は毎月の返済額を変えなかったり、返済額を見直す際の増加幅を一定範囲に抑えたりする仕組みです。

返済額が変わらなくても、支払額に占める利息の割合が増えれば、その分だけ元金の減りは遅くなります。しかも、すべての住宅ローンに5年ルールや125%ルールがあるわけではありません。実際、PayPay銀行は両ルールを採用していないことを明記しています。

長く続いた超低金利時代によって、私たちは「住宅ローンの金利は低いもの」という感覚に慣れてしまったのかもしれません。

しかし住宅ローンは20年、30年、35年と返済していく商品です。その間には金利だけでなく、収入、家族構成、教育費、物価、税金、修繕費など、さまざまなものが変わります。だから住宅ローンを組む時に大切なのは、「今の金利ならいくら借りられるか」だけで考えないことだと思います。

金利が上がっても、多少収入が減っても、予想外の出費があっても生活を続けられる。住宅ローンは「借りられる金額」ではなく、「ゆとりを持って払い続けられる金額」で組む。結局、それが一番大切なのではないでしょうか。

私が自分の住宅ローンについて「10年固定の金利が1%から4%になった」という記事を書いてから数ヶ月が経過しましたが、今や「10年固定で4%はお得でしたね」という状況になりました。今後の金利動向から目が離せない状況であることを意識していきたいと思います。

2026年08月29日 06:24

スクリーンショット 2026-08-29 060605昨夜から今朝にかけて円安が進み、ドル円相場はついに1ドル=160円を突破しました。

7月末から8月初めにかけて、日本政府はアメリカと協調して大規模な円買い介入を行い、一時は155円台まで円高が進みました。

ところが、それから約1カ月。再び160円です。為替介入そのものが無意味だったとは思いませんが、少なくとも円安の流れそのものを変えることはできなかった、ということなのでしょう。

そして、ここからいよいよ気になってくるのが、日本銀行の利上げです。為替相場を円高にすること自体は日銀の金融政策の目的ではありませんが、日米の金利差が円安要因の一つとなっているのは明らかだからです。

現在、日銀の政策金利は1.0%。これまでの日銀は、金利を上げるとしても基本的には0.25%ずつ、しかもかなり慎重に間隔を空けながら利上げしてきました。

日本経済は長い間、ほとんど金利のない世界で動いてきましたから、急激に金利を上げれば、住宅ローンから企業融資、設備投資、国債市場、さらには政府の利払いまで、あらゆるところへ影響が出ます。

ですから私は、日銀はそう簡単に年2回も3回も利上げするような中央銀行ではないと思っていました。まして6月に1.0%へ引き上げたばかりです。通常のペースで考えれば、9月にもう一度利上げするというのは、かなり早い。もともと次の利上げは秋以降、11月あたりになるのではないかという見方を私はしていました。

ところが、どうも雲行きが変わってきました。原因は円安です。

市場では、9月17、18日に開かれる次回の日銀金融政策決定会合で、日銀が政策金利を現在の1.0%から1.25%へ引き上げるとの観測が急速に強まっています。

8月下旬に行われたロイターのエコノミスト調査では、57%が9月利上げを予想。金利スワップ市場では、一時9月までの利上げ確率を8割以上織り込む状態になっています。

つまり、すでに市場の関心は「日銀は年内に利上げするのか」ではなく、「9月に上げるのか」というところまで前倒しされているわけです。

日銀の使命は物価の安定です。今回、ドル円が再び160円を突破しました。こんな円安が続けば、原油、天然ガス、食料、原材料など、日本が海外から輸入しているものの価格を押し上げます。それが国内価格へ転嫁されれば、日銀が無視できないインフレ要因になります。

実際、日銀自身も円安による輸入価格の上昇が国内価格へ転嫁され、物価を押し上げる可能性を繰り返し指摘しています。

そうなると、「まだ6月に利上げしたばかりだから、次は秋まで様子を見よう」という悠長なことを言っていられなくなる可能性があります。

ただ、すでに市場は9月に0.25%上げることをかなり織り込み始めています。円高へと流れを変えるには何らかのサプライズが必要となるだけに、ここで0.5%上げて一気に1.5%へ持っていくような動きがあれば、かなりのサプライズとなります。ただ、そこまでの挑戦はできないだろうというのも、市場の見方なのだと思います。

この状況が続けば、0.25%刻みで利上げする場合、9月に1.25%へ上げ、さらに11月に1.5%へ、ということになるのでしょう。しかし、どうせ2カ月後にもう一度上げるくらいなら、9月に一気に1.5%というのもアリかもなーって感じがするのは、私だけでしょうか。

もちろん、現時点で9月利上げすら決まったわけではありませんし、11月の追加利上げに至っては、完全に今後の経済・物価・為替次第です。

ただ、ほんの少し前までなら「日銀がそんな短期間に何度も利上げするだろうか」と考えていたシナリオが、ドル円160円という数字によって、現実味を帯び始めているように感じます。

9月17、18日の日銀金融政策決定会合。ここで本当に1.25%へ引き上げるのか。9月に利上げした場合、日銀はそこでしばらく様子を見るのか。円安と物価上昇が収まらなければ、11月にも再び利上げするのか。それとも、これまで続けてきた「0.25%刻み」という利上げ幅そのものを見直すのか。

ドル円160円という数字は、単なる為替相場の節目ではなく、日銀がこれまで続けてきた慎重な利上げのペースそのものを変えてしまう数字になるのかもしれないと思っている私です。

それはさておき、宿を出てモビリティリゾートもてぎへと向かいます。ぜひ全日本ロードレース選手権への応援をお願いいたします。

スクリーンショット 2026-08-28 170953昨日からモビリティリゾートもてぎへ来ております。理由は全日本ロードレース選手権のためなのですが、夏休み最後の週末ということなので、今日の土曜日からはファミリー来場も多いのでは?と思っております。

今日土曜日は、単なる「予選日」ではなく、午後にはJSB1000とST1000の決勝があるので、今日しか見られないという方でも「本物のレース」を十分楽しめるようになっております。

残念ながら私は土曜日は午後から別の現場へ行く必要があって東京へ戻り、日曜日に再度もてぎへ戻るという日程なのですが、ぜひ「SUPERBIKE RACE in MOTEGI」は8月29日(土)・30日(日)の開催となっておりますので、しっかりお楽しみいただければと思います。

2026年08月28日 18:00

tateyama今はモビリティリゾートもてぎで全日本ロードレース選手権が開催されているのですが、昨日不在だったのは、富山出張のためでした。そう、あの線状降水帯の現場へ行ってしまいました。

車で向かったのですが、昨日の夜遅くから雷が鳴り始め、やがて雨も強くなり、よくある土砂降りの豪雨という状態になりました。さすがにこの状態で走り続けるのは危険だと判断し、土砂降りになった時点で前進するのをあきらめ、上越妙高で雨が収まるのを待つことにしました。

そして朝になり、小雨とまではいかないものの、普通の雨といえる程度まで弱まった午前10時頃から、再び富山へ向かいました。

途中、糸魚川あたりでは再びかなり強い雨に見舞われましたが、少なくとも私が走った時間帯については、ハンドルを取られるとか、前が見えなくなるほどの雨という状態ではありませんでした。

とはいえ、周辺では大雨による警戒レベル5に相当する情報が出るような状況だったのは確かです。そんな中で目的地へ向かい、打ち合わせを終え、さらに目的地から帰ってきたわけですから、振り返ってみれば、決して褒められた行動ではなかったのかもしれません。

ただ、今回実際に自分が豪雨の中を運転してみて、少し考え方が変わったことがあります。

これまで私は、豪雨で冠水した道路へ車で入っていき、水没してしまうニュース映像を見るたびに、「なぜそんなところへ突っ込むのだろう」と思っていました。でも、実際には誰も「冠水路へ車で突っ込んでみよう」と思って走っているわけではありません。

仕事だったり、家へ帰る途中だったり、誰かを迎えに行く途中だったり、それぞれに目的地があって運転しています。

そして予定より時間が遅れて焦っていたり、長時間の渋滞にイライラしていたり、「ここまで来たのだから、もう少し進みたい」という気持ちになっていたりするわけです。私自身も今回、「富山へ行って打ち合わせをする」という明確な目的がありました。

土砂降りになった時点で上越妙高にとどまる判断はできたと思うのですが、雨が弱まったと同時に再び走り始めてしまっています。結果として何事もなく帰ってこられたから、「大丈夫だった」と言えるだけなのかもしれません。

道路が冠水していたら引き返す。前が見えないほどの雨なら止まる。危険だと思ったら予定をあきらめる。文字にすれば当たり前のことなのですが、実際に目的地があり、約束の時間があり、そこまで何時間もかけて走ってきた状況になると、その「当たり前の判断」が難しくなることもあるのだと、今回あらためて感じました。

ちなみに私が訪問したのは富山市と射水市です。大きな被害が伝えられている氷見市は、そこからさらに能登半島側へ向かった地域になりますので、私が走った場所と被害の大きかった地域がまったく同じだったわけではありません。

それでも、実際に激しい雨の中を走りながら、自然災害の怖さと、災害時に冷静な判断を続けることの難しさを身をもって感じる出張となりました。

なお、さすがに帰りは上信越道の一部区間で通行止めがあったため、約20kmほど高速道路を降りて山道を走ることになったのですが、予想外にロスタイムは少なく、往復ともに休憩時間を入れて7時間ほどで移動できました。

最後になりましたが、今回の水害で被害を受けられた方々が、一日も早く元の生活に戻れることを心よりお祈りしております。

写真は富山インター降りてすぐのますのすしで有名な「源」さんが運営している「立山そば」で、白エビうどんとますのすしセット1240円です。なおかけそばorうどんは380円から食べられます。

スクリーンショット 2026-08-28 041601なぜか日本メディアは、電気自動車(以下EV)の話になると「日本は出遅れた」といった論調で話を構成するのですが、日本はどちらかというと、EV先進国だと私は思っているのです。

というのも、私が40年前に卸売市場でアルバイトをしていた際に乗っていたターレ(ターレットトラック)という車両は当時からEVでしたし、同様に40年前からゴルフの際に使うカートも結構な確率でEVでした。

今も豊洲市場へ行けば、荷物を載せたターレが縦横無尽に走っています。小回りが利き、頻繁に発進と停止を繰り返し、重い荷物を運ぶ。しかも屋内や半屋内で使うため、排気ガスを出さず、騒音も少ない電動車との相性が非常に良い乗り物です。

同様にゴルフ場に行けば、電動カートも当たり前のように走り回っています。ヤマハ発動機は1975年からゴルフカートを製造しており、現在では累計生産100万台を超えています。つまり日本には、乗用EVが話題になる何十年も前から、電動の小型モビリティを作り、運用し、修理し続けてきたメーカーが存在するわけです。

あと、倉庫などでよく見かけるのが電動フォークリフト。三菱ロジスネクストにつながる日本輸送機(いわゆるニチユ)は、なんと1939年に日本初のバッテリーフォークリフトを開発しています。毎日長時間、重い荷物を持ち上げ、発進と停止を繰り返す世界で使われ続けているのです。

ましてやダイハツは、1969年には「フェロー バンEV」の販売を開始し、1970年には軽商用車「ハイゼット バンEV」の販売を開始。同年開催された大阪万博では、来場者用のエキスポタクシーをはじめ、警備用や迷子移送用など、さまざまなEVを会場内で走らせていました。ある意味、実用EVの老舗なのです。

しかも日本には、もう一つ大きな財産があります。それが鉄道です。

電車は、広い意味ではEVそのものです。電気を受け取り、インバーターで制御し、モーターを回して車輪を駆動する。しかも数百人、場合によっては千人以上を乗せ、毎日朝から晩まで加速と減速を繰り返します。何より鉄道では、「故障したので今日は動きません」では済みません。

モーター、インバーター、制御装置、回生ブレーキ、電力変換、熱管理などについて、日本には長年蓄積してきた膨大な技術があります。電源を外部から受け取るかバッテリーに頼るかの違いはありますが、逆に言えば、バッテリー以外の技術はしっかりあるとも言えます。

そんなわけで、私自身は「日本のEVにはかなり可能性がある」と思っています。その理由は、日本が得意としてきたEVが、巨大なバッテリーを積んで500km、600km走る単なる乗用車ではなく、「必要な距離を、必要な大きさで、毎日確実に走ることが求められる業務用電動車」だったからです。

ターレ、フォークリフト、ゴルフカート、軽商用車のすべては、毎日同じ場所を行き来する業務用電動車です。毎日決まった範囲を走り、使用が終われば決まった場所へ戻ってきます。一充電で500km走れる必要などありません。

そんな利用場面は、郵便、宅配、介護、営業、工場、農業、自治体、商店、建設現場・・・といった形で山のように存在するわけです。

狭い国土の日本だからこそ、こういう用途が大量にあり、小さく、軽く、安く、壊れず、狭い道をスイスイ走り、毎日確実に仕事をこなせる車両というニーズを生かせば、かなりの量産効果も見込め、それは世界でも競争力を発揮できるのではないかと思うのです。

中国やアメリカと同じ土俵で「巨大なバッテリーを搭載した高性能EV」を競うだけが、日本のEV産業の進む道ではないと思います。

日本には昔から「小さな電動車を、毎日確実に働かせる技術」が蓄積されてきたことに気付きます。世界中で物流のラストワンマイルが電動化され、工場や空港、ホテル、観光地、農場、巨大施設などでも小型モビリティの需要は増えていくでしょう。

高齢化が進めば、低速で安全に移動できる地域交通用モビリティの需要も増えるはずです。そう考えると、日本が狙うべきEVは「テスラやBYDと同じもの」だけではないのかもしれません。

むしろ日本がこれまで蓄積してきた技術を、「乗用車」という枠だけで考えずに組み合わせていけば、世界とは少し違った日本らしいEV産業が生まれる可能性があります。

「EVで日本は出遅れた」と結論付けるには、まだ早いのではないでしょうか。日本はEVを知らなかったのではありません。実はずっと昔から、目立たないところでEVを使い続けてきた国だけに、起死回生の一打でEV先進国へと一気に逆転できる可能性もあると思っている私です。

2026年08月27日 05:22

onbu先日、久々に武蔵小山の鉄板居酒屋の「鉄板屋」へ行ってきました。ここは神戸で飲食店を営まれていた女性店主(私はオカンと呼んでいるので以下オカン)さんが、阪神淡路大震災で大規模被害を受けたことをキッカケに、東京へ移住して来て開店されたお店です。

そこで食事をしていたところ、オカンが、「そういえば大野君って電通岡山支社にいた平野さんって知ってる?」と聞いて来たのです。

「平野卓雄?知ってますよ。震災でお母さんを亡くされた平野でしょ。その時の岡山支社長が僕のオヤジです。震災当日にオヤジから住所だけ言われて現地を確認にいったけど、道路も路地も見分けがつかないほど壊れていて、旧支社長車だった黒塗りのクラウンが埋もれていて、その車で完全倒壊は防げたというのは聞きました。」私はそう言いました。

この地震発生は1月17日だったのですが、それから数か月後に私は電通西日本というに転職し、岡山支社に着任します。それは平野さんの大阪異動にあたって、ある意味で交代要員としての着任でした。(ある広告代理店マンの「震災10年」)

それから数時間は、とにかく神戸の地震が大変だった話しと、亡くなられた周囲の人々の話しだらけだったのですが、ちょうど高校50周年で神戸へ行った直後だったこともあり、いろいろな思いがこみ上げてきました。

その思い出話しの中で思い出した、当時同じ岡山支社で同僚だった立木君が言っていた「国会議員がまずやるべき究極の仕事って国民の生命を守ることだと思う」について書きたいと思います。

日本は、世界でも屈指の地震大国です。にもかかわらず、それに対する国家的投資は十分とは言えず、大地震による甚大な被害が想定される東京圏や南海トラフ沿いには、今なお人口や企業、社会機能の集積が続いています。

さらに日本は火山大国でもあります。東京だけを見ても、伊豆大島の三原山、三宅島などの火山島があり、その周辺には富士山、箱根山、伊豆東部火山群、浅間山、草津白根山など、多くの活火山が存在しています。

そして東京から約220km北東には、2011年の事故から15年以上が経過した現在も廃炉作業が続いている福島第一原子力発電所があります。その周辺では常磐線や常磐自動車道が復旧し、避難指示解除などに伴って住民の帰還も進められてきました。

さらにこの国には、毎年のように台風がやって来ます。線状降水帯による豪雨、河川氾濫、土砂災害もあります。さらに世界でも有数の豪雪地帯に、大都市や多くの街が存在しています。考えてみれば、これほど自然災害が多発する国も珍しいのではないでしょうか。

東京湾岸や河川沿いには、埋立地や沖積低地など液状化しやすい地域が広がっています。そこにタワーマンションやオフィス、物流施設などが次々と建設され、人口や都市機能が集積しています。政府の首都直下地震被害想定でも、東京湾岸や河川沿いの液状化しやすい地盤を中心に、建物の沈下や傾斜などの被害が想定されています。

もちろん、だから「東京に住むな」と言いたいわけではありません。東京が日本の政治、経済、金融、情報の中心である以上、人口や企業が集まるのは当然です。だからこそ、それに見合うだけの防災インフラを整備しなければならないのではないでしょうか。

首都直下地震についても、「いつ、どこで、どの断層が動くのか」を正確に予測することはできません。一方で、政府は首都直下地震について、東京圏には人口や建築物だけでなく中央省庁や企業本社などの首都中枢機能が高度に集積しているため、その対策を「我が国の存亡に関わる喫緊の根幹的課題」と位置付けています。

2025年12月に公表された政府の新しい被害想定では、都心南部直下地震が発生した場合、死者は最大約1万8000人、全壊・焼失する建物は最大約40万棟。さらに最大約1600万軒が停電し、約1300万人に断水の影響が及ぶと想定されています。資産などへの被害は約45兆円。経済活動への影響は約38兆円。合わせれば、80兆円を超える規模です。

南海トラフ巨大地震は、さらに桁違いです。政府が2025年3月に公表した被害想定では、最悪の場合、死者は約29万8000人、全壊・焼失する建物は約235万棟に達するとされています。

ここまで分かっているのであれば、政治がやるべきことは明確だと思います。「地震が起きたらどうするか」だけではなく、「地震が起きても死なない国をどう作るか」に、もっと国家予算を投入することです。

橋を耐震化する。
上下水道を更新する。
電線を地中化する。
河川や堤防を強化する。
津波防潮堤や避難タワーを整備する。
木造住宅密集地域の不燃化を進める。
古い住宅やビルの耐震化を徹底する。
避難所には、停電しても使える電源、空調、通信設備、給水設備を整える。
病院には非常用電源と水を確保する。
港湾、空港、高速道路、鉄道には代替ルートを持たせる。
通信網やデータセンターは一極集中させない。
首都機能そのものを分散する。

こうしたものは、平時には「無駄な公共事業」に見えるかもしれません。何千億円、何兆円を投じても、翌日に生活が便利になるわけではありません。何も災害が来なければ、その効果は誰にも見えません。

しかし、それでいいのです。防災インフラとは、使われなかったことこそが成功とも言える公共投資だからです。ところが政治家にとっては、これが非常に難しい。

任期中に完成する事業。
選挙までに成果が見える政策。
有権者がすぐに喜んでくれる給付金や補助金。

どうしても、そうしたものへ目が向きやすくなります。

しかし巨大災害対策は違います。今日1000億円を使っても、その効果が現れるのは30年後かもしれない。その頃には、予算を付けた政治家は国会議員ではないかもしれません。場合によっては、この世にいないかもしれません。それでもやらなければならないのが、国家の防災ではないでしょうか。

東日本大震災が発生した後、日本は巨額の復旧・復興費を投入しました。道路を直し、鉄道を直し、港を直し、街を造り直しました。もちろん、それは必要なことです。

しかし、本来最も効率がいいのは、「壊れてから100兆円使うこと」ではなく、「壊れる前に10兆円使って被害を小さくすること」ではないでしょうか。これは地震だけではありません。台風も、豪雨も、洪水も、高潮も、津波も、火山噴火も、豪雪も同じです。

日本では自然災害そのものを止めることはできません。しかし、「災害が起きること」と、「災害によって大量の人が死ぬこと」は、同じではありません。

地震は防げなくても、建物の倒壊は減らせる。津波は防げなくても、逃げる場所は造れる。豪雨は止められなくても、河川の氾濫リスクは下げられる。停電は完全には防げなくても、非常用電源は用意できる。道路が一本切れることは防げなくても、別ルートを造ることはできる。

つまり、防災とは自然との戦いではなく、「被害をどこまで小さくできるか」という国家経営そのものだと思うのです。そして、それこそが万一の際に国民の命を守ることだと思うのです。

