乃村康友選手2010沖縄県知事選

2010年11月28日

ロジャー・ウイリアムスの事故

devidレースで安全性というものが語られるようになったと言われる73年のF1。

第3戦南アフリカで炎上したC.レガッツォーニをM.ヘイルウッドがレースをやめて助けに行き、炎の中から救い出すという素晴らしい出来事があったその年は、世論を大きく二分する騒動となったそうです。

第10戦オランダで、前年F3チャンピオンのロジャー・ウィリアムスンがマーチで2戦目のレース中にクラッシュ。マシンは炎に包まれました。

同じチームのデビッド・パーレイが車をコースサイドに停めて救出を試みますが、車体サイドの構造物と熱い炎に阻まれ、他の係員に助けを求めますが、適切な消火活動や救出活動もなく、ほぼ放置といった有様で悲惨な死をとげました。

そして最終第15戦アメリカ。ティレルで表彰台の常連だったフランソワ・セベールがクラッシュ。ガードレールに車体もろとも体をズタズタに引き裂かれる形で死亡しました。

これらがきっかけとなり「これがF1なのか?」「こんなものが必要なのか?」という論議が始まったそうです。そして、様々な安全対策が講じられるようになったのだそうです。

同じ73年、日本でも11月の富士GCで4台が炎上する多重クラッシュが発生。しかも消火剤が足らず、自然鎮火を待ちながらレースを続行し、それがテレビ中継されるという事態になった。しかも24歳のドライバー中野雅晴が焼死。富士のバンク手前にシケインを造ろうといった論議が始まったそうです。

翌74年には、F1で安全対策のために導入された3段ガードレールにぶつかったヘルムート・コイニクが1段目を突き破り、破れずに残った2段目によって頭部を引きちぎられ死亡。同じく日本では、シケイン導入に積極的だったスタードライバー風戸裕と鈴木誠一が前年同様に富士のバンクで炎上して死亡。

それでもレースはなくならなかった。それでも安全性向上への追及は、多くの選手達の死と言う悲しみと直面しながら続けられたのです。

広いセーフティーゾーンの先にスポンジバリアやタイヤバリアなんて素晴らしいものが設置され、消火器もオフィシャルも豊富に用意される現代のレースは、先人の血と汗によって形作られているということを、再認識いたしました。


gq1023 at 12:28│Comments(2)

この記事へのコメント

2. Posted by Hippo   2010年11月28日 15:57
> taka-Qさん

私ははじめて見ました。「サーキットの安全性についての論議が行き過ぎでは!?」という私の発言に対し、60歳代の方から「73年のF1を見てから物を言いなさい。YouTubeでも見れますから。」と言われたのがきっかけでした。

論議されるから安全性に対する意識が高まる。論議しないと安全性はいつしか忘れさられてしまう。そういうことを思い知らされました。
1. Posted by taka-Q   2010年11月28日 14:42
この場面は1987年公開の映画「GOOD-BY HERO」で初見でした。
デイビッド・パーレイが肩を落としてコース脇を歩きながらも、何度も戻るシーンが印象的でした。

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