大東亜共栄圏イチロー

2010年08月16日

彩帆(サイパン)島玉砕

kindergarten_nursery_school_saipan_lg昨日は朝から事務所の壁を一部壊して構造を調べたり、改装計画を組みたてていました。途中、少し終戦記念日だなあと思う程度で、何事もなく時間はすぎていきました。

家族は海水浴に行っていて、19時半ごろ自宅の最寄り駅に帰着。自宅近所のラーメン屋に行くというので、そこに20時すぎに合流しました。

そこにいたのは町内の少年野球のコーチの皆さん。そこで楽しく話しをしていると、そのうちの一人の方のお父さんが通りかかりました。そして合流。

石垣島の話しをしていたら、急に「オレのオヤジはサイパン出身だからさあ」なんて話しが出てきて、そのお父さんが御殿場出身だけど、生まれてすぐサイパンに移住し、12歳で終戦を迎えたことを知りました。

ご両親をサイパン玉砕時に亡くされてるそうです。ご本人は、日本の兵隊さん6人が「ぜったいに生きろ」とずーっと守ってくれて、アメリカ兵につかまるまで必死で守ってくれたそうです。

何の武器も持たない兵隊さん。最後は全員が捕らわれ、目の前というか、体の触れ合う状態で6人の兵隊さんは次々と銃で撃たれて亡くなられたそうです。

「次は自分だ」と思った瞬間。民間人ということで収容所へ移送され、何もない島なのに毎日2回の食事が出される収容所で終戦を迎え、引き上げ船で本土へと帰って来たそうです。

ご両親の記憶はサイパンというか彩帆にしかないそうで、毎年行くとのこと。戦後65年といいますが、サイパン玉砕は66年前の夏です。そこから1年以上も同様の悲惨な戦いは続きました。う〜ん重い。

お風呂屋さんも駄菓子屋さんも八百屋さんも全部艦砲射撃で破壊され、住んでいた家も家族もお友達もみんな失ったそうです。う〜ん重い。

「必死」という言葉の重さを思い知りました。「歴史」は過去を指すのではないことを思い知りました。「人と語る」ことの大切さを思い知りました。とても重く、そんな事実の上に生きている自分を実感した終戦記念日でした。

gq1023 at 06:02│Comments(0)

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