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2010年02月14日

戦艦「大和」

b5a862f4.jpgハワイ時間で1941年12月7日太平洋戦争開戦。それから10日を置かず就役したのが、大日本帝国海軍の旗艦「大和」です。翌年に就役する「武蔵」とともに、圧倒的規模を誇る、世界有数の戦艦だったそうです。

ただし、世界の海軍は航空母艦を中心とした航空機攻撃中心となっており、それは太平洋戦争開戦時に、海軍航空機動部隊による真珠湾攻撃が選択されたことを見ても明らかです。すでに戦艦vs戦艦の砲撃戦なんて時代ではなかったのです。

終盤は燃料がないため、ほとんど何の活動もせず港につながれたまま。さらに母港である呉が機雷で埋め尽くされたために帰港できなくされ、結局は制空権をアメリカに握られた中で無理やり沖縄特攻を命ぜられましたが行けるはずもなく、1945年4月7日鹿児島県沖でアメリカ軍の航空機動部隊から総攻撃にあい撃沈。

戦死者数2,740名。大日本帝国海軍最後の海上作戦でした。原爆が落とされたのは、それから何カ月後のことでしょう?海軍は知っていたはずです、すでに制空権は敵国に奪われ、戦艦も空母も巡洋艦も駆逐艦も燃料もないことを…。

今、日本中に素晴らしい施設がたくさん造られています。空港・美術館・ホテル・官舎・庁舎…。でも、活用法がひらめかないようです。つまり宝の持ち腐れ。

すでにアジア経済の覇権は隣国に奪われ、商店街はシャッター通りになって、失業者は増え続けているのに、国会議員と公務員は、国民に特攻攻撃を命じています。歴史から何か学べないのでしょうか?

戦艦 大和 主な戦績)
1942年
 5月-6月 ミッドウェー作戦旗艦として後方出撃
 8月 ソロモン方面支援のためトラックへ
1943年
 5月 トラックから柱島へ
 8月 柱島からトラックへ
 10月 トラックからマーシャルへ出撃(結局戦闘なくトラックへ)
 12月 トラック付近の海上で潜水艦から被弾し修理のため呉へ
1944年
 6月 マリアナ沖海戦へ出撃(主砲発射・高射砲で誤って自軍機撃墜)
 10月 レイテ沖海戦へ出撃(シブサン海で同型艦武蔵沈没)
1945年
 3月 アメリカ軍による母港呉空襲時に交戦,その後徳山沖に回航
   (その後、呉&広島港は機雷で埋め尽くされ使用不能に)
 4月 沖縄特攻を命じられ向かうがアメリカ軍機の攻撃で鹿児島県沖で沈没

gq1023 at 06:48│
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