菅さん東電では怒鳴ったと思いますよ50年・100年しか生きない人間がで天災を語って良いのか?

2012年05月30日

尾崎豊13回忌まで来ました

12ba6533.jpg自分自身は尾崎豊世代だったけど、あえて尾崎豊を見ないようにして生きてきました。真っ直ぐに生きるなんて、きっとめんどくさい世界だと思ってました。カッコつけつつずる賢く生きる道を選んだ自分。ローンで外車買って自分を大きく見せるような人生でした。

そんな中で「尾崎豊興味ありませんか?」って声。正直「うーん相当な覚悟が必要だなあ」と思いました。生き方がねえ。チャラチャラとフラフラと生きて来た自分だからなあ…。できんのかなあーって感じでした…。

最初は歌詞をひたすら追いかけ、その後で気になる文字を書き出して…。その後、宝島社の本などを読み、プロデューサーであった須藤晃さんの「覚え書き」という本にたどり着きました。

すでに亡くなられている方であり、多くの人々の心を今も引きつけているというか、まだまだ新しいファンも開拓しているわけで、そういう人々と向き合うには、そのためのプロセスが必要でした。そんなに簡単じゃないっすよ、尾崎…。

尾崎豊という生き様を描き出すには、プロデューサー須藤晃、フォトグラファー田島照久、映像ディレクション佐藤輝という3人がいなければいけない。それを全身で理解をするには、知識だけでなく体験&体感が必要でした。

覚悟を決める前に、尾崎豊の全アルバムと全DVDを買い、全部聞いてipodにも入れて、生前の全ライブを見ました。そして昨日、13回忌の時に出たアルバム「13/71」を聴き、渋谷AXのトリビュートライブを見終わりました。

やっと、昨年テレビ東京で放送された「尾崎豊20thメモリアルイヤーズ特別企画/風の少年」を見る準備ができつつあります。事前に聞いてる限り、ものすごく重たい番組らしいので、ちょっと期間が必要でした。なかなかに大変な道程です。

まだ明確に分かってないのですが、きっと彼は自分という物を追い続ける哲学者だったのでしょうね。自分と戦い続けて、周りに人が増えれば増えるほど、その人たちを喜ばせたいという自分と、その人たちが真の意味での自分を理解してくれないって部分で戦ってたのでしょう。

自分もミュージシャンやってたんですがねえ。ミュージシャンで売れたかったんですがねえ。こんなに真剣に音楽追い求めなかったなあ。女にもてるための音楽ごっこだったのかなあ。アメリカのロックを真似てただけなのかなあ?

リーマンショックがあって、未曾有の大災害があって、世界中が混沌としていて、そんな中で、いろんな意味で自分を見つけるいい機会になってます。

尾崎豊と向き合えるかなあ。ミュージシャンとしてではなく、見た目のかっこいいアーティストとしてではなく、彼が必死に伝ようとしていた真の尾崎の姿を表現できるようになるかなあ?とにかく今、真剣に向き合っています。

gq1023 at 05:48
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