不退転の決意?Ninja250ってカッコいいなあ

2012年08月25日

尾崎豊「卒業」

d5c3a191.jpg私にとっては単なる過去の大ヒットソングの1つであり、電通西日本時代に小林先輩がカラオケスナックに行くと必ずうたう歌以外の何物でもありませんでした。

とはいえ、カラオケスナックで聞くというのは、画面に出る文字も見るわけで、それなりに歌詞が頭に刷り込まれてるわけですよ。

40歳代の半ばになって尾崎豊のお仕事に関わる事になって、改めて歌詞を見て思うのは、今の時代も通用するだけの強いメッセージがあるなあって事です。

「卒業」って歌は学生の歌だと思ってたんですが、サラリーマンでも何でも通じる。結構大まじめに現状と体制を批判しながら折り合いをつけて生きてる日本人全体に対するアンチテーゼになってます。

校舎とか学校とか言ってるのが会社であり日本なんですよ。先生とか言ってるのが上司・経営者・政治家なんですね。放課後ってのはオフタイム。

始業時間のチャイムには何だかんだと言っても席に就いていて、終業すると夜は飲んで文句言ったりするんだけど、また翌朝のチャイムには席にいる。しかも何だか分からないけど競争社会の中にいて、出世争いとか見栄争いを毎日やってる。

そしてみんな、全然関係ない誰かの戦いにみんな熱くなるんですよ。「次の部長は○○課長と○△課長の争いだな」みたいなクソみたいな話しで盛り上がる。サッカーとかオリンピックになると、1億総評論家みたいになって偉そうな事をのたまう。「総理がダメだ」みたいなね。

誰かを好きになって「一緒になろうよ」ってなっても、「愛することと生きるためにすることの区別に迷った」わけですわ。親や友人から「相手の年収は?」なんて言われてね、愛に計算が入ってくる。

結婚したって「子供を塾に行かせたいからもっと稼いで」なんて言われてね。「なんだよ愛って」って感じですよ。「愛があるからこいつと同居してるのか?」なんてことになるわけですわ。「今さら別れても新しい出会いもないしなー」なんてね。

「あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどりつけるだろう」

尾崎はすでに10代にして、小学校・中学校・高校なんて形で学校を卒業するたびに、自由と証する仕組まれた奴隷社会に組み込まれるって気づいてたんですね。学校・企業・国って枠組みが「洗脳」である事を分かってたんですよ。

「仕組まれた自由に誰も気づかずにあがいた日々も終る」
「この支配からの 卒業、闘いからの 卒業」

そう、この洗脳によって作り出された社会の中で奴隷として生きていくんだって言ってます。「卒業=死」って真理にたどりついてる。スゴイでしょー!私なんて、この年齢になって、やっと気づいたことですからね。

私の18歳なんて、ディスコ・ナンパ・バンド・バイク・阪神タイガースで終わりでしたよ。いやー、今さらながらアッパレです。そして、遅ればせながら尾崎豊ワールドに入れてもらって、良かったなあと感じております。こんな明け方からね。

gq1023 at 05:28│
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