ヨーロッパの免許制度改革日本のクリエイティブ界は過酷だ

2012年01月28日

1994年モナコ以降F1は死亡事故ゼロ

b3c0505e.jpg1994年は岡山ではじめてF1が開催された年で、私は記者向けのプレスレセプションの企画・構成・演出を担当しました。すごいでしょ、企画を立てて台本も作って音響&照明の演出もやって実施もやる。今考えるとウソみたいですが、若い26歳の私は平然とやってました。ちなみにその時の営業も私です。

当時はFISAとFOCAという団体がFIAに統合されたばかりで、組織も混乱している様子で、当時はプレス統括だったマーティン・ウィテカーもドタバタしてました。

だって、その前の第1戦ってブラジルですよ。インターバルは3週間あったけど、アクティブサス禁止元年でしたし、シーズン序盤だからテストも多い。ただ、さすがマーティンだけあって、最終的には世界中のプレスを100人ぐらい集めてくれ、なかなかに盛大なパーティーを実施することができました。

予選は神戸ポートピアホテルからヘリで岡山TIサーキット英田を往復していたアイルトン・セナがポールを奪取。決勝はベネトンのミハエル・シューマッハが優勝。運営にはいろいろ問題がありましたが、レース内容は非常に見ごたえのあるものでした。

ただ、そこからが良くなかった。次のサンマリノGPはいきなり初日にルーベンス・バリチェロがタイヤバリアを飛び越えてフェンス上部に激突するクラッシュ。ドライバーは鼻の骨折と両腕の捻挫だけでしたが、悪夢の週末のはじまりでした。

翌土曜日は、前年まで日本で走ってたローランド・ラッツェンバーガーが死亡。コーナー手前でフロントウイングが脱落して、タイヤがグリップを失ってそのままコンクリートの壁に激突という痛ましい事故でした。

もうそこからは悲惨の連続。スタートでペドロ・ラミーがエンストしたベネトンに追突してタイヤが観客席に飛び込んで観客が腕を切断する事態発生。ところがレースはセーフティーカーを入れて事故処理した後に再スタートしました。

でも今度は再スタートからたった2周で、アイルトン・セナが高速コーナーを真っ直ぐ壁に向かってしまい激突。もちろん赤旗中断。なのに赤旗中にピットアウトしたエリック・コマスが現場に最高速で接近。オフィシャルが命がけでコースに飛び出して旗を振って最悪の事態回避。

救護映像は頭部から大量に血液が流れるシーンを放映し、あまりにも悲惨な状態となって、世界中の放送局が別映像(日本は録画によるディレイ中継だったので流れませんでした)に切り替えたりするほどになったというのに、コース上がクリアになると信じられないことにレース再開。

レース再開後はピットレーンでミケーレ・アルボレートのタイヤが外れ、他チームの2名のピットクルーを直撃して、意識不明で病院送りという事態になりました。

書いてることが信じられないでしょ。次のモナコでもカール・ヴェンドリンガーが意識不明になっちゃった。プレスレセプションに参加してくれたのって、ラッツェンバーガーとヴェンドリンガーだったのに、その二人がですよ…。ちょっとショック大きすぎでした。

でもね、あれから誰もF1では死んでない。じゃあ、あの二週間は何だったんだろうって今も思うんです。F1速報PLUS最新号を読んで、改めてあの頃を思い出しました。

あの年は終盤に鈴鹿GPもあったんですよ。そこにはセナがいなくてねえ。かわりにマンセルがいましたよ…。興行としての盛り上げのために、バーニーが呼んできたんですよ。「これがプロのエンタテイメントの世界かー」って感じた時でした…。

この本、ものすごく怖いことがいっぱい書いてあります。そして、サーキットがいかに安全向上のために努力しているかも、もっといっぱい書いてあります。これからも、安全なレースのために、努力を続けてもらいたいと心から思いました。

映像は海外のものです。コマスが現場に来ちゃうシーンも入ってます。


gq1023 at 05:53│
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