2012年09月15日
記者内覧会で尾崎ヒロヤさんが歌ってくれたことについて
尾崎豊特別展/OZAKI20の開催にあたって、息子さんであるヒロヤさんが記者内覧会の冒頭で「僕が僕であるために」を歌ったシーンは、報道各社での情報でご存知の方が多いと思いますが、これ決して仕込みではありません。
当初、イベント主催者側から歌って欲しいとの要望はあったのですが、プロデューサーサイドも私たちも否定的でした。否定的というより、昔からのファンと新しいファンの交点となる場の提供というのが目的であったし、無理やりの話題づくりに消極的だったのもあります。
それ以上に全員が一致していたのは、「彼の人生は彼に決めてもらいたい」という1点でした。学生である彼を、お父さんのイベントだからと言って出演させるというのは、プロデューサーならびにディレクターサイド双方が否定的だったのです。
出演が確定したのは2日前でした。これは本人ならびに事務所サイドの意向ということで、ご遺族の強い希望であればということで、急遽設営した展示パネルをバラバラにしてスペースを作り、そこにステージを設営しました。急遽エレクトリックピアノも発注しました。
記者が帰られた後、ヒロヤさんは真剣に展示物を見て、目をキラキラさせながら、「この曲ってフォークですね、これをロックに仕上げて行ったんですか」なんて話しているのを見て、本当に大ファンとして歌ってくれたんだなあと、勝手に感じてました。
昨日のTBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」は尾崎ヒロヤさんのDNAに注目した企画になってました。とても素晴らしいコーナーに仕上がってました。そこには尾崎豊のファンであるヒロヤさんが映し出されてました。それを見て「彼が自分の決断で歌ったんだな」と確信した次第です。
当初、イベント主催者側から歌って欲しいとの要望はあったのですが、プロデューサーサイドも私たちも否定的でした。否定的というより、昔からのファンと新しいファンの交点となる場の提供というのが目的であったし、無理やりの話題づくりに消極的だったのもあります。
それ以上に全員が一致していたのは、「彼の人生は彼に決めてもらいたい」という1点でした。学生である彼を、お父さんのイベントだからと言って出演させるというのは、プロデューサーならびにディレクターサイド双方が否定的だったのです。
出演が確定したのは2日前でした。これは本人ならびに事務所サイドの意向ということで、ご遺族の強い希望であればということで、急遽設営した展示パネルをバラバラにしてスペースを作り、そこにステージを設営しました。急遽エレクトリックピアノも発注しました。
記者が帰られた後、ヒロヤさんは真剣に展示物を見て、目をキラキラさせながら、「この曲ってフォークですね、これをロックに仕上げて行ったんですか」なんて話しているのを見て、本当に大ファンとして歌ってくれたんだなあと、勝手に感じてました。
昨日のTBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」は尾崎ヒロヤさんのDNAに注目した企画になってました。とても素晴らしいコーナーに仕上がってました。そこには尾崎豊のファンであるヒロヤさんが映し出されてました。それを見て「彼が自分の決断で歌ったんだな」と確信した次第です。
gq1023 at 07:43│Comments(0)
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