なんで今頃WBC祝勝会?地方空港の未来・基幹空港の未来

2009年11月17日

日本海軍の街「鈴鹿」

1d7ed427.jpg鈴鹿って街は、レースに興味を持つまで知りませんでした。はじめて鈴鹿サーキットに行ったのは1982年。当時の全日本F2選手権を観に行ったのですが、前座のシビックレースも含め、その迫力に圧倒されたものでした。

世界のトップドライバーも訪れ、F1からやって来たG.リースやスピリットホンダのS.ヨハンソンやラルトホンダのJ.パーマーが、中嶋悟とバトルしているのを「すげー!」と観ていました。歯科医の清水正智さんなんて、趣味でフル参戦ですからビックリですよね。ピンクのトライデントマーチが鮮やかでした。

その頃、鈴鹿サーキットで「昔はココが日本海軍の工場だった」という話しを聞かされて驚きました。だってサーキットは山の中にありますから、思いっきり内陸だと思ってたのですよ。じつは海沿いだったんですね。(だって当時は免許ナイもん)

まあ、ビックリしたのはその規模で、街中至る所に軍の碑が建ってます。駅にほど近いNTTの研修センターあたりは海軍航空隊があって、特攻機の訓練基地としての役割を担ったと言われているし、銃の発射場と空襲からの疎開倉庫は鈴鹿サーキットに、海軍工廠本部は旭化成やホンダ鈴鹿工場やイオンの大規模店舗になってます。

それどころか、鈴鹿が市に昇格したのは軍のおかげらしいのです。これ、鈴鹿市の印刷物でも「2町12ケ村が合併した軍都・鈴鹿市の誕生である」ってなってますから、かなりの住民が軍の方だったようです。

その日は昭和17(1942)年12月1日。太平洋戦争真っ只中の軍都誕生だったわけです。

終戦後、そこに残された広大な軍用地は、様々な企業の工場へと姿を変え、工業都市としての繁栄を勝ち取り、多くの人々の生活を支えるため、様々な大規模店舗が出店する都市となったのでした。

てっきりレースとホンダの街だと思ってる方いますよね。はい、私もそう思ってました。そんな歴史があるなんてビックリです。

ちなみに、シャープの液晶テレビでおなじみの亀山工場って言ってる亀山市は鈴鹿の隣りです。こっちは陸軍の飛行場があったらしいですよ。

gq1023 at 06:42│Comments(0)

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