私は、国会議員にはこういう仕事にこそ命を賭けてもらいたいと思っています。そして一人でも災害による悲しい死を減らしてもらいたいと切に願います。

災害が起きてから、「想定外でした」「これほどの被害になるとは思いませんでした」では遅いのです。

実際にはもう想定されています。どこが危ないのかも、おおむね分かっています。何をすれば被害を減らせるのかも分かっています。あとは、やるか、やらないかではないでしょうか。

巨大災害が起きるたびに、クソ忙しい被災地に総理大臣や多くの国会議員が乗り込んで売名行為をしているのをよく見かけますが、そんなことしてるヒマがあったら、政治家にしか出来ない強靭な国づくりに邁進して欲しいと思っている私です。


2026年08月26日 01:34

suzukiスズキの行動理念にある「小・少・軽・短・美」をご存じでしょうか。「小さく、少なく、軽く、短く、美しく」という、スズキが長年大切にしてきたモノづくりの考え方です。

その「小・少・軽・短・美」を具現化した電気自動車(以下EV)「e SKY(イースカイ)」が、この秋デビューすると発表されました。昨年のジャパンモビリティショーに展示されていた「Vision e-Sky」を、そのまま市販車へ仕上げたといった形の車両です。

スズキは、2023年のジャパンモビリティショーにも軽ワゴンEVのコンセプトモデル「eWX」を展示していましたので、何年もかけて「スズキらしい軽EVとは何なのか」を研究してきたのでしょう。

このe SKYですが、すでにメディア向け試乗会も行われています。量産試作車を出す段階にまで至っているということでしょう。

私はこのクルマ、結構売れるのではないかと思っています。なぜならスズキという会社は昔から、「みんなが欲しがっているクルマを作る」というより、「世の中に必要なのに、まだ手頃な商品が存在していない市場」を見つけるのが非常に上手な会社だからです。

例えばアルト。日本にモータリゼーションが到来し、高度経済成長の中で生活が豊かになるにつれ、消費者はより大きく、より高級なクルマを求めるようになりました。その結果、1970年代半ばには軽自動車市場が急速に縮小し、存在感を失いつつありました。

そんな1979年にスズキが発売したのが初代アルトです。その価格はなんと47万円。しかも全国統一価格となっていました。

徹底した工程の合理化、部品点数の削減、ワングレード化などによってコストを削り、「豪華なクルマ」ではなく「安くて日常の足として使えるクルマ」という価値を真正面から打ち出したところ、大ヒットを収め、低迷していた軽自動車市場が息を吹き返したのです。

また1993年には、「単に安いだけではなく、家族で使えて、もっと広く快適なクルマが欲しい」というニーズに対して、天井を大幅に高くした軽自動車ワゴンRを登場させ、こちらも大ヒット。「軽トールワゴン」という巨大な市場を生み出しました。

今、世界の自動車メーカーはEVへ向かっています。しかし日本では、なかなかEVが普及しません。その最大の理由の一つが価格でしょう。補助金を使えば安くなると言われても、一般の人からすれば「軽自動車にそこまで払うの?」という感覚があるのも当然だと思います。

今回のe SKYを見ていると、スズキらしい「小・少・軽・短・美」を、EVでも表現しようとしていることが感じられます。クルマを小さく、使う部品や資源を少なく、車体を軽く、製造工程や移動距離を短く、そしてシンプルで美しく仕上げる。実はEVほど、この考え方と相性の良いクルマはないのかもしれません。

私はe SKY、200万円を大きく切る価格で出てくるのではないかと思っています。もし150万円台から購入できる価格設定になれば、状況はかなり変わります。国や自治体の購入支援を組み合わせれば、地域によっては実質負担が100万円前後まで下がる可能性もあるでしょう。

その時に一気に飛びつくのは、一般家庭だけではないでしょう。自治体や大企業です。今や自治体も大企業もカーボンニュートラルへの対応を求められています。当然、公用車や営業車もEVへ切り替えていきたい。

ところが、何十台、何百台と保有している車両を高価なEVへ一気に入れ替えるとなれば、莫大な予算が必要になります。しかし、200万円を大きく下回る軽EVなら話が変わります。

市役所や区役所の公用車、企業の営業車、工場内の連絡車、介護事業者の訪問車、電力会社やガス会社などの巡回車。こういうクルマは、一日に何百kmも走るわけではありません。朝に事業所を出て近距離を走り、夕方になれば同じ駐車場へ戻ってくる。だったら夜間に充電すればいいわけです。

1979年のアルトが「47万円」という価格で、それまでクルマを所有することが難しかった人たちに新しい選択肢を提供したように、e SKYは「高くてEVを導入できなかった事業者」に新しい選択肢を提供するクルマになるかもしれません。いわば「令和の47万円アルト」です。

そして、私がもう一つ期待しているのが地方での普及です。現在、地方ではガソリンスタンドの廃業が相次いでいます。人口減少によってガソリン販売量が減る一方、地下タンクをはじめとする設備更新には大きなお金がかかります。さらに経営者の高齢化や後継者不足もあります。

それがEVになれば、自宅で充電できるわけで、日常的にガソリンスタンドへ行く必要がなくなります。家へ帰ったらコンセントにつなぎ、寝ている間に充電する。翌朝になれば、また走れる。一日に数十km程度しか走らないのであれば、それで十分です。

これまでEVについては、「地方は充電設備が少ないから普及しない」と言われてきました。しかし私は、これから逆転する地域が出てくると思っています。「充電スタンドがないからEVに乗れない」のではなく、「ガソリンスタンドがないからEVに乗る」。そんな時代が来るかもしれません。

そして今回のe SKYを見て、私自身、EVに対して少し間違った見方をしていたことにも気づきました。

EVは充電時間が長い。長距離移動には向いていない。価格が高い。だから満充電で何km走れるのか、充電にどれくらい時間がかかるのか、ガソリン車と比べて本当に得なのか。これまで私は、そんな尺度でEVを見ていました。

でも、e SKYの考え方は少し違います。そもそも日常のクルマ移動の多くは、何時間も走り続けるものではありません。買い物、送迎、通勤、通院など、1時間以内の短時間移動を何度も繰り返している人が圧倒的に多い。だったら、そこに焦点を合わせたEVを作ればいい。

一日に数十kmの日常移動を十分こなせて、夜になれば自宅で充電できる。豪華な装備も、EVらしさを強調する演出も必要ない。ガソリン車から乗り換えても、これまでと同じ感覚で普通に使える。

実際、スズキもe SKYの開発コンセプトを「Easy to Switch」として、ガソリン車から違和感なくEVへ乗り換えられることを目指しています。通勤、通学、買い物、送迎といった日常使いに「ちょうどよい」EVという考え方です。

スズキからすれば、「EVが環境負荷を減らすためのクルマなら、必要以上に豪華な装備を付けて重く、高くしてしまうのは少し違うでしょう。シンプルで十分なのではないですか?」という発想なのかもしれません。

必要なものはちゃんとある。しかし、必要以上のものは付けない。無印良品的な視点でEVを作ったら、こういうクルマになりました、という感じがします。

先進性を必要以上に主張するのではなく、日常の生活道具として普通に使える。そして、ガソリン車から乗り換えても大きな違和感がない。だからこそ、EVであることを意識せずにEVを使える。私は、そこがe SKYの一番面白いところなのではないかと思います。

スズキが変える国産EVの世界。

スズキが昔から得意としてきたのは、豪華さや高性能を競うことではなく、「多くの人が日常で使える生活の足とはどうあるべきか」という視点から、新しい市場を創り出すことでした。

47万円のアルトで軽自動車を蘇らせ、ワゴンRで新しい軽自動車市場を切り開いたスズキが、今度は「小・少・軽・短・美」を武器に、EVの常識を変える。そんなスズキの真骨頂が、今回のe SKYでも見られるのではないかと思っている私です。

2026年08月25日 07:45

fune0昨夜、羽田空港沖でクルーザーが防波堤に衝突する事故がありました。

報道によると、「24日午後7時すぎ、羽田空港に近い川崎市浮島沖で、10人が乗ったクルーザーが防波堤付近に乗り上げました。船は東京・夢の島方面から横浜方面へ向かっており、花火大会を見に行く途中だった」と報じられています。

乗っていた人たちは全員救助されたものの、複数の負傷者がいて、重傷者もいるそうです。せっかくの楽しい洋上花火鑑賞が、一瞬にして修羅場と化してしまったことが報道から読み取れ、なかなかに大変な状況だったことでしょう。

テレビで事故後の映像を見て驚いたのが、船の止まり方でした。もちろん、事故原因については海上保安庁などの調査を待たなければ分かりませんが、事故後の船体を見る限り、防波堤に対してかなり正面に近い形で乗り上げているように見えます。これを見て改めて思ったのが、「GPSに頼りすぎる怖さ」です。

今のクルーザーにはGPSプロッターや電子海図などが装備されているものも多く、自船の位置を画面上で確認しながら航行できます。昔のように紙の海図とコンパスだけを頼りに航行していた時代と比べれば、現在地を把握すること自体は格段に簡単になりました。

しかし、GPSはあくまでも「自分がどこにいるのか」を知るための道具です。自動車のカーナビのような感覚で画面を見ていれば、前方の障害物を自動的に避けてくれるわけではありません。

特に東京湾は、見た目以上に航行が難しい場所だと思います。大型船、貨物船、タグボート、漁船、プレジャーボートなど様々な船が行き交い、航路や浅瀬、埋立地、防波堤、護岸などもあります。

昼間なら簡単に見える構造物でも、夜になると話は別です。陸上には工場や空港、港湾施設など無数の照明があり、その中から船舶の灯火や航路標識、防波堤などを瞬時に識別しなければなりません。しかも海には、自動車の道路のように進行方向を照らしてくれる街灯もありません。

だからこそGPSや電子海図が普及した現在でも、最後に頼るべきなのは「目で見ること」なのだと思います。

GPSで現在地を確認する。
電子海図で航路や障害物を確認する。
レーダーがあれば周囲の船舶や構造物を確認する。
そして何より、実際に前方を目視する。

そのすべてを組み合わせて航行することが重要なのでしょう。

特に夜間にそれなりの速度で走るのであれば、数十秒の確認不足でも船は相当な距離を進んでしまいます。例えば20ノットなら時速約37kmですから、1秒で約10m、10秒なら100m以上進みます。海の上では速度感が分かりにくいのですが、実際にはかなりの速さです。

さらに自動車と違って、船はブレーキを踏めばその場で止まれる乗り物ではありません。危険を発見してから減速しても、そのままかなりの距離を進みます。だから「見えてから避ければいい」では遅い場合があります。

今回の事故が、GPSや電子海図の確認に関係するものだったのか、操船上の問題だったのか、速度の問題だったのか、それともまったく別の原因だったのかは現時点では分かりません。そこは今後の調査結果を待つ必要があります。

ただ、今回の映像を見て改めて感じたことがあります。GPSが高性能になっても、電子海図が便利になっても、それだけで海が安全になるわけではありません。

むしろ便利な機器が増えれば増えるほど、「画面に表示されているから大丈夫」という思い込みには注意する必要があります。そうした油断をしないことこそ、昔も今も変わらない航海の基本なのではないでしょうか。

私自身は船舶を保有したことはありませんが、イベント会社時代は会社にクルーザーがあったので、2ヶ月に1度程度は会社の指示で操縦する機会がありました。何人も北新地のホステスさんを乗せて、会社の役員とお取引先の方を乗せての接待航行です。

その時によく言われたのが、「イキっとったら事故るぞ。気をつけろ!」という言葉でした。「イキる」とは関西弁で、調子に乗る、格好をつけるといった意味です。若い頃の私に対して、水着のホステスに囲まれて調子に乗ってたら危ないぞ、という戒めだったのでしょう。今になって考えると、なかなか的を射た言葉だったと思います。

また、岡山勤務時代は、お取引先各社の社長が結構な比率で船をお持ちだったので、こちらでも操縦する機会が複数ありました。

今でこそ自身で船舶を操縦する機会はほぼゼロになり、10年以上が経過しています。神戸・カナダ・大阪・岡山・東京と引っ越して来ましたが、穏やかな東京湾に面しているのに、東京が一番、船舶保有者に出会う確率が低い気がします。まずマリーナすら目にする機会がほとんどありませんからね。

とはいえ、今後も操縦する機会が無いとは限りません。今回の事故を他人事として見るだけではなく、今一度、最近の航海機器や操船、安全航行についての知識を得る機会を設定したいと思いました。

「イキっとったら事故るぞ。気をつけろ!」何十年も前に言われた言葉ですが、便利な航海機器が増えた今だからこそ、改めて思い出しておきたい言葉なのかもしれません。

最後になりましたが、今回負傷された皆様の一日も早い回復をお祈りするとともに、事故原因がしっかり究明され、同じような事故の防止につながることを願います。

スクリーンショット 2026-08-25 013236天気予報を見ていて、思わず「なんだこれ?」と思ってしまいました。日本周辺の天気図に、台風が4つもあります。

台風18号、19号、20号、そして24日午前9時に発生した台風21号。4つの台風が同時に存在する、いわゆる「クアドラプル台風」という状態になっています。

長く生きていると台風が2つ並ぶ「ダブル台風」は何度も見ていますし、最近では3つ並ぶ「トリプル台風」もそれほど驚かなくなってきました。しかし、さすがに4つというのは久々です。調べてみると、8月に日本近海で4つの台風が同時に存在するのは、1994年以来32年ぶりとのことでした。

32年前なら私は26歳。まだイベント会社に勤務していた時代です。

1994年は年間36個もの台風が発生し、8月だけでも9個、9月にも8個が発生した、非常に台風の多い年でした。ただ、その数の割には日本への上陸は3個にとどまり、台風の発生数ほどには大きな影響を受けなかった印象が残っています。

私どものようなイベント業に関わる者にとって、台風によるイベントの中止判断は避けて通れません。この時期は常に天気図や予報を見続けることになるのですが、「実施するのか、中止するのか」「いつ決断するのか」という、なかなかに悩ましい判断を迫られる瞬間だらけだったりするのが現実です。

イベントというのは、開催時間だけ雨が降らなければいいというものでもありません。出演者やスタッフが現地へ到着できるのか、機材を搬入できるのか、来場者が安全に会場へ来られるのか。そして終了後、無事に帰宅できるのか。屋外イベントであれば、本番だけでなく設営や撤去時間帯の風雨まで考えなければなりません。

幸いにして、今回の4つの台風による日本への大きな影響は、現時点では沖縄地方が中心となりそうです。

ただ、今週末から来週末にかけて台湾とタイでイベントがありまして、こちらとしては「そもそも現地へ行けるのか」というところから心配しなければならない難しい状況だったりします。今後の進路を注視したいと思っております。

台風で思い出されるのが、1991年の台風19号です。この台風は「風台風」として記憶されている非常に強烈な台風で、全国各地に猛烈な風による被害をもたらしました。

特に青森県では、収穫前のりんごが大量に落下する甚大な被害が発生したことから、後に「りんご台風」と呼ばれるようになった台風です。

この台風は長崎県佐世保市付近に上陸した後、日本海を北東へ進んだのですが、その翌日に広島で小柳ルミ子さんの企業招待会が予定されていました。

そこで台風が接近する前に小柳さん一行に広島入りしていただくことを決め、私も現地入りしました。しかし、そこで全員が「風台風」の怖さを思い知ることとなりました。特に驚いたのが停電です。

1991年の台風19号では猛烈な風によって海水の塩分を含んだ飛沫が内陸部まで運ばれ、電力設備に付着したことで大規模な塩害が発生しました。しかも、この台風は雨が比較的少なかったため、電力設備に付着した塩分が雨で十分に洗い流されませんでした。

さらに瀬戸内海では満潮と台風が重なって記録的な高潮となり、広島港では最大潮位296cmを記録しています。そんなわけで、中国電力管内では約155万戸(管内の約4割)が停電するという未曾有の事態となりました。

電気が止まれば、影響は照明だけではありません。信号も止まり、店舗も営業できなくなり、給水設備や通信設備などにも影響します。都市というものが、いかに電気によって成り立っているのかを思い知らされる災害でもありました。

小柳さん一行にご宿泊いただいていたのは全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル広島)だったのですが、幸いホテルは停電しなかったものの、広島最大の歓楽街である流川ですら停電している場所だらけでした。

食事へ行こうにも、営業している店を探すだけで大変です。もちろん、スマホもインターネットも食べログもない時代。私はタウンページ(職業別電話帳)の飲食店欄を開き、繁華街にある飲食店へ片っ端から電話して、食事へ行ける場所を必死に探したことが思い出されます。ちなみに、翌日のコンサートは奇跡的に実施することができました。

この台風19号による大停電は、その後の電力会社の台風対策にも大きな教訓を残すことになったそうで、中国電力では、この台風による被害を教訓として、各種対策を講じたことを、後に転職した広告代理店での岡山支社勤務時代に知りました。

あれから35年。当時とは比較にならないほど気象予報の精度は向上しました。インターネットやスマートフォンによって、台風の現在位置や進路予想、雨雲レーダー、風速、河川水位、鉄道の運行状況、航空便の欠航情報まで、リアルタイムで確認できる時代になりました。

1991年にはタウンページを片手に営業している飲食店を探していた人間が、今ではスマートフォンを見ながら、何日も先の台風の進路を追いかけています。便利な時代になったものです。

しかし、どれほど予報技術が進歩しても、自然そのものをコントロールすることはできません。そしてイベントを「やるのか、やらないのか」を最終的に決断するのも人間です。

まずは目の前にある4つの台風。そして、今週末から来週末に予定されている台湾とタイでのイベント。しばらくは、いつも以上に天気図とにらめっこの日々が続きそうです。

それはさて置き、先週末は地域ボランティアで青少年約120名の引率で長野。今週末は全日本ロードレースもてぎ。そして来週は鈴鹿4時間耐久レースです。「お前は遊んでばっかりじゃないか!」と言われそうな、台風の動きを気にしなければいけない活動が続きますが、すべて本気で取り組んでおりますので、今週&来週もご声援をよろしくお願いいたします。

2026年08月24日 06:30

kome1今年1月30日に「とうとう始まったコメ価格下落」というブログを書きました。きっかけは、ドン・キホーテ五反田東口店で久しぶりに政府備蓄米が山積みになっているのを見かけたことでした。写真もその時の普通米売場です。かなり乱れていました。

当時私は、「業者には小里備蓄米/江藤備蓄米/小泉備蓄米が残っているところへ、高値で仕入れた2025年産米まで入ってきたのだから、そろそろ米の処分が始まるのではないか」と書きました。

もう一つ、そう考えた理由がありました。じつは私の知り合いに大手米卸で働く者がおり、以前から「夏場は在庫維持のために低温保管が必要で電気代がかかる。そこまでして持ち続けるより、安くても売ってしまおうという業者が出てくるのではないか」という話を聞いていました。

農林水産省によると、2026年6月末の民間在庫量は194万トンでした。前年2025年6月末は122万トンでしたから、わずか1年間で72万トン増えています。率にすれば約59%増です。前年より米が72万トンも余計に倉庫に積み上がっているわけです。

さらに2025年産米について見ると、2026年6月末までの集荷数量は268.7万トンで、前年同期より25.9万トン増えています。ところが販売数量は150万トンで、逆に前年同期より26.5万トン減っています。つまり「前年よりたくさん米を集めたのに、前年より売れていない」という状態です。

これから2026年産の新米が本格的に入ってきます。現在倉庫に積み上がっている米を売り切ってから新米を仕入れる、なんて都合のいいことはできません。2026年産米について、値段の高い時期に契約してしまった業者もいるでしょう。

在庫量がこれだけ増えている以上、価格への下落圧力は強まります。販売量が減っていることから、消費者の米離れも深刻です。

2025年産米の相対取引価格は2025年10月をピークに下落基調に入り、2026年6月には全銘柄平均で60kg当たり31,305円まで下がっています。それでも、まだ高い。だから売れない。売れないから在庫が増える。在庫が増えるから値下げして売る。値下げすれば、高値の在庫を持っている業者は損をする。そんな状況がしばらく続くのではないでしょうか。

そして、ここで忘れてはいけないのが消費者側の変化です。2024年から2025年にかけて「米がない」「スーパーから米が消えた」「5kg5000円になった」と、テレビも新聞も連日のように米不足と価格高騰を取り上げました。消費者も「高すぎる」「政府は何をやっているんだ」と大騒ぎしました。

その結果、政府は備蓄米を放出し、最後には大手小売業者などへ直接売り渡す随意契約まで実施しました。

ところが、高くなった米を買い続けられない消費者は当然ながら生活防衛に走ります。簡単に書けば、パンや麺類、シリアルなどに流れたという感じです。一度米食から離れてみれば、食べる数十分前から炊飯するより簡単なものはいくらでもあるわけで、手軽な方へ日本人の食生活そのものが変わってしまいました。

以前の記事にも書きましたが、わが家もすっかり米を食べない生活に慣れてしまいました。私はこれこそ、今回の米価格高騰が残した一番大きな問題ではないかと思っています。

一度変わってしまった生活習慣は、米が500円安くなったからといって簡単には元へ戻りません。そして皮肉なことに、今度は米が余り始めました。

値上がりするときには「米が高い」と社会全体で大騒ぎしたのに、値下がり局面になって「安くなって助かった」とは言っても、その裏側で誰が損失を負担しているのかには、ほとんど関心が向きません。

