オリンピック期間中になんで政局やってんの?審議欠席

2012年08月08日

新宿ルイードの次が大阪球場だった尾崎豊

尾崎豊に興味を持って約1年。そして彼とゆかりの深い方々との協調作業をやるようになって約半年。少し他の人々と「違うな」と感じる部分があるので書きたいと思います。

私はそれなりにロックやジャズ等の音楽もやっていたので感じるのですが、尾崎豊は決してアイドルや若くしてデビューするバンドとは違います。たった一人で作詞&作曲しレコーディングすることは、ものすごく大変なこと。決して10代の若者にできるものじゃありません。

当時のレコード会社は圧倒的なパワーを有していました。プロデューサーはプロですから、曲にも歌詞にも指示が出る。その関門を通過しても、レコーディングとなれば、敏腕ディレクターと一流スタジオミュージシャンがやって来るのです。

バンドじゃないってことは、18歳とかの若者が一流ミュージシャンに指示を出さないといけない。だって作詞&作曲も尾崎ですからね。もちろん「ここはどう弾けばいいですか?」じゃないですよね。「バッキングって指示してくれないと分かんねーじゃん(怒)」って感じですよ。

その上コンサートでしょ。それも一流ミュージシャンを従えることになる。緊張しますよねえ。すごく不安だっただろうし、とても怖かったと思うんです。

それでも、小さな新宿ルイードというライブハウスや日比谷野音でやってるうちは良かったと思うんです。でも、その後はホールツアーも武道館もやらないまま、大阪球場とか代々木オリンピックプールでしょ。そんなの緊張するなって言うほうが無茶ですよ。

観客100人とのライブならできても、信者1万人以上の大集会となると違うでしょ。

どんなに真面目に話しをしても「オザキー!」って叫ばれて、どんなに静かに聞いてもらおうと歌っても1万人の合唱になっちゃって、控え室にいても舞台上もみんな自分より年上の人たちばかり。ずーっと落ち着かないだろうし、ものすごい葛藤だったと思うんです。

ただ彼は真面目だったんだと思うんですね。だからカリスマになろうとした。人々の声に応えようとした。それは曲や歌詞だけでなく、音楽知識や演奏技術や生き方の部分までもそうなろうとしたんでしょうねえ。

そういう意味で、私は「本当に大変だっただろうなあ」って感じるとともに、彼はそういう意味でもすごかったんだなーって感じてます。「尾崎豊特別展」OZAKI20開催まで1ヶ月を切りました。頑張って準備していきたいと思います。

gq1023 at 07:24
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