払下げ警察車両の話し広告マンは怒られてなんぼ

2021年03月06日

東急電鉄の野望

hutago何の縁か東京に移住し、何の縁か武蔵小山と言う場所に居を構えました。そして突然1万円札の肖像が渋沢栄一になるという話しが出て来て、渋沢栄一がイギリスの田園都市構想に沿って最初に開発したのが西小山で、それに隣接する新開地が武蔵小山だと言うのを知りました。

そうすると知識欲が出てくるもので、東急電鉄って会社の成り立ちを見て行くと、確かに最初に開通したのは目黒蒲田電鉄(後の目蒲線・目黒−田園調布−蒲田)だったと分かりました。なんと阪急電鉄の創業者である小林一三氏に経営依頼をしたら、鉄道院官僚・五島慶太氏を紹介されたそうです。

この五島氏が剛腕だった。

関東大震災で都心から目蒲線沿線への移住者が爆発的に増加。目蒲線が儲かりまくり武蔵電鉄ってのを買収して東横線の基礎(渋谷−桜木町)を築いたとされてます。一時は江ノ電・小田急・京急・京王も東急だったんですね。「大東急時代」と言う(戦後解体)そうです。

地下鉄銀座線の渋谷−新橋間も東急の五島氏の命令だったそうですから、昔の官僚は民間に移ってからの活躍レベルが違いますなー。

私が引っ越して来た頃の目蒲線には東急発祥の鉄道という雰囲気はなく、路面電車に毛が生えた程度の4両編成の電車でしたが、今では駅が地下化され地下鉄三田線と南北線に相互直通運転。あと1,2年で8両編成化され相鉄とも相直運転開始だそうです。

今は渋谷の巨大開発に邁進している東急電鉄ですが歴史を見るとすごいですねー。大半が路面電車だったのを剛腕で鉄道にしたんですね。田園都市線の渋谷−双子玉川間が路面電車じゃ無くなったのって1977年だそうです。まだ50年経ってない。

今じゃ車両専用でも狭い二子橋を電車が通ってたなんて考えられませんけどねー。写真は鉄道車両兼用時代の二子橋です。当時の田園都市線って大井町−溝の口−長津田って路線で、国は地下鉄三田線への接続を計画してたそうです。

ただ東急は旗の台から今の池上線を経由して地下鉄浅草線への接続を計画。結果的には大井町駅も五反田駅も地下鉄への接続は叶わずビミョーな雰囲気のJR乗換駅となってます。

ただ、渋谷に始発駅を変更した田園都市線は地下鉄半蔵門線に、目蒲線は目黒線に変更の上で地下鉄三田線&南北線に接続してますから大したもんですね。

今の武蔵小山には売春宿・映画館・ストリップ小屋・スナック・立飲み屋等が立ち並ぶ新開地だった面影はなく、駅前は高層マンションが次々と建設されてます。渋沢栄一が最初に計画した田園都市の西小山は、今ではそれを全く感じさせない普通の住宅街になってます。

東急の野望はまだまだあって沿線住民としてはワクワクしていると同時に、NHK大河ドラマ「青天を衝け」に出てくるのかなーってのも期待してます。渋谷が本拠地のNHKさんですから、取材はバッチリでしょうからね。

本日は筑波ロードレース選手権。そろそろ6時なので出発したいと思います。本年もご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

gq1023 at 05:54│Comments(0)

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