政府も米価高騰時には備蓄米放出など次々と対策を打ちましたが、価格下落局面で農家の収入が急激に落ちることについて、同じような社会的関心が集まっているようには見えません。

そして最後にしわ寄せを受けるのが、米を作っている農家です。すでに2026年産の早場米では、農家へ支払われる概算金が大幅に下がり始めています。宮崎県の早場米コシヒカリでは、2025年産の60kg当たり3万2600円から、2026年産は1万8000円へ。実に4割以上の下落です。

もちろん概算金は最終的な農家の受取額ではありません。JAが米を販売した後、販売実績に応じて追加精算される仕組みです。とはいえ、これだけ最初の金額が下がれば、農家からすれば不安になるのは当然でしょう。

米の販売価格が下がっても、肥料代、農薬代、燃料代、農機具代、人件費まで一緒に4割下がってくれるわけではありません。むしろ上がっています。

ここで農家が、「去年は米が足りないと言われたから頑張って作ったのに、今度は米が余ったから安く買います、ではやってられない」と思っても不思議ではありません。

まして日本の米農家は高齢化しています。あと10年、20年農業を続ける若い人なら価格回復まで頑張ろうと思うかもしれませんが、高齢の農家なら「これを機会にやめよう」と考える人が出てきても不思議ではありません。

田んぼを手放し、農機具を処分してしまえば、再び米が足りなくなったからといって簡単には戻ってきません。

以前は食糧管理制度のもと、国が米の価格や流通に深く関与していました。もちろん昔の食糧管理制度に戻せという話ではありません。しかし、価格が上がれば消費者が米から離れ、下がれば農家が米作りから離れ、その結果また米不足になるという繰り返しでは困ります。

日本人の主食である米くらいは、市場原理だけに任せず、国が価格と需給をある程度コントロールし、消費者も生産者も安心できる仕組みを作る必要があるのではないかと思っている私です。

2026年08月23日 04:11

jal2026年に入り、国内線の手荷物や搭乗に関するルールがいくつか変更・明確化されています。

以前にも、ゴールデンウイークにJALが「時間が来たらお待ちしません」という趣旨の動画をアップしていて、それに賛同するブログを書きましたが、その後もいろいろとルールが変わったようです。

今年に入ってから国際線は何度か利用していましたが、国内線は成田発着のジェットスターしか乗っておらず、先日の神戸訪問で久々にJALを利用することになり、「念のため」と思って調べてみたところ、結構な変更点がありましたので、以下に列記させていただきます。

お盆初日の8月8日にJALを利用した際に調べた内容ですので、お盆明けの記事アップになってしまったことについてはご容赦ください。

1)機内持ち込みは「手荷物1個+身の回り品1個」の合計2個まで
以前から「手荷物1個+身の回り品1個」というルールでしたが、搭乗口付近で購入したお土産品の紙袋が増えても、ある程度は柔軟に対応してもらえてました。

しかし、現在は機内への持ち込みは「手荷物1個+身の回り品1個」の合計2個までというルールが厳格化されています。空港でお土産などを購入する場合でも2個以内にしましょう。

2)身の回り品は40×30×20cm以内
ANAでは、身の回り品について40×30×20cm以内という具体的なサイズ基準が設定されました。通常の機内持ち込み手荷物については、100席以上の機材なら従来どおり55×40×25cm以内です。

3)手荷物は自分で頭上の棚へ収納できることが前提
機内持ち込み手荷物は、「乗客自身が自分で頭上の収納棚へ収納できる」ことが求められます。サイズだけが規定内なら何でも持ち込めるというわけではなく、自分で持ち上げて収納できないほど重い荷物についても注意が必要です。

4)モバイルバッテリーのルールが変更
モバイルバッテリーについても、発煙・発火事故などを受けてルールが変更・強化されています。
・160Wh以下を2個までとし、預け入れは不可
・頭上の収納棚には入れない
・機内でモバイルバッテリー自体を充電しない
・機内でモバイルバッテリーからスマートフォンなどへ給電しない

5)羽田空港での手荷物預けは「出発30分前まで」
羽田空港など一部の空港・航空会社では、預け手荷物の受付締切が出発時刻の30分前に設定されています。これまでの「保安検査場を20分前までに通過すれば大丈夫」という感覚だとダメですし、現地での待機列を考えると混雑期には1時間前には空港へ行っておいたほうが良さそうです。


こうして見ると、国内線の利用方法も少しずつ変わっています。特に飛行機というのは、一度覚えた搭乗方法やルールをそのまま何年も使い続けてしまいがちです。「昔から国内線には乗り慣れているから大丈夫」という人ほど、知らないうちにルールが変わっている可能性があります。

久しぶりに飛行機へ乗る際には、「昔から知っているから大丈夫」と思わず、航空会社のホームページなどで最新のルールを一度確認してから空港へ向かった方がよさそうですね。

2026年08月22日 05:20

スクリーンショット 2026-08-20 071053大阪・関西万博のシンボルとなった「大屋根リング」。その工事などを担当した大手ゼネコンの現場責任者が、背任の疑いで逮捕されたというニュースがありました。もちろん、現時点ではあくまで容疑の段階であり、警察も本人の認否を明らかにしていません。

報道によれば、自宅や親族が経営するカフェなどのリフォームを万博工事の下請け業者に発注し、その費用を万博工事に関連する請求として竹中工務店に支払わせた疑いが持たれているとのこと。損害額は約1369万円とされています。

正直「そんな額で逮捕するか!?」とも思いましたし、逮捕された当事者も「この程度は業界の慣例でしょ」と思ってるかもしれません。その辺はこのブログとは関係ない話しなのでこの程度で締めます。

このニュースを見て私が考えたのは、今回の事件そのものとは別に、「巨大な建設現場では、現場責任者がお金や発注に関して相当大きな権限を持つことがある」という建設業界特有の構造です。

建設現場には元請けのゼネコンがいて、その下に一次下請け、二次下請け、さらにその下の会社や一人親方など、非常に多くの事業者が入ります。しかも毎日数百人、巨大現場ならそれ以上の人が出入りします。当然、安全管理にも相当なお金がかかります。

実際、建設業界には「安全協力会費」「安全衛生協力費」「職長会費」などと呼ばれる費用があります。「請負金額の1%を安全協力会費としていただきます」といった仕組みを採用している会社や現場もあります。

もちろん、これは決して怪しいお金ではありません。安全大会や安全教育、現場の安全パトロールや点検、保護具や安全用品、ポスター、チラシ、横断幕、バッジ、腕章など、安全な現場を維持するためにはさまざまな費用が必要です。万が一の事故に備え、労災上乗せ保険などに加入している会社もあります。

国土交通省も、建設工事における安全衛生経費は労働災害防止対策を適切に実施するうえで必要な経費であり、下請負人まで適切に支払われることが必要だとしています。

一方、私自身がこれまで仕事で建設現場に入ってきた経験では、現場によっては入場者や協力会社から、1人1日500円程度の一定額を安全管理講習費などの名目で徴収する仕組みを目にしたこともあります。

ザックリ書けば、「第8工区、大野班30名揃いました」といって、安全衛生手帳と1万5000円を提出すると、手帳に確認印を押してもらって工区に入る、という感じです。

もちろん、自分の工区にいるスタッフについては、一人親方の労災加入確認、装備確認、体調確認、当日の作業内容や危険箇所の共有、KY活動などを職長である私が行います。

建設現場の朝は、点呼、体調確認、全体朝礼、当日の工程や危険箇所の共有、安全指示、準備運動、班別KY、作業前点検、職長による最終確認などを経て、ようやく作業開始となります。それだけ安全管理は重要であり、そこに費用がかかること自体には何の違和感もありません。

ただ、仮に1人1日500円だったとしても、300人が働けば1日15万円。月20日なら300万円になります。1年間続く現場なら単純計算で3600万円です。もちろん、そのお金が正式に会計処理され、安全管理や現場運営のために適切に使われているのであれば何の問題もありません。

私が気になるのは、「誰が徴収し、誰が管理し、何に使われ、最終的に誰がチェックしているのか」という部分です。

建設現場というのは、ある意味では期間限定で存在する一つの巨大企業のようなものです。元請けがいて、何十社という協力会社がいて、そこからさらに何段階もの下請け会社が入り、毎日大量の人とモノとお金が動きます。

大手ゼネコンの現場で仕事をする側からすれば、代金回収についての安心感もありますし、細かなルールを守り、一定の経費負担を受け入れてでも参加する価値のある仕事だという見方もあるでしょう。

だからこそ私は、安全協力会費や安全衛生協力費などについても、「昔からこうしている」「建設業界では普通だから」で終わらせるのではなく、より透明性を高めてもよいのではないかと思います。

実際、国土交通省も安全衛生経費について「見える化」を進めており、元請けと下請けの間で安全対策の実施分担や費用負担を確認する「安全衛生対策項目の確認表」や、安全衛生経費を内訳として明示する「標準見積書」の普及を進めています。

ならば、徴収するときだけではなく、「集めたお金を何に使ったのか」についても、現場単位あるいは安全協力会単位で、協力会社に分かる仕組みがあってもいいように思います。

今回報じられた事件と、安全協力会費などの現場経費に直接の関係があるという話ではありません。しかし今回の事件をきっかけに、大手ゼネコン各社には工事代金や下請けへの発注だけでなく、現場単位で動くさまざまなお金についても、改めて管理体制をチェックしてもらいたいと思います。

建設現場で本当に守らなければならないのは、作業員の安全だけではありません。誰が集め、誰が使い、誰がチェックするのかというお金の流れの「安全管理」も、同じくらい重要なのではないかと思っている私です。


2026年08月21日 04:03

スクリーンショット 2026-08-21 035853昨日、非常に痛ましい鉄道事故が発生しました。

8月20日午前10時45分頃、栃木県鹿沼市の東武日光線・新鹿沼駅で、線路内の除草作業に従事していた作業員4名が、浅草行きの特急「スペーシアX」と接触し、亡くなりました。

当時、現場では7名が除草作業をしており、列車の接近を確認するための列車見張員や中継見張員も配置されていたとのことです。

東武鉄道の会見によれば、作業現場から約315m離れた場所にも中継見張員を配置し、列車が接近した際には作業員を安全な場所へ退避させる手順が定められていました。それでも、4名もの方が一度に亡くなる事故が起きてしまったことになります。

報道では、列車見張員が所定の場所にいなかった可能性も指摘されていますが、現時点では事故原因は調査中です。誰が、どの段階で、どのような判断をしたのか。定められた手順がどこまで実行されていたのか。今後の警察や東武鉄道などの調査を待たなければなりません。

このニュースを見て、私が真っ先に思い出したのが、27年前にJR東日本で起きた事故です。

屋外広告業者のうち、私達のようなJR東日本管轄エリアを担当する会社は、毎年2回の安全講習を受ける必要があります。逆の書き方をすれば、その講習を受けていない人は、駅構内や線路内の広告作業ができません。なぜ、そこまで徹底した安全教育が行われているのか。

その背景にある大きな事故の一つが、1999年2月21日午前0時14分頃、山手貨物線の目黒・五反田間で発生した触車事故です。

夜間作業の現場へ向かう途中だった作業員5名が、後方から走ってきた臨時列車にはねられ、全員が亡くなりました。

工事指揮者が当日の列車ダイヤを十分に確認せず、列車が来ないと思い込んで作業員を線路内へ入れてしまったことなどが事故につながったとされています。

その後、JR東日本では「線閉なくして作業なし」という考え方が徹底されるようになりました。つまり、「列車が来たら見張員が知らせて逃げればいい」という人間の注意力に依存する安全対策ではなく、原則として線路を閉鎖し、列車が進入できない状態を作ってから作業するという考え方です。私達が受ける安全講習でも、こうした過去の事故について繰り返し教えられます。

それだけではありません。線路内への立ち入り、列車の接近、高所作業、脚立の使用方法、保護具の装着など、「そこまで細かく決める必要があるのか」と感じるほど様々なルールがあります。

鉄道の現場では一つの判断ミスが文字通り命にかかわります。だからこそ、安全に関するルールは「知っている」だけでは足りません。何度も何度も教育し、身体に染み込ませ、現場で当たり前に実行できるところまで徹底する必要があるのだと思います。

そして、もう一つ重要なのは、安全を個人の能力だけに頼らないことです。ベテランだから大丈夫。見張員がいるから大丈夫。列車の時刻は分かっているから大丈夫。いつもやっている作業だから大丈夫。こうした「大丈夫」の積み重ねの先に、重大事故が発生する可能性があります。

今回の新鹿沼駅の事故でも、見張員が配置され、安全確認の手順そのものは存在していたとされています。それなのに、なぜ4名もの方が列車と接触する事態になったのか。ここは徹底的に検証してほしいと思います。

そして、もし手順や教育、作業体制、指揮命令系統などに問題が見つかったのであれば、それを東武鉄道だけの問題として終わらせてほしくありません。

運輸安全委員会も、過去の触車事故について、作業工程の変更後に再打ち合わせをしなかったケースや、定められた確認手順が守られなかったケースなどを挙げ、触車事故防止のための注意喚起を行っています。

JR東日本が過去の重大事故を教訓として、安全講習や「線閉なくして作業なし」という考え方を長年にわたって徹底してきたように、今回の事故についても原因を徹底的に究明し、その教訓を鉄道業界全体で共有してほしいと思います。

鉄道会社の社員だけではありません。工事会社、警備会社、清掃会社、広告会社、造園会社など、線路や駅で仕事をするすべての人に対して、会社や雇用形態、経験年数に関係なく、同じレベルの安全教育が繰り返し行われる仕組みが必要なのではないでしょうか。

安全講習は、面倒な手続きではありません。安全ルールも、仕事をやりにくくするために存在するものではありません。その一つ一つの背景には、過去に起きた事故と、そこで失われた命があります。

今回亡くなられた4名の方々の事故も、単なる「痛ましい事故」として時間とともに忘れ去られることなく、二度と同じ事故を起こさないための教訓として残してほしいと思います。

そしてJR東日本で行われているような徹底した安全教育と、可能な限り人間の判断だけに依存しない安全対策が、東武鉄道はもちろん、全国すべての鉄道会社と、その現場で働く協力会社にまで普及していくことを願います。

サイドになりましたが、これまでの鉄道現場で安全対策が十分でなかったために命を落とされたすべての方々に、改めて心よりご冥福をお祈りいたします。

2026年08月20日 06:12

スクリーンショット 2026-08-20 060734人間ドックの診断結果が出て4ヶ月が経過しようとしています。脂肪肝や糖尿病の危険性等もいろいろ指摘されつつも、幸いにして生命保険の新規加入で除外されるような結果では無かったものの、いろいろな制限は主治医からいただいています。

一番助かっているのが、お酒を伴う会合がある場合の事前準備指導。数日間かけて調整するのですが、飲まない期間を会合の前後に設定するとか、胃を休めるため前日の食事を軽くするといった基本的なことは、指導を受けなくても出来るようになってきました。

どうしても改善出来ないのが、アルコールを飲んだ後の締めに何かを食べるクセ。ついつい最後にラーメンを食べたりしてしまうので、最近はなんとか何も食べず帰宅できるようになりましたが、結局自宅でお菓子を食べてたりします。

この締めのラーメンですが、よく「アルコールの分解に血糖が使われて血糖値が下がるから、炭水化物が欲しくなる」と説明されることがあります。ただ、調べてみると、これは少し違うようです。

アルコールが入ってくると、肝臓はアルコールの処理を優先します。その過程で、肝臓が乳酸やアミノ酸などから新しくブドウ糖を作る「糖新生」が抑えられ、一時的な低血糖になります。その低血糖が空腹感を出すと言う文献をよく目にします。

ただし、普通に食事をしながら飲んだ人が「締めのラーメンを食べたい」と感じる理由を、単純に低血糖だけで説明するのは無理があるようです。

むしろ重要なのは、アルコールそのものが食欲や食行動に影響すること。実験では、アルコールを飲んだ後には、アルコールを飲まなかった場合より食事の摂取量が増えることが確認されています。

しかも厄介なのが、お酒そのものにも結構なカロリーがあるのに、「お酒を500kcal飲んだから、食事を500kcal減らそう」という調整を身体がうまくやってくれないこと。つまり、「飲んだカロリー+いつもの食事+締めのラーメン」となりやすいわけです。

さらに酔ってくると、当然ながら判断力や自制心も低下します。飲む前には「今日は絶対にラーメンを食べない」と思っていたのに、23時頃になると「今日くらいいいか」となる。そしてラーメン屋の前を通り、豚骨や醤油の香りを嗅いだ瞬間に、「せっかくだから食べて帰ろう」となるわけです。

おそらく私の場合、ここに長年の「飲んだら最後に何か食べる」という習慣も加わっています。逆に言えば、「このまま寝たらお酒が抜けないから何か食べてから寝よう」とも思っている自分がいます。考えてみれば、飲酒後の締めラーメンは様々な要因が絡んでいる感じがします。

今思っているのは「酔っぱらった自分の意志の強さなんてそもそも信用しない」これが一番重要なのではないかと思っています。

「太りたくないから」と酒席で食事を極端に減らしてしまうと、帰る頃には本当に空腹になっています。そこでアルコールによって判断力まで低下しているのですから、ラーメン屋の誘惑に勝つのは難しくなります。

最近ようやく分かってきたのは、「食べたい自分と戦う」のではなく、「食べるという判断をする場所へ自分を連れて行かない」こと。飲み会が終わったら、水を飲んでタクシーで自宅へ直行。家に着いたら歯を磨いて、その日の飲食は終了。これを新しい「締め」にしてしまうのが、私には一番効果がありそうです。

2026年08月19日 04:57

dobu何度もこの話を書いていますが、大雨による浸水被害を考える上で、避けては通れないと思っている話題について書かせていただきます。

最近、大雨が降るたびに道路が冠水し、低い土地やアンダーパスなどに大量の水が流れ込む映像を目にするようになりました。

もちろん、近年の豪雨が激しくなっていることも大きな原因でしょう。しかし私は、道路が冠水している映像を見るたびに、「側溝に蓋をしてしまえば、排水しきれなかった水が道路を伝って低い場所へ一気に流れ込むのは当然でしょ」と思っています。

私が子どもの頃、道路の脇には普通に「どぶ」がありました。今では側溝と呼ぶ方が適切なのでしょうが、道路の両側にコンクリート製の溝があり、蓋がされていない場所も珍しくありませんでした。

雨が降れば、道路に落ちた雨水は道路の勾配に沿って左右へ流れ、そのまま側溝へ落ちていきます。つまり、極端に言えば側溝のほぼ全長が「雨水の入口」だったわけです。

ところが、都市化が進み、歩行者の安全や道路空間の有効利用、バリアフリーなどの理由から、こうした側溝の多くには蓋がされるようになりました。

もちろん、蓋をしたからといって側溝そのものがなくなったわけではありません。道路の下には今でも排水施設があります。問題は、そこへ雨水をどうやって入れるかです。

蓋をしてしまえば、道路上の雨水はどこからでも側溝へ落ちるわけではありません。そこで一定間隔にグレーチングや集水桝などを設置して、そこから雨水を地下へ流し込みます。平常時の雨なら、これで十分なのでしょう。

しかし、短時間に猛烈な雨が降ったらどうなるでしょうか。道路全面に降った大量の雨水が、限られた数の排水口へ一気に集中します。しかも大雨ですから、普段道路の端にたまっている落ち葉やゴミ、土砂まで雨水によって流されます。そして、それらがグレーチングに集まり、排水口を塞いでしまうのです。

こうなると、地下にある側溝や下水管にまだ水を流す能力が残っていたとしても、十分にその能力を発揮できません。肝心の雨水が「入口」から入れないからです。

すると水は道路を流れます。道路には当然、高低差がありますから、水は高いところから低いところへ向かいます。

本来なら、その途中途中で側溝へ落ちていたはずの雨水が排水されないまま道路上を流れ続け、最終的には交差点や窪地、アンダーパス、低地などへ集中します。言ってみれば、道路そのものが巨大な「水路」になってしまうわけです。

さらに昔は土だった細い路地まで、今ではほとんどがアスファルトやコンクリートで覆われています。土なら地面に浸透していた雨水も、舗装された路面ではほとんど浸透せず、そのまま低い方へ流れて大きな道路へと集まってきます。

屋根に降った雨も雨樋から道路や下水へ流れます。庭だった場所に住宅や駐車場が造られ、土だった場所がコンクリートで覆われれば、それまで地面に染み込んでいた水まで短時間のうちに排水施設へ集中することになります。

