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2012年04月03日

吉本興業様から創業100周年のお手紙

yoshi吉本興業様からお手紙を頂戴しました。4月1日で創業100周年とのことです。すごいですねえ。1912年に小さな寄席をオープンさせた方がいたから、今の繁栄があるわけですねえ。素晴らしいことだと思います。

思えばカナダから帰国してすぐ挨拶に行ったら、中邨社長に「お前はイベントが向いとる」と言われ、就職予定だった映像制作会社から就職先がイベント会社に就職先変更。またそこが元の漫画トリオ事務所の協愛って会社だったから、当時は本当に吉本興業にはよく行ったものでした。

当時は大阪に木村さんがいてねえ、漫才ブームの後だったんですよねえ。デスクのマルちゃんって女の子に「プロフィールください」とか「宣材写真ください」って言いに行くようなパシリ係りでしたが、スケジュール表が鉛筆で書かれてるんで、木村さんに消されないようにボールペンで上から書くっていう大きな役割ももらってました。

現場で、大崎さんに「お前、弁当に鶏肉入れたらあかんに決まってるやろ!」って怒られてねえ。決まってるんだったら最初に言ってよって感じですが、決まってるんだから、最初から分かっとけってことでした。芸人さんは鳥食べない方が多いんです。羽ばたけなくなるからですって。

劇場が下火で、木村進さんや室谷信雄さんが新喜劇辞めちゃって、まさに新喜劇がなくなるかもしれないって雰囲気で、京都花月となんば花月もなくなって、新喜劇できる場所が梅田花月だけになってねえ…。

さらに実際になくなるかもしれないってキャンペーンも行われて、花紀京&岡八郎の両巨頭をはじめとした有名出演者が何人も引退になった、大変な時代でした。二丁目劇場とか天然素材とかに注目が集まりはじめた頃の話しですよ。

デッセジェニーは水谷さんが支配人でねえ、いろんな新規事業やらなきゃいけなくて、あの当時の若手社員の皆さんは「劇場がなくなるかも知れない」っていう、ものすごい危機感の中で戦われてました。

よく言われましたよ「吉本は場という劇場があるから強いんや、場を提供できへんようになったら終わりや、場を生かすも殺すも芸人次第やけど、場を残せるかどうかはわしらにかかっとるんや」ってね。それはもう迫力ありました。20年前の大崎さんは、今思い出しても思いっきり怖かったです。

中田カウス・ボタンをブッキングしてたイベント当日、新聞のテレビ欄みたら2時のワイドショーって番組に「中田カウス・ボタン」て書いてあって、ビックリして木村さんに電話したら「あああ、あれコメワンになっとるから」で終わり。コメディNo.1のお二方にカウス・ボタンショーって看板の前でネタやってもらいました。

そういえば、林正之助会長が亡くなられて、キックオフ80の窪田社長がどうしても追悼番組作るんやって言ってたのも思い出しました。

そう、協愛の犬伏社長が亡くなられた時も、プルプルどんに飲みに行ってねえ…。もう転職しちゃってたんで、一人でさみしく飲みにいったんですが、かつみ・さゆりさんのお店だったんで、なんか知らんうちに元気もらいました。

こずえ・みどりさんと合コンやりましたねえ。あれも大崎さんに言われて行った記憶があります。なんか2人ともシャイでねえ。ずーっと盛り上げ続けてないといけなかったなあ。

桂文福師匠が吉本とケンカ別れした時に、茶がまさんが一緒に吉本タレントプロフィールから消し去られてねえ、えらいこっちゃってやりましたねえ。

石垣島を舞台にした映画「サンゴレンジャー」のプロデューサーである西初恵さんって、東京よしもとの初代女性スタッフだったんですって。これも何かの縁ですよねえ。木村さんと大崎さんと西さんの3人だったそうです。

今や吉本興業の社長が大崎さん、よしもとクリエイティブエージェンシーの社長が水谷さんですよ。中田ナオキ&ユウジとかチェイサーズとか、今はいなくなっちゃいましたけど、あのチュパチャップスが、今やほっしゃんと宮川大輔で、ともにピンでやってる時代ですからねえ。100年のほんの一部とはいえ、いろいろ思い出があります。

今週末は、なんばグランド花月のリニューアルオープンです。小さなお手紙ですが、いろいろあって私の所にも届きました。来週にはNGKも行くつもりにしてます。これからの100年も、夢と感動を人々に与え続けてください。これからも応援し続けます。お手紙ありがとうございました。

gq1023 at 12:31
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