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2012年05月28日

石垣島の中はみんな仲良しってわけじゃない

0eccb7dd.jpg石垣島によく行くと言うと「いいですねえ」とか「のどかで楽しい場所なんでしょうねえ」なんて言われます。確かにそれは事実ではありますが、そんな簡単な話しでないことも事実です。

そもそも石垣島に住んでいた人々は、1637年から1903年まで人頭税を取られていました。15歳から50歳の成人は、所得等に関係なく税を納めるという法律。言い方を変えると奴隷法みたいなものに支配されていたんです。

1637年って徳川3代将軍・家光の頃であり、島原の乱の頃ですよ。そこから1903年ですから、明治36年まで続いたということ。つまり江戸時代初期から明治時代末期まで奴隷政策の下にいたということです。

しかも、その最中の1879年(明治12年)には「清」への割譲が提案され仮調印まで行ってます。日清戦争で日本が勝ったのでこの話しはなくなってると日本は言い張ってますが、昔から領有権問題のど真ん中にある島でもあります。

人頭税がなくなって自由な移動ができるようになると、そこには台湾という占領地が登場していました。目の前にある巨大都市台北。そりゃみんな働きに行くわけですよ。古来からこの島に住んでいた方々には、この台北という大都市生活経験者も多くいます。

そしたら大戦でしょ。兵隊さんに土地と食料を強奪され、マラリアが蔓延する地区に追いやられ3千人以上も死亡。早々のうちにアメリカの統治下に置かれるものの、アメリカ人は来ず、琉球政府下でも放置されます。

そのかわりやってきたのが開拓団。戦後は沖縄本島&宮古島からどんどん開拓団が押し寄せ、約10年間に3千〜7千名もの入植者がやって来たと言われています。これが各地で文化を形成してる。しかもその中に最初の大変な時代を経験した人々と、後から住みに来ただけの人がいる。いろいろ難しいバランスを生むわけです。

そして歴史とともに、そこに生まれた子供たちが東京や大阪に住んだりもする。その子供たちが島に帰って新たな文化を形成する。さらには過去の歴史を全く無視した都会からの大量の移住者。南海の楽園に遊びに来てそのまま居ついた若者達。まあいろいろ大変なわけです。

漁師だけを見ても、石垣島の中心部にある登野城漁港と新川漁港。入植の歴史も漁法も全く異なります。私たちは島の人ではないのだから絶対に分からないことがあるはず。だからこそ、その島の歴史や文化を島に住む人々以上に学び&知ることが大切だと思ってます。

gq1023 at 06:37│ 沖縄・石垣島 
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