そう考えると、豪雨による浸水被害のすべてが自然災害とは言い切れず、一部には都市の造り方によって被害を大きくしている「人災的な側面」もあるように思うのです。

もちろん、「昔のように全部どぶに戻せ」と言いたいわけではありません。開放された側溝には転落事故の危険がありますし、歩行スペースとして利用できない、車椅子やベビーカーが通りにくいなど、様々な欠点があります。

ただ、そこに蓋をした代償として「雨水を道路から排水施設へ取り込む能力」が弱くなっていないかは、改めて検証する必要があると思います。

大切なのは、地下にどれだけ太い下水管を造ったかだけではありません。そこへ雨水を入れる入口が十分にあるのか。グレーチングの数や大きさ、形状は適正なのか。落ち葉やゴミが集まっても排水能力を維持できるのか。

ピンヒールですら刺さらないほど目の細かいグレーチングが安全面では優れていても、水を取り込むという本来の役割との両立を考えなければならないのは、誰にでも分かることでしょう。

私の世代なら、「自転車でどぶに落ちた」なんて経験をした方も多いと思います。だからこそ側溝には蓋がされ、道路は安全で歩きやすくなってきたのでしょう。

その昔は、雨の日とその翌日になると、ミミズやカタツムリが地面にいるのをよく見かけました。それも土の路地がなくなり、側溝に蓋がされ、いつの間にかほとんど見かけなくなりました。

街はきれいになりました。道路は歩きやすくなりました。どぶに落ちる子どももいなくなりました。それ自体は間違いなく良いことなのでしょう。ただ、水は人間の都合に合わせて流れてくれるわけではありません。

土を舗装すれば、そこに染み込んでいた水はどこかへ流れます。側溝に蓋をして雨水の入口を限定すれば、そこから入れなかった水は道路を流れます。そして、その水は最後には必ず低い場所へ集まります。

豪雨のたびに「想定を超える雨でした」で終わらせるのではなく、地下の下水道の処理能力だけではなく、地上に降った雨をどう受け止め、どう地下へ流し、どう分散させるのかまで考える必要があるのではないでしょうか。

昔の「どぶ」が良かったとは思いません。ただ、街を安全で便利にしてきた結果、失ってしまった排水機能が本当にないのか。最近の浸水被害を見るたびに、一度きちんと検証してみる価値はあるのではないかと思っている私です。

2026年08月18日 06:00

スクリーンショット 2026-08-18 051549私共の事務所がある五反田駅前は大雨で浸水するリスクが高い場所として知られていて、1989(平成元)年8月1日は、1時間に50ミリを超える激しい集中豪雨による目黒川の氾濫で五反田駅前は水浸しになりました。

そんなわけで、その際に水没した旧荏原市場跡地に、総貯水容量約20万トンを誇る巨大な地下調節池である荏原調節池が建設され、以降は同様の氾濫・浸水被害の防止に大きな効果を発揮していますが、あくまでこれは、1時間に50ミリを超える程度の雨に対応している程度です。

実際には、近年のゲリラ豪雨では排水能力が限界に達する内水氾濫が発生していて、五反田駅近くの遊楽街や不動前駅近くのかむろ坂交差点でマンホールから高々と水が吹きあがってる映像が、時々ニュースでも採り上げられています。

先日の千葉県豪雨では、千葉市を例に挙げると、1時間解析雨量100ミリ以上の場所もあり、わずか半日で348ミリも降っています。さすがに五反田駅もこの雨だと荏原調節池の容量を超え浸水以外がおこりえるとされていて、うちの会社ではゲリラ豪雨が予想される場合は早く事務所を閉めてます。

以前事務所があった戸越銀座商店街も五反田同様にハザードマップに堂々と記される浸水想定エリアで、店舗兼事務所が1階にあったため、台風の接近や豪雨のたびに土嚢を積むのと共に、側溝にある蓋を開けていました。ただ、今の各店は蓋を開けないようで、昨年の浸水被害になったようです。

じつは1989(平成元)年の五反田駅周辺浸水被害は結構大きく語られる機会があるのですが、この場所はそんなレベルではない大浸水に何度も遭遇していて、昔は全国各地で大雨の浸水に対する恐怖について語られる際に多用されていました。

その写真がネットで検索しても見つからないのですが、昔は山手線の高架近くまで水没したそうで、高さ5m以上になるまで水没したのでしょう。結構な恐怖がある場所なので、豪雨予想の際に地下の店で食事なんてのは注意した方が良さそうです。

まだまだ大気が不安定な状態が続いていますので、これからもゲリラ豪雨には気を付けて行きましょう。なお、事務所内に最低限の備蓄食料と水はあります。大雨で水没している場合は、落ち着くまで事務所内で待機することをおすすめします。スタッフおよび来客者へ向けの注意喚起でした。

2026年08月17日 07:46

a38月13日夜から14日明け方にかけて千葉県では記録的な大雨となり、死者も出る災害となったのは報道でご存じの方も多いと思います。

じつは、この被害があった翌14日から、幕張メッセとZOZOマリンスタジアムで「SUMMER SONIC 2026」が予定されていたのですが、帰宅困難者の一時滞在施設として幕張メッセが開放されていたにも関わらず、無事各コンサートは開催されました。

とはいえ、道路上には各所に冠水によって動けなくなった放置車両が点在する中での開催でしたので、結構な混乱状況を目撃した参加者の方も多かったと思います。

テレビでは最も被害の大きな場所が映し出されるため、「街全体が水没している」ように感じますが、実際の冠水は道路の高低差や排水能力によって極めて局地的に発生します。わずか数十m、場合によっては数mの高低差で状況がまったく違うこともあります。だからこそ怖いとも言えます。

先日大雨のニュースを見ていると、冠水した道路を「このくらいなら大丈夫だろう」と、そのまま走っていく車を見かけることがあります。

しかし、現在の乗用車の車体下側がどうなっているのかを見ると、冠水路へ入ることがどれほど危険なのかがよく分かります。

写真はアウディA3スポーツバックを下から見たものです。

最近の乗用車は、燃費性能や高速安定性を向上させるため、車体下部にも空力対策が施されています。写真を見ると分かるように、広い範囲にアンダーパネルやアンダーカバーを装着し、できるだけフラットな形状にして、車体下を流れる空気をスムーズに後方へ流しています。

ちなみにアウディA3は、フォルクスワーゲン・ゴルフと基本的な車体設計を共有する兄弟車です。つまり、これは特殊な高級車だけの話ではなく、現在の一般的な乗用車にも通じる構造です。

ところが、空気を相手にしている時には優れたこの構造も、冠水路では話が変わってきます。

アウディA3の最低地上高は標準モデルで140mm。つまり、地面からわずか14cmしかありません。もちろん、水深が14cmを超えた瞬間に車が浮くわけではありません。しかし20cmも水があれば、すでに車体下部は水につかります。さらに水深が増して床面付近まで来れば、車体には浮力も働き始めます。

しかも、車が冠水路を走れば、フロントバンパーで大量の水を押しのけます。押された水は左右だけでなく車体下側へも勢いよく流れ込み、速度が上がれば水圧も大きくなります。

ここで問題になるのがアンダーパネルです。アンダーパネルは空気をスムーズに流すための部品で、大量の水を受け止めるためのものではありません。前端や隙間から内部へ水が入り込むと、その水圧によってパネルが押し下げられ、固定しているクリップやボルト部分が破損することがあります。場合によってはパネルがめくれたり、外れたりして、そのまま流失してしまうこともあります。

実際、JAFが行った冠水路走行テストでも、水深30cmを30km/hで走行したEVでは、車体下部のアンダーカバーが外れる現象が確認されています。

さらにパネルの内部には、泥や砂、小石、落ち葉、ゴミなどを含んだ水が大量に入り込みます。それらが駆動系や配線、コネクターなどへ押し寄せ、フロント側から巻き上げられた水はエンジンルーム内へ入ることもあります。

怖いのは、「走り切れたから大丈夫」と思ってしまうことです。冠水路を抜けた後も普通に走れていたとしても、見えない床下ではアンダーパネルが破損していたり、泥や砂が入り込んでいたり、電装部品などが水をかぶっている可能性があります。

さらに水深が深くなれば、車体に働く浮力も大きくなります。完全に浮かなくても、タイヤを路面へ押し付ける力が弱くなればグリップ力は低下し、水流によって車体が流される危険性も出てきます。ガソリン車やディーゼル車なら、吸気口から水を吸い込んでエンジンを壊してしまう可能性もあります。

そもそも運転席から冠水路の水深を正確に判断することはできません。手前が10cmでも、その先が30cm、50cmになっているかもしれませんし、水面の下に道路の陥没や開いたマンホールが隠れている可能性もあります。

「前の車が通れたから自分も大丈夫」という判断も危険です。車によって最低地上高も吸気口の位置も、床下の構造も違います。

私たちは普段、雨の中を普通に車で走っているため、車は水に強いような感覚を持ってしまいがちです。しかし、「雨の中を走れる」ことと「水の中を走れる」ことはまったく違います。乗用車というのは、私たちが思っている以上に冠水路に弱い乗り物なのです。

「SUMMER SONIC 2026」参加のために千葉県を訪問していて、どこが冠水する場所か分からないまま車が水没してしまった方もかなりの数いらっしゃるのではないでしょうか。

今回の豪雨で亡くなられた方々に、心よりお悔やみ申し上げます。また、浸水や車両の水没などの被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

冠水は、ほんのわずかな道路の高低差によって突然現れます。「このくらいなら大丈夫」と無理に進むのではなく、少しでも危険を感じたら引き返す。今回の災害を教訓として、改めてそのことを心に留めておきたいと思います。

raccoBYDから、日本専用に開発された軽EV「RACCO(ラッコ)」が発売されました。軽自動車、それも日本で圧倒的な人気を誇るスーパーハイトワゴン市場へ、中国メーカーが真正面から乗り込んできたわけです。

そもそも日本の本格的なEV市場は、2009年の三菱i-MiEVの法人向け販売から始まったと言っていいでしょう。2010年には個人向け販売もスタート。さらに2010年末には日産リーフが発売され、その後も三菱と日産を中心に普及促進が図られましたが、残念ながら日本国内では思うように普及しませんでした。

BYD Auto Japanによると、7月28日の発売からわずか2週間で、RACCOの累計受注台数は1000台を突破したとのこと。「中国メーカーの軽自動車なんて日本で売れるのか?」そんな見方も少なくなかったと思いますが、少なくとも最初の1000人が実際に購入を決めたことになります。

新しい商品やサービスが社会に普及するメカニズムを説明するものに「イノベーター理論」というものがあります。これは消費者を5段階に分類する考え方で、その区分は以下のようになっています。

・イノベーター(革新者):全体の2.5% 新しいものをいち早く取り入れる人
・アーリーアダプター(初期採用者):全体の13.5% 流行に敏感で、周囲にも影響を与える人
・アーリーマジョリティ(前期追随者):全体の34% アーリーアダプターなどの動向を見て採用する人
・レイトマジョリティ(後期追随者):全体の34% 周囲に広く普及してから採用する人
・ラガード(伝統採用者):全体の16% 新しいものに慎重で、最後まで従来のものを使い続ける人

イノベーターとアーリーアダプターを合計すると16%になります。このあたりまで普及すると、その後の多数派へ広がる可能性が高まるとされます。

世界全体で見ると、新車販売に占めるEVの比率はすでにこの水準を超えています。少なくとも世界市場全体では、EVはもはや一部の新しいもの好きだけが購入する商品ではなくなったと言っていいでしょう。

世界の自動車メーカーは、この成長市場でシェアを獲得しようと巨額のEV投資を進めてきました。しかし実際には、EVで先行したテスラやBYDなどとの価格競争が激しく、想定したほど収益を上げられないメーカーも出てきました。

その結果、EV投資計画の縮小や延期、戦略の見直しが相次いでいます。日本メーカーでもホンダがEV戦略を大幅に見直し、EV関連で巨額の損失を計上しています。そんなEV市場ではありますが、今回BYDが参入してきたのは、日本独自の市場である「軽自動車」という領域です。

ホンダの国内四輪販売はN-BOXをはじめとする軽自動車の存在感が非常に大きく、ダイハツやスズキにとっても軽自動車はまさに主力商品です。ここは日本メーカーにとって、海外メーカーに簡単に譲るわけにはいかない市場でしょう。

軽自動車のスーパーハイトワゴン市場における絶対王者「ホンダN-BOX」は、2025年度に19万8893台を販売しています。月平均にすると約1万6500台、単純計算すれば1日約550台です。RACCOが叩き出した2週間で1000台という数字も、N-BOXと比較してしまえば大した量ではありません。

しかし、日本における輸入車のシェア自体が決して大きくないうえ、BYDは中国メーカーであり、さらに日本ではまだEVに対して航続距離や充電環境、リセールバリューなどへの不安を持つ人も少なくありません。

そんな悪条件が揃う中で、発売直後とはいえ2週間で1000台を受注したということは、「軽EVのスーパーハイトワゴン」に少なからずニーズがあることを見せてくれたとも言えます。

BYD自身は、RACCOの販売目標について「2026年末までに1万台」としています。仮にこれを達成すれば、BYDにとって日本市場進出後の大きな成功と言っていいでしょう。

ただ、私がもっと興味を持っているのは、RACCOそのものがどこまで売れるかではありません。RACCOが売れることによって、日本メーカーがどう動くのかです。特に気になるのがホンダです。

ホンダにはすでに軽商用EV「N-VAN e:」があります。N-VAN e:はWLTCモードで245kmの航続距離を持ち、普通充電だけでなく急速充電にも対応しています。

このベース車となったN-VANは、N-BOXのプラットフォームを最大限活用して開発された車です。つまり、その気になれば「N-BOX e:」のような乗用軽EVを開発するための技術的な土台は、すでにかなり整っていると考えることができます。

では、RACCOが月2000台、3000台と増えていったらどうでしょう。月3000台なら年間3万6000台、つまり4万台近い規模になります。これはもう「中国メーカーが変わった車を持ってきた」というレベルではありません。軽スーパーハイトワゴン市場の一角を、本格的に奪われ始めたということになります。

そうなればホンダが「N-BOX e:」のようなEVモデルを投入してきても、まったく不思議ではないと思います。

さらに面白いのがダイハツです。軽スーパーハイトワゴンというジャンルを切り開いたのは、もともと2003年に登場した初代タントでした。ところが現在はN-BOXやスズキ・スペーシアの後塵を拝しています。

ここで次期タントに、ハイブリッドシステムが搭載されるのではないかという情報が出ています。特に注目されているのが、ダイハツがロッキーなどで実用化している「e-SMART HYBRID」の考え方です。

これはエンジンで直接タイヤを駆動する一般的なハイブリッドとは異なり、エンジンは基本的に発電に徹し、モーターで走行するシリーズハイブリッド方式です。もしこれを軽自動車向けに小型・軽量化できれば、非常に面白い車になると思います。

ただし、現時点でダイハツから「次期タントにe-SMART HYBRIDを搭載する」という正式発表はありません。あくまでも今後の展開として報じられたり予想されたりしている段階です。

私は以前ブログにも書いたように、「軽自動車こそEVとの相性が良い」と思っています。そもそも軽自動車で東京から大阪まで走ろうという人は、それほど多くありません。買い物や通勤、子どもの送り迎え、病院への移動など、毎日数十km程度の移動に使われるケースが多いでしょう。そう考えると、航続距離が200km程度でも実用上困らない人はかなりいるはずです。

特に地方ではガソリンスタンドの閉鎖が相次いでいます。ガソリン車の場合、給油するためには当然ガソリンスタンドまで行かなければなりません。しかしEVなら、自宅に充電設備さえあれば、帰宅して充電器につないでおくだけで、翌朝には充電されています。

「地方は充電設備が少ないからEVに向かない」と言われることがありますが、自宅充電を前提に考えると、むしろ日常の足として使われる軽自動車こそEV化のメリットが大きい地域もあるのではないでしょうか。

もちろん課題はあります。車両価格、バッテリーの耐久性、集合住宅での充電設備、寒冷地での航続距離、そして中古車価格など、ガソリン軽自動車と同じ感覚で購入できるようになるまでには、まだ解決しなければならない問題があります。

それでもRACCOが売れれば、日本メーカーも黙ってはいないでしょう。ホンダから「N-BOX e:」。ダイハツからハイブリッドの「タント」。そしてスズキも当然、何らかの対抗策を考えてくるはずです。もしかすると数年後には、「軽自動車はEVも当たり前」という時代に入っているかもしれません。

そう考えると、RACCOの発売は単なる中国製軽自動車の日本進出ではなく、日本の軽自動車が次の時代へ移るきっかけになるのかもしれません。

RACCOがN-BOXを脅かすほど売れるのか。それとも最初の話題だけで終わるのか。そしてRACCOの販売台数がどの水準に達した時、日本メーカーが本格的に動き始めるのか。これから半年から1年、RACCOの販売台数にはかなり注目しておきたいと思います。

これまで日本に参入してきた輸入車メーカーの多くは、基本的に世界市場向けに開発した車を日本でも販売するというスタイルでした。ある意味、輸入車メーカは日本の輸入車オーナーを軽く見て来たとも言えるでしょう。

その点、BYDがわざわざ日本の軽自動車規格に合わせ、日本専用車としてRACCOを作ってきたという事実は、この会社が真面目に正面から日本市場と向き合おうとしている姿勢の表れだと感じます。これはこれまでの輸入車メーカーにはあまり見られなかったアプローチだけに、今後投入されるPHEVも含め、BYDが日本市場でどんな展開を見せるのか、楽しみにしている私です。

dosoじつは8月8日の同窓会に参加するにあたっては、5日間かけて体調を整えることになりました。今やお酒を飲むにも数日ががりで調整が必要です。

人間ドックで胃や肝臓への注意を受けて以来、暴飲暴食はできるだけ避けるよう心掛けていますが、せっかくの同窓会ですから、当日は体調を万全にして、食事もお酒も無理のない範囲で楽しみたいと考えました。

今回は、胃を休めてから神戸入りすることを考え、次のようなスケジュールで体調を調整しました。

月曜日 夕食をおかゆなど消化の良い食事に変更
火曜日 ファスティングの準備期間
水曜日 ファスティング(断食)
木曜日 回復食
金曜日 回復食から徐々に通常食へ戻し、夜は通常の食事
土曜日 同窓会

若い頃なら何も考えずに参加していたのでしょうが、60歳近くにもなると「イベント当日に向けて体調を整える」ということも大切な準備の一つと考え、調整してみました。

結果的には、翌日曜日も同級生のやっている中華料理店でビール1本をいただきましたので、2日続けて飲んだ形になりましたが、量的には結構節制して飲んで二次会も行かなかったので、体調不良に陥ることなく帰京することができました。

今後も何かお酒を伴う飲み会等があれば、早めにお話しをいただければ、主治医と相談の上で参加できる場合は一次会限定ではありますが、参加したいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

2026年08月16日 07:33

tyuushiなにやらテレビメディアで騒ぎになっているらしい「琵琶湖三市同時花火大会」が突然中止になったという話についてですが、すでに5人ほどから「そんなことあるの?」という質問をいただいたので、私の公式見解を書きたいと思います。

公式見解:「特に意見はありません」

「突然中止なんてことあるの?」と聞かれれば、「イベント業界ではあります」というのが答えです。長年イベント業界におりますが、この世界では「イベントを開催します」と発表されたからといって、本当に開催されるとは限りません。

会場を押さえ、出演者を押さえ、行政や警察、消防などとの協議を行い、必要な許認可を取り、警備会社、施工会社、音響・照明会社、電源会社、運営スタッフなどを手配し、それぞれに発注をかけ、お金を支払い、初めてイベントは開催できます。

逆に言えば、そのどこか一つでも大きく崩れれば、イベントそのものが成立しなくなることがあります。特に怖いのがお金。イベントという仕事は、本番当日に突然大金が必要になるわけではありません。会場費、制作費、広告宣伝費、出演料、施工費、警備費と、本番前に次々と支払いが発生します。

チケットを販売して数千万円、場合によっては億単位のお金が集まっていたとしても、それ以上の支払いが必要なら資金はショートします。巨大な音楽コンサートなどでは、チケット収入だけですべての経費を賄えず、スポンサーや関係企業からの協賛・支援などを含めて収支を組み立てるケースも多々あります。

イベント業界には昔から、壮大な企画をぶち上げ、スポンサーを集め、チケットを売り、関係各社へ発注したものの、最後になって資金が回らなくなり、開催できなくなるという事例が多々あります。業界では昔から、半ば自嘲的に「ヤルヤル詐欺」などと呼ばれることもあります。

実際、全国公立文化施設協会がまとめた公立文化会館のトラブル事例には、公演前日にチケットの売上代金を回収した主催者が、公演当日になっても会場に現れず、主催者が手配していたはずの楽団、照明、音響スタッフも来なかったため、開演1時間前に中止となったケースまで紹介されています。

ほかにも、タレント事務所への契約金が支払われず、主催者と連絡が取れなくなり、公演中止になった事例も紹介されています。ですから「そんなこと本当にあるの?」と聞かれれば、「残念ながら、あるんです」としか言いようがありません。

