東京大空襲から69年防災は事前の準備が大切

2014年03月11日

東日本大震災から3年

2da62967.jpg阪神・淡路大震災から19年経ちました。あの時、震災から2ヶ月で地下鉄サリン事件が発生し、メディアの注目が劇的に低下しました。人や行政に頼っても何も解決しないと、早期に認識させてくれる事件でした。

復旧は行政や国がやってくれます。でも生活再建はやってくれません。最初から勤め人が多かった阪神・淡路大震災では、職場を失った人の数が限定的で、所得がゼロになった人の数は限定的でした。ここも大きかった。

阪神・淡路大震災の場合、隣接する大阪という大消費地に近い事と、比較的被災の少なかった近隣からの支援も多かった。

東日本大震災当初に初めて現地入りしたのが3月。仙台方面から気仙沼まで行きました。南三陸の志津川に自衛隊が仮設の橋をかけていて、石巻方向から行けるようになって、まだ何日も経っていませんでした。おそらく震災から数週間後のことです。

震災前に街があった場所は壊滅してました。しかし、山を少し越えれば普通の生活が残っていました。拠点とした仙台市内の東横インではお風呂にも入れました。東京中心部では節電で真っ暗だったのに、仙台の商店街にはギンギンに明かりが点り、県庁に近い居酒屋では歓送迎会。大型スーパーには水や食料が山積みでした。まだガソリンも足りなかった時期の話しです。

「おにぎりは一生分食った」という避難所に暮らす方。救援物資を「それは私達が依頼した物ではないので受け取れません」と平然と言ってのける避難所の行政担当者。「積極的活動を止められて子供とサッカーするアメリカ兵」いろんな物を目にしました。

正直、周辺で被災してない人々があんなにいるなら、東京からの支援なんていりませんでした。45号線を南三陸へ向かう途中にソフトクリームのお店があって、そこには自衛隊の人々もたくさんいて、うつろな目で休憩してました。夕方被災地を走れば、山のように棒に付けられた赤の布切れが見えます。ご遺体の場所です。捜索は自衛隊と被災者自らでした。

一言で言って「依存体質」と「被害妄想」の連続でした。本当にショックを受けました。「どうなるんですか?」と言う被災者。「どうするんですか」という質問には、「今は考えられません」と言う。もう考えてる人は、避難所から消え始めてました。

他人事ではありません。明日は我が身です。この3年間は震災復旧に失敗する3年間でした。今だに延々と仮設住宅に居続ける人々がたくさんいます。阪神・淡路大震災では5年後には仮設住宅は無くなっていました。今回は無理でしょう。

震災から立ち直るのは被災者自身です。行政も国も何もやってくれません。やってくれるのは予算配分だけです。阪神・淡路大震災の時のように、メディアが注目しなくなればいいのですが、まだまだ注目してるようで、依存体質の人々が一枚岩になって予算獲得をするといった動きはなく、復興どころか復興関連予算は他に使われ続けています。

岩手県には小沢一郎が、宮城県には安住淳が、福島県には渡部恒三がいました。みんな当時の与党民主党幹部でした。今や過去の人。その時に使えば何でも出来たのに、無駄に月日が流れているように感じます。

海水浴に持参したiPhoneが、急な強い波で水没して破損したら、復旧させるのは自分です。保険に入っていればいいですが、入ってなければ自腹です。これは家も同じ。私は被災するまで分からなかった。リスクは国が取ってくれたりしません。

メディアは、「現実は厳しい」って事を今後に備えて広く訴えるべきだと感じています。ノスタルジーや歴史検証ではなく、現実ってレベルで厳しい意見も突きつけて行く時期じゃないかと感じてます。

gq1023 at 08:19│
東京大空襲から69年防災は事前の準備が大切