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2018年06月13日

日本vsパラグアイ戦の思い出

matsuda2002年の日本初のワールドカップ開催へ向けカウントダウンとなった2001年7月1日。日本初の大規模サッカー日本代表戦パブリックビューイングイベントが開催されました。(当時は和製英語表示ではなく正式な英語でクローズドサーキットと呼んでました)

試合が行われたのは札幌ドーム。キリンカップサッカー2001行われたパラグアイ代表との一戦でした。これを限られた予算と人員で横浜国際競技場に中継して盛り上げなきゃいけないという困難な課題でした。

それをディレクションさせてもらったのが私です。進行台本書いて、運営マニュアル作って、大型ビジョンに映す試合動画以外の画像を全部作って、当日のBGMや演出&進行ディレクションや影アナまでやらせてもらいました。

自分で台本作って、試合当日の朝4時に大崎駅前のキンコーズに持ち込んで出力&製本してもらいました。当日配布した抽選番号付きのアディダスうちわもデザインから自分でやりました。もうビックリするほど手作りですよ。

当時は国際Aマッチの流れを知ってる人も少なく、放送素材の二次使用権についても分かってない方が多かったのですが、中継映像を使いつつCMはカットしなきゃいけなかったりして、その基本的なルール決めが結構大変でした。

Jリーグ創設以来ガンバのお仕事を近くで関わらせていただき、神戸ウイングスタジアムの運営も関わってたおかげでなんとか乗り切りましたが、参加する代表メンバー選考発表から写真撮影まで密着して、選手紹介画像まで作り上げるのはいい経験になりました。

その試合、あの伝説のキーパー「ホセ・ルイス・チラベルト」擁するパラグアイから日本代表は2点をもぎ取り完封勝ちを収めました。

まあ、我々がフィリップと呼んでたトルシエ監督は代表選ではいつも怒ってたけど、パブリックビューイングではそれがないので緊張感は薄いのですが、その代わりにピッチを開放して一般向けイベントをやったので、結構進行が大変だった記憶があります。

代表戦を実際に運営するジェブさんや超大型横断幕等を製作していただいた大阪の劇団往来さん等、いろんな方々にお世話になりました。MCの鈴木ダイやゲストの木村和司さんもありがとうございました。

キリンビール様、アディダス様、電通様にはそんな機会をいただきありがとうございました。DNAというイベント会社からディレクションのご依頼をたまわったのですが、横浜シミズの大村さんとか、いっぱい思い出が走馬灯のようによみがえってきました。

あの日、横浜国際競技場でベンチ入りメンバーを読み上げたのは私です。「日本代表のメンバーをご紹介いたします。ゴールキーパー、カワグチーヨシカツ!」とか言いながら、大画面に映す選手写真と選手名のテロップ画像のキュー出ししてました。オペレーションしていただいたNHKエンタープライズの皆様もありがとうございました。

昨日は素晴らしい試合をテレビ観戦させてもらいました。そして様々な思い出に浸ることが出来ました。初めて土のグランドだった和田岬競技場で見たフジタ工業vsヤンマー戦以来の思い出にしばし酔いしれました。

最後になりましたが、あの日のピッチには松田直樹選手が先発していました。代表に選ばれてたのに起用されないことが不満だったのか途中で辞退。でも再度選出されると、この試合直前のコンフェデから一気に頭角をあらわし先発に定着。そのまま2002ワールドカップでも全試合フル出場と大活躍しました。

その後は横浜F・マリノスの選手会長にまでなり活躍しましたが2011年に戦力外通告を受け、当時JFL(現J2)の松本山雅FCと契約。同チームの柱として活躍していましたが、8月2日朝にチーム練習中に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

まだ34歳でした。生きていれば41歳。大きな身長で井原さんを超える本格的ディフェンダーとして名をはせていた時代に代表ジャージを着て躍動していたあの日を思い出しました。

いろんな思いを乗せて、日本代表の皆さんが活躍してくれることを期待します。応援してます。

gq1023 at 05:24│
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