私自身、とあるホテルのクリスマスディナーショーにタレントを連れて行っていた際、本番開始前までにギャラを用意しなかったブッキング会社に対し、ショーの開演拒否を伝えたことがありました。1993年12月24日のことなので、もう時効だと思って書きます。

その時は、すでに2回公演のうち1回目のお客様が入っていて、食事もスタートしていたのですが、開演10分前になってもギャラが用意できなかったので、すでに着替えて舞台袖に来ていたバンドを控室に返し、ホテルの総支配人に「フロントでも売店でもエエから、館内にある金まとめて持って来んかったら中止や」と静かに通達しました。

念のために書きますが、ホテル側には何の落ち度もありません。間に入っているブッキング会社の問題です。でも、ホテル側がギャラの半額に近い394万円を集めて持ってきたので、事なきを得ました。(2回目公演開始までに全額回収)

もちろん、今回の「琵琶湖三市同時花火大会」が詐欺の類だと言っているわけではありません。ここは非常に重要なので、はっきり書いておきます。

私は今回の主催者の内部事情を知りませんし、中止に至った本当の理由も知りません。ですから、今回の件について「詐欺だ」「最初から開催するつもりがなかった」などと判断する材料は何も持っていません。

ただ、「イベントが直前になって突然中止になることなんてあるの?」という質問に対しては、「イベント業界では、残念ながら珍しい話ではありません」と答えるほかありません。

イベントというのは、ポスターを作って、ホームページを公開して、チケットを売れば開催できるものではありません。むしろ、そこからが本番です。特に今回のような大規模な屋外イベント、それも花火大会となれば、通常のイベント以上にハードルは高くなります。

花火そのものだけでなく、観客導線、警備、交通規制、救護、消防、仮設トイレ、電源、照明、スタッフ、近隣対策、荒天対策など、膨大な準備が必要になります。

それを複数の地域で同時に実施するとなれば、相当な運営能力と資金力が必要になるでしょう。ですから私は、このニュースを聞いても「そんなことあるの?」とは思いませんでした。

むしろイベント屋として気になるのは、「なぜ中止になったのか」よりも、「どの段階まで準備が進んでいたのか」という部分です。ここが分からない限り、外から今回の中止について評価することはできません。

特に花火大会については、行政との調整だけでなく、消防や警察との事前協議が非常に重要になります。

花火は、好きな場所から好きな大きさの玉を打ち上げられるものではありません。打ち上げ場所を決めれば、使用する花火の種類や大きさ、打ち上げ地点から観客までの安全距離などを検討する必要があります。大きな玉を使おうとすれば、それだけ広い保安距離が必要になります。

そして花火は火薬類ですから、一定量以上を消費する場合には都道府県知事等の許可が必要になります。消防との関係でも、地域の火災予防条例などに基づき、打上げ花火を含む煙火を消費する際の届出が必要になる場合があります。

イベント現場では、消防署の予防課などと事前に協議し、火気を使用する場所、消火器の配置、観客との距離、緊急時の対応などを一つずつ確認していきます。飲食ブースでガスコンロなどの裸火を使う場合も同様です。

さらに大規模な花火大会では、消防だけでなく警察との調整が極めて重要になります。何万人もの観客が集まるとなれば、「花火を安全に打ち上げられるか」だけでは足りません。

どこから観客を入れて、どこから帰すのか。駅や道路に人が集中した場合にどうするのか。車両と歩行者をどう分離するのか。交通規制をどこで行うのか。事故や急病人が発生した場合、救急車をどのルートから入れるのか。こうしたことを盛り込んだ膨大な警備計画書を作り、警察や行政、消防、警備会社などと調整しながら詰めていきます。

明石花火大会歩道橋事故のように、花火そのものではなく、会場へ向かう観客の群集事故によって多数の死傷者が出た過去もあります。だから現在の大規模イベントでは、「花火が安全に上がるか」だけではなく、「何万人という人間を安全に移動させられるか」までがイベントの安全管理です。

警備計画が成立しなければ、いくら花火業者を押さえていても、チケットが売れていても、イベントを開催することはできません。

今回、楽しみにされていた方々にとっては本当に残念な結果となってしまったわけですが、現時点で外部から分かる情報だけをもとに、誰が悪い、何が原因だと決めつけることは、私にはできません。

だからこそ、今回の件についての私の公式見解は、最初に書いた通り「特に意見はありません」です。ただ、「そんなこと本当にあるの?」という質問に対してだけは、長年イベント業界にいる人間として答えることができます。「残念ながら、イベント業界ではあります」

最後になりましたが、楽しみにしてチケットを購入された皆様へ、1日も早くチケット代が返金されることを祈っております。

kansui大雨のニュースを見ると、道路が完全に水につかり、車が立ち往生している映像が繰り返し流れます。こうした映像だけを見ていると、「この地域一帯が水没しているのだろう」と思ってしまいがちですが、実際にはそうとは限りません。

道路冠水というのは、意外なほど局地的に発生します。なぜなら、水は低い場所へ流れるからです。

同じ道路でも、わずかな高低差によって水が集まる場所と、ほとんど水がたまらない場所があります。そのため、冠水している場所の10m、20m手前までは普通に車が走れていて、そこだけ突然「池」のようになっていることがあります。

テレビでは、当然ながら最も冠水している場所を中心に撮影します。水につかった車、立ち往生する車、タイヤの半分以上まで水につかりながら走る車。映像としては非常に分かりやすいのですが、カメラを少し引いて「その道路の前後がどうなっているのか」まで映すことはあまりありません。

しかし、車を運転する側にとって重要なのは、むしろ映っていない前後だと思います。「ここまで普通に走って来られたのだから、この先も大丈夫だろう」これが危ないのです。

私の家の近所にある戸越銀座商店街は、もともと川が流れていた低地です。大雨が降ると周辺の高い場所から水が集まりやすく、昨年9月11日の豪雨では、側溝に流れ切らなかった雨水で、東急池上線の線路付近に水が大量に溜まったことがありました。

幸い、その時の猛烈な雨は1時間ほどで収まり、水没車は出ませんでしたが、車がバンバン走る場所だったら、何台か水没していてもまったく不思議ではない状況でした。

そして重要なのは、そこへ至るまでの道路すべてが冠水していたわけではないということです。普通に走って来たら、突然目の前に深い冠水箇所が現れる。都市部の内水氾濫では、こういうことが起こりえます。

例えば渋谷。地名の通り渋谷駅周辺は谷底に位置しています。宇田川と渋谷川が合流する場所で、川は暗渠になって見えませんが、地形は昔のままなので、大雨のたびに駅周辺やスクランブル交差点付近が冠水するのは日常茶飯事です。

また五反田駅周辺も同様です。大雨のたびに目黒川が氾濫し、大規模な浸水被害が多発したため、1991年から2002年にかけて旧荏原青果市場の跡地を活用した荏原調節池を約320億円かけて整備したことで、水害の発生は抑えられていますが、今でも豪雨になるとたびたび氾濫警戒サイレンが鳴ります。

普段は大量の車や人が行き交っている場所でも、猛烈な雨が降れば、周囲から流れ込んだ雨水によって短時間で状況が一変することがあります。

当たり前ですが、道路が冠水するほどの雨なら、冠水前からとんでもない量の雨が降っているわけで、車を運転していればワイパーを最速にしても前が見えないぐらいの状態です。つまり、普通に考えれば「この雨なら冠水している場所があってもおかしくない」と思えるはずなのです。

ところが、悲しいかなそうはなりません。「ここまで通れたから大丈夫」「前の車が走っているから大丈夫」となるのです。

しかも、冠水場所は窪んだ場所だったり、各所から水が流入してくる交点だったりするので、その前後は高い場所に位置していますから、冠水場所の手前からその先に車が走っているのを見ると、平らな道に見えるのです。

そして、「向こう側にも車がいるのだから、この程度なら通れるだろう」と考えてしまうわけです。

冠水した道路は、外から見ただけでは水深が分かりません。普段から走り慣れている道路であっても、水面が道路を覆ってしまえば、どこから急に深くなっているのかも分かりません。さらに、マンホールの蓋が外れていたり、側溝との境目が見えなくなっていたりする可能性もあります。

そして、一度冠水箇所へ入ってしまえば、途中で「やっぱり深い」と気付いても、簡単には引き返せません。エンジンが水を吸い込めば停止する可能性がありますし、水深が20cmに達すれば車体が浮き、ハンドルやブレーキが効かなくなる危険もあります。

常識を超えた大雨に遭遇したら、絶対的に安全が確認できる状況でなければ車を走らせない。

これから全国各地で突然の豪雨が増える時代、このことだけでも頭の片隅に置いておけば、冠水道路へ突っ込んでしまうリスクはかなり減らせるのではないかと思ってます。

2026年08月15日 07:23

mizu先日、千葉県を襲った記録的な豪雨では、各地で道路が冠水し、ニュース映像では、水につかった車や冠水した道路を走る車を多数見かけました。

こういう映像を見るたびに思うのですが、車で冠水路へ入るのは本当にやめた方がいいと思います。「このくらいの水なら行けるだろう」「前の車も走っているから大丈夫だろう」と思って進入してしまう人もいますが、ガソリン車やディーゼル車のエンジンにとって、水は非常に危険な存在です。

エンジンは空気を吸い込み、それを圧縮して燃料を燃焼させています。空気は圧縮できます。ところが、水はほとんど圧縮できません。エンジンの吸気口から大量の水を吸い込んでしまうと、その水がシリンダー内に入り込みます。

クランクシャフトは勢いよく回転していますから、その状態でピストンが上昇すると、圧縮できない水によって行き場を失った巨大な力がコンロッドなどに加わります。その結果、一瞬でコンロッドが曲がったり折れたりし、ピストンやバルブ、シリンダーなどが損傷して、エンジンそのものが致命傷を負うことがあります。これが、いわゆる「ウォーターハンマー」「ハイドロロック」と呼ばれる現象です。

ここで重要なのは、「しばらく水の中を走っていたら徐々に壊れる」という話ではないことです。吸気口から大量の水を吸い込み、それがシリンダー内に入れば、一瞬で起きる可能性があります。

たとえ冠水がそれほど深くなくても、前の車が勢いよく走れば大きな水しぶきが上がります。車種によって吸気口の位置は異なりますが、ボンネット内にある吸気口へ大量の水がかかり、それを吸い込んでしまえば、ウォーターハンマーを起こす可能性があります。

つまり、エンジンが壊れるかどうかは、単純に水深だけで決まるわけではなく、吸気口からどの程度の水を吸い込むかにも左右されるのです。特に対向車や大型車が作った波には注意が必要です。

冠水した道路では、運転席から水深を正確に判断することができません。JAFでは、一般的な乗用車で走行可能とされる水深は「ドアの下端、つまり床面が浸からない程度」とした上で、実際の冠水路では水深が分からないため、安易に進入せず迂回するよう呼びかけています。

ただ、私がもっと怖いと思うのは、水でエンジンが壊れるかどうかよりも、「水面の下に何があるのか判別できない」という点です。

普段なら何の問題もない道路でも、豪雨の最中や直後には同じ道路とは限りません。
・舗装が陥没しているかもしれない。
・道路が崩れているかもしれない。
・側溝との境目が分からなくなっているかもしれない。
・マンホールの蓋が外れているかもしれない。
・路肩が流されているかもしれない。

つまり、水深20cmに見えたとしても、その先に突然1mの穴が開いている可能性だってあります。先日の千葉豪雨でも、道路が大きく窪んだり、路肩が流されたりしている場所が確認されています。つまり、「水深が浅そうだから走れる」という判断そのものが成立しないわけです。

そして、この問題は豪雨だけではありません。私が特に怖いと思っているのが、大地震発生時です。

大地震では、埋立地や地下水位の高い砂地盤などで「液状化現象」が発生することがあります。地震によって砂の粒子同士の支えが失われると、地盤がドロドロの液体のような状態になります。すると地下から水や砂が噴き出す「噴砂」が発生したり、道路が沈下・隆起したり、亀裂や段差ができたりします。さらに地下にあるマンホールや下水管が浮き上がることさえあります。

国土交通省も、液状化によって地盤から水が噴き出し、マンホールや埋設管が浮き上がったり、道路面が変形したりすることを説明しています。

東日本大震災でも、千葉県内を含む広い地域で実際にこうした被害が発生しました。千葉県香取市ではマンホールの浮き上がり、浦安市では地盤沈下や噴砂などが確認されています。

ここで重要なのは、地震による液状化で道路にあふれてくるものは、単なる「雨水」ではないということです。地下水と大量の砂や土が混ざった、いわば泥水です。道路の白線も、縁石も、側溝も見えなくなり、その泥水の下では地面そのものが変形している可能性があるわけです。

豪雨による冠水なら「いつもの道路が水につかっている」というケースもありますが、液状化した道路では、「水の下にある道路自体が、地震前とは違う形になっている可能性がある」わけです。

実際に私も、阪神・淡路大震災の際には液状化している道路を車で走行し、地割れに3回も落下しました。単に運が良かっただけで、3回とも大型トラックが通りかかり、牽引ロープを持っていたため引き上げてもらうことができました。

この経験があったので、東日本大震災の際には大洗で津波に遭遇したのですが、高速道路の高架上という安全を確保できる場所にとどまり、水が引くまで動かずにいることができました。

そんなわけで、私は「道路が冠水して路面が見えなくなったら、そこから先には進まない」というくらい、単純なルールにしておいた方がいいと思っています。

今回の豪雨で亡くなられた8名のうち、車内に閉じ込められて亡くなられた方は3名にも及びました。

冠水が始まってから「まだ車で行ける」と考えるのではなく、危険を感じたら早めに安全な場所へ移動する。そして、車内に水が入り始めるような状況になれば、脱出できるうちに車外へ出るという判断も必要なのだと思います。

「水で路面が見えなくなったら、その先には進まない」

車を守るためではなく、自分の命を守るため、これくらい単純に考えておいた方がいいのではないかと思っている私です。

2026年08月14日 06:41

parking東京都心のマンションを悩ませる問題の一つに、「駐車場問題」があります。これは今に始まったことではなく、私が分譲マンションの企画に携わっていた1990年代初頭の時点でも、駐車場をどれだけ確保するかは大きなテーマでした。

当時のマンション用地には、バブル時代に高値で仕入れた土地も多く、限られた敷地の中で「住戸数に対して何割分の駐車場を用意するか」は悩みどころでした。

しかも、まだまだモータリゼーション真っ盛りの時代です。「家族を持ったらクルマを買う」という考え方も一般的で、全戸数の50%以上の駐車場を用意するマンションは珍しくなく、中には全戸分の駐車場を確保する物件さえありました。

そこで、狭い土地にできるだけ多くのクルマを収容するため、各地のマンションで導入されたのが機械式駐車場です。

ところが、それから30年以上が経過し、状況は大きく変わりました。

特に東京都心では、「家族を持ったら自家用車を保有するのが当たり前」という時代は終わり、自動車を持たない世帯が増えました。鉄道やバスが充実しているうえ、必要な時だけレンタカーやカーシェアを利用するという選択肢もあります。

「マンションなら全戸分の駐車場を確保する」なんて考え方が普通に存在していた時代が、ウソのようです。

そして、もう一つ大きな変化がありました。クルマの大型化です。各メーカーが世界市場を前提として車両を開発するようになった結果、かつてのように5ナンバー枠に収めることを優先したクルマは減りました。今では全幅1,800mmを超える車種など珍しくありません。

さらに、売れるクルマそのものも変わりました。主役はセダンからミニバンやSUVへと移り、軽自動車もセダンからハイトワゴン、そしてスーパーハイトワゴンへと変わりました。

ここで問題になるのが、昔からある機械式駐車場のサイズ制限です。もちろん設備によって異なりますが、従来型の機械式駐車場では、全長5,000mm、全幅1,850mm、全高1,550mm、重量2,000kg程度を上限としているものが少なくありません。

全長や全幅は大丈夫でも、最大の問題になるのが「高さ」です。全高1,550mmまでとなれば、ミニバンはもちろん、軽自動車のハイトワゴンでさえ入らない車種が出てきます。ましてや現在人気のN-BOXのようなスーパーハイトワゴンは完全に対象外です。

さらに、大型SUVや高級ミニバンになると、全幅や重量まで制限に引っかかります。ランドクルーザー、アルファード、ハイエース、N-BOX・・・。街を走っている人気車種を思い浮かべると、どれも入らないわけです。

そうなると、マンションの住民でクルマを所有していても、建物内の機械式駐車場を使わず、近隣の平置き駐車場を借りる人が出てきます。

ここからが管理組合にとって深刻な問題です。もともと機械式駐車場は、利用者から集める駐車場使用料によって日常の点検や修繕費をまかない、将来の大規模修繕や設備更新にも備えるという考え方で運営されてきたマンションが少なくありません。

ところが、利用者は減る。駐車場収入も減る。それでも機械は古くなる。利用台数が半分になったからといって、点検費用や設備更新費用まで半分になるわけではありません。むしろ築年数が進めば、部品交換や修繕の頻度は増え、いずれ大規模な設備更新の時期がやってきます。

つまり、「使う人は減っているのに、維持費はかかり続ける」という状況になるわけです。

さらに厄介なのは、機械式駐車場を利用していない住民にとってみれば、「なぜ自分たちが使っていない駐車場の修繕費を管理費や修繕積立金から負担しなければならないのか」という不満が生まれやすいことです。

かといって、機械式駐車場を撤去するのもタダではありません。設備を撤去して平面化するにも費用がかかりますし、地下ピット式であれば埋め戻しなどの工事も必要になります。建築確認や条例、既存不適格などの問題が絡むケースもあるでしょう。

また、現在は空きだらけだからといって全部撤去してしまえば、将来クルマを所有したい住民が現れた時に、駐車場が足りなくなる可能性もあります。

そこで最近のマンションでは、機械式駐車場をすべて維持するのではなく、一部を廃止したり、ハイルーフ車に対応できる設備へ更新したりするなど、実際の需要に合わせた再編が必要になってきます。

この問題は、現在のタワーマンションでも数十年後には顕在化してくることでしょう。それどころか、タワーマンションには地下や建物内部に大規模な機械式・タワー式駐車設備を設けている物件も多く、これらが設備更新の時期を迎えれば、かなり大きな費用が発生する可能性があります。

中古マンションを買う方も、新築マンションを買う方も、敷地内に駐車場がある場合、その車室サイズはどの程度なのか?その管理コストは誰がどう負担することになっているのか?そういったことまで考えないといけないのかもしれませんね。

2026年08月13日 10:30

スクリーンショット 2026-08-12 101600ホンダ・ステップワゴンを買った際、結構な頻度で「なぜアルファードにしなかったの?」と聞かれました。理由は明確でして、「3列目シートのたたみ方が跳ね上げ式だったから」です。

アルファードの3列目シートは左右に跳ね上げて収納する方式。一方、ステップワゴンの3列目シートは、前に倒すと床下へ沈み込んでフラットになるダイブダウン式です。仕事柄、大きな荷物を積むこともありますし、3列目を収納した時に左右にシートが残らず、荷室を四角く広々と使えるステップワゴンの方が、私には圧倒的に使い勝手が良かったわけです。

ただ、それだけではありません。私は昔から、車を選ぶ時に「なるべくガラ悪く見えなさそうな車」ということを結構気にしています。別に高級車が嫌いなわけでも、派手な車が嫌いなわけでもありません。ただ、アルファード/ヴェルファイアは「ちょっとガラ悪そうに見えるかも」と思って敬遠したのも事実です。

車というのは不思議なもので、乗っている本人が何も言わなくても、車種やグレード、色、カスタムの仕方だけで、周囲から勝手に「こういう人なんだろうな」とイメージを持たれてしまうことがあります。1998年型のBMW528iを買った時も、自分なりに結構考えて車種を選びました。

まず「メルセデスはちょっとガラ悪く見られそうだな」と思いBMWを選択。3シリーズは後ろに人を乗せるには膝前の空間が狭すぎたので5シリーズとなり、それでも「一番高いのを買った」と思われないよう、中間グレードの528iを選びました。

今になって考えれば「そこまで人の目を気にしなくてもいいだろう」と思いますが、昔からそんな車選びをしていたわけです。

ただ、BMWに乗っているうちに「輸入車を乗り継いでいることで、周囲から変に思われるんじゃないか」などと考えるようになりました。そして2002年、次に選んだ車がスズキ・エブリイランディでした。

これが絶妙のバランスで、軽自動車サイズに近いボディなのに1300ccエンジンを搭載し、7人乗れて荷物も積めるという車。しかも誰とも被らない謎の車種で、誰から見られても偉そうでもないし、かといって貧しそうにも見えないという、私にとっては素晴らしい車でした。

何より良かったのが、どこへ乗って行っても気を使わないこと。仕事先へ乗って行っても、遊びに行っても、近所を走っていても一切目立たず、それでいて実用性は抜群。この「何も主張しない」というところが、私には非常に心地良かったのです。

