デマって何処から?1-6月の自動車販売台数

2014年08月12日

日本航空123便事故検証番組

dfdc6d1d.jpgフジテレビの日本航空123便事故検証番組を見てたら、あの事故で亡くなられた電通の永田さんの話しが出て来た。僕にバイクを教えてくれたのは部下の須貝さんだった。別に手取り足取り教えてくれたわけじゃない。バイクのカッコ良さを教えてくれた。

うちは神戸の高台にあるサニーハイツ六甲台と言うマンションで、須貝さんはその上の篠原台って所に住んでいた。六甲台のすぐ上が篠原台。篠原台から急坂を降りて来た須貝さんのバイクは、いつもうちの前をクネクネっと曲がって走って行った。

うちも山の上だけど、篠原台って所はそこからグイっと上っていて、その上には中尾さんと須貝さんが住んでいた。みんな自分よりはるか上の年齢の電通社員。父親が電通社員だったから、そんな人々と家族での親交があった。

須貝さんは、いつも学生服姿の自分をみつけると、「おう!」といって手を挙げてくれた。チョーカッコ良かった。

永田さんは松下電器産業の広告を仕切る親分で、須貝さんはそれを実際の作品にする作業をしていて、うちの父親が毎日スーツでバスに乗って出かけて行き、夜中に泥酔して帰ってくるのとは違い、背は高いしファッショナブルだし、会社にバイクで往復してた。

父親は、その日も泥酔して帰って来たらしい。さすがに参っていたそうだ。そりゃそうだ、当時の父親の仕事は松下のテレビ業推担当。お得意様の視点で会社に発注を入れる窓口。つまり、永田さんが亡くなったということはチームのメンバーが亡くなったことになる。

自分は大学受験ラジオ講座の栂池合宿に行っていた。人生で受験勉強をしたのはこの合宿だけだった。だからその前後の父親の姿は分からない。

合宿から帰ってからしばらく、父親は泥酔もしないしゴルフにも行ってなかった。ポツリと言ったのが「須貝が見つからんのや」だった。須貝さんもあの便に搭乗していた。

次に言葉を発した時は「須貝がみつかったんや。背が高くて目鼻立ちがスッとしてるから外国人と思われてたらしい。」とだけ言った。重たい時間が流れた。

この日が来るたび、その時のことは忘れない。

gq1023 at 21:11│
デマって何処から?1-6月の自動車販売台数