人民解放軍がいよいよ尖閣へ舛添さんのセコイ話しを舛添さん側から説明する

2016年06月11日

忘れた物は忘れたままにしない

8789687d.jpgバイクに乗りたいと思い始めたのは、小学生の時に行った愛媛県は伊予西条の久米おばあちゃんの家の隣にあったバイク屋「ハナヤマ」にやって来たポケバイに乗せてもらったことでした。その時の感動は今も忘れません。

それからモータースポーツファンとなった私は、4輪に熱狂していました。ところが中学に入る頃、自宅が神戸の六甲山に引っ越したのです。まあ毎日バイクが峠を攻めにいくわけです。そして事故も頻発していました。だけど興味を持ったんですね。1980年のことです。

とにかく毎日車とバイクのロードレースの本を読みまくりました。82年12月には映画「汚れた英雄」が公開。頭の中がバイクでいっぱいになりまして、翌年3月に衝撃の「石川岩男」氏事故死の話しが伝わって来ました。

翌週の「オールナイトニッポンライダーススペシャル」でその事実を聞き、衝撃を受けたのですが、その番組内ではそれ以上の興味を引くコーナーがありました。それが「RG250Γの音を聞く」ってものでした。それはガンマの石川さんが世の中のライダーに遺品として授けてくれたかのようなタイミングで、ものすごく興味を引き寄せられました。

このガンマ発売から世の中が2サイクルエンジンのレーサーレプリカ販売競争に入るのですが、それがまたすごくて毎年新型が出たり正常進化したりするんです。どんどん軽くなるし、市販時はエンジンパワーが45馬力に制限されてましたが、改造後のパワーも毎年上がる。バイクに乗ってワイワイやる日々は86年まで続きました。

でもカナダに引っ越しちゃった。日本がバブルの時に4年間カナダにいたから、仕事が毎日忙しく、バイクどころじゃなくなっちゃったんです。まあみんな同じだと思いますけど、高校や大学卒業しちゃうとバイクどころじゃないですよねえ。

ただ幸い私には「バイクを買おう」と思うチャンスがあり、道交法改正でカナダの免許で大型二輪に乗れなくなってから懸案だった大型免許を、東日本大震災でイベントが全部中止になってヒマになったので、取得できたんですね。レーススポンサーとして活動できるチャンスも訪れました。

50歳近くになって思うのですが、リターンライダーとか50歳超えてから初めてバイクの免許取る人が多くなって来ました。正直「すごくいい!」と思います。「バイクに乗りたい」って気持ちの忘れ物はお金と時間で解決できる。免許がなきゃ取ればいいし、バイクがなきゃ買えばいい。

若い人にもいい歳の人にも言いたいのですが、「忘れた物は忘れたままにしない」ですよね。体力的にもしんどいし、肩もあがらないし腰も痛いし老眼だし高血圧だけど「バイク持ってるし乗ってる」んですよ。しかも年甲斐もなくCBR1000RRっすよ。

誰からも評価されないし、そもそも評価されたいとも思ってないですが、少なくとも「バイクに乗りたい」と思った忘れ物を取りに行けたのは良かったと思ってます。

ただ、ぶっちゃけちょっとパワーありすぎだし、乗車姿勢もしんどいし、市街地を走るには小回りきかないし低速時の不安定さは抜群なので、いずれはもっと姿勢が楽で車体の軽いバイクに乗りたいですが、今のところは満足しております。


gq1023 at 06:55│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by 浪速のおっさんライダー   2016年06月11日 12:17
今でも汚れた英雄のオープニングを見ると、テンションあがります(笑)。私も刀乗ってますが、腰には悪いです・・・(泣)。でも、カッコつけたいんですよね〜(笑)。いつまでも若くでいたいんですよね〜(笑)。CBRえ〜やないですか!いつまでもバイクのりましょ!!。せめて、還暦まで!(笑)。

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