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2010年08月14日

野方にある石垣島料理のお店「さんしん食堂」

taiwan野方にできた石垣島料理のお店で、さんしん教室もやってるお店のお母さんと、昨日1時間ほどお話できる機会がありました。

戦時中は石垣島から3年間も台湾に疎開していたこと。疎開中は豊原の田舎町にいたこと。親族の病気でマトウの病院にいったこと。引き上げの際には必死で高雄から帰ってきたこと。台北(タイホク)でアメリカさん(アメリカ人捕虜)が強制労働させられてるのをはじめて見た事などを、いろいろお話ししてくれました。

豊原ってのは今では台中郊外のベッドタウンになってますが、昭和14年当時の台湾総督府上水道分布図を見ると、豊原は1万5千人(現在16万人)の街です。ちなみに台中州(現在の台中市,台中県,彰化県,南投県)の人口が138万人(昭和16年)となってますから、その中でたった1万5千人の所に疎開していたわけです。

昭和16年の人口でみると台北州の人口は123万人。3万人の石垣島から人口500万人の大都会・台湾に疎開して、その田舎町に暮らす。しかも住民の90%が台湾族。ものすごい体験だったと思います。

病気の家族を病院に連れて行ったマトウってのは碼頭(台北?)か麻豆(台南)か分かりませんが、どちらにしても大冒険です。お金では診察してくれなくて、すべて物々交換で、衣服や靴を出していたそうです。

戦争ってのは、すごい運命をつくり出しますよねえ。そこから引き上げて来たらアメリカ統治のドル時代。今度はパスポート持って内地へ旅立ち就職。さらに東京で起業。

でもそれは、決して戦争や歴史だけがつくりだしたのではなく、その人自身が必死生きてきたことで、つくり出されたのだと思います。あまりにも凄すぎて、今の若者にはついて来れないのではないでしょうか。

私達は、本当に幸せな時代をすごしていると思います。だからといって、安易に安定という名を借りた「挑戦しない自分」を創り出しても良いものなのでしょうか?「どんな時も一生懸命生きなさい」と応援されたような1時間でした。

ちなみに、台湾語で台北はタイパックと言います。でも、なぜか日本ではタイペイと呼ばれていて、さらになぜかNHKだけは日本時代の読み方であるタイホクと呼んでます。なんでなんでしょうね?

gq1023 at 18:49│Comments(3)

この記事へのコメント

3. Posted by まぶや〜   2015年06月29日 13:05
こんにちは。
母の疎開先を探していたら
こちらのBlogに出会いました。
(母にもこのBlog読ませら、覚えていましたよ〜)

野方からは、
引き上げましたが
沖縄県に行く際には
母の店に顔出して下さい。
喜ぶと思います。

書いて頂きありがとうございました!

このBlogシェアしても宜しいでしょうか?!
2. Posted by Hippo   2011年08月04日 05:35
> 親盛みちよさん

そうですか、さんしん食堂のマスターが叔父さんですか。ビックリするほど石垣島な雰囲気のお店ですよね。これからも寄せていただきます。
1. Posted by 親盛みちよ   2011年08月03日 15:07
5 こんにちわ、とても楽しくみせてもらいました。ちなみにさんしん食堂のマスターは私の叔父さんです。これからも、どうぞ通ってください。

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