ソフトバンクホークス日本一嫁さん社員は使いにくい!

2011年11月21日

成田豊氏死去

電通の成田豊元最高顧問がお亡くなりになられました。汐留の新本社取得や株式上場は、まさに成田氏が代表取締役時代の功績です。

そして、15年以上も前に中国市場の未来を見据え、ものすごい規模での広告市場教育をしたのも成田氏でした。今の中国における広告界の主要スタッフは、みんな当時の電通社員が手取り足取り指導した人々です。

そして日韓共催の2002ワールドカップも主導的におこなわれました。ご本人が朝鮮半島出身で中学まで生活されていたということもあり、日韓交流には人一倍努力されておられました。

未来を見据えて2001番のナンバーをつけた車にお乗りでしたね。当初は主幹事だった山一證券が倒産し、野村證券が主幹事となって2001年に上場。

しかし、上場当日にUBSウォーバーグ証券が、取引開始直後に「61万円で16株」を「16円で61万株」と入力したため、初値が42万円まで下がってしまい、おかげで終値は42万円に対するストップ高の47万円になってしまったという話題もありました。

ご生前は大変お世話になりました。そして、グループ会社に入れてもらったのに、サッサと辞めてすみませんでした。

「クリエーティブは言葉や国家の枠も超えられるんだ」というお言葉をいただいたのに、サッサとクリエーティブも辞めてしまい、すみませんでした。私のCM作品集等は、どこに行ってしまったのでしょう?退職時に、すべての荷物とともに消えてしまいました。

成田さんは、「動く」社長って感じでした。大きな声で「お前は!」って言ってるイメージでした。電通西日本社員時代は、成田社長の挨拶で1年がはじまってました。つい先日もお元気そうな姿を拝見したのですが…。

長野五輪・新本社取得・上場・日韓ワールドカップと、激動の時代の主役でした。ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、故人のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。

gq1023 at 05:26
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