残念ながら、その後継となるような車種が出てこなかったので、結局エブリイランディには12年間乗りました。そして次に選んだのが、初代エネチャージが搭載されたワゴンRです。こいつがまた良くできた車でした。

価格は安いのに、乗ってみると驚くほどしっかりしている。もちろんクラウンのような高級車と同じという意味ではありませんが、日常域で走っている分には安っぽさを感じさせず、乗り心地も上質。「軽自動車って、ここまで良くなっているのか」と驚かされました。

そして、このワゴンRに乗ったことで「一番売れている車は、やっぱり良くできている」ということを痛感しました。

考えてみれば当たり前なのかもしれません。多くの人が買う車ですから、価格、燃費、使い勝手、故障の少なさ、室内の広さ、取り回しなど、どこか一つだけが突出しているのではなく、あらゆる部分で大きな欠点がないように作られています。当然、メーカーとしても主力車種には多くの開発費をかけられますしね。

このあたりから私の車選びは「一番売れている車」を選ぶ方向へ変わっていきます。そんなわけでここ数年は、荷物を運ぶ車はハイエース、普段乗る乗用車はN-BOXとなっている次第です。

どちらも街中にいくらでも走っています。ハイエースで仕事先へ行っても単なる仕事車ですし、N-BOXでどこかへ行っても日本中に走っている軽自動車です。誰も振り返らないし、誰も気にしない。これが実に楽なのです。

一時的にステップワゴンにも乗っていましたが、ぶっちゃけ、ミニバンは私には不要ですね。夫婦2人家庭なので、最大乗車人数は基本的に2名。それなのに7人、8人乗れる大きな車を毎日動かす必要はありません。

しかも都心に住んでいると、狭い道は多いし、駐車場も狭い。スーパーやコンビニへ行くにも、大きな車より小さな車の方が圧倒的に楽です。そう考えていくと、結局「軽自動車が一番」という結論に達しました。

今、私が車を選ぶうえで大切にしているのは、「自己主張せず、街に埋もれられること」です。高級そうに見せる必要もない。速そうに見せる必要もない。偉そうに見せる必要もない。カスタムして「自分の車だ」と主張する必要もありません。

仕事先へ乗って行っても、地域の集まりへ乗って行っても、買い物へ行っても、誰も気に留めない。街中を走っていても、駐車場に停めていても、風景の一部になっている。私にとっては、それくらい存在感のない車が一番気楽なんですよねー。

いろいろな車に乗ってきましたが、結局たどり着いた私の車選びの基準は、「自己主張せず、街に埋もれられること」。きっと次は、宅配屋さんが使っているような軽ワゴンを選ぶと思います。今は、そんな車が一番良い車だと思っている私です。

kekkon「日本人は晩婚化している」これはもう、誰も疑わない常識のように言われています。

実際、厚生労働省の人口動態統計を見ると、2025年の平均初婚年齢は夫31.0歳、妻29.7歳。昔に比べれば、確かに結婚する年齢はかなり上がっています。

ところが、この数字を見て「今は30歳くらいで結婚するのが普通なんだ」と考えると、少し実態を見誤るように思います。なぜなら、「平均」と「一番多い年齢」は違うからです。

厚生労働省の統計で、初婚の妻の年齢を1歳刻みで並べてみると、2025年に最も多い年齢、つまりピークは27歳です。しかも厚労省の2025年の資料では、初婚の妻の年齢構成を10年ごとに比較すると、2005年、2015年、2025年はいずれも27歳がピークだったとされています。

一方、平均初婚年齢はその間も上昇してきました。妻の初婚年齢を見ると、以下のように推移しています。

妻の初婚年齢調査データ)
1985(昭和60)年 平均25.5歳/ピーク25歳前後
1990(平成2)年 平均25.9歳/ピーク25〜26歳
1995(平成7)年 平均26.3歳/ピーク26歳前後
2000(平成12)年 平均27.0歳/ピーク27歳前後
2005(平成17)年 平均約28.0歳/ピーク27歳
2010(平成22)年 平均約28.8歳/ピーク27歳前後
2015(平成27)年 平均約29.4歳/ピーク27歳
2020(令和2)年 平均約29.4歳/ピーク27歳前後
2024(令和6)年 平均29.8歳/ピーク26歳
2025(令和7)年 平均29.7歳/ピーク27歳

2024年については厚労省の確定数でも、妻の各歳別初婚件数のピークは26歳とされています。一方、2025年は27歳です。つまり年によって26歳、27歳程度の動きはありますが、近年の初婚の大きな山が20代後半にあることには変わりありません。

ここで興味深いのは、平均初婚年齢が30歳近くまで上昇しているにもかかわらず、初婚が最も集中している年齢は今でも26〜27歳あたりだということです。

もちろん、だからといって「日本では晩婚化など起きていない」ということではありません。厚労省の資料を見ても、若い年齢で結婚する人の割合が低下し、より高い年齢で結婚する人の割合が増える傾向があります。つまり「晩婚化そのものは間違いなく進んでいる」ということです。

ただし、平均初婚年齢が30歳近いという数字から受ける印象ほど、「みんな30歳くらいになってから結婚している」わけではないということ。実際には今でも20代後半に大きな山があり、その頂点が26〜27歳前後なのです。

そして私は、この「27歳前後」という数字は婚活を考える上で結構重要なのではないかと思っています。

かなり乱暴な言い方をすれば、美男美女で性格的にも良く、異性から人気のあるような人たちの一定割合は、20代後半までにパートナーを見つけ、そのまま結婚してしまっている可能性があります。

もちろん、「魅力のある人ほど若く結婚する」ということを、この統計が証明しているわけではありません。ただ、一つだけ数学的に間違いないことがあります。結婚した人は、その瞬間に「未婚者の集団」から抜けていくということです。

これを勘違いしている独身男女が結構いて、30代で未婚なのに「私の周囲には独身って結構いる」とか、「30代や40代で結婚する人も多い」なんてことを言っている方に会うことが多々あります。

もちろん、私はそこで事を荒立てるようなことはしません。「いい人は27歳までに結婚してるんだから、残った人の中から妥協して探すしかないね」なんてことを言ったら、一発で嫌われます。できれば、「そうなんだー。かわいいんだからチャンスはまだまだあるよ!」ぐらいでサラッと流したいところです。

ただ、人間というのは、人生経験を積めば積むほど異性を見る目も肥えていきます。仕事をして社会経験を積み、いろいろな人と出会い、恋愛もして、食事にも旅行にも行き、世の中を知っていく。当然、「こういう人は嫌だ」「結婚するなら、こういう人がいい」という基準も増えていきます。

ところが、それとは反対方向に、同世代の未婚者の母数そのものは減っていく。ここに結構残酷な矛盾が出てくるのです。

20代前半なら、学校や会社、友人関係、飲み会などを通じて、自然にたくさんの独身者と知り合えます。

ところが30代、40代になると状況は大きく変わります。「この人、素敵だな」と思ったら結婚している。「この人なら紹介できるな」と思ったら彼女がいる。職場を見渡しても友人関係を見渡しても、年齢が上がるにつれて既婚者の割合が増えていきます。自然な生活の中で、新しい独身者と大量に知り合える機会そのものが減っていくわけです。

「誰かいい人がいたら紹介して」と言われることがあるのですが、例えば30代後半や40代の女性を紹介する相手として、さすがに20代男性というのは簡単ではありません。

では同年代の40代、あるいは少し上の50代男性で独身者を探してみると、「うーん、この人を紹介して大丈夫かな・・・」といった人物が多いのも現実だったりします。

もちろん、素敵な30代以上の独身男性はいくらでもいるでしょう。ただ、年齢が上がれば上がるほど「独身で、年齢も近く、性格も良く、仕事も安定していて、本人も結婚を希望していて、しかも相手の女性を気に入ってくれそう」という条件を全部満たす人を探すのは難しくなります。

そして、これは男女逆でも全く同じです。40代の男性から、「30歳くらいまでで、きれいで性格が良くて家庭的な独身女性を紹介してよ」なんて言われても、「そんな人がいたとして、まずあなたを選ぶのか?」という話になるわけです。

婚活というのは、自分が相手を選ぶだけではありません。当然、相手にも選ぶ権利があります。ところが年齢を重ね、人生経験を積むほど、人は無意識のうちに自分を「選ぶ側」だと思ってしまうことがあります。

年収/容姿/年齢/体形/性格/趣味/価値観/親との同居ナシ/一流企業勤務・・・。様々な条件を全部クリアできるような人がいたとして、「で、その人があなたを選ぶと思いますか?」という話は、誰がしてあげるのでしょうか。言われた側は不愉快でしょうし、余計なお世話と言われればその通りです。

でも私は、こうした現実を若いうちから知っておくことは、少子化対策を考える上でも案外大切なのではないかと思っています。

少子化対策というと、子育て支援、学校無償化、児童手当、住宅支援など、どうしても「結婚して子どもが生まれた後」の政策が中心になります。もちろん、それらも大切です。

でも、その前に、「そもそも若い男女が出会っていない」「恋愛していない」「結婚する相手が見つかっていない」「結婚適齢期を見誤っている」といった様々な問題があるわけです。

実際、国立社会保障・人口問題研究所の2021年出生動向基本調査では、18〜34歳の未婚者で「いずれ結婚するつもり」と答えた人は男性81.4%、女性84.3%。一方で、恋人と交際中なのは男性21.1%、女性27.8%にとどまり、未婚者の約3人に1人は異性との交際そのものを望んでいないという結果も出ています。

つまり、子どもを産むとか産まないとか、そのずっと手前に「男女が出会って恋愛する」という入口そのものの問題があるのです。

しかも、「晩婚化」という言葉が広く知られるようになったことで、「今はみんな結婚が遅い」「30歳を過ぎてから考えればいい」「焦る必要はない」という安心材料になってしまっている面もあるように感じます。

もちろん、結婚するもしないも本人の自由です。一人で生きる人生もあれば、事実婚という選択もあるし、子どもを持たない夫婦だっている。そこに国や他人が口を出すべきではありません。

でも、「いつかは結婚したい」「できれば子どもも欲しい」と思っている若者に対しては、もう少し現実的なことを言ってもいいように思います。

20代のうちは、とにかく人に会う。好きな人ができたら食事に誘う。振られたっていい。失恋したっていい。たくさんの人と付き合って、自分にはどんな人が合うのかを知る。そして、本当にいい人に出会ったら、「もっといい人がいるかもしれない」なんて考えずに、その人を大切にする。

少子化対策というと、何兆円もの予算を使って何を無償化するかという話になりがちですが、その前にもっと単純な話があるのではないでしょうか。

「結婚したい若者は、若いうちにガツガツ恋愛して、できれば27歳くらいまでに一緒に生きていきたいと思えるパートナーを見つけろ!」国がそんなことを言ったら、間違いなく炎上するでしょう。

「結婚を押しつけるな」「価値観は人それぞれだ」「余計なお世話だ」という批判が殺到すると思います。全部その通りです。

でも、結婚したいのに「まだ大丈夫」と思い続け、30代、40代になってから、「いい人がいないんですよね・・・」と悩む人を増やすよりは、少なくとも統計上の現実くらいは若いうちに教えてあげてもいいのではないでしょうか。

先日の高校同窓会へ行って実感したのですが、私は高校時代、本当にたくさん恋愛しました。大げさじゃなく、誰かに好きと言われたら即キス。できればエッチもしたいと常に思っていました。若者ってのはそれでいいんじゃね?とも思っていましたしね。

一番多い初婚年齢は27歳。このデータは、様々なことを私たちに示してくれていると思います。少子化対策として学校を無償化する前に、「若者よ、もっと恋愛しろ!」ぐらい言ってみてもいいんじゃねーかと思っている私です。

2026年08月12日 07:20

スクリーンショット 2026-08-12 063800先日、とある番組を見ていたところ、おぎやはぎの小木博明さんが、高校2年生の娘さんの海外留学について、「1年間で最低でも1300万円。そこからいろいろな費用がかかるので、1700万円から1800万円くらいになる」と話していました。

「留学って、そんなにかかるのか」と驚いたのですが、そういえば何年か前、博多華丸さんだったかと中華料理店でお話ししていた時にも、「娘のフィギュアスケートに年間1000万円くらいかかって大変」という話を聞いたことがあります。

もちろん、どちらも一般家庭の子育て費用と単純に比較できる話ではありません。ただ、子どもが何かに本気で取り組もうとすると、親には想像以上のお金と時間が必要になることがあります。

私どもの周囲にも、お子さんをバイクレースや自動車レースに参戦させている親御さんが何人もおられます。

レースとなれば、車両を買って終わりではありません。タイヤ、ガソリン、部品、整備代、エントリー代、サーキットまでの交通費や宿泊費。転倒やクラッシュをすれば、さらに修理代がかかります。

しかも、お金だけの問題ではありません。週末になれば早朝からサーキットへ向かい、練習やレースに付き添う。場合によっては仕事の予定まで調整しなければならない。「子どもの夢を応援する」という言葉だけを聞けば美しいのですが、実際にはなかなか大変なことです。

もちろん、すべての家庭が年間何百万円、何千万円もの費用を子どもにかけられるわけではありませんし。家庭にはそれぞれ事情があり、収入も違います。それでも親は、自分たちのできる範囲で、習い事をさせたり、進学させたりします。そんな中で大きな負担の一つとなるのが大学の学費ではないでしょうか。

私自身、子どもの大学進学にあたっては、国の教育ローンである日本政策金融公庫の教育一般貸付から150万円を借りました。当初は、子供が生まれた時に入った月々2万円の学資保険で賄えると思っていたのですが、全然足りなかったからです。

さらに実際に大学へ通わせてみると、3年生からアパートで独り暮らしさせたのですが、さらにお金が必要になり、会社からプラス200万円を借りました。

つまり私の場合、日本政策金融公庫から150万円、会社から200万円。学資保険の400万円だけでは不足した分について、合計350万円の借金をして子どもの大学費用を用意したことになります。おかげさまで子どもは無事に大学を卒業できましたし、私の返済も最初に借りてから7年かけて先月終わりました。

ここで私が言いたいのは、「親は借金をしてでも子どもを大学へ行かせるべきだ」という話ではありません。

家庭によって収入も資産も違いますし、兄弟の人数も違います。それぞれ事情があります。ただ、私の場合は「子どもを大学へ進学させるために必要なお金なのだから、不足するのであれば自分が借りて、自分が返そう」と考えました。ところが、これが「奨学金」になると仕組みが大きく変わります。

日本学生支援機構(JASSO)の貸与型奨学金は、基本的に学生本人がお金を借り、卒業後に本人が返済していく制度です。つまり、親が「大学の学費を用意できないから奨学金を借りなさい」と言えば、借金を背負うのは親ではなく子どもです。

例えば年間150万円の学費が4年間必要なら、それだけで600万円になります。これを有利子の奨学金で賄えば、利息を含めた返済額はさらに大きくなり、場合によっては20年近く返済が続くことになります。

大学を卒業して社会へ出た時には、まだ22歳か23歳です。その若者が、社会人としてのスタート地点ですでに数百万円の借金を背負っている。私は、この仕組みに以前から違和感があります。

もちろん、奨学金そのものを否定するつもりはありません。親に経済的な余裕がなく、奨学金がなければ大学進学そのものを諦めざるを得ない家庭もあります。その意味では、奨学金は絶対に必要な制度です。

ただ、大学へ進学するためのお金を借りるのであれば、「誰が返すのか」という選択肢がもっとあってもいいのではないでしょうか。

現在でも、親が借りて親が返済する教育ローンという仕組みはあります。私自身も日本政策金融公庫から借りました。しかし、奨学金という低利の教育支援制度の中にも、「学生本人が借りて本人が返す」という方式だけではなく、「親が借りて親が返す」という仕組みを設けてもいいのではないでしょうか。

今は大学進学者の半数が奨学金を利用しているそうです。今や「奨学金があるのだから大学へ行きたいなら子ども自身が借りればいい」という話を普通に耳にします。でも、奨学金という名前ではありますが、貸与型であれば実質的には借金です。しかも、返済責任を負うのは子どもです。

小学生の時に通わせた塾の費用を、社会人になってから「返してくれ」と請求する親は、まずいないでしょう。中学、高校時代の学費や部活動、修学旅行にかかったお金についても同じです。ところが大学に進学した途端、「ここから先は奨学金があるから、自分で借りて自分で返しなさい」となる。

もちろん、そうせざるを得ない家庭もあるでしょう。しかし、奨学金という便利な制度があることで、本来なら親が負担することも検討すべき教育費まで、安易に子どもの借金にしてしまうケースがあるとすれば、それは少し考えた方がいいように思います。

大学を卒業した20代前半は、本来なら人生の土台を作っていく時期です。一人暮らしを始めたり、仕事に必要なものを揃えたり、車を買ったり、将来のために貯蓄を始めたりする。そして、結婚や出産について考え始める人もいるでしょう。住宅購入資金を貯め始める時期でもあります。

そんな人生のスタート地点で、毎月数万円の奨学金返済が始まり、それが10年、15年、20年と続いていく。少子化がこれだけ大きな社会問題になっている日本で、本当にこれが最善の仕組みなのだろうかと思うのです。

少子化対策というと、出産時の給付金、児童手当、保育料や高校授業料の無償化などが話題になります。もちろん、それらも重要です。しかし、大学を卒業した若者をできるだけ借金のない状態で社会へ送り出すことも、長い目で見れば立派な少子化対策ではないでしょうか。

少子化が深刻な問題となっている今だからこそ、「誰が教育費を負担するのか」という問題について、親だけ、子どもだけに答えを求めるのではなく、社会全体でもう一度考えてみる時期に来ているように思っている私です。

2026年08月11日 05:55

koukou数年前、私が通っていた兵庫県立東灘高等学校が創立50周年を迎えたということで、同窓会へささやかな寄付をさせていただきました。

すると今年は、同窓会結成50周年を記念してホテルで総会&パーティーを開催するとの案内が届きました。

「そんな機会でもなければ神戸へ行くこともないだろう」と思い、久しぶりに足を運ぶことにしました。

正直なところ、「お盆の真っ只中にこんなイベントを開催しなくても・・・」と思ったのですが、スタッフから「お盆だからこそ帰省する卒業生が多いんじゃないですか」と言われ、「なるほど」と納得。とはいえ、新幹線はかなり混雑していたので、今回は飛行機で移動することにしました。

私が神戸で暮らしたのは、1971年から1986年までと、1994年から1995年まで。合わせても約16年間です。一方、東京での生活はすでに27年になります。

数字だけを見ると、人生の大半を東京で過ごしていることになります。しかし、人間の人格が形成される3歳から17歳までを神戸で過ごしたことを考えると、自分の根っこの部分は、やはり神戸という街が育ててくれたのだと思います。

しかも幸か不幸か、阪神・淡路大震災のわずか3か月前に六甲アイランドへ転居し、被災後も約9か月間を神戸で過ごしました。震災の経験は、その後の人生観を大きく変えましたし、今でも防災についていろいろと発信しているのは、あの時の経験が大きく影響していることは間違いありません。

六甲アイランドへ向かう神戸新交通・六甲ライナーは、震災で大きな被害を受け、全線で運転を再開したのは震災から218日後の8月23日でした。私はその約1か月後の9月末に転職して岡山へ引っ越したので、復旧した六甲ライナーを利用できた期間は、わずか1か月ほど。それまでは存分に代替バス生活を堪能させていただきました。

そんな思い出のある神戸で開催された、今回の同窓会50周年記念総会&パーティー。会場へ行って驚いたのは、なんと私と同じ10回生の参加者が、私を含めてたった2人だったこと。1回生から50回生までの中で最少人数だったようです。私たちの学年には450人近くいたはずなので、それを考えると、ちょっと寂しい同窓会ではありました。

ただ、幸いなことに後輩の中に高校時代に交際していた方が参加していて、会場に入るなり声をかけていただき感激!しかも50代後半のはずですが、今でも大変キレイなお姿でしたので、世の中でよく言う「同窓会で昔好きだった人と再会して胸がキュンキュンする」という体験を味わうことができました。あざーす!

