朝まで生テレビ「原発特集」アベノミクスを批判しても意味がない

2016年03月13日

東日本大震災の報道が実感値と違う

震災直後に何があったかというと津波があったわけですよ。阪神淡路大震災と同列で話しされると全然違う。

阪神大震災では直下型で、私が地震直後に車で街に出た時には、すでに多くの住宅が倒壊しており各所に火が出てました。最寄の阪神高速魚崎ICが崩れかけていたので、下の国道43号線を走って東に少し行くと、そこにはバスが半分突き出た状態で高速道路が倒れてました。

プラモデルの高架道路を倒したんじゃないですよ。爆破されたみたいにコンクリート片や金属片が飛び散っていて、下敷きになった車や高速から落下した車から血が流れてる。北に上がると阪神電車の線路土手が崩れて列車が倒れてる。崩れた病院から人が引きずり出されてた。

それと比べると、東日本大震災は地震の被害は少なかった。要するに津波被害ですよ。大きな地震が来たら津波が来るってことを軽く見てた。スマトラ島の津波から数年しか経ってないのに実感値がなかった。

大きな被害があった南三陸ですがね、津波ここまでって看板が各所にあったんですよ。そして、限りなくそのあたりまで津波が来てた。志津川を遡ってずーっと上流まで津波は来たんですが、確かにそこに看板ありましたよ。看板押し倒してもっと上流まで行ってたけど。

田老のスーパー堤防だって津波が来るから造られたわけでしょ。それを超えると思わなかったってのは、やっぱ津波を軽く見てたってことですよ。

今の時代だからね、津波警報が出て喜んでビデオカメラや携帯電話持って撮影に行った人も多かったと思いますよ。迫力ある映像や写真を撮ろうとして亡くなった方もたくさんいるでしょうねえ。そういうことを、しっかり伝えるべきですよ。

あとね、津波が来なかった場所の人々は、同じ被災自治体の住民でも何の影響も及んでなかったわけ。だけど、被災地のことなんでおかまいなしでガソリンと灯油を補充しまくってた。ガソリンスタンドなんて大行列ですよ。救援物資用に譲るなんて考えに及んでなかった。

ガソリン不足は3月28日まで20日間も続いたんです。首都圏で被災地向けの救援物資集めが行われてる時に、もう仙台中心部なんて普通の生活でしたよ。都内は節電で真っ暗だった3月下旬、仙台は普通に電気がついていて、居酒屋では歓送迎会が行われてました。

食料だって大丈夫な人が買いあさったでしょ。都心のスーパーから食料消えてたでしょ。アホですよ。パンなんて輸入小麦を練って焼くだけなんだから不足するわけない。近所のパン屋に頼んだらすぐ焼いてくれますよ。

今やるべきことは反省ですよ。次の災害に向けての対策ね。被災地や被害者の今も大切だけど、あの時、地域扶助の仕組みが機能したのかとか、被災地域で大きな被害のなかった大多数の人々の大半が、なぜ被災地支援に動かなかったのかとかが重要。

自腹で何十万円も買い物して食料とか子供のおもちゃを買って宮城県に向かったのに、仙台市内についたら商店街は賑やかだし、居酒屋では若者がワイワイ騒いでるの見たらガッカリですよ。

自衛隊が南三陸の志津川に簡易の橋を設置してくれたんで、その先に行けるようになったんで、その日にベイサイドアリーナ行ってビックリしました。だって避難所に2,600人もいるんだもん。そんな人数分の救援物資は、私ごときの資材で持参なんてできませんよ。

なんか、いろいろ腑に落ちてない私です。

gq1023 at 05:49│
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