2017年03月11日

東日本大震災から6年

もうあれから6年ですね。当日は大洗ファッションクルーズとイオンモール水戸内原のロケハンでした。14時に大洗ファッションクルーズ到着予定でしたが、請求書作業で出発が遅れ、地震発生時は常磐道の友部サービスエリア直前でした。

東京ミッドタウンのスタッフと電話中に揺れてると言われ、軽ワゴンで高速走行中の私は常時震度6ぐらい揺れてるので状況が分からず、目の前のヤマト運輸の4t車が片輪走行になるほど揺れてるのを見て地震に気づきました。それが14時前。

友部に着いたのが14時すぎで、そこにいた自衛隊は災害派遣の表示幕を車両につけてました。地震発生から10分も経ってないと思います。

友部を出て大洗までは北関東自動車道で15分ほど。全線通行止と書いているのを無視して走り続け、大洗に到着したと同時に津波がやって来ました。急いで逃げたのですが、あのまま海沿いのファッションクルーズに行ってたら、車はパーになる所でした。

結局すべての打合せはキャンセル。翌日は筑波選手権の開幕戦でしたので、家族で水海道のルートインで合流の予定でしたから筑波へ。ブロック塀が壊れてたり、信号が消えてたりでいろいろ大変な中、なんとか筑波サーキットについたのが16時。

すでに翌日からのレース中止が決まっていて、前日走行をしていた人々のうち半数はサーキットからいなくなってました。ただ、何人かとは話しをして、コンビニはセブンイレブン以外閉まっていること、大渋滞になってること、高速道路が使えないこと、飲み物が買えない事、東海村の原子炉は大丈夫らしいことを伝えました。

まあ家族も茨城まで来れないし、レースは中止だし、ルートインにキャンセルの連絡をして、そのまま東京に戻りました。大渋滞で夜中の1時になったんですがね。そして翌日には猫や犬も連れて鈴鹿へ。鈴鹿のイベントも中止になったのですが、その選択が幸いでした。

鈴鹿から原発が危ないので子供の学校をしばらくお休みにさせ伊豆の実家へ。結局伊豆には原発が危機的状況を脱するまで10日ほどいたと思います。もっといたかもなあ。私は原発爆発しそうになってる中で、緊急呼び出しがあって都内に毎日行ってましたけどね。

もう6年ですかあ。阪神大震災なら仮設住宅無くなってましたよね。東日本大震災はまだまだです。ビックリするほど遅いし、ビックリするほどお金もかかってます。出口戦略が見えないからでしょうねえ。目標なき復興作業はこうなるという典型だと思います。

あの年、8耐参戦を中止して寄付に回しました。そしてモトバムは全日本フル参戦に挑戦します。その2年後にはフル参戦しながら8耐にも復帰。私たちにとってはターニングポイントになった震災でした。そんなことを思い出す3月11日です。

本日から筑波選手権開幕です!

gq1023 at 06:17│Comments(0)TrackBack(0)

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