そして翌朝。せっかく神戸まで来たのだから、もう一つやってみたかったことがありました。それは当時の通学コースを歩くこと。

朝6時半に生田川沿いの東横インを出て阪神春日野道(かすがのみち)駅へ。道すがら、前日会った胸キュン元カノが当時住んでいた神戸市営北本町住宅の横を「この建物は震災を生き延びたんだ」と思いながら歩き、駅前商店街のアーケードを見ながら、一時アルバイトしていた八作寿司(三宮駅前のお店は現存しています)跡地のマンションを見て、「ここは震災で倒壊してたな」などと思い出全開。

電車を阪神御影駅で降りて、市営バスで17歳当時住んでいた神戸市灘区六甲台という六甲山の中腹あたりまで行き、当時と同じ朝7時半にバスで阪神御影駅へ。そこから阪神電車で深江駅まで行き、高校まで歩くという、在りし日の「通学体験」をやってみました。

高校生だった当時は、カセットケースほどの大きさだったピンクのソニー・ウォークマンで、デュラン・デュランやヴァン・ヘイレンなどを聴きながら通学していました。そこで今回はApple Musicで「1984年の洋楽ヒット集」を再生。40年以上の時間を飛び越え、当時と同じように音楽を聴きながら通学路を歩いてみました。

もちろん、景色は大きく変わっています。

阪神深江駅は、昔は小さな地上駅だったのですが、現在は見事な高架駅に生まれ変わっていました。ただし、残念ながら駅周辺にあったマクドナルドや喫茶店など、当時高校生だった私たちが立ち寄っていた店の大半は見事になくなっていました。うーん、これは残念。

駅前の喫茶店に置いてあった自由帳に、「大野君は二股かけてる」とか書かれて、学校で総スカンを食らった青春時代を振り返りたかったなー。そんな黒歴史まで含めて、私にとっては懐かしい神戸なのであります。

そして深江駅から母校へ歩き始めて、改めて驚いたことが一つ。遠い!

学校は埋立地の一番突端にあるのですが、実際に歩いてみると、最寄り駅から徒歩25分ほどかかりました。しかも一切日陰ナシ!

それでも、一時アルバイトしていた神戸市中央卸売市場東部市場が昔の姿のまま残っていたり、各所に懐かしい姿が残されていたので、すっかり脳のどこかにしまい込んで忘れていた記憶の引き出しが次々と開いて、素晴らしい時間になりました。

8月の強烈な日差しを浴びながらの往復は過酷で、「こんなところを毎日3年間歩いていたのか・・・」と、我ながら感心してしまいました。ある意味、この高校に3年間通った卒業生たちが逞しく育つ理由が分かったような気がします。

私が高校生の頃には、学校のすぐ横に「新神戸大プール」という巨大なレジャー施設がありました。ウォータースライダー、流れるプール、波のプールなどがあり、夏になると大勢の人が訪れていた記憶があります。ところが阪神・淡路大震災で被災して営業を休止し、その後撤去されたとのこと。

現在、その周辺にはカインズホームや餃子の王将などが立ち並び、当時とはまったく違う、なかなか便利な場所へと変貌していました。40年以上経てば、そりゃ街も変わります。

今回、同窓会を運営してくださった皆様には、本当に感謝です。素晴らしい式典でした。そして、ラグビー部の顧問だった田中先生が参加されており、久しぶりにお顔を拝見できたこともうれしかったです。今の時代だったら体罰で即追放されそうな教育姿勢ではありましたが(笑)、少なくとも私は、あの頃に厳しく指導していただいたことを今でも大変感謝しております。

飛行機で神戸へ乗り込み、式典に参加して、翌朝には40年前の通学ルートをたどって母校を訪問。そのまますぐに帰京するという、なかなか慌ただしい神戸訪問ではありました。それでも、行って良かったと思います。

高校時代の友人や後輩、恩師と再会し、昔住んでいた場所へ行き、当時と同じルートで学校まで歩く。「懐かしい」という言葉だけでは片付けられない、不思議な時間でした。

一方で、今回久しぶりに神戸の各所を回ってみて、少し寂しく感じたこともありました。

高校生だった頃、多くの観光客で賑わっていた北野異人館街では、閉館した施設や空き店舗も見られ、かつて夏になると海水浴客でごった返していた須磨海岸も、私の記憶にある光景とはずいぶん違って、寂しい感じになっていました。

もちろん、40年前と現在を単純に比較することはできません。人々のレジャーの楽しみ方も変わりましたし、震災を経験し、街そのものも大きく変化しました。

それでも、神戸という街には、山があり、海があり、港があり、歴史があり、独特の文化があります。そして私にとっては、3歳から17歳という人生の基礎をつくった時期を過ごした、やはり特別な街です。

東京で暮らして27年。普段は神戸出身であることすら、ほとんど意識することはありません。

それでも40年ぶりに高校への道を歩き、1984年の洋楽を聴きながら当時のことを思い出していると、「ああ、自分はここで育ったんだな」と、改めて感じることができました。

また神戸が元気を取り戻し、全国から多くの人を引きつけるような街になってほしい。そして何年後になるか分かりませんが、今度はもう少しゆっくりと、懐かしい場所を巡ってみたいと思います。

同窓会を準備・運営してくださった皆様、本当にありがとうございました。とても良い神戸訪問になりました。お話ししてくださった皆様にも感謝しております。

ゴンチャロフの社長をやっている光葉君、映画監督をやっている平出君、漫画家をやっている森君。いつの日か10回生の同窓会でもやることがあれば、ぜひ再会してみたいと思っております。なお、2日目の昼飯は、藤田君が経営する大阪王将王子公園店で、餃子とビールを堪能してきました。

みんな、生きてる間に会いましょう。

2026年08月10日 06:51

スクリーンショット 2026-08-10 063156昨年11月にステップワゴンを売却した際、「驚くような価格で売れた」というブログ記事を書いたと思います。今日は、なぜそんなことが起きたのか、その理由について改めて書いてみたいと思います。

ステップワゴンを購入する際、私は最初からハイブリッド車を選択肢から外していました。理由は海外市場です。

日本国内では燃費性能に優れたハイブリッド車が人気ですが、海外まで視野を広げると事情が少し変わります。国や地域によっては、故障した際の修理や部品調達が容易なガソリン車の方が好まれ、中古車価格も安定しやすい傾向があります。

さらに重視したのが、同じ右ハンドル国であるマレーシアの中古車輸入規制でした。マレーシアでは輸入できる中古車の車齢に制限があります。そのため、「程度の良い高年式ガソリン車を購入して、1回目の車検を迎える3年以内に売却する」という前提で車選びを進めました。

知り合いのホンダディーラーが見つけてくれたのは、登録からわずか4か月しか経っていないディーラー試乗車でした。純正ナビ付きで諸費用込み365万円。しかも、この5年間で3台目の購入だったこともあり、さらに5万円値引きしていただきました。ほとんど新車に近い状態のステップワゴンを、かなり良い条件で購入できたわけです。

購入したのは2023年5月。翌月には40系アルファード/ヴェルファイアが発売されるというタイミングでした。

一方、世界に目を向けると、ロシアによるウクライナ侵攻から約1年が経過し、西側の自動車メーカーがロシア市場から相次いで撤退していました。その結果、ロシア国内では新車不足が深刻化し、日本から高年式中古車が大量に輸出される状況になっていました。

そんな中、私がステップワゴンを購入してからわずか3か月後の2023年8月、日本政府がロシア向け自動車輸出規制を強化します。規制対象が拡大され、排気量1,900ccを超えるガソリン車やディーゼル車、ハイブリッド車などが輸出禁止の対象になりました。

これによって、ロシアで人気の高かったアルファード/ヴェルファイアなどの大型ミニバンの多くが、日本から輸出できなくなります。

ステップワゴンもで言えばハイブリッドのe:HEVは2,000ccエンジンなので規制対象。ところがガソリンモデルは1,500ccターボです。こちらは輸出可能でした。

つまり、「日本製の程度の良いミニバンが欲しい」というロシア側の需要に対して、ステップワゴンの1,500ccガソリンモデルが非常に都合の良い存在になったわけです。

そこへ、さらに追い風となったのがロシア側の「リサイクル税」です。ロシアでは輸入車に対してリサイクル税が課せられており、その負担額は中古車価格にも大きく影響します。そして制度変更によって、エンジン出力も重要な基準となりました。

ここでもステップワゴンのガソリンモデルは絶妙でした。というのも、最高出力150PSでロシア側の高出力規制にも引っかからなかったのです。まるで最初からロシアへの中古車輸出を想定して設計したのではないかと思ってしまうほど、条件にピタリとはまってしまったのです。

こうした複数の要因が重なったことで、ステップワゴンのガソリンモデルに海外からの需要が集中し、中古車相場が上昇していきました。

もちろん、こんなことは購入した時には全く予想していません。私が考えていたのは、せいぜい「海外需要を考えるならガソリン車」「マレーシアなどへの輸出を考えるなら高年式のうちに売却した方がいい」という程度でした。

その後に起きる日本政府による対ロシア輸出規制や、ロシア国内の制度変更まで予測できるはずもありません。そこは完全に偶然でした。

そして2025年11月。1回目の車検を迎える直前、当初の予定通りステップワゴンを売却することにしました。2023年5月に購入していますから、所有期間は2年6か月です。2年半も乗った中古車ですから、普通に考えれば購入した時より安くなって当然です。

ところが、実際に査定に出してみると、想像を超える金額が提示されました。なんと、購入した金額を15万円以上も上回る価格で売却できたのです。2年半クルマを使って、それでも購入した時より高く売れた。普通の商品なら、なかなか考えにくい話です。

もちろん、購入した車両そのものが登録4か月のディーラー試乗車で、最初から割安に購入できていたことも大きかったと思います。しかし、それだけで説明できる値段ではありません。

中古車は「買うタイミング」と「売るタイミング」、そして為替、海外需要、戦争、経済制裁、輸出規制、輸入国の税制など、世界情勢が驚くほど価格に影響する商品なのだと改めて実感しました。

ミニバンのリセールバリューについては、長年、「アルファード/ヴェルファイアなら、買った時より高く売れる」という話がまるで常識のように発信され続けてきました。ところが、実際には何でも良いわけではありません。

海外輸出を強く意識するのであれば、ボディカラーは白か黒が有利だったり、仕向け地によってはハイブリッドよりガソリン車が好まれたり、年式、グレード、排気量などによっても査定額は大きく変わります。「アルファードなら何を買っても高く売れる」というほど単純な話ではなかったわけです。

そして、もっと知られていなかったのがステップワゴンでした。ステップワゴンはアルファードほど新車販売台数が多くありません。普通に考えれば「人気がないから売れていない」と考えてしまいます。ところが中古車輸出の世界では、それが逆にメリットになる場合があります。

新車販売台数が少ないということは、数年後に中古車市場へ出てくる台数も少ないということです。そこへ海外から特定仕様の需要が集中すれば、当然ながらタマ不足になります。「欲しい人はいる。でも売り物が少ない」となれば、買取店や輸出業者は車両を確保するために仕入れ価格を上げざるを得ません。

特にステップワゴンの場合、e:HEVではなく1,500ccガソリンモデルという条件まで付けば、対象となる中古車はさらに限られます。これがステップワゴンのガソリンモデルの買取価格を押し上げた大きな要因の一つだったのだと思います。

私自身、購入する際には「海外へ売るならガソリン車」という意識はありました。しかし、新車販売台数が少ないことまでが後々こんな形でプラスに働くとは、全く考えていませんでした。

最後に、今回いくつもの中古車買取専門店を回っていて面白かった話を一つ。

担当者と「これから値落ちしにくいクルマは何ですか?」という話をすると、意外な車名が何度も出てきました。それはホンダ・ヴェゼルのガソリン車です。アルファードでもありません。

ランドクルーザーでもありません。「一番値上がりが期待できるのはヴェゼルのガソリン車」という話を複数の買取店で聞きました。理由は、やはり海外需要だそうです。

もちろん、将来の中古車価格など誰にも分かりません。私自身、その話がどこまで正しいのかを検証したわけでもありませんので、「ヴェゼルを買えば必ず儲かる」などという話ではありません。ただ、中古のヴェゼルが驚くほど高い価格で取引されているケースがあるのは確かなようです。

今回のステップワゴンもそうでしたが、中古車の価格というのは、日本国内での人気だけで決まっているわけではありません。

「海外のどの国で人気があるのか」
「その国へ輸出できる年式なのか」
「排気量やエンジン出力の規制に引っかからないか」
「ガソリン、ディーゼル、ハイブリッドのどれが好まれるのか」
「右ハンドルなのか左ハンドルなのか」

そして、「その仕様の中古車が日本国内に何台存在するのか」

こうした様々な条件が組み合わさって、時には新車価格を超えるような中古車相場が生まれます。

今回のステップワゴンは、購入時からある程度「売る時」を考えて車種を選んだとはいえ、最終的には世界情勢の変化によって想像もしなかった高値になりました。もし車を買おうと思っている方がいれば、日本車の海外売却に詳しい方へ相談することをお勧めします。

2026年08月09日 02:09

nioi最近、体臭に関するYouTubeチャンネルを見ていて、とても興味深い話がありました。というのも、体臭は「汗をかいたから臭う」「お風呂に入っていないから臭う」といった簡単なものではないそうです。

夏の時期に嫌われる汗臭については、汗自体には臭いは無く、その汗が出て来る汗腺が詰まっていたり、そこにある雑菌や出て来たタンパク質を皮膚の常在細菌が食べて臭いを発する等、様々な気づきがありました。

その中でも特に印象に残ったのが、「血液から体表へ出てくる臭い」という考え方でした。この代表格がアルコールとたばこ。

アルコールは、飲むとお酒の成分や代謝産物が血液を通して全身を巡り、呼気だけでなく皮膚からも排出されるそうで、本人は気付かなくても、お酒特有の体臭を周囲は感じるそうです。私はてっきり「酒くさい」と言われるのは呼気のせいだと思っていました。

さらに驚いたのが、喫煙についての説明です。たばこを吸うと煙が衣服や髪に付着するだけではありません。ニコチンやタールなどの成分は体内にも取り込まれ、代謝産物が血液を介して皮膚や呼気から排出されるため、「吸っていない時でも喫煙者特有の臭い」が生じるそうです。

しかも、長年喫煙を続けた人では、禁煙後もしばらく体臭に影響が残ることがあると説明されていました。これは、衣類や生活環境に染み付いた臭いに加え、体内の代謝や皮脂の状態、口腔環境などがすぐには元に戻らないためと考えられているとのこと

私は1997年に禁煙しました。禁煙して29年になるのですが、昔は1日に40本近く吸っていたヘビースモーカーでしたので、「禁煙すれば翌日から臭いも消える」と思っていましたが、実際にはそう単純ではなく、今も独特の臭いを発しているのかもしれません。

体臭は加齢だけで決まるものでもなく、飲酒、喫煙、食生活、睡眠不足、ストレス、肥満など、多くの要因が複雑に関係しているそうです。つまり、「年だから仕方ない」と諦めるものではなく、生活習慣を見直すことで改善できる部分も少なくないということになります。

最近は猛暑で汗をかく機会も増えています。汗をかくこと自体は体温調節に欠かせない大切な働きですが、汗を放置すると細菌が増殖して臭いの原因になります。一方で、飲酒や喫煙などによる体内由来の臭いは、汗を拭くだけでは解決できません。

体臭対策というと、デオドラント製品や香水に目が向きがちですが、本当に大切なのは、体の内側から見直すことなのかもしれません。健康のためにも、周囲への配慮という意味でも、改めて生活習慣を振り返る良いきっかけになった動画でした。

今や臭いだけでもスメルハラスメント(スメハラ)というハラスメントになるらしいので、香水やデオドラントスプレーも批判対象になるだけに、できるだけ臭いを発しないオッサンでいるように頑張りたいと思います。どなたかやさしく頑張り方を教えてくださいませ。


2026年08月08日 06:36

スクリーンショット 2026-08-08 063341昨夜21時30分ごろ、ドル円相場が「ドル=158.297円から156.627円」へと一気に動きました。一瞬、「また為替介入か?」と思ったのですが、ちょうど同じタイミングでアメリカの7月雇用統計が発表されたため、その影響だと分かりました。

今回は、以下の流れだったようです。
・非農業部門雇用者数(NFP)が市場予想を大きく下回った
・前月・前々月の雇用者数も大幅に下方修正された
・「米国経済が想定以上に減速している」と市場が判断した
・年内の利下げ期待が一気に高まった
・米国債が買われて長期・短期金利が急低下した
・金利低下によってドルを保有する魅力が薄れ、ドル売りが加速した
・ドルがほぼすべての主要通貨に対して下落した
・その結果、ドル円は158円台前半から156円台後半まで約1.7円急落した


私自身はFX取引はしておらず、必要な時にドルを購入する「実需」の立場です。そのため、ドル買い注文を155円台に設定していたのですが、今回はそこまで届かず約定しませんでした。しかも夜中の出来事だったので気付かないまま朝を迎え、先ほどチャートを見て「あれ?」となった次第です。

今回の値動きを見ていて、ふとこんなことも考えました。
「もし日本政府がこのタイミングで為替介入していたら、もっと大きな効果があったのではないか?」

もちろん、これは私の勝手な想像です。しかし、少し前に行われた日米協調による円買い介入について考えると、「近いうちに米国経済の減速やドル安につながる材料が出てくる可能性を見越し、市場がパニック的な動きにならないよう、事前に円安をある程度是正しておく」という判断があった可能性も、ゼロではないのかもしれません。

もっとも、現時点でそのような事実を示す情報はなく、あくまで私個人の推測にすぎません。実際に協調介入が行われた理由は、急激な円安による市場の混乱を抑えることだったと考えるのが自然でしょう。

それにしても、今回改めて感じたのは「為替相場は一つの経済指標で1円、2円と動くことがある」ということです。特にアメリカの雇用統計は、FRB(米連邦準備制度理事会)の金融政策を左右する最重要指標の一つです。為替や株式市場に関心のある方は、発表日だけでも頭に入れておくと、「なぜ急に相場が動いたのか」が分かりやすくなると思います。

私は今後も155円台で気長にドル買い注文を入れたまま、次のチャンスを待とうと思います。

niamis8月4日午前、羽田空港付近の上空で着陸態勢に入っていた全日本空輸(ANA)968便と、国土交通省航空局の飛行検査機が接近し、ANA968便の空中衝突防止装置(TCAS)が作動する事案が発生しました。

国土交通省は「両機が互いを目視で確認しており、結果的に安全が確保されたことから、この事案は重大インシデントには該当しない」としています。

しかし、公開されている飛行航跡や航空管制(ATC)の交信記録を聞く限りでは、航空安全という観点から非常に考えさせられる出来事だったように思います。

当時、ANA968便は羽田空港C滑走路(34R)へ着陸進入中でした。一方、飛行検査機はD滑走路(05)を離陸し、右旋回して34Rへの進入経路を横切る飛行を行っていました。

公開されている交信では、飛行検査機が管制官に「このまま滑走路34Rをクロスしてよろしいでしょうか」と確認しています。

これに対し管制官は、「ランディングトラフィック(着陸機)があなたの南側にいます。注意してください」と応答しています。つまり、この時点で着陸機の存在自体は双方とも認識していたことになります。

ところが、その数秒後にはANA968便でTCAS(空中衝突防止装置)のResolution Advisory(RA)が作動したとみられ、パイロットはTCASが音声と計器表示で指示した回避操作に従って、右へ大きく回避しています。

TCASのRAは、単に近くに航空機がいることを知らせる警報ではありません。衝突の危険性が高まったと判断した際に、パイロットへ直ちに回避操作を指示する航空機最後の安全装置です。

離陸機と着陸機は互いに接近する飛行経路となっており、相対速度は非常に大きかったと考えられます。公開されている飛行航跡からも、ANA968便の乗員は瞬時の判断を求められる極めて緊迫した状況に置かれていたことがうかがえます。

この回避行動から数秒後、ANA968便は管制官へ「衝突は回避しました。ゴーアラウンドします」と通報しています。

一方、その後の交信では、管制官が飛行検査機に対し「到着機は見えていましたね」と確認すると、「はい、見えていました」と回答しています。

さらに管制官が「進入機が来ていたのは見えていましたか」と問い掛けると、飛行検査機は再び「はい、見えております」と返答しています。

これを受け、管制官は「あー、着陸機はゴーアラウンドしました」と伝え、飛行検査機は「了解しました」と応答しています。

公開されている航跡を見る限りでは、TCASによる回避操作を実施したのはANA968便側であり、飛行検査機には大きな回避行動は見られませんでした。

さらにANA968便は、ゴーアラウンド中に別のANA844便との間隔も考慮しながら飛行経路を調整し、その後ビジュアルアプローチ(視認進入)で再び滑走路へ向かい、数分後に無事着陸しています。

もちろん、現時点では交信記録や飛行航跡だけで、誰に責任があったのかを断定することはできません。管制指示の内容、目視間隔維持の責任、レーダーデータ、TCASの記録などを総合的に解析しなければ、最終的な評価はできないでしょう。

そもそも私は、航空事故や航空インシデントについて、犯人探しをすることにはあまり意味がないと思っています。

航空事故の歴史を振り返ると、安全性が向上してきた背景には、事故だけでなく「もう少しで事故になるところだった」という数多くのインシデントやニアミス事例を徹底的に分析し、その教訓を運航や管制のルールへ反映させてきた積み重ねがあります。

今回は国土交通省が「重大インシデントには該当しない」と判断しています。しかし、TCASが作動し、旅客機がゴーアラウンドを余儀なくされたという事実は、決して軽いものではありません。

