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2013年05月14日

黒田(アメリカから長文)

黒田のピッチングは、明らかに日本での方がすごかった。阪神が優勝した2003年のキャンプは、あまりにもすごくて誰も声をかけられないほど。はじめての開幕投手にもなった。キャッチボールの球が、ピンポン玉のように変化するのを見た野球関係者は多いはずだ。

しかし勝ち星に恵まれない。不運が続く。広島も弱い。オールスターに久々に出たのが2005年。正直「野球ファンに分かってもらえてないなあ」と思っていた。2006年のWBCでは心の底から期待していたのに、2月の練習試合の負傷で出場辞退。本当に恵まれない選手だと感じていた。

どれだけの代理人が黒田にアプローチしただろう。でも彼は、絶対に国外に出なかった。いや広島を出なかった。関西人の彼が、あれほど広島への愛を見せていることを不思議に思った野球関係者も多いはずだ。

その2006年、彼は防御率1点台という奇跡の成績で1年を終える。それでも13勝。広島は弱かった。そして野球ファンの黒田への評価も低かった。でも広島は評価した。あの誰にも金を払わない球団が、あの年にFAを取得した黒田に、4年12億円を提示したのだ。その時彼は、「今後も生涯広島!」を宣言した。誰もが驚いた。驚いた中にはメジャーリーグ関係者も多くいた。

皆は知っているだろうか?彼のコメントだ。その記者会見まで、黒田の本気度を私自身は理解していなかった。彼は契約更改後の記者会見で、こう言ったのだ。あの金本すら袂を別った球団にである。

「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった。僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」

この発言は、日本だけでなく、世界中に反響をよんだ。心の底から叫んだ彼の声は、海の外まで届いていた。そのチーム愛に、多くの海外チームから正式なオファーが届いた。でも、彼がドジャースに移籍した2008年は、もうあの5年前の投球はなかった。それは事実だ。

その事は自分自身が分かっているはずで、こんな素人に言われる覚えはないだろうけど、黒田が悩み苦しみ西海岸から東海岸へと移ったことは分かる。きっと元阪神の猪俣が経営する寿司屋で、いろんな話しを聞しているのだろう。

私は2003年のあの球を知っている。メジャーに最初に挑戦したのは沢村じゃない。江夏だ。それもキャリアの最後に挑戦した。成績は上々だったバンクーバーでの最終テストに、彼はメジャー残留という評価を得ることができなかったが、それは全盛期に彼の希望をかなえなかった日本球界に問題がある。だけど広島は違った。金はないけど夢は与える球団だった。

ドジャースに移った初年度。どれだけレベルの低い投球が続いただろう。だけど、日本のメディアは「結果がついて来ない」と言っていたが、私は「ピッチングのレベルが低い」と感じていた。それは誰よりも本人が認識していたはずだ。ピッチングの衰えではない、長年野球をやっていた者は誰もが知っている、年齢的な衰えだ。

一般の人が「肉離れ」というものが、どれだけ大変なのか分かるだろうか?筋肉がドーンとへこみ固まり、全く動かなくなる。それをストレッチで伸ばして、無理やり使うのがプロだ。プロ野球を10年以上経験した選手の手足を触ってみれば分かる。驚くほどデコボコである。

彼はメジャーへ渡る前年、小さな手術をしている。その後はピッチングは間違いなく変化した。そんなくだらない情報を知っている事を自慢したいのではない。ピッチングが変化した事実は黒田自身が一番分かってるからだ。

だからこそ言いたい。彼はヤンキースにいても、彼のために戦ってはいない。野球という団体競技を理解するには、その全体を理解して欲しいと同時に、各選手の努力に賞賛を送ってもらいたい。彼らは世界最高峰で、私たち日本人を必死にアピールしている最前線にいるのだから。

gq1023 at 18:52│
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