教わる側は、教える側を越えていくのが当然。業務実績とプライド

2014年11月25日

果報は寝て待て/蒔かぬ種は生えぬ

ことわざってのは全部そうですが、ものすごい歴史を重ねて先人が作り上げた未来へのアドバイスだと思うのです。その中でも、やはり「果報は寝て待て」は重いなあと感じます。

だって果報って寝てても届かないですもん。何かにエントリーしないと連絡なんて来ない。だけど、都合のいい部分だけ取り出して、寝てるだけなのに「果報は寝て待て」なんて言っちゃうわけですよ。

「果報は寝て待て」の反意語で「蒔かぬ種は生えぬ」ってのがありますが、これはセットですよね。つまり「人事を尽くして天命を待つ」ってことなんだと思うんです。

正直言って、自分のできることを全部やるなんて私にはできませんよ。軽く一生懸命やるって程度が精一杯。「人事をつくす」レベルまで何かをやったことなんてありません。でも、何かやらないと天命を待つことが無駄でしょ。種をまいてないのに花は咲かない。

家族には「ただ飲んでるだけ」と言われますが、ちゃんと飲みに行ってます。知り合いを増やすのが、一番の種まきですから。今知ってる人や部下や家族とだけ交流してても、新しい種まきになりませんから。

人と会って話しをすると、毎回気づきがあります。気づくから行動する。行動するから次の出会いがあって気づきが生まれる。世の中には、数字を追いかけてる人や、儲かる仕事を狙ってる人もいますが、まず何人と知り合いかが、やってくる果報の数を決めるんじゃないかと感じてます。

gq1023 at 08:10│
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