2013年05月24日
三浦雄一郎の父・三浦敬三氏のお話し
私、25年前にカナダに来た老人スキーツアーをアテンドしたことがあります。その中に「M/M Miura」の名前がありました。旅行業界の用語でM/MはMr.&.Msですんで、大抵は夫婦を意味します。そのお客様は、そのうちMs.をキャンセルされていました。
これがまた、ものすごい団体様で、カナダはウイスラーと言う有名スキー場へ行くツアーだったのですが、スキーの荷物を引くだけでギリギリといった老人の団体で、ぶっちゃけ「えらいのに付いちゃったなあ」って感じでした。
当時のカナディアン航空004便は朝10時着。11時頃にバスに乗り込み、途中でランチを採ってからウイスラーに入るのが通常です。ところがそのメンバー、ランチいらないから、とにかくスキー場に行ってくれと言う。
「今日はスキーできませんよ」と言っても、「いや、やる」って言い切るわけです。そんなのツアーガイドも設定してないのに、ジジイとババアをウイスラーの雪山で自由行動させられるわけないでしょ。必死で説得してたんです。
そしたらね、「俺はプロスキーヤーだから大丈夫だ!」って一人のジジイが言い出しました。それが三浦敬三さん。そう、三浦雄一郎のお父さんですよ。
でもね、なんか歯も入れ歯だし、耳も遠いし、奥さんがキャンセルになった理由がボケだとか言うし、ぜんぜん信用できないわけです。旅行代理店のスタッフとして、そんな無茶苦茶な事を言う人を信用したらダメですからね。
ところが、着いたら宿は高級ホテルのナンシーグリーンロッジってホテルだったんですが、ナンシーといきなり抱き合ってる。そして我々に、「彼女は札幌オリンピックのメダリストだよ」なんて紹介してくれる。知っとるわい!
しかもなぜか、リフト券持ってる。インターネットもない時代に、カナダのリフト券を日本で手に入れるのは至難の業のはずですが、ぜんぜん問題なしって感じです。
そしてその老いぼれ集団は、ホテルロビーでスキーウェアに着替え始めました。さらに、何の躊躇もなくスキー板を雪上に置き、ブーツをビンディングにセットした瞬間、私の目は凍りつきました。と言うのも、完全に20代ぐらいのスキーヤーにしか見えないんです。
板をはいて、さきまでヨボヨボ歩きの人たちが、バン!バン!ってジャンプしてるんですよ。そりゃあビックリしまっせ!
とにかく私も、本当はその夜バンクーバー戻りだったんですが、スーツで取り急ぎスキー板をはいて追いかけました。そしたら、ブラックダイヤモンドという超難度の高いコースに行く。斜度40度以上ですから、見た目は直角。下手すると死にます。
そこに、誰一人躊躇せず滑って行っちゃいました。スーツの若者一人だけ、ビビッて20秒ほど停止しましたが、あとのオイボレ軍団は、リフト降りてから1秒も止まることなく、ふもとまで普通で約1時間かかるコースを、20分弱で滑り終えました。
それから20年近く経って、その三浦敬三氏が亡くなられて、はじめて本を読んですごい人だったことを知りました。「70歳でエレベスト、77歳でキリマンジャロ、88歳でアルプス完全縦走、99歳でモンブランの氷河滑走」ですって。衝撃の古希・喜寿・米寿・白寿ですよ。
なんか、三浦雄一郎さんの偉業達成を見て、「この人には、もっとすごい親父がいるんだ!」なんて事を思い出しました。カックイー!
これがまた、ものすごい団体様で、カナダはウイスラーと言う有名スキー場へ行くツアーだったのですが、スキーの荷物を引くだけでギリギリといった老人の団体で、ぶっちゃけ「えらいのに付いちゃったなあ」って感じでした。
当時のカナディアン航空004便は朝10時着。11時頃にバスに乗り込み、途中でランチを採ってからウイスラーに入るのが通常です。ところがそのメンバー、ランチいらないから、とにかくスキー場に行ってくれと言う。
「今日はスキーできませんよ」と言っても、「いや、やる」って言い切るわけです。そんなのツアーガイドも設定してないのに、ジジイとババアをウイスラーの雪山で自由行動させられるわけないでしょ。必死で説得してたんです。
そしたらね、「俺はプロスキーヤーだから大丈夫だ!」って一人のジジイが言い出しました。それが三浦敬三さん。そう、三浦雄一郎のお父さんですよ。
でもね、なんか歯も入れ歯だし、耳も遠いし、奥さんがキャンセルになった理由がボケだとか言うし、ぜんぜん信用できないわけです。旅行代理店のスタッフとして、そんな無茶苦茶な事を言う人を信用したらダメですからね。
ところが、着いたら宿は高級ホテルのナンシーグリーンロッジってホテルだったんですが、ナンシーといきなり抱き合ってる。そして我々に、「彼女は札幌オリンピックのメダリストだよ」なんて紹介してくれる。知っとるわい!
しかもなぜか、リフト券持ってる。インターネットもない時代に、カナダのリフト券を日本で手に入れるのは至難の業のはずですが、ぜんぜん問題なしって感じです。
そしてその老いぼれ集団は、ホテルロビーでスキーウェアに着替え始めました。さらに、何の躊躇もなくスキー板を雪上に置き、ブーツをビンディングにセットした瞬間、私の目は凍りつきました。と言うのも、完全に20代ぐらいのスキーヤーにしか見えないんです。
板をはいて、さきまでヨボヨボ歩きの人たちが、バン!バン!ってジャンプしてるんですよ。そりゃあビックリしまっせ!
とにかく私も、本当はその夜バンクーバー戻りだったんですが、スーツで取り急ぎスキー板をはいて追いかけました。そしたら、ブラックダイヤモンドという超難度の高いコースに行く。斜度40度以上ですから、見た目は直角。下手すると死にます。
そこに、誰一人躊躇せず滑って行っちゃいました。スーツの若者一人だけ、ビビッて20秒ほど停止しましたが、あとのオイボレ軍団は、リフト降りてから1秒も止まることなく、ふもとまで普通で約1時間かかるコースを、20分弱で滑り終えました。
それから20年近く経って、その三浦敬三氏が亡くなられて、はじめて本を読んですごい人だったことを知りました。「70歳でエレベスト、77歳でキリマンジャロ、88歳でアルプス完全縦走、99歳でモンブランの氷河滑走」ですって。衝撃の古希・喜寿・米寿・白寿ですよ。
なんか、三浦雄一郎さんの偉業達成を見て、「この人には、もっとすごい親父がいるんだ!」なんて事を思い出しました。カックイー!
gq1023 at 09:22│Comments(0)
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