震災から3年東日本大震災から3年

2014年03月10日

東京大空襲から69年

0ae33398.jpg東京がはじめて空襲を受けたのが太平洋戦争初期の1942(昭和17)年。真珠湾攻撃から1年も経たないうちの空襲でしたが、これは空母からのもので、小規模だったとされています。

次の空襲は1944(昭和19)年11月14日。サイパン陥落を受け、B29による爆撃が開始されました。ここから8月15日の政治家が今だに「終戦」とうそぶく「敗戦」の日までの9ヶ月間に、東京は計106回の空爆を受けています。平均約2.6日に1回空爆されました。

この大半は、工場などを狙った爆撃です。もちろん今の技術とは比べるまでもない精度ですが、ある意味精密爆撃だったと言えるでしょう。ただし、運んできた弾薬を投下させないと戻れない部隊もあり、目標がみつからなければ、市街地も狙うようになります。

当時の東京では、今と同じように町工場が中島飛行機・東京芝浦電気・日本光學工業・東京光学といった巨大軍事企業を支えていました。そもそも日本は、学徒動員や勤労奉仕と称して誰でも軍事に起用してたのです。工場を狙っただけでは戦争が終わらない。

そして、対空砲火も迎撃機の発進もない東京への爆撃には、B29のすべての対空装備が取り除かれ、搭載可能重量の大半を焼夷弾とする戦略が立てられました。そして何度かの試験攻撃の後、1945(昭和20)年3月10日を迎えます。東京大空襲です。

「木と紙で出来た町を焼き払うには爆弾ではなく焼夷弾」との判断が見事に的中し、標的を確認するため、風下から風上へと順次攻撃をしたため、ほぼ確実に東京の中心部を焼き尽くす空爆となりました。推定死者10万名、負傷者約8万名、消失家屋約27万。地獄絵図です。

記録によると、4月13日死者2459名、焼失家屋約20万。4月15日死者841名、焼失家屋約7万、5月24日死者762名、焼失家屋約6万5千、5月25日死者3651名、焼失家屋約17万、焼き尽くされたと言っても過言ではない状態です。

今日本は、再軍備へ向けて進んでいます。その根底には敗戦を終戦と言い続けるような、現実を直視しない政治と日本国民がいるのも事実です。

写真は1947(昭和22)年に昭和天皇が広島を行幸された時の物だそうです。場所は元護国神社跡。ボロボロの町に集まった7万人もの大歓迎する市民の前で、マイクを通じてこう語ったとされています。

「このたびは皆の者の熱心な歓迎を受けてうれしく思ふ。本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思ふ。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ。」
「ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ たちなおる見えてうれしかりけり」

私は、先の戦争に散った命の分まで生きようという人々の必死の努力と、なくなられた人々の魂が今の日本の支えになっていると思っています。おこると言われていた自然災害で甚大な被害が出たなんて話しとは根本的に違うと思うのです。だから、東日本大震災によって、この重大な日が風化されない事を祈ります。

gq1023 at 07:11│
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