しかも場所は、昨年1月2日に海上保安庁機と日本航空機が衝突・炎上する事故が発生した羽田空港です。あの事故では、日本航空機の乗客乗員379人全員が脱出できた一方、海上保安庁機では5人が亡くなるという痛ましい結果となりました。

その教訓を考えれば、「危険性は低かった」という結論だけで済ませるのではなく、「なぜここまで接近したのか」を徹底的に検証する姿勢こそ重要ではないでしょうか。

航空の安全は、一つ一つのインシデント事例をしっかりと認識し、研究し、対策を講じることで築かれてきました。犯人探しをすることに意味はありません。今回は重大インシデントには値しないとの判断ですが、一歩間違えば大変な事態になっていた可能性があったことも事実です。

昨年、羽田空港で海上保安庁機とJAL機の衝突事故が発生したばかりだからこそ、このようなニアミス事例については、危険性が低いと判断された場合であっても重大インシデントとして扱い、運輸安全委員会による詳細な調査報告書が作成・公表される仕組みにした方が、将来の航空安全につながるのではないかと思っている私です。

2026年08月07日 06:20

kobe7年前、私は「新聞の未来」についてブログを書きました。それは、近所の方から「小学生の子供が学校から古新聞を持参しろと言われたので分けて欲しい」というものでした。

その方は、「お友達も困ってるから多めに欲しい」と言っていました。つまり、その方が新聞を購読していないだけでなく、同級生の各家庭も同様だったということになります。その時期から、すでに周囲から新聞購読者が劇的に減っていたのかもしれません。

広告代理店に勤務していた25年以上前の新聞メディアは超人気で、私は通販企業のお得意様を受け持つ営業として、読売新聞や朝日新聞をはじめとする各紙のテレビ面の確保に四苦八苦しておりました。それほど人気メディアだったわけです。

実際に広告が掲載されると、早朝から注文の電話が鳴り、広告効果も相当なものがありまして、たまに掲載予定日を間違えたりすると、コールセンターにいる全受注スタッフの方々から総攻撃を受けたりすることもありました。つまり広告主側の期待度も高かったわけです。

今も通販クライアント様のお手伝いをさせていただくことはありますが、現在の主戦場は完全にネットです。主要4メディアと言われたテレビ・ラジオ・新聞・雑誌は、明らかにその存在感が低下しているというのが実情です。

2025年には、朝日新聞が土日祝の夕刊を休止しました。同じ頃、産経新聞は夕刊自体を廃止しました。この年は夕刊フジの休刊もあり、地方紙も含めると、結構な数の新聞社が様々なリストラクチャリングに入って行きました。

今回、産経新聞が「2026年11月末で東北6県での紙の新聞発行を休止」すると発表しました。用紙代や輸送費の高騰などが理由とされていますが、東北の読者は今後、電子版が中心になります。取材網は維持されるとのことですが、毎朝新聞が自宅に届くという当たり前の日常は終わりを迎えます。

新聞社は、自前で取材して記事を書き、自前の印刷所で印刷し、自前のネットワークで新聞を個別家庭や企業まで送り届け、自前で集金までやるという、民間放送局とは全く異なる手法でメディアを構築していました。

新聞社同士は長年ライバルとして切磋琢磨し、朝刊のスクープを競い、それぞれが自社の新聞を自前のネットワークで送り届けることに誇りを持っていました。

ところが今は、複数の新聞を配達する販売店も少なくありません。新聞社が、会社の垣根を越えて「一緒に届けてもらう」時代になったという事実に、私は時代の流れを感じずにはいられません。

私は新聞業界の人間ではありません。それでも、広告業界で長く仕事をしてきた人間として、新聞には特別な思いがあります。新聞広告を作り、折込チラシを企画し、発行部数や到達率を真剣に考えていた時代がありました。

何十年間もの間、朝インクの匂いがする新聞を広げることが、一日の始まりでした。朝は駅の売店でスポーツ紙を買い、帰宅時は日刊ゲンダイや夕刊フジといったタブロイド紙を買うのも当たり前のことでした。

思えばいつからそんな日常が消えてしまったのでしょう。まだ紙の新聞を配達してもらっている私ですが、その紙は自宅ポストからゴミ箱へ直行しているのが実情です。なぜなら朝5時にはスマホで読める電子版ですでに読み終わっているから。6時に届く紙の新聞を開ける習慣は無くなってしまいました。

もちろん時代は変わります。電子版へ移行すること自体を否定するつもりはありません。それでも、長年親しまれてきた新聞の販売エリアが縮小され、夕刊が姿を消し、配達網までも維持できなくなっていくニュースを目にすると、どこか胸が締め付けられる思いになります。

新聞がなくなるということは、単に一つのメディアが減るという話ではありません。それは、日本の情報文化や地域社会を支えてきた仕組みが、一つずつ静かに姿を消していくということでもあるのではないでしょうか。

7年前に書いた記事では、「新聞がなくなる日が来るのだろうか」と半ば未来の話として考えていました。しかし今、その未来は確実に近づいています。便利さと引き換えに、私たちは何を失おうとしているのか。そんなことを、産経新聞東北撤退のニュースを見ながら、改めて考えさせられました。

阪神淡路大震災の当日や翌日も、電気もガスも水道も止まっていたにもかかわらず、朝刊は届けられました。エレベーターが動かないため、新聞を取りに10階から1階まで階段を往復したのですが、それも苦ではないほど、苦しい状況の中で唯一の情報源として届く新聞は、喜びであり感動でした。

テレビは停電で映らず、インターネットもスマートフォンもない時代です。被害状況や交通情報、支援の動き、行政からのお知らせまで、それらを知る手段は新聞しかありませんでした。極限状態の中で届けられた一部の新聞には、「ここまで届けてくれたのか」という感謝の気持ちしかありませんでした。

震災発生当時、神戸三宮にあった神戸新聞本社は全壊し、新聞発行の危機に直面しましたが、災害発生時の協定に基づき、京都新聞の協力を得て当日の夕刊ですら休むことなく発行を続けました。この時ほど新聞メディアの持つ底力の凄さを感じたことはありません。

だからこそ、私は新聞という存在に特別な思いがあります。

時代の流れの中で、紙から電子版へ移行することは避けられないのでしょう。それでも、何十年にもわたって日本の情報インフラを支え、災害時には命をつなぐ情報を届け続けてきた新聞という文化が、静かにその役割を終えようとしていることには、やはり寂しさを覚えます。

新聞が消えていくことは、一つの企業の問題ではありません。それは、日本人の暮らしの中にあった一つの文化が幕を閉じようとしているということなのかもしれません。

その日が来るまで、私は紙の新聞を購読し続けようと思います。

スクリーンショット 2026-08-07 050334おそらくLINE乗っ取りが目的と思われるメールが来ました。絶対に開かないでください。

「大野剛史 」のアドレスから送られています。
タイトルが「【業務連絡】株式会社ヒポポタマス」となっています。

一切弊社ならびに大野とは関係ありません。

2026年08月06日 15:22

shibutuイオンモール熊本の爆発事故で従業員3人が犠牲になったことを受け、オンワードホールディングスは「帰宅に必要な貴重品を常に携行すること」を新たなルールとして導入すると発表しました。

これまで多くの職場では、「私物はロッカーへ」「仕事中はスマホを触らない」というルールが当たり前でした。接客業や工場、商業施設などでは、勤務中にスマートフォンを身につけること自体が認められていないケースも少なくありません。

しかし、大規模災害や火災、爆発などの緊急事態では、そのルールが避難の妨げになる可能性があります。
「スマホだけ取りに戻る」
「財布や鍵を取りにロッカーへ向かう」
そんな数十秒の行動が、生死を分けてしまうこともあります。

そのため、「避難時に必要なものは最初から身につけておく」という考え方へ、大きく舵が切られ始めました。

これは単にオンワードだけの話ではなく、今後は多くの企業や商業施設へ広がっていく可能性があります。

災害時避難の原則は、「避難したら(物を取りに)戻らない」です。そのためには、そもそも取りに戻る必要がない環境を作ることが重要になります。

スマートフォン、財布、家や車の鍵、社員証など、帰宅や安否確認に必要なものは常に携帯する。

イオンモール熊本の悲劇は、日本の職場に新しい安全ルールを生み出す、大きな転換点になるのかもしれません。

KINRI2026年8月1日に、ひろゆきさんは大手銀行の住宅ローン固定金利引き上げのニュースを引用し、Xで次のように投稿しています。

「住宅ローンを5000万円借りると、毎月16万円支払いをしても、元本が増え続ける時代になりました。都内23区で平均年収の人がマンション買うのは不可能なのでは?」

私は住宅ローンを10年固定で契約し続けていますが、今年5月が更新のタイミングでした。従来の固定金利1.05%から4.0%へと上昇したことは、以前のブログでも書いたとおりです。

その記事を書いた3か月前には、「年利4%なんて本当ですか?」「そんな高い金利の銀行があるのですか?」というコメントを複数いただきました。しかし現在では、住宅金融支援機構のフラット35でも、イオン銀行や楽天銀行で3%台前半、銀行によっては固定金利が5%台という商品も珍しくありません。もはや住宅ローン金利が変動で5%という数字も、決して非現実的なものではなくなっています。

では、ひろゆきさんの言う「毎月返済しても元本が増え続ける」という状況は、本当に起こり得るのでしょうか。

そこで、変動金利で「5年ルール」「125%ルール」が適用される住宅ローンを想定し、シミュレーションしてみます。

【シミュレーション条件】
・借入額:5,000万円(2024年1月契約)
・返済期間:35年(元利均等返済/ボーナス払いなし)
・5年ルールあり(返済額は5年間据え置き)
・125%ルールあり(5年後の返済額は最大1.25倍まで)
・借入時適用金利:0.3%(2024年1月)
・2年目:1.75%
・3年目:3.0%
・4年目:4.0%
・5年目以降:5.0%で固定

【シミュレーション結果】
・1年目(0.30%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,864万円
・2年目(1.75%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,798万円
・3年目(3.00%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,792万円
・4年目(4.00%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,792万円/未払利息:約41万円
・5年目(5.00%)返済月額:約12.5万円/年末元本残高:約4,792万円/未払利息:約130万円
・6年目(5.00%)返済月額:約15.7万円/年末元本残高:約4,792万円/未払利息:約182万円

このシミュレーションでは、金利が4%に達した時点で毎月発生する利息が返済額を上回り、支払い切れなかった利息が「未払利息」として積み上がることが分かりました。

変動金利には「5年ルール」と「125%ルール」があるため、金利が急上昇しても返済額はすぐには増えません。一見すると家計に優しい制度に見えますが、その間も利息は増え続けます。結果として、返済額が利息にも届かない期間は未払利息が積み上がり、元本はほとんど減らないという状況が生まれます。

さらに、多くの金融機関では5年ごとの見直し時にも125%ルールが適用されるため、返済額は段階的にしか増えません。

このシミュレーションでは、

・11〜15年目:返済月額 約19.6万円
・16〜20年目:返済月額 約24.5万円
・21〜25年目:返済月額 約30.6万円
・26〜30年目:返済月額 約38.3万円
・31〜35年目:返済月額 約47.8万円

と、5年ごとに返済額は増えていきます。

しかし、それでも20年間近くは元本がほとんど減らず、返済期間の終盤になってようやく元本返済が本格化します。そして今回の条件では、35年間返済を続けてもなお約387万円の元本が残るという結果になりました。これは最終回に返済が必要となるのでしょう。

もちろん、実際の住宅ローンは金利の動きや各銀行の未払利息の扱いによって結果は変わりますし、このような極端な金利上昇が現実に起こるかどうかも分かりません。しかし、「5年ルール」「125%ルール」があるから安心とは言い切れないことは、このシミュレーションから見えてきます。

住宅ローンを組むときは、現在の返済額だけではなく、「もし金利が5%まで上がったらどうなるのか」という最悪のケースも、一度シミュレーションしておくことをおすすめします。

ご利用は計画的に。

2026年08月05日 06:21

スクリーンショット 2026-08-04 145652災害時に多くの命を奪い続ける「正常性バイアス」というものがあります。しかし、その重要性に警鐘を鳴らしているメディアは、決して多くないように感じます。

これは、危険な状況下でも事態を過小評価してしまう心理的メカニズムです。恐怖や不安から心を守るための働きでもあり、これがあるからこそ、自動車が走る道路の近くを平然と歩けたり、安全確認や一時停止を十分にせず自転車で交差点へ進入してしまったり、旅客機にも平常心で乗ることができるとも言えます。

しかし、この心理は災害時には多くの命を奪ってきました。例えば台風の際、「まだ避難しなくても大丈夫」と自宅にとどまり命を落とした方は少なくありません。韓国・テグ地下鉄放火事件でも、運行側と乗客の双方に正常性バイアスが働いた結果、多くの方が避難の機会を失いました。

自動車免許を取得した方なら、教習所や免許更新時に「大地震が発生したら車を道路脇に寄せ、キーを付けたまま避難する」「むやみに車で移動しない」と教わったはずです。しかし東日本大震災では、比較的被害の少なかった東京でも大量の車が道路へあふれ、大渋滞が発生し、緊急車両の通行にも大きな支障が出ました。

「電車が止まったから迎えに来てもらおう」「15分くらいだから車で迎えに行こう」。一人ひとりに悪気はなくても、その積み重ねが都市全体の交通を麻痺させます。これも正常性バイアスの典型例と言えるでしょう。

私は阪神・淡路大震災発生時、神戸・六甲アイランドで被災しました。地震発生から約15分後、奇跡的につながった携帯電話で会社の上司から指示を受け、車で神戸国際会館(旧会館)と三宮ターミナルホテルへ向かいました。

その理由は、震災当日から3日間にわたり坂本冬美さんの招待公演が予定されていたためです。会場は旧神戸国際会館、スタッフの宿泊先が三宮ターミナルホテルでした。

旧神戸国際会館は完全に崩壊し、公演どころではない状態でした。一方、三宮ターミナルホテルではスタッフ全員の無事を確認できました。(坂本冬美さんは大阪マルビル宿泊だったため無事でした。)

その後、「新神戸オリエンタルホテルも見てきてほしい」と再び指示を受け、私は車を走らせました。数日後に倒壊した柏井ビルの前も通過しています。

道中で目にしたのは、倒壊した建物、高架道路、そして各地から立ち上る炎でした。水道筋商店街やJR六甲道駅南側では、火災の熱で車の窓ラバーが変形するほどでした。

今振り返ると、私にも上司にも正常性バイアスが働いていたのだと思います。本来なら「まず避難しよう」と判断すべき状況でした。しかし私は会社の指示どおりに行動し、その結果、救助活動をすることもなく終わってしまいました。

今回のイオンモール熊本でも、同じような心理が働いた可能性はあるのではないでしょうか。

商業施設で働いている立場で、「建物の安全確認が終わるまで絶対に中へ入らない」と、とっさに判断することは簡単ではありません。もし「バックヤードに私物や売上金が残っている」と伝えられれば、「入れるなら気を付けて対応して良い」と考えてしまう人がいても不思議ではありません。

だからこそ、災害時には「会社に言われたから」「頼まれたから」ではなく、まず自分の命を守ることを最優先に考えてください。命があれば、仕事は後からでもできます。しかし、一度失った命だけは、二度と取り戻すことはできません。

そして重要なのは、「災害発生」の連絡を受けた人は、それが家族・上司・部下・友人・知人に関係なく、「身の安全を確保して車は使わず避難しなさい」と伝えることでしょう。

私自身の震災体験をお伝えしているのは、過去を振り返るためではなく、これから起こるかもしれない災害で、一人でも多くの命が救われてほしいという願いからです。

このたびの地震でお亡くなりになられた皆様に、心よりお悔やみ申し上げますとともに、ご遺族の皆様に深くお見舞い申し上げます。

また、現在も行方が分からない方々が一日も早く発見され、ご家族のもとへ戻られることを心からお祈り申し上げます。

追伸)
阪神・淡路大震災発生時(朝6時前)、地震から10分ほどで当時電通に赴任していた父親へ電話がつながりました。しかし返ってきた言葉は、「早朝から地震ぐらいで電話してくるな!」でした。弟が電話した時も同様だったそうです。

今思えば、これも正常性バイアスだったのでしょう。岡山では大きな被害がなかったため、神戸で何が起きているのか想像できなかったのだと思います。

その後、13時過ぎに父から再び電話があり、「部下の実家があるので見に行ってくれ」と頼まれました。

当時はGoogleマップなどなく、地図帳を頼りに現地へ向かいました。しかし、その場所は木造家屋が密集する地域で、多くの住宅が倒壊し、路地も道路もがれきで埋まり、電柱も何本も倒れていました。目的の家を見つけることさえ困難で、とても足を踏み入れられるような状況ではありませんでした。

その後、そのご実家ではお母さまがお亡くなりになっていたことを知りました。

正常性バイアスは、誰にでも起こり得る心の働きです。だからこそ、「自分だけは大丈夫」「まだ大したことはない」という気持ちが湧いた時ほど、一度立ち止まって考えてください。

災害時に最優先すべきことは、仕事でも財産でもなく、自分と大切な人の命を守ることだと思ってます。

2026年08月04日 05:56

bussi大震災が発生すると、被災地には全国から大量の救援物資が届きます。ところが、まことに残念なことですが、その多くは「プッシュ型支援」です。

つまり、被災地のニーズを確認してから送るのではなく、「今必要だろう」という判断で全国から一斉に送られてくるため、どこに何が届くのか分からないのが現実です。

1995年の阪神・淡路大震災では、「神戸に届けてくれ」とだけ言われたトラックドライバーが数多くいました。東側から神戸を目指したドライバーの多くは、神戸市に入って最初に目に入る自治体庁舎である東灘区役所へ向かいます。

激しい火災が何日も続く中、阪神高速道路は倒壊によって通行止めとなり、大型トラックは一般道へ降ろされました。そして区役所前で荷下ろしをしようとします。しかし、10トントラック1台分の荷物は膨大な量です。積み込む時はフォークリフトで載せられた荷物を、被災者であふれ返る区役所で人力だけで降ろすのは、現実的ではありませんでした。

ドライバーさんも関東や中部地方から何十時間もかけて神戸まで来ています。燃料にも限りがあり、一刻も早く荷物を降ろして帰路につきたい。一方、受け入れ側には人手も保管場所も足りない。現場では押し問答が続いていました。

その結果、東灘区役所には物資が山積みになっているのに、隣の灘区や中央区では必要な物資が不足するという偏りが発生しました。さらに旧神戸市役所庁舎では水道局部分が倒壊し、水道復旧にも大きな支障が出るなど、物流だけでなくライフライン全体が混乱していました。

2016年の熊本地震でも同じような光景を目にしました。熊本城近くの熊本県庁前には10トントラックが何十台も並び、県庁職員が懸命に荷下ろしをしていました。しかし、その作業速度では到底追いつきません。「この荷物、本当に全部降ろしきれるのだろうか」と感じたほどです。

そんな中で素晴らしい判断をされたのが、当時の熊本市長・大西一史市長でした。当時はまだ活用する方が少数だったツイッター(現エックス)を使って以下の発信をしたのです。

「物資は総合運動公園へ運んでください」
「手の空いている方は総合運動公園のボランティアに来てください」

これが見事に機能しまして、大型トラックが目的地を総合運動公園へと変更することで、駅前や県庁周辺のトラック住宅は一気に解消。熊本にある陸上自衛隊・西部方面総監部の部隊が荷下ろしと仕分けを指揮しつつ、駆け付けた多くの中高生ボランティアがジャンジャン運ぶという体制が、一瞬で整備されました。

そして、この一連の経験から私が皆さんにぜひ知っていただきたいことがあります。それは「救援物資は座って待っていても届くとは限らない」ということ。

「避難所にいれば誰かが持って来てくれる」「行政が各家庭へ配ってくれる」と考えてしまいがちですが、現実にはそこまで人手はありません。道路事情も悪く、職員も被災者です。物流網が正常に機能するまでには時間がかかります。

実際には、「○○小学校に水が届いた」「△△公民館で紙おむつを配布している」「□□体育館には毛布がある」といった情報を自分で集め、受け取りに行く人ほど早く必要な物資を手にできるのです。

もちろん、高齢者や障害のある方など、自力で取りに行けない方への支援は必要です。しかし、体が動く方まで全員が「誰かが持って来てくれる」と待ち続けてしまうと、限られた人手が配達に追われ、本当に支援が必要な方への対応が遅れてしまいます。

災害時の救援物資は「公平に家まで届けられるもの」ではありません。どこかに集中的に届き、そこから人が取りに行く形になることがほとんどです。そのため、平時から地域の情報網を知り、町会や自治会、SNS、防災無線などを活用して「今、何がどこにあるのか」という情報を得ることが、とても重要になります。

大震災では「物がない」のではなく、「必要な場所へ届いていない」ことが少なくありません。だからこそ、救援物資は待つものではなく、情報を集めて取りに行くもの。この現実を知っておくだけでも、被災直後の行動は大きく変わるはずだと思っている私です。

記事検索
QRコード
QRコード
月別アーカイブ