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2012年01月28日

軽量級の大スター 一ノ瀬憲明選手

ebb42db6.jpg1980年から82年まで3年連続全日本125ccクラスチャンピオンの一ノ瀬憲明選手。憧れのRSC(今のホンダレーシング=HRC)所属で、大スターでした。汚れた英雄の劇場公開が82年末ですから、まさに全盛期直前の大スターだったわけです。

自動車レースの世界では、まだ20歳代だった中嶋悟選手が生沢徹監督率いるJPSカラーのマーチ822ホンダでF2レース界を席巻。オフシーズンには同じJPSがスポンサーだった関係で、ロータスF1を劇寒のドニントンパークでテストドライブ。日本のモータースポーツの夜明けが目前に迫っていました。

一ノ瀬選手は、250ccクラスにステップアップしてもずーっと有名チーム所属。ブルーフォックスでも走ってました。ただ、時代はポケバイ世代がどんどんデビューしてくる頃でした。毎年下のクラスから上がってくる新人がものすごい走りを見せる。様々なプレッシャーがあったのでしょう。

1987年の鈴鹿8耐はTECH21チームが念願の初優勝。日本はバブルへと突入し、ロードレース界はまさにこの世の春を迎えていました。その熱狂から8日後の8月3日18時13分、一人の男性が、JR浜松駅を通過するひかり102号と接触し即死しました。

その男性こそ一ノ瀬憲明選手でした。享年31歳。あまりにも早すぎる死でした。盛り上がっていくモータースポーツシーンの中で、思うように走れない自分に悩んでいたのでしょうか?腱鞘炎を抱えていたとも言われています。他の選択肢はなかったのでしょうか?

ワークスマシンを確保しても、1レース活躍した若者にあっさり奪われるのが当然の時代。20分の一般走行枠に1000人が殺到していた時代。恵まれた環境のライダーは、有り余る走行枠を手に入れていました。だからこそ求められる結果。当時は輝かしい歴史を持つからこそ、走れる環境を持つからこそ、結果を求められ苦悩するライダーが沢山いたのでしょう。

今、経済難で走れないと言っているライダーが沢山います。でも、昔のようなプレッシャーと戦っているわけじゃない。みんな経済的には大変だと思いますが、2012年も「お金足りる!?」ってプレッシャーと戦って頑張りたいと思います。

今日は、ちょっと重たい気分の私です。

この記事へのコメント

1. Posted by チースイ   2012年01月28日 18:30
HIPPO大野様
はじめまして

一ノ瀬選手は、白蝋症になってしまったらしいです、当時の一般の週刊誌に記事が出ていました。振動が凄かったんですかね?残念です
2. Posted by Hippo   2012年01月29日 08:36
> チースイ様

白蝋症だったんですか。オートレーサーの持病No.1ですね。それにしても、あのバブルの時代、バイク屋もボロ儲けしてた時代なわけで、何か別の選択肢を見つけて欲しかったですねえ。あの時、RS125をどう走らせていたのか、今も聞いてみたいです。
3. Posted by 寒川安明   2012年09月11日 22:36
5 元ホンダマンです。一ノ瀬さんの事ですが、
社員ライダーで有りながら8耐に出ていましたよね!今、社員ライダーが国際格式のレースには出られないとのたまわっているひとがいます♪それって可笑しくありませんか?
実家に置いてある段ボールの中に、友人から
貰った栄光の赤ゼッケン一番を持っていますよ♪一ノ瀬さんの形見として
4. Posted by Hippo   2012年09月12日 10:34
> 寒川安明 さん

えー!栄光の赤ゼッケン1番ンをお持ちですか。それはすごい。うらやましいです。

一ノ瀬さんは誰がどう考えても大スターでした。圧倒的な知名度だけでなく、正確なマシンセッティングと的確な指示。もっと何かレース界というかホンダというか、いろんな人々が深く考えれば、もっと良い結果が導き出せたんじゃないかと今も思います。
5. Posted by 通りすがり   2016年02月29日 12:41
5 初めまして♪

一ノ瀬さんの写真カッコイイ!!
本人言ってました。第一コーナー大好きだ!目をつぶっても入れる程。
私もパドックの上から見たことありますが、一ノ瀬さんのスタートは無駄なく綺麗なスタート。
あんなに綺麗なスタートを見たのは、一ノ瀬さんとエディローソンだけです。

一ノ瀬さんが亡くなる前に頻繁に連絡をくれていたので良く話し相手をしておりました。しかし私が会社を変更し忙しくなり連絡出来なくなった数カ月後、阿部さんに会いに行った帰り、ローレックスの時計とお財布をホームに残し線路を歩いている所を…と最後を聞きました。

私から連絡してあげていたらと思うと今も後悔の念が一杯です。

レースの為に鈴鹿に来た時は必ず一ノ瀬さん宅に泊まっていた山本昌也さんも一ノ瀬さんの契約が無くなった途端、来なくなったそうです。

友人って何でしょうかねぇ?
そんな中、阿部さんが一番の理解者だったと思います。

今更、真実を話しても一ノ瀬さんは帰りません。
けれども一ノ瀬さんは負け犬ではないのは真実です。

一ノ瀬さんが亡くなって28年。
29年目の夏が今年やってくるのですね。

合掌
6. Posted by Katsumiエンジニアリング   2016年04月08日 15:45
4 本人の写真やトロフィーを預かってる地元の者です。有難う御座いますm(_ _)m
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