最大余震小浜島沖

2011年04月09日

東日本大震災から1ヶ月

それにしても、この1ヶ月はヘビーでした。
通常なら、石垣島・石巻・伊豆高原・一関・磐田・気仙沼・鈴鹿・仙台・筑波・長野・新潟・ひたちなか・横須賀(順不動)なんて移動することありませんからね。

短い期間に様々な都市を移動したことで、見事なまでの空気の違いを感じることができました。

東京では、いまだに水パニックが続いています。
被災地に山ほど売られているのを見たら「なーんだ、ぜんぜん大丈夫じゃん」って分かるんですが、実際に見た人じゃないと実感できないのかもしれません。

都内で大量に買いまくられたおにぎりやお弁当や牛乳はどうなっとるのでしょう?
家電量販店ではラジオが5千円とか、懐中電灯が2千円とかで今だに売れているのに、質屋のウインドウでは980円のポケットラジオが売れ残ってました。

近所のスーパーマーケットから食パンや菓子パンが姿を消していたころ、近所のパン屋さんでは、いつものように17時になると、半額セールをやってました。
「バカ売れしてるのはスーパーだけでしょ」ですって。パンをパン屋さんに買いに行くってことすら思いつかないようでした。

日本中で単一・単二電池が不足しているそうです。何に使うため?うちには、普通に文具店に頼んだ電池が、普通に配達されました。イベントではトランジスタメガホンや非常誘導灯に単一・単二電池をたくさん使うのです。だから常時購入していて、何事もなく届きました。

被災地にはアルファ米1万食や粉スープ5万食なんてのがガンガン届いてます。各所で備蓄されていた非常食が、ドーンと送り出されるからです。ただねえ、さすがに1ヵ月過ぎて来ると、炭水化物ばっかりってのは厳しいのです。

NGOやボランティアの人々が、フルーツや野菜やお菓子をドンドン送ってます。アメリカだと、救援物資には必ず大量のお菓子とトランプが入ってます。実際に被災したり救援活動してみないと、なかなか思いつかないものです。

今回はボランティアの現地入りを政府が制限しました。大学は春休みだったのに…。
阪神大震災の時は、リュックにありったけの思いを詰め込んで、徒歩で現地入りしたボランティアがたくさんいましたが、政府や自治体にとっては迷惑だということのようです。おかげで2週間も食料が不足する地域が出ました。さすがに飢えはツライ…。

見事なまでにたくさんの原子力発電所がダメージを受けました。絶対に大丈夫って言ってたのに…。

それではスーナという海草を採りに行って来ます。

gq1023 at 07:25│Comments(0)

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