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2008年09月25日

バブルの思い出「オートポリス」

7a7b9d71.jpg私は日本バブル期の大半をカナダで過ごしました。カナダで知る日本はまさに絶頂期。なんとか日本に帰りたくていろいろ手を回して帰国したら、いきなりバブルが破綻しました。それでもちょっとした思い出はあります。今日は熊本と大分の県境にあるレーシングコース「オートポリス」のお話しです。

オートポリスのオープンは1990年。10月末にプレオープニングイベントが開催され、私はそのイベントに出演するタレントのマネージャーとして現地に10日ほど滞在しました。

その時の出演タレントは「アースウインドファイヤー」「北島三郎」「小錦」「横須賀よしみ」等など多岐にわたりましたが、私が連れて行ったのは、「チェイサーズ」「オミーズ」「中田尚希・祐士」「パールピアス」といった漫才師のみなさん。

ステージはヘアピン内側に位置したアースのステージ横にある冗談みたいな簡素なもので、しかも会場のオープンとともに1回目のステージがあるのですが、メインの入口からその場所までは、どんなに走っても10分はかかるので、毎回お客さんのいない中でのステージでした。

さらに、なぜか漫才のタイミングでアースのリハーサルが行われ、さらにベネトンのF1が同じタイミングで走るので、音も声も聞こえないという状況でのイベントでした。

凄かったのは、そのサーキットにあるコレクション。パブロ・ピカソの「ピエレットの婚礼」をはじめ、ベネトンのF1カーや歴史的アストンマーチンなどがずらっと並び、さらにオートポリス独自のワンメイクフォーミュラ「FC45」という「ほぼインディーカー」が20台以上ありました。

そしてオープニング時に、ネルソン・ピケやロベルト・モレノが来場して、これらのマシンを乗り回してました。確か直前の鈴鹿で表彰台をゲットした鈴木亜久里も来て、カートレースに参加してました。

あの時、鈴木亜久里はベネトンとの3年契約に来ていたのですが、スポンサーバッティング等で、話しが流れたんですよね。F1でスポンサーバッティングとは、こちらもバブルだ!

さらに凄かったのが、関係ない私にもこの「F1」や「FC45」に乗せてくれたことです。他にもレンタル用のバイクやら車やらに乗せてもらいました。なんで乗せてもらえたのか記憶にないですが、それだけ太っ腹だったということでしょう。

イベントのエンディングは、アースのライブだったのですが、サーキット中にサーチライトやレーザーが設置され、超広大なレイブ会場という設定のイベントでした。いやーこれもスケールが大きい!

結局はバブル崩壊で破綻したのですが、今では川崎重工さんがオーナーとなって九州地区最大のサーキットとして存在しています。

だいたい、このゲスト選定って誰がやったんでしょうねえ。小錦はオープンカーで、北島三郎なんてヘリで登場でしたよ!

gq1023 at 05:06

この記事へのコメント

1. Posted by マイケル村田   2014年08月28日 18:41
5 鶴巻智徳時代のオートポリスは、上記で述べたとおり、F1の誘致活動を行うため、ベネトンのスポンサーになり、F1グランプリに対応出来る設備として、2万人の観客を確保可能な最終コーナーのスタンド、コースを見渡せる超高級ホテル「ベラ・ビスタ」、美術館、ネルソン・ピケの博物館、ヘリポート、カートコース等とまさにF1グランプリへの開催に向けた活動、後は1993年のアジアグランプリの開催を待つばかりだったが、1992年バブル崩壊によりオートポリスの経営会社は倒産してしまい、当然1993F1第3戦アジアグランプリの開催は白紙に…。







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