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2021年03月03日

スズキの鈴木修会長が退任

altoスズキの鈴木修会長の退任が発表されました。何度も退任の話しがありましたが、そのたびに復活。何と言ってもスズキの顔といった感がありますが、じつは婿養子。

この婿養子って話しは有名で、ご本人が各方面でお話しされてます。例えばディーラーのミーティングに行くとしますよね、婿養子の社長を見つけると「おー、気持ちが通じ合う仲間がおった!」ってな感じですよ。そして周りに「婿養子は大変だよなー」ってな感じ。

ディーラーといってもスズキですからね。小さな修理工場とか自転車屋みたいなのまであるのに、見事なまでに全国ディーラーの社長が顔+名前+プチエピソードで頭に入ってる。バイクメーカーで中小零細まで呼ぶ全国ディーラー大会やってる会社ってスズキだけでしょ。

他方、コスト追求での話しも伝説だらけ。社内でカラープリントの資料を見つけた瞬間、全社のカラーコピーとカラープリンターを体育館に集めて鍵をかけちゃった。簡単に言えばムダだと。その頃は運動会の打合せでも「モノクロで下さい」と言われたものです。

軽自動車というジャンルが消滅しつつあった昭和55年に47万円という信じられない価格で登場させたのがスズキアルト。後席は座われたもんじゃ無かったけど、250ccバイクと同程度の値段で自動車ですからね。あれが現在に続く軽自動車の起点だと思います。

バイク界にレーサーレプリカを登場させたのもスズキ。世界グランプリで勝ちまくっていたスズキが栄光のワークスマシンに捧げられる「ガンマ」という称号を250市販車に与え、バカっ速い市場を切り拓きました。

いろいろ悲しい出来事等もありまして、娘さんの旦那さんでインド市場を開拓する基礎を築いて、次期社長とも言われていた小野氏(元通産省)がガンで亡くなられたりして、それ以降は世界進出まで修さんが顔役になっちゃって大変だったと思います。

正直言って、スズキから鈴木修さんがいなくなるのは惜しいと思いますが、元気なままご勇退されるのは素晴らしいことですね。

ご長男が後を継がれるそうですが、バイクレースだけは続けて欲しいと思ってます。今後ともよろしくお願いいたします。

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