2010年08月13日
日本航空ジャンボ機墜落
うちの会社に入った方が、みんな驚くことの一つに、この日本航空ジャンボ機墜落研究ってのがあります。ファイル2冊に、びっしりと資料が集められていて、自分自身の所見がかなり書かれています。私のライフワークです。
私にオートバイを教えてくれた方が、この事故で亡くなりました。そのころ私は、六甲山のケーブルカー乗り場近くに住んでいたのですが、その方もすぐ近くに住んでいた、父が務めていた電通大阪支社の同僚でした。
教えてくれたといっても、毎日バイクに乗って「おう!」といってくれるだけだったのですが、大柄な体格でビッグシングルを操る姿は、かっこ良かったのです。
この事故で、電通大阪支社は7名もの人材を失いました。とくにCM等を制作する花形であるクリエイティブという部署は、売れっ子4名が一気に亡くなるという大事故でした。密かに父が落ち込んでいたのを記憶しています。
インターネットすら全く普及していない時代から調べ始め、足で稼いだ調査データと実際の所見を書き続け、約15年以上かけて勝手な調査結果をまとめました。
ボイスレコーダーによると、最初の爆発音から機長が「スコーク77(緊急信号)」と発するまで約5秒。ここまで短い時間に、重大トラブルだと把握できる何かによって墜落しました。
個人的には、国の調査結果は信用できないと思っていますが、その後同種の事故は発生していないので、何らかの対策は行われたと思われます。
今はインターネットが普及しているので、いろいろな考え方が簡単に手に入れられると思いますので、ここでの私的な調査結果の発表は避けますが、自分の記憶にとどめるためにも、この時に亡くなられた電通大阪支社の方々のお名前を書いておきたいと思います。この事故で失われたすべての命に合掌。
お亡くなりになられた電通大阪支社の方々)
永田晶令氏(享年53歳) シニアクリエイティブディレクター
藤島克彦氏(享年47歳) クリエイティブディレクター
岩井宏之氏(享年43歳) 第6営業局部長
本田寧氏(享年38歳) 第2営業局副参事
須貝和郎氏(享年38歳) クリエイティブ局参事
松尾省一氏(享年35歳) クリエイティブ局副参事
吉田和太氏(享年29歳) 第2営業局主事
私にオートバイを教えてくれた方が、この事故で亡くなりました。そのころ私は、六甲山のケーブルカー乗り場近くに住んでいたのですが、その方もすぐ近くに住んでいた、父が務めていた電通大阪支社の同僚でした。
教えてくれたといっても、毎日バイクに乗って「おう!」といってくれるだけだったのですが、大柄な体格でビッグシングルを操る姿は、かっこ良かったのです。
この事故で、電通大阪支社は7名もの人材を失いました。とくにCM等を制作する花形であるクリエイティブという部署は、売れっ子4名が一気に亡くなるという大事故でした。密かに父が落ち込んでいたのを記憶しています。
インターネットすら全く普及していない時代から調べ始め、足で稼いだ調査データと実際の所見を書き続け、約15年以上かけて勝手な調査結果をまとめました。
ボイスレコーダーによると、最初の爆発音から機長が「スコーク77(緊急信号)」と発するまで約5秒。ここまで短い時間に、重大トラブルだと把握できる何かによって墜落しました。
個人的には、国の調査結果は信用できないと思っていますが、その後同種の事故は発生していないので、何らかの対策は行われたと思われます。
今はインターネットが普及しているので、いろいろな考え方が簡単に手に入れられると思いますので、ここでの私的な調査結果の発表は避けますが、自分の記憶にとどめるためにも、この時に亡くなられた電通大阪支社の方々のお名前を書いておきたいと思います。この事故で失われたすべての命に合掌。
お亡くなりになられた電通大阪支社の方々)
永田晶令氏(享年53歳) シニアクリエイティブディレクター
藤島克彦氏(享年47歳) クリエイティブディレクター
岩井宏之氏(享年43歳) 第6営業局部長
本田寧氏(享年38歳) 第2営業局副参事
須貝和郎氏(享年38歳) クリエイティブ局参事
松尾省一氏(享年35歳) クリエイティブ局副参事
吉田和太氏(享年29歳) 第2営業局主事
gq1023 at 05:36│Comments(4)
この記事へのコメント
4. Posted by Hippo 2010年08月15日 05:54
> ポン太さん
はい、須貝さんです。私は事故当時、まだまだ18才の子どもでしたので、なぜ父はスーツで会社に向かい、毎日午前3時頃にベロベロで帰宅しているというのに、同じ会社の須貝さんはファッショナブルな服にバイクで往復できるのかが、とっても不思議でした。
篠原台という急な坂道のある道を、結構なスピードで駆け下りて来て、お洒落な革ジャン等を着て「オウ!」ってやるのですが、朝からさっそうとしていて、本当にカッコ良かったです。こちらも毎日が二日酔いの父とは大違いでした。
もっと、お話しする機会があれば良かったのにと思いますが、事故の日に思い出すことだけは続けたいと思います。コメントありがとうございました。
はい、須貝さんです。私は事故当時、まだまだ18才の子どもでしたので、なぜ父はスーツで会社に向かい、毎日午前3時頃にベロベロで帰宅しているというのに、同じ会社の須貝さんはファッショナブルな服にバイクで往復できるのかが、とっても不思議でした。
篠原台という急な坂道のある道を、結構なスピードで駆け下りて来て、お洒落な革ジャン等を着て「オウ!」ってやるのですが、朝からさっそうとしていて、本当にカッコ良かったです。こちらも毎日が二日酔いの父とは大違いでした。
もっと、お話しする機会があれば良かったのにと思いますが、事故の日に思い出すことだけは続けたいと思います。コメントありがとうございました。
3. Posted by ポン太 2010年08月14日 19:03
オートバイの人は須貝さんですね。「おう!」っていう感じがあの人そのまま。あこがれの阪神間に住んで
かっちょいいバイクも手に入れあとは嫁を、という矢先でしたね。あれでなかなか寂しがりサンだったから、せめて8月12日には思い出してあげてます。
かっちょいいバイクも手に入れあとは嫁を、という矢先でしたね。あれでなかなか寂しがりサンだったから、せめて8月12日には思い出してあげてます。
2. Posted by Hippo 2010年08月14日 06:52
> yukihiroさん
人生いろいろあります。ロサンゼルスの地震は、毎年ロスで開催される世界最大の楽器ショー「ウインターNAMM」に参加するため、地震の翌日に現地到着予定でした。友人の楽器商は、家が倒壊していたのに、その日に無理やり現地入りしました。いろいろあっても生きていれば良いのです。がんばりましょう。
人生いろいろあります。ロサンゼルスの地震は、毎年ロスで開催される世界最大の楽器ショー「ウインターNAMM」に参加するため、地震の翌日に現地到着予定でした。友人の楽器商は、家が倒壊していたのに、その日に無理やり現地入りしました。いろいろあっても生きていれば良いのです。がんばりましょう。
1. Posted by yukihiro 2010年08月13日 09:00
うわー・・・。
そうだったんですね。
ご冥福をお祈りいたします。
そうだったんですね。
ご冥福をお祈